「エルフの女王の温泉案内」

「なんで! あなたが! ここに!! いるんですか!!」


 電光石火でんこうせっか早技はやわざでフィルフィナがスカートの下から抜いた単発式拳銃の銃口が、一分いちぶすきもない仕草しぐさでお茶を飲むウィルウィナのこめかみに当てられた。


「返答如何いかんでは、わたしもこの人差し指の動きを制御できません!!」

「まあ、フィルちゃんったら、物騒ぶっそうなものをママに突き付けちゃって、お茶目なんだから、うふふ。と……取りあえず、引き金トリガーに指を乗せるのは、や、やめてくれるかしら?」


 ごりっ、という重い感触をこめかみに押し当てられながら、ウィルウィナは落ち着いた口調を乱さずそういって見せた――が、さすがに額に脂汗あぶらあせが浮かぶのはどうにもできないようだった。カップを持つ指の先も、ほんのわずかに震えていた。


「お嬢様、少しお待ちください。このどうしようもないエルフを今すぐ始末しますので」

「ちょ、ちょっとちょっとちょっとちょっと!」


 さすがに、向かいに座っていたリルルがフィルフィナの手から拳銃をもぎ取った。


「フィル、お母様に銃を突き付けるなんて!」

「そうやってお嬢様が甘い顔をしているからこのエルフはどこまでもつけ上がるのです! 里の者たちには厳粛げんしゅく排他的はいたてきな典型エルフをよそおっておきながら、人間の世界では男をあさり放題! 里の臣下に実態が知られたら、反乱クーデターも起こりかねない所業しょぎょう!」

「フィルちゃん、それはいくらなんでもいい過ぎよ。私は可愛い子しか相手にしないし、今付き合ってるのはミーネだけ」

「今すぐ帰りなさい! お嬢様の情操教育じょうそうきょういくに非常に悪影響です!」

「とにかく落ち着いて。フィル、こめかみに血管が浮いてるわ」

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」


 深呼吸を十数回り返し、フィルフィナは逆上ぎゃくじょうをなんとか押さえ込むことに成功した。


「約束もせずに朝から押しかけたのはごめんなさい。でも、同じ街に住んでるのにほとんど交流がないじゃない。母子おやこがそれじゃ、さみしいと思わない?」

「いいお母様じゃないの、フィル。優しくて明るくておおらかで。私、お母様のこと好きです。いざという時は、とてもお強くて頼りになりますし」

「まあ、リルルちゃん、嬉しい! そんなリルルちゃんだから私も贔屓ひいきしてあげたくなるの!」

「わ」


 立ち上がったウィルウィナがリルルをきゅっと抱きしめる。その、胸囲百セッチメルトを優に超える乳房がドレスの胸元に深く作るその谷間、断崖絶壁だんがいぜっぺき狭間はざまにリルルの鼻先が押し込まれ、そのまま奈落ならくに吸い込まれそうになった。


「見なさいフィルちゃん、あなたの大好きなお嬢様は、ちゃんと人を見る目があるのよ。フィルちゃんも偏見へんけんを捨ててママを見ないとダメよ?」

「うぐぐぐ……」


 リルルを盾にされたフィルフィナは歯噛はがみするしかなかった。怒りをその全身の毛穴からき出させ、地響きがするほどに足をみ鳴らしながら台所に引き返すために廊下ろうかに出て行った。


「ウィルウィナ様、その、気持ちいいんですけれど、お放しください」

「あら、様づけなんてしなくていいのよ」

「ですが、ウィルウィナ様はこのエルカリナ王国が建国される昔に、世界をお救いになった英雄の一人でいらっしゃいますし――」

「……昔の話よ、大昔の話」


 ふっ、とウィルウィナの目が細められた。

 フィルフィナのものと同じアメジスト色の瞳に見つめられ、リルルの胸の奥がきゅっと鳴る。冗談めかした口調でごまかされている感はあるが、真剣に見つめられればたましいを吸い込まれそうな美しさがあった。


「私も若かったわ。なぁんにも世の中のことをわかっていなかった。まだ私がフィルちゃんくらいの歳よ――世界を救った・・・・・・のは」

「世界救済の、五英雄……」


 リルルはウィルウィナと共に世界を救うために戦った勇者たちの名前をそらでいえる。いや、リルルだけではない。それは物心ついて物語に触れた子供達ならば、自分の国の君主の名前よりもはっきりと覚えているものだった。


 蒼し勇騎士ゆうきし・ヴェルザラード。

 朱き鋼戦士こうせんし・ティガ。

 みどり美射手びしゃしゅ・ウィリーナ。

 白い聖少女せいしょうじょ・ルイン。

 闇の魔導士まどうし・ローデック。


「五百年も昔の古い古い話は、いいじゃない。もう私も忘れかけている話だわ」


 成熟しきった女性が子供のように恥ずかしそうな笑みを浮かべるその様子に、リルルはまた親近感をひとつ重ねてしまう。彼女が人間を嫌う種族の代表格だといわれても信じられない気配があった。


「半分も自分の話のように聞こえないわ。物語として広まっている話は実際、盛られてるもいいところだしね――それはそうと」

「なにをお嬢様にコナをかけているんですか」


 お盆に自分のカップ、そしてお代わりのお茶のポットをせたフィルフィナが戻ってきた。


「仕方がないからお茶くらいは付き合わせてあげます。ですが、お嬢様の部屋に気軽に入らないでください。ここはお嬢様の居間ですよ」

「だって転移鏡てんいかがみがここに設置してあるんですもの。ここに来るしかないじゃない」


 フィルフィナにお代わりのお茶を注いでもらいながら、ウィルウィナは部屋のすみにある姿見スタンドミラーに視線を向けてみせた。

 リルルの背丈よりも少し高いくらいのそれは、一見すると本当に何の変哲へんてつもない大きな鏡にしか見えない。


 が、それは設定された鏡と鏡の間で、その表面に触れた者に空間を跳躍ちょうやくさせ、一瞬の内に離れた距離きょりを移動させてしまう、まさしくエルフの魔法の道具アイテムだった。この姿見はここから約六カロメルト離れた快傑令嬢の秘密のアジト、そして同時に、何万カロメルト離れているかわからないエルフの里、その郊外こうがいつながっている。


「歩いてきて玄関げんかんから訪ねて来てください。それが作法マナーというものです!」

「いいじゃない、そんな固いこといわないで。ここはお部屋のご主人に決めてもらえばいいわ――ねえ、リルルちゃん。私が転移鏡でここに来てもいいわよね?」

「え、ええ、フィルのお母様なら、それはもう、大歓迎だいかんげいです……」

「ああ、もう」


 どうせそういう答えが出るだろうと思い、あんじょうに出たことに、フィルフィナは頭を抱えた。


「お嬢様、なんでそうお優しいんです。いえ、お優しいことは本当にいいことなんですが……」

「フィルだって、本当はお母様のことを嫌ってるわけじゃない、大好きなんでしょう」


 リルルも席に戻り、カップにお茶を注ぐ。無作法ぶさほうだとは思いながら、テーブルに先ほどフィルフィナからもぎ取った拳銃を置いた。


「この拳銃にだって、実弾は入ってないじゃない。フィルったら、わざわざおどし用のこれを選んで」

「……弾丸たまを込め忘れただけです」


 ぷい、とフィルフィナが横を向いた。その頬と髪の間から少しだけのぞいている耳が真っ赤だった。


「で、フィルちゃんが男の子に温泉旅行の招待券チケットをあげてしまったのね?」

「そこから話を盗み聞きしていたんですか!」

「頭だけ鏡から出していたんだけれど、二人とも話すのが忙しそうなんでちょっと声をかけづらかっただけよ。いいわね、ケシテ温泉。私も何度かこっそり行ったことがあるわ。亜人あじんが入れる温泉は少ないんだけれどね」

「せっかく温泉で盛り上がっていたところを、フィルに水を差されちゃったんです。お母様、ひどいと思いませんか?」

「ごめんなさいね、うちのフィルちゃんが気がかなくて。よしよし」

「あー、もう!」


 見せつけるようにおどけてウィルウィナに抱きつくリルルと、それをあやすように頭をでるという母親の構図に、フィルフィナが腕の太さくらいの苦虫にかぶりついたような顔になった。

 リルルを軽く抱きしめてその肌のぬくもりを受けながらウィルウィナは、少しだけ目をせる。


 その、らしくない気配を感じてリルルが体を離したのと同時に、ウィルウィナは笑顔を作ってみせた。


「――ちょうどよかった。ケシテじゃないけれど、いい温泉地を知っているの。みんなで行きましょう」

「えっ?」


 リルルとフィルフィナの目が縦に伸びた。


「温泉地? みんなで? それって……」

「たまにはいいじゃない。仲良しさんたちを集めて、ぱーっと楽しみましょうよ」

「仲良しさんたち、って」

「ニコルちゃんとか、サフィーナお嬢様とか、クィルちゃんやスィルちゃんも一緒に行くのよ、素敵でしょ?」


 パン! と手を打ってウィルウィナが立ち上がる。


「いいのいいの、お金や準備は心配しないでいいの。なんせ私はエルフの女王様。権力があるんだから。あなたたちは時間さえけておいてくれればいいの」

「え、え、え」

「そうね。出発は一週間後の今日ということにしましょう。それまでに予定を調整しておいて――他のみんなに連絡はよろしくね。ああ、みんなにはこれだけは用意しておいてほしいものがあるの。今、書き付けに書くわ」


 ウィルウィナは胸の谷間から取り出した紙片とペンで小さくいくつかの項目を書き記し、リルルにそれを手渡した。


「……ええ、こんなものがいるんですか!?」

「あったら楽しいわよ。――どんなものを買うかは任せるけれど、考えに考えた方がいいとだけ、助言アドバイスさせていただくわね。じゃ、私はこれで」


 カップに残った最後の紅い液体を飲み干し、ウィルウィナはそそくさと転移鏡に頭をもぐらせた。硬いはずの鏡が波打つと、まさしく水面のようにウィルウィナの体を飲み込んでその姿が消えた。


「――行っちゃった」

「また、なにを考えているのか、あのバカは……」


 はあああ、とフィルフィナが床を焼きくすような息をいた。


「でもでも、これってきっかけじゃない、いいじゃない。温泉に入りたいわくわくが復活してきたわ! フィル、私は温泉に行きたいわ! いいえ、フィルが嫌だといっても私は行く!」

「――まあ、お嬢様がそういうのならお付き合いしますけれど……、一週間の間に予定を調整するのはなかなか大変ですよ。わかっているのですか?」

「がんばればいいのよ! 何事も成せば成る!」

「やれやれ」


 なにか引っかかるものがないでもなかったが、喜びに小躍こおどりしているリルルを見れば水を差すこともいえない。フィルフィナは覚悟を決めることにした。


「取りあえず、サフィーナとニコル様にお話しましょう。――ニコル様の予定が空くかどうかは、微妙びみょうなところですがね……」

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