「温泉へのお誘い、ニコルとサフィーナ」

 その日の午前、早速さっそくフィルフィナは、温泉旅行参加者の日程スケジュール調整のために動いていた。

 まずは、最も予定の設定に苦労しそうであると予想される一人の下に足を運ぶ。


「えっ、温泉旅行かい?」


 官庁街の外れに駐屯地ちゅうとんちを構える王都警備騎士団。そこに所属する少年騎士――正確には正騎士のひとつ下である準騎士――ニコルは、突然の面会を申し込んで来たフィルフィナと、応接間おうせつまで顔を合わせていた。


「はい、来週の今日、だいたい一週間くらい、休暇きゅうかを望めないかと……」

「無理なんじゃないかなぁ」


 来客用のお茶の用意を調ととのえ、広いテーブルの上にふたり分のカップと大きなポットを置いてニコルは答えた。


「僕はしたの平隊員で、まだ半年くらいしか勤務してないんだ。それが、一週間も休ませてくれなんてそうそういえないよ。それにどうも、参加者は僕以外はみんな女性みたいじゃないか。そんな旅に僕だけ男がついていったら、どんなうわさを立てられるか」

「それは、別にリルルお嬢様もサフィーナも気にはされないかと……」

「僕が気にするんだ。残念だけど僕は行けないよ」


 ニコルは形の整ったまゆに少しだけ、残念な影を見せながらお茶を一口ふくんだ。


 ニコル・アーダディス、十六歳。

 母がリルルの乳母うばという関係で、リルルとは乳兄弟ちきょうだい間柄あいだがらにあり、物心つく前から本当の兄姉同然に育ってきたゆかりを持つ少年。


 自然な流れでリルルとは心を通わせることになり、幼い時に交わした身分違みぶんちがいいの結婚の約束を果たそうと、立身出世りっしんしゅっせ糸口いとぐちとして騎士になることを望み、遠方での二年間の騎士見習い修業を終えて准騎士の地位を得、この半年前に王都に帰ってきた。


 貴族になり、リルルと釣り合う身分にのし上がれれば、リルルの父の許しを得られ、晴れてめでたく結婚することができる――そんな、常識では途方とほうもないことを夢見、日々の勤務に汗と血と涙を流す少年。

 が、生来の生き方の不器用さによって類希たぐいまれなる実力にも関わらず、まだ出世はかなわない。


 最大の栄達の好機チャンスである、快傑令嬢リロットを逮捕たいほ捕縛ほばくしたものには上級騎士、すなわち男爵相当の貴族に当たる地位を与える、という国王の宣告せんこくがなされ、何度かリロットをつかまえられる機会に恵まれながらも、そのたびに彼女を逃がしてしまうということをり返した。


 快傑令嬢リロットが法をおかしながらも弱い民のために戦ってこれを救い、ニコル自身も彼女に何度も助けられたために、手錠てじょうをかけられる場面に何度も遭遇そうぐうしたが、そのたびに気が引けてしまったがために自分の手で解放してしまうということさえあった。


 そしてニコルの最大の不幸は、リルルと結婚するために逮捕しなければならない快傑令嬢リロットの正体がまさに、当のリルル自身であるということなのだが――彼は、その悲劇の実情をまだ知らない。

 この構図を知り、それが成立するのに一役も二役も買っているフィルフィナは、複雑な想いになった。


 騎士としては小柄、リルルよりもやや背が高いくらいの体格に恵まれない身でありながら、それを逆手に取っての神速の俊敏しゅんびん性で敵をまどわし、一気に弱点をえぐり取るその闘技とうぎは、実行にかなりの勇気を必要とするはずだ。


「――フィル?」

「あっ」


 両手に抱えた紅茶の紅い水面をながめながら、ぼんやりと思いを巡らせていたフィルフィナの意識が刺激される。視線を上げると、少年の利発りはつさの中に優しい少女の面差おもざしを色濃くうつしたニコルの顔があった。やや長い明るい金色の髪、湖面こめんを思わせる深い水色をした大きな瞳が美しい。


 種族そのものに美を保証されたエルフの身でありながら、フィルフィナはこの少年の顔を見る度、どぎまぎとしてしまう瞬間が当たり前のようにある。人間の短い一生の中で一瞬きらめく光の、言葉では言い表せない美しさを思わずにはいられなかった。


「そ……そうですね、予定をけるのはなかなか、難しいですね……」

さそってくれたことは、本当にありがたいんだ。お土産話をいっぱい聞かせてほしいな。それは期待しているよ」


 紅茶を飲み干し、そろそろ戻らなきゃとニコルはソファから腰を上げた。


「リルルやサフィーナ様たちには、僕のことは一切気にせず楽しんでほしいといっておいて。護衛ごえいはフィルやウィルウィナ様がいれば十分過ぎるくらいだよね。王都でも最強の二人なんだから」

「ひどい、母はともかく、わたしはか弱いメイドです」

「あはは」


 フィルフィナは深々と一礼し、ニコルが開けた扉から外に出る。駐屯地ちゅうとんちの正門までニコルが見送ってくれて、フィルフィナはそこからひとり、官庁街かんちょうがいを歩いた。大通りに出てラミア列車に乗り、次の目的地に向かわねばならなかった。


「――ですが、母もこれくらいは予想していたはず。なにか一計を思案しあんしているはずですが、どういうカラクリを頭で描いているのか……」



   ◇   ◇   ◇



 エルカリナ王国を支える有力貴族のひとつである、ゴーダム公爵家。

 王家直轄地ちょっかつちである王都エルカリナの周辺の南方に広がる広大で肥沃ひよくな平野部を統治するこの家は、聡明そうめいな現当主の豪放ごうほうかつ親しみやすい人柄でも広く知られている。


 この半年で政変が続き、国政を直接につかさどる有力貴族がいくつも失脚しっきゃくした。中央の権力闘争けんりょくとうそうには極力きょくりょく関わるまいとしていたゴーダム公爵にも、ついにおはちが回ることになったため、自領に引っ込むことをもっぱらとしていた公もついに王都にきょを移し、国の政務に尽力じんりょくすることになった。


 このゴーダム公爵家は、ニコルが騎士見習いの修行を積んだ騎士団をようする家でもあった。騎士団内での正騎士への昇格しょうかくを目指さず、王都への帰還を選んだ一見不義理である行動もまるで不問にしてしまうほどに、公爵本人他ならず公爵家一家全体で――いや、騎士団全体でもニコルの人柄を愛していた。


 特にゴーダム公爵夫人のニコルへの偏愛へんあい溺愛できあいぶりはすさまじく、その実子以上の熱の入れように、事情に詳しくない者たちは二人の愛人関係をうわさすることさえあったが、二人を知る関係者はそんな疑いなど微塵みじんも抱くことはない。


 ニコルが騎士として持つ誠実さ、そして可愛い息子を欲していたゴーダム公爵夫人の心根を理解していれば、そんな邪念じゃねんが入り込む隙間などはアリ一穴いっけつほどもないと知るからだ。


 そのゴーダム家の屋敷にフィルフィナは足を運んだ。


 ゴーダム家の一人娘、サフィーナ・ヴィン・ゴーダムはリルルやニコルと同い年の十六歳、ニコルとも二年間の交流で懇意こんいになり、彼の人柄にかれいったんは求婚をするが、リルルを求めるニコルの熱意に負けて望みを捨てた令嬢だった。


 それにも関わらず、この王都に移住してきてからはリルルの優しい心を理解して親しい友人になることを望み、恋敵こいがたきとして成立する関係でもありながらふたり、わだかまりのかけらもなく親友となった。


 その公爵令嬢サフィーナには、世間には決して明かすことのできない重大な一面があった。

 彼女もまた、快傑令嬢の二つ名を持つもう一人の少女。

 快傑令嬢リロットが薄桃色のドレスに身を包むのなら、彼女は紫陽花あじさい色のドレスをまとう正義の令嬢剣士。


 快傑令嬢サフィネル。

 それが彼女のもう一つの名であり、顔であった。



   ◇   ◇   ◇



「温泉旅行? みんなで?」

「はい」


 もうゴーダム家にも出入りが続き、顔なじみとなったフィルフィナは顔を見せるだけでさしたる手続きも調べもなく、気軽にサフィーナの部屋まで通される身になっていた。

 彼女の私室、公爵令嬢のものらしい調度ちょうどが行きとどいた広い居間で、フィルフィナはお茶の接待を受ける。


 ふたりの間で隠し事はなし――その取り決めにしたがい、全てのことを打ち明ける間柄になったリルルとサフィーナ。リルルのメイドであり相棒でもあるフィルフィナもまた、その関係性の一部だった。


「なにを考えているのか、いまいちはっきりはしないのですが、わたしの母ウィルウィナがいい出したことなのです。色々引っかかるところがないではないのですが……まあ、うちのお嬢様も乗り気ですし、わたしとしても反対する理由はないと思いまして」

「温泉旅行ね、確かに楽しそうね。私も行きたいわ」


 賛意を示すように微笑ほほえんでサフィーナはカップの中の紅茶を飲みした。その両側に従っている二人のちびっこいメイドが、お代わりを注ぐ用意をする。


「え~~っ!?、ママの発案なの!?」

「……お母様もひまなこと」


 二人の少女――双子のようにそっくりな、というよりは実際双子の、まだ幼い子供の印象が色濃く残ったメイドが口を開いた。二人とも長い緑の髪に美しいアメジスト色の瞳を見せている。ただ顔立ちはまさしく瓜二うりふたつなのではあるが、その表情は明確にわかるくらいにちがう。


「ママが乗り気で企画きかくする旅行ってこわそう。とんでもないところに連れて行かれるんじゃないかなぁ」


 その感情豊かな表情がコロコロと猫の目天気のように変わる方が、クィルクィナ。


「……生きて帰れないかも知れない。遺書いしょを書くことをオススメする」


 それに対し、常時目が半開きで表情に種類バリエーションとぼしく、淡々たんたんしゃべる方が、スィルスィナ。

 二人はフィルフィナの妹であり、サフィーナの身の回りをするメイドのエルフであり、そして快傑令嬢サフィネルの相棒をつとめる助手でもあった。


「スィル、また大げさにいっちゃって、この子は。クィル、あなたもそう思うでしょう」

「でも、ママがなんか提案する時はとんでもないびっくり箱を用意している時だから、それはそれで不安かなー」

「ともあれ、ニコル様のところには先んじて行き確認をしてきたのですが、警備騎士団のお仕事を休むというのは難しいようですね」

「でも、ニコルが来ないというのは楽しみ半減ね。フィルだってそうでしょ?」

「はい?」

「ニコルと一緒に、露天風呂ろてんぶろに入りたいと思わない?」

「あ」


 サフィーナの指摘にフィルフィナは、今まで考えもしていなかった要素を思いついて声を上げた。


「ニコルってば、骨格が割としっかりしている感じでいて、余分な脂肪しぼうも筋肉もついていないすごく綺麗きれいな体をしているのよ。色も白いししなやかな感じがして、騎士見習い時代にニコルが水浴びをしようものなら、女の子がたくさん集まってきてのぞいていたものだわ……特におしりが可愛いの! みんなきゃいきゃいはしゃぎたくなるのを我慢していたわ!」

「……サフィーナ、あなたもその中の一人ではなかったのですか?」

「なんでそう思うの?」

「ニコル様の体つきを、くわしくいっているではありませんか」

「ふふ」


 ぺろ、と出した赤い舌がその答えだった。


「あの男の子? 確かにママが好き好き光線出してねらっているけれど」

「……この数年でお母様が男を狙うのは久しぶり。気をつけた方がいい」

「手を出したらその場で殺しますが」


 お茶を飲みながら平然という姉の姿に、クィルクィナが目元と口元をゆがませて微妙びみょうな表情をして見せた。


「まあ、ニコルのことは私がなんとかします」


 なにか目算ありげにサフィーナがいう。


「方法はないことはないですから。それは置いておいて、フィル、他に考えなければならないことがありますよね」

「……サフィーナ?」

「二人の快傑令嬢が一週間も王都をけるのですよ。その辺りの調整・・が必要なのではないですか?」


 にやり、と音が聞こえるような面白悪おもしろわるいことを考えている顔でサフィーナが笑った。

 フォーチュネット家とは家格として比べものにならないような、れっきとした公爵家。その令嬢の立場でありながら、面白いことには首を突っ込まずにはいられないこの少女の気性を思い知らされたような気がして、フィルフィナは作ったすまし顔の下で、一線ひとすじの汗を流していた。

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