第02話「ラスト・リゾート」

「メージェ島、到着」

「フィルおねーちゃん、あたしがなにもできない馬鹿でドジなエルフだと思っているでしょ」

「馬鹿でドジなエルフだなんて思っていません。お馬鹿でドジっ子なエルフだと思っているだけです」

「あたしだってねー、おねーちゃんに勝てることはあるんだよ」


 ほんの少しだけ誤差ごさのように弓なりの線を見せる、西の水平線が茜色あかねいろまっていた。その優美な線に着地しようとしているオレンジ色の夕陽にまっすぐ向かい、『森妖精エルフの王女号』は低速で直進していた。


 前部マストの足元にテーブルをえ、甲板デッキの上でもよおされる料理長シェフ・クィルクィナの夕食。

 体長が十歳の子供ほどはある、最大級の食用エビであるエルカリナ海老えび、それを刺身さしみ、焼き物、し物、スープにサラダと様々に調理された料理の皿が並び、味わう前に客たちを視覚で圧倒あっとうしていた。


「これは、すごいですね……」


 ほぼ異口同音いくどうおんにリルルも、ニコルもサフィーナもおどろくだけだ。甲板の下に特別な調理用の設備でもあるのだろうか。火が自由に使えないはずの帆船で振る舞われる予想もしていなかった豪勢ごうせいさに、料理と得意気な顔でコックぼうを頭にせているクィルクィナとに視線を往復おうふくさせてしまっていた。


「何年も旅してる途中で覚えたんだ。どうせおねーちゃんに作れるのはシチューだけだもんね」

「ぐふっ」


 言葉の矢に胸をつらぬかれたフィルフィナがうめいた。


「……クィルは食いしん坊だから。料理に執着しゅうちゃくするのはエルフらしくない」

「ま、私は美味しい料理は大好き。クィルちゃん、里に帰ってきたら料理店レストランを開いたらどう?」

「やだよ、もうかんないし。それなら王都で店開いた方がマシだなー。ま、その前におねーちゃんに料理を教えてあげる方が先か」

「うぐぐ……。……さ、さあ、冷めないうちに食べましょう」

「ふふふふ、ゆっくりと味わうがいいもんね。んじゃ、し上がれー」

「いただきまぁす」


 食事は特に会話もなく――というより、料理の出来映できばえに引き込まれ、言葉を交わす余裕よゆうすらなく進んだ。船倉せんそうに氷を使わない魔法の氷室が設置されていて食材の鮮度せんどもよく、刺身は甘みがぷりぷりした身からにじみでてくるほどに美味びみであったし、焼き物や蒸し物の熱の通り具合も完璧だった。


 さすがにデザートまでは振る舞われなかったが、太陽が水平線の向こうに沈みきろうとする時には、全員が言葉を必要としないほどの満足感によくしていた。


「……片付けはわたしがします。みなさんは部屋でお休みください」


 夜の船上からは見えるのは星空だけで、周囲は真の闇――風の流れと船首が海を切る音だけが、この船が進んでいることを教えてくれている。メイドとしての最後の意地を見せたフィルフィナに片付けを任せ、リルルたちは早々に船室に引っ込んだ。


 船首と船尾、マストの頂点で煌々こうこうとランプに灯火とうかともされている。後部甲板上、見晴らしのいい船橋ブリッジには誰も詰めていなかったが、舵輪だりんがひとりでに動いているこの船には見張りさえ必要とされていないのか、船長格であるはずのウィルウィナも船長室に入っていた。


「――この一週間、準備のために本当に疲れたわ。リルル、今夜は早く休みましょう」

「うん、サフィーナ……」


 後部甲板下の居住区の部屋は多くない。船長室をのぞけばたった四部屋、うち一部屋は食堂として使われる大部屋で、寝台がえられている部屋は三部屋しかなかった。その部屋にしても、広さははばせまい寝台ふたつ分くらいしかなく、三段の寝台がまるで大きなたなかなにかのように設けられている。


 天井や上の段との高さはギリギリ圧迫感を覚えないくらいしかなく、上体を起こしきることはできない。だが、幅も寝返りが窮屈きゅうくつな寝台の布団の寝心地は、意外に柔らかかった。洗いざらしのにおいがする清潔せいけつさも手伝って、寝る分にはさほどの苦労はないようだった。


 外に面した円く小さな窓が少しだけ開かれ、隙間すきまから入ってくる風がカーテンをなびかせている。明かりを落とした部屋には一点の光もなく、目を開けていても自分の指すら見えなかった。


 三段寝台の下にリルルが入り、その上の中段にサフィーナが体を横たえる。仮にも令嬢と呼ばれる身分の少女が入る寝台ではなかったかも知れなかったが。


「……サフィーナ、窮屈で苦しくない?」

「全然大丈夫。狭いけれどワクワクしちゃう。私、快傑令嬢の活躍にあこがれて、自分もなりたいって思っちゃうような公爵令嬢よ?」

「あははは……」

「――こうやって二人だけで落ち着いて話をするのって、初めてかも知れないわね」

「ああ……そうね……」


 フィルフィナたち姉妹は三人で一室を使い、この旅でただ一人の男性ということでニコルは一室を占領している。その全員が全員ともそれぞれの理由で疲れ、その体を横たえていた。


「――リルル、一度、ちゃんと聞いてみたいと思っていたんだけれど……」

「なぁに?」

「私が側にいるの、嫌だと思ったことはない?」


 サフィーナが横たわっている寝台を下からぼんやりと見ていたリルルの瞳が、その焦点しょうてんしぼった。


「私、まだニコルのことを好きだ、なんて口にしているのよ。ううん、ニコルに振り向いてほしいなんていうことは、もう半年も前にあきらめてる。それは本当のことだから……誤解しないでね」

「サフィーナ……」

「私はニコルが好き。本当に好き。ニコルには望みを、あなたと結ばれるという願いをかなえて欲しい。だから、私は貴女リルルが好き――ニコルが愛するあなたを、私も愛してもいる……」


 ほおまくらにつけ、公爵令嬢は言葉をつむぐ。その声の響きようで、リルルには板一枚をかしてその姿が、表情が見えるようだった。


「ニコルが人生をけて結ばれたいと思うようなあなたに、ずっと会いたかった。会って、本当にびっくりしたわ。まさかうわさの快傑令嬢だったなんて……」

「あはは……」


 フィルフィナと共に王都のゴーダム公爵邸、サフィーナの私室に初めてまねかれた夜、フィルフィナのすすめによって、リルルは自らが快傑令嬢リロットであるということを明かした。フィルフィナがサフィーナは信頼にあたいする人物だといい、リルルもまたその意思に共感したからだ。


 リルルの秘密を名誉めいよけて守るというちかいを、サフィーナはたがえなかった。そして、ほとんど成り行きではあったが、サフィーナもまたフィルフィナからエルフの魔法の道具アイテムを借りることでリロットの相棒、快傑令嬢サフィネルとなった――。


 人と人の関係の中で、最も強固な関係の種類は、共犯関係である――そんな言葉をリルルは思い出してもいた。


「サフィーナ……私、あなたにとても感謝している……」

「リルル?」


 寝台の板越しに伝わってきたリルルの優しい声に、サフィーナはまばたいた。


「私、まだあなたの全部を知ったなんていう自信はないわ。でも、今まで知っただけのあなただけでも、信じられる」

「…………」

「あなたと友達になれて、相棒を手に入れられて、私、本当に心がひとつ軽くなった、だから」


 真の闇の中、互いの姿を目でとらえずに声だけで意思をやり取りする。それは心と心をくっつけ、たがいを震動させて想いを伝え合っているような錯覚さえ覚えさせた。

 そこに、いつわりがはさまれる余地はない。ここには、真実だけが存在する――。


「――これからも、いつまでもいて欲しい。サフィネルと、サフィーナに」

「リロット……リルル。それは私からもお願いするわ。そして、がんばってね」

「……なにを?」

「ニコルとあなたが、結ばれることに」

「…………ありがとう」


 リルルとサフィーナはそれきり、口を閉ざした。今の状況でそれがどれだけ困難なことであるかは、それぞれの立場が嫌というほど教えてくれたから。


「好きなひとが好きなひとと、なんのこだわりもなくふれ合い、自由に結びつき合える。それが、当たり前のようにかなう世の中だったらいいのに……」


 言葉が音となって、れた。リルルもサフィーナも、それが自分の言葉か相手の言葉か、どちらの口から発したものかわからなかった。もしかしたら、両方が同時につぶやいたのかも知れない。

 それとも、それは、どちらの口からも出なかったのかも――。



   ◇   ◇   ◇



 小さな点にしか見えない数個の明かりをほのかに光らせ、船は暗い海をただ進む。

 宇宙の闇という天幕の内側、数え切れないほどの白い灯火をきらめかせる夜の空。その空からこぼれて落ちた星の欠片かけらが泳ぐように、船は、く――。



   ◇   ◇   ◇



 翌日の朝を迎え、東の空から太陽がのぼり世界を再び光で満たし始めた頃に、『森妖精の王女号』のかつての王女ウィルウィナかたどった船首像の目は、水平線にわずかな輪郭りんかくゆがみをとらえていた。


 夜が明ける前に寝床を抜け出し、前部マスト上の見張り台に立ったウィルウィナの瞳の中で、先端が鋭い二等辺三角形を思わせる形が水平線から見る見る背をばしていた。


「――見えたわね」


 風を受けて真横にたなびく豊かな髪を押さえながら、その口元を真一文字に結ぶ。


 常に人生を楽しみ、達観たっかんした雰囲気ふんいきさえかもし出しているいつもの女性の気配は、そこにはない。温泉旅行として皆を引き連れ、今目的地の姿をその目にとらえた興奮も喜びも、その表情にはなかった。


「――みんな、楽しんでね」


 まだ眠りについているだろう愛しい子供達に、はるか高みから語りかける。その言葉が風に乗って届かないことを、祈りながら。


「これが私からあなたたちにおくることのできる、最後の贈り物プレゼントかも知れないから――」

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