「フォーチュネット伯爵誘拐事件」(その五)

「――半年前か、娘を悪漢あっかんから救ってくれたそうだな」


 きびすを返そうとしたリルルの足が、その一言でい止められた。認識阻害そがいのメガネをかけて顔を認識できないようにしているとはいえ、相手は自分の父親だ。どんなところからボロが出るかも知れない。できるだけ接触はけた方がいい。


 そうは思ってはいるのだが、滅多めったにできない父親との会話ができるという興味が、リルルの足を止めていた。


「娘やメイドから聞いている。その悪漢はよりにもよって、私が呼び寄せたようなものだということも。私の不手際の始末をしてもらったようなものだ。礼をいう」

「いえ……」

「私の娘と親しいようだな」


 これはニコルにもいっていることだ。嘘をく時は整合性に気をつかわねばならない。

 リルルとリロットは、無二の友人。一心同体のような・・・もの――。


「――としも近く、似ているところもあって、気が合うものですから……」

「できたら娘に近づかないでほしい、といいたいところだが、こうして命を助けてもらった身では強くもいえんか。――娘は、私のことをなにかいってなかったか」

「……はい?」


 唐突とうとつな質問に、リルルの足がますます固まった。


「月に何回か、生きているのを確認するように顔を合わせるくらいにしか話をせん。そんなに深い話もしないし、な。――親しいのなら、私のことも話題には出ないか」

「……気になるというのなら、ご自分で聞かれたらいかがですか?」

「そんなこわいことができるか」


 ログトが自嘲じちょうするように笑った。


「あいつにうらまれているのではないかと思うと、気も重くなるというものだ。……娘にいている相手がいるのを知りながら、私はそれを許さない。許してやれば喜ばれるのだろうが……」

「フォーチュネット郡の土地を取り戻すため、ですか」

「やはり色々と聞いているようだな」


 小屋の外から差し込んでくる淡い光が、親子の語らいを支えているわずかな光だった。


「我が旧領は、実り豊かな穀倉こくそう地帯だ。きっと今頃も、無数の麦のがいっぱいの実をつけ、黄金おうごん大海たいかいを作っているにちがいない。十代でその地を離れるまでに見た黄金色こがねいろの野、私はいまだにありありと思い出せる。――あの地をもう一度我が手に取り戻したい。私の人生はただそれだけのためにある」

「あきらめることはかなわないのですか。あなたはご商売でも成功された身。それをあきらめてしまえば、後は楽になれるだけ――」

「金なんぞ、私にはそれほどの価値もない」


 疑いようのない本心を語る顔が、そこにあった。


「私にとっての金は、旧領を取り戻すための手段に過ぎない。先代が、売春宿のツケを払うがために二束三文にそくさんもんで売り渡した土地。なんということだ……私が過去に戻れたなら、いくらでも立て替えてやるというのに」


 ログトの目が伏せられた。

 激務げきむの中で疲れきった、初老に差し掛かった男の陰が色濃くそのはしめていた。


「その旧領を買い戻すだけの金は、目処めどがついた。しかし、今そこを統治とうちしている領主は、売却に首を縦に振らん……当然だ。土地は貴族にとって力の源泉だ。そして収入も高いとなればますます手放す気はないだろう。……それをくつがえすには、上からの圧力がいる」

「……御息女ごそくじょを有力貴族にとつがせ、その政治力で……」

「娘が成人してから何度か縁組えんぐみを段取りしたが、そのたびに上手くいかなかった」


 胸に走った痛みに、リルルは顔をしかめた。表情が認識されていればそれだけでいぶかしく思われたにちがいない。『上手くいかなかった』。言葉にしてしまえば単純にしてしまえるそんな出来事も、解決するのにどれだけの血と汗と涙を流したことか。


「私のツキのなさもあるのだろうが、いいところまで話が進んで相手の都合だけでいきなり頓挫とんざする。私もくやしい思いをしているが、それに振り回されている娘はどう思っているのだろうと思ってな」

「…………」

「領地を持たない家とはいえ、フォーチュネット家は腐っても貴族だ。その娘がそこらの市井しせいの人間のところに嫁ぐなどあり得ない。ならば、私と娘にとっても、少しでも利益の出る形にまとめたい……そう思って努力はしてはいるのだが、空回りの連続だ。人生とはままならんものだな」

「……そうかも知れませんね」

「娘からなにか聞いてはいないか」

「……彼女リルルの言葉として、ひとつだけ、あなたに伝えられるものがあります」


 ログトの目が上がった。言葉を待つ目だった。


「あなたのことを恨む――」


 ログトの目が強張こわばった。それはこの異常事態の中で、ログトが示した最大の動揺どうようかも知れなかった。


「――気にはなれない、――それだけを、いっていました」

「…………そうか」


 ログトの中で一瞬、心臓を針金でキリキリとめられるような緊張がけて、消えた。


「私を見捨てるという選択肢は、お前の中にはなかったのか?」

「……何故、そんなことをお尋ねになるのです?」

「問題の構図は理解しているのだろう。私が死んでしまえば娘は自由になれる。娘が好いている男と結ばれることに、なんの支障ししょうもなくなるのだ。ぞくに私が殺されてしまえば、娘にとって道がひらける。私という障害をけることに、罪の意識をうこともない――」

「父親を失う、そんなことを彼女は望んでなどいません」


 リルルは、いいきった。

 それだけは確かだった。

 だから、自分はこうしてここにいる。


「そして同時に私も、罪なき人々が傷つくのを望んでいない――それが快傑令嬢リロットなのです。フォーチュネット伯爵様、あなたとお話しできて楽しかった。今宵こよいは失礼いたします」


 スカートのすそひるがえす。少女の気配が風を巻く。


「待ってくれ、もう少し話を」

「あなたのお嬢様によろしく! またお会いいたしましょう!」


 父親の声を振り切り、少女の姿はログトの視界から消えた。ログトが追って小屋を飛び出した時には、もう薄桃色のドレスの気配はどこにもなかった。


「――リロット……」

旦那様だんなさま


 背中にいきなり張り付いてきた声に、ログトの肩が面白いくらいにね上がった。

 振り返ると、見慣みなれたメイドのかしこまった姿が薄明かりの中に浮かび上がっていた。


「フィ……フィルか。おどかすな」

「お助けに上がりました。お身体の方はご無事でしょうか?」


 フィルフィナの背中の向こうでは、数人の男たちが残らず地に伏せて動いたり動かなかったりしている。まだ意識があるものも膝に突き刺さった矢がもたらす激痛のために、今が昼か夜かを確かめる余裕もないのだろう。


「おかげで一度もなぐられることはなかった。……どんな手にうったえてくるかと思っていたら、快傑令嬢だとはな」

「彼女に連絡する伝手つてがありましたので」

「何故あのリロットを引っ張り出したのだ。お前ならば一人だけでも十分どうにかできた事態だろう」

「これからやってくる警備騎士団に、フォーチュネット家のメイドが暴れて誘拐団ゆうかいだん蹴散けちらした、と説明するのは、なにかと不都合があるのではないかと思いまして」

「……なるほど」


 すまし顔のメイドが淡々と並べた言葉に、ログトはうなるしかなかった。


「快傑令嬢がやってきて、わけがわからないうちに誘拐団がつぶされていましたの方が話は早いな。……ということは」

「はい、警備騎士団にはすでにこの場所を通報しております。――馬で近づいてくるのが聞こえていますね。間もなく到着するかと」

「で、お前は誰にも会わずに消えるというわけか」

「左様でございます」

「なるほど、見事だった。お前に高給を払ってる甲斐かいがあったというものだ」

「昇給を期待しております」

「身代金を払うよりははるかにマシだな」


 二人、小さく笑い合った。


「フィル、ご苦労だった。礼は後で必ずする」

「――では」


 フィルフィナは一礼し、闇の中に体を溶かす前に酒瓶さかびんのひとつを拾った。つなぎ合わされた金と銀の鈴をそれから取り外し、空になった酒瓶はその場に捨てた。


『双子の鈴』と呼ばれる魔法の道具アイテムだ。同じ道具同士で共鳴し合い、相手が位置している大まかな距離きょりと方角を知らせ合うエルフの秘宝。酒瓶にこれをくっつけて使者を帰すことで、直接追跡しなくとも潜伏場所を割り出せたのが勝因に繋がった。


 エルフのメイドが気配を森の中に消し、あちこちでうめき声の小さな合唱がっしょうが歌われる中、さほどの空白を作らずに馬に乗った一団が走り込んで来た。二十騎ほどの甲冑かっちゅう姿の騎士たちが伐採所跡ばっさいじょあと雪崩なだれ込んでくる。


「――旦那様!」


 魔鉱石の明かりを首元にぶら下げて走る馬群ばぐんの先頭を切っていた若い騎士が、ログトの姿をいち早く見つけて馬から飛び降りた。


「おお、ニコルか」

「ご無事ですか!」


 かぶとの下からのぞいた金色の髪をランプの光に輝かせた少年が、ログトに駆け寄った。


「旦那様がここにとらわれているという匿名・・の通報があり、急ぎ参上した次第です。しかし、これは――」


 抜きかけた剣をさやに納め、ニコルは自分の体をログトの盾にするようにして立つ。しかしその警戒は不要なようだった。

 一人残らず戦闘不能におちいっている誘拐団を前にし、下馬した騎士たちがその身を拘束こうそくにかかる。


「なんだ、全滅してるじゃないか」

「手配書で見る顔がゴロゴロしてるな」

「半分は歩けないのか。護送ごそうの馬車に詰め込まないといかんな、これは」


 気絶している頭目にもなわがかけられ、その顔に平手打ちが飛んで尋問じんもんが始められそうになっていた。


「快傑令嬢リロットのおかげだ」

「リロットが来たんですか?」

「私は直接に見ていないがな。頭目に聞くといい。私はそこの小屋の中で震えていただけだ」

「旦那様がご無事でよかった。胸をで下ろしました。誘拐されたと最初聞いた時は、本当に気が気ではなくて――」

「……ニコル。お前は、私が……」

「はい?」

「……いいや」


 質問をつなごうとして――ログトは、少年のんだ瞳が一点のにごりもなくこちらを見返していることに、薄く笑ってかぶりを振った。


「……なんでもない。それより腹が減った。昼飯を食いすこねてから、なにも口にしていないのだ。これから事情聴取なのだろうが、なにか食べられるものがあるとありがたい」

軍用糧食レーションしかありませんが、お口に合うかは……」

「食べられるものなら文句はない。ニコル、頼む」

「わかりました。旦那様、こちらにお越し下さい」


 人質を保護しました、と同僚どうりょうに告げ、遅れてやってきた荷馬車までニコルはログトを先導し、その前に立った。

 そんな少年の背中を目で追いながら、ログトは考えた。

 自分がいなくなった方がよかったのではないか、などとこの少年にたずねるのは、愚問ぐもんぎない。


 それが、幼少の頃からニコルという少年を見てきて、多少は人を見る目に自信を持っているログトの結論だった。

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