「フォーチュネット伯爵誘拐事件」(その六)

 一夜が明けた。


 人質を無事救出して解決を見た『フォーチュネット伯爵誘拐ゆうかい事件』は、深夜に日付が変わったと同時にその全貌ぜんぼうが公表された。王都有数の大企業の社長が誘拐され、その日のうちに快傑令嬢リロットによって救い出されたという事実は、翌朝の号外によって民衆に知れ渡った。


「お嬢様の活躍がばっちりってますよ」


 朝市での買い出しついでに号外の一部を買ってきたフィルフィナが、ひざの上で広げたそれを読みながら、リルルの寝台の上で正座しサン・ド・ウィッチの長いパンを頬張ほおばる。


「……快傑令嬢リロット、伐採所跡ばっさいじょあとの誘拐団アジトに単身乗り込み、二十数人の誘拐団を一人で壊滅かいめつに追い込む。救い出されたログト・ヴィン・フォーチュネット伯爵の目撃談によれば……」

「……半分やっつけたのはフィルだし、お父様は流れ弾を警戒して頭をせきっていて、なにもロクに見ちゃいないでしょ」


 布団に潜り込んだままのリルルが、半分眠っている声で答えた。

 命をけなければならない大きな事件は途絶とだえて久しいとはいえ、事件の数そのものは一向に減る気配がなく、三日と間を置かない出動の連続だった。

 いい加減寝不足がまり、日常生活に差し支え始めていた。


「要するに、ほとんどお父様の口から出任せじゃない……新聞記事がそんなので本当にいいのかしら……」

「いいんじゃないですか? どうせ些末さまつなことに過ぎませんよ」


 最後の一口を咀嚼そしゃくし、飲み込んで口元をいてからフィルフィナは続けた。


「旦那様は本当にしっかりされていますね。目撃談を載せている新聞社はひとつに限っていて、それの掲載けいさいに応じる代わりに、会社の一面広告を載せさせていますよ。社長が目撃した快傑令嬢の話が載ってると新聞売りがさけんで、本当に飛ぶように売れてましたね」

「……それはずいぶん広告費が浮いたことでしょうね。ただでは起きないお父様らしいわ……」


 リルルはますます深く布団にもぐった。きつい眠気の前になにもかもがどうでもよくなっていた。


「……フィル、私、お昼まで寝る。もう、眠くて眠くて……」

「お嬢様、いい加減生活が夜型になっています。その内、昼夜逆転するのも近いです。少しはおひかえになったらどうですか」

「悪者さんたちにいってよ。私だって好きでこんなことを……」

「半分好きでしているのではないですか?」

「…………」


 リルルは答えるのを拒否きょひし、頭の下にいていたまくらを顔の位置に載せた。意地でも眠るという姿勢表明だった。


「――ですが、旦那様は今頃どうされているのでしょう。あれから警備騎士団と共に王都に戻り、事情聴取などの応対で、寝る間もなかったものだと思いますが――」


 壁時計が重い鐘の音を鳴らしたのは、そんな頃合ころあいだった。時報ではない、玄関げんかんの呼び鈴に連動して鳴る仕組みの鐘だ。


「来客ですか。こんな朝にどなたでしょう」

「……フィル、私は眠ってることにして……」

「お客様がニコル様でも?」

「……起きるに決まってるじゃない」


 やれやれ、とつぶやきながらフィルフィナはリルルの寝室を出て行った。

 一分と少しし、リルルがうとうとと眠りにつき始めたのと時を同じくして、急ぎ足のフィルフィナが寝室に戻ってくる。


「――お嬢様、起きてください!」

「んあ?」

「旦那様のお帰りです!」

「……ふへ? お父様が?」


 顔の上の枕をね飛ばし、リルルが体を起こした。

 転がるように寝間着姿の体を布団からい出させ、ケープを羽織はおりフィルフィナが開けている扉を抜けて居間に飛び出す。


「――お父様!」


 リルルの視界の真ん中で、ログトがソファーに顔から突き刺さるようにして突っ伏していた。ほとんど行き倒れ同然のその姿にリルルがけ寄った。


「リ……リルルか……」


 首だけがひねられて、目の下に濃いくまを刻んだログトの顔が半分だけのぞいた。顔色の全部が抜け落ちたかのような疲れようだった。


「フィルから聞いていると思うが、誘拐されてから帰ってきたばかりなのだ。広告掲載の指示と、新聞の取材と、事情聴取で一睡いっすいもしてなくてな……さ、さすがに私も眠い。す……すまんが、ここで眠らせてくれ……」


 そこで気力がきたのか、ログトのまぶたが重みに耐えかねるように閉まって、そこから大いびきの大独唱だいどくしょうが始まった。

 部屋の小物の全部を微震動させる重低音のいびきがかなでられ、二人の少女は顔を見合わせた。


「……寝ちゃったわ」

「ここでお休みさせて差し上げましょう」


 毛布を運んできたフィルフィナが主人の体にそれをかける。

 完全に熟睡じゅくすいの領域に入ったログトの様子を確認して、リルルとフィルフィナは連れ立って廊下ろうかに出た。


「――この何ヶ月かの間、今回の騒ぎで、いちばんお父様と話したような気がするわ……」

「わたしも側でお話は聞かせていただいていました。旦那様も強引なようでいて、色々と悩みを抱えていらっしゃるのですね」


 朝の庭を歩く。フォーチュネット家の庭はそれほど手がかけられていない。定期的な手入れが必要な植木は数がおさえられ、水やりと簡単な肥料ひりょうやりでそれなりに見栄えがする花の植え付けがもっぱらだ。


 庭の目立たぬ隅に二人は足を運んだ。そこには誰にも知られぬ暗号のようにひっそりと鎮座ちんざする、ふたつの少し大ぶりな白い石がある。双子のように並ぶその石を誰も墓標ぼひょうとは思うまい。しかし、リルルとフィルフィナにとっては、それは大切な目印だった。


「――コナス様の、葬儀そうぎの日よ」

「はい」

「私、お父様が持ってきた新しい婚約話こんやくばなしを池に投げ捨ててしまったわ。そしてお父様を感情のままにののしってしまった……。お父様も多少はこたえるものがあったのかしら……」

「……旦那様も人の子、色々な感情の表し方があるのでしょう」


 フィルフィナはふたつの石の前で小さく礼をしてかがみ込み、石の周囲に咲き誇る色とりどりの野花の間で葉を伸ばしている雑草をぷちぷちと抜いた。


「旦那様は旦那様の論理で、お嬢様の幸せを祈っているはず。しかし親子といえど、違う人間です。人間の違いは、考え方の違いであり、そこにすれ違いがある……」

「いつかお父様と、本当の意味で対決しないといけない日が来るのね」


 今は色々な理由をつけて先送りにしていることも、このままにすませ続けることは許されない。

 この矛盾むじゅんの迷路の中でいつまでも迷ってはいられない。いつかは何らかの結論をつけ、脱出しなければ――。


「お嬢様も旦那様も、それぞれにお優しい。……しかし、時にその優しさがたがいを傷つけるのです。わたしはお嬢様と旦那様を見ていると、そんな想いにとらわれます。どちらかが残酷であれば、ここまで互いを苦しめ続けることはないのかも……」


 フィルフィナは、その言葉だけは自分の口の中で聞こえるものにした。

 ふたりの優しさを見ているから、愛しているから自分はここにいる。故郷よりも居心地のよいゆりかごとして、この屋敷を第二の故郷、そして最後の故郷と定めたのだ。


 そのふたりに、どちらかが、それとも両方が残酷になれ、とはいえない。


「――ふたりが、ふたりともお優しいことが、ふたりにとってなによりも残酷なことである。……なんという皮肉なのでしょうね……」


 その優しさの狭間はざまに自分を置きながら、フィルフィナは祈るのだ。

 いつかでいい。この優しい親子が本当にわだかまりなく笑い合える、そんな日が一日も早く訪れてくれるように――と。


「フォーチュネット伯爵誘拐事件」終わり

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