「フォーチュネット伯爵誘拐事件」(その四)

「綺麗な夜空だなぁ」


 ほぼ円形に木々が伐採ばっさいされ、広場のようになった場に誘拐団の男たちはどっかりと座っていた。たっぷり持ち込んだ酒瓶さかびんを片手にし、思い思いに酒をみ交わす。


 今夜がみじめな身で暮らす最後の夜だった。


「こんな野宿のじゅく同然で星空を見上げるのも、あと少しさ。全員で大金つかんで家でも買おうぜ、家」

「んだな。俺は牧場持ちてぇ」

「俺は畑だ。もう一度真面目にやり直すんだ」


 明日には、数えるのが面倒になるくらいの大金をつかむことができる。その期待に男たちの緊張感きんちょうかんも完全にネジがゆるんで外れていた。夢は実現する直前が本当に楽しい。今まで地べたをめるようにして生きてきた、屈辱くつじょくの日々も忘れることができるくらいにだ。


「夢がねぇな。俺は波打ち際に寝そべって美女はべらすぜ、美女」

「んなことしてたら、一年もせずにまた誘拐ゆうかいしなきゃいけなくなんだろ」

「いいじゃねぇか。いつ死ぬかわからねぇんだ」


 木のカップとカップがぶつけられ、笑い声と共に酒の飛沫しぶきが飛び、地面に置かれたランプに照らされたそれが星のように輝いて、消える。


「太く短く、楽しめるうちに楽しめ、これよこれ、わははは」

「俺たちゃ金持ちだ、大金持ちだ!」

「二十億エル万歳!!」

「ばんざーい!」


 男たちのさわがしいわめき声が夜の空に吸い込まれる。王都から三十カロメルトは離れた、人里からは完全に隔絶かくぜつされた森の中だ。そんな場所でこんな時間にどれだけ騒ごうが誰に聞こえるわけもない――そう思い込んでいる男たちの思惑おもわくとは裏腹に、一人の少女がそれをしっかりと聞き取っていた。


「――まあ、好き勝手に色々いってくれるもんですね」


 男たちの夢を輝かせるランプの光もとどかず、生い茂る葉の重なりに星の輝きも降らない森の奥にかがみ込むフィルフィナが、その目を危険な角度にいでいた。


「人をひとり誘拐しておいて真面目にやり直すとか、ふざけているんですか」


 木々の隙間すきまからかろうじて射界しゃかいは確保されている。酒を酌み交わすために野外で集まってくれているのは本当に都合がよかった。ここから十人はねらえる――離れた距離と満足とはいえない明かりの下でも、フィルフィナは狙うべき標的ひょうてきを確実に捕捉ほそくしていた。


「誘拐団に落ちぶれるまでは、真面目な農夫だったかなにか知れませんが……人の命を盾に金銭を要求するなんていう行いを、許すわけにはいかないのですよ。残念ながら、夢の時間はここで終わりです」


 フィルフィナは左手ににぎった弓に矢をつがえた。複合素材の弓が丈夫な特殊糸に引かれて曲がり、きりきりと頭の奥に響く音を立てた。


「ご自分たちのあやまちを、たっぷり後悔してください」


 記念すべき一射目をどれにすべきか――数秒の間考え、フィルフィナは決定した。



   ◇   ◇   ◇



 カン! と鋭い音を立てて、地面に置いてあるランプが明かりを吹き飛ばされながら転がった。


「ありゃ、ランプが自分でコケたぞ」

「足腰の座ってないランプだなぁ、情けねぇ」


 酒がじわじわとみこんでいる脳では、なにが転んでも笑える。男たちはケラケラと笑って次の酒を注ぎ合った。


 カン!


 続いて、もう一つのランプがまたもなにかに突き飛ばされたように転がった。そして、その座の明かりを支えていた最後のランプも同じように弾かれ、明かりを消し飛ばされた。

 酒盛りの一角が暗くなる。ログトを監禁している小屋の近くで頭目たちが集まっている場の明かり以外は全て消え失せ、手元を確かめるのもつらくなった。


「明かりが消えたなぁ」

「もう飲み過ぎだってことだろ。お開きにしろってランプがいってんだよ」

「そりゃあ、ご親切なランプさんでございますな」


 わはははは、と十数人が笑い合い――それは唐突とうとつに止んだ。

 おかしい、全員の脳が把握はあくするまで何秒かかったろうか。


「てっ……敵だぁ!?」


 色を失って真っ先に立ち上がった男のひざに矢が突き立ち、盛大な悲鳴をき散らし、その体が折れるように倒れる。太い膝を貫通かんつうしたやじりがぬめっと濡れた先端をのぞかせて、恐怖が連中のいを吹き飛ばした。


「ぎゃあ!」「いてぇぇ!」


 即座そくざに反応して立ち上がった男たちが、立ち上がった順番に膝を射抜いぬかれてその場に転倒する。立ち上がることが狙われる条件だということに気づく男たちはいなかった。逆に、錯乱パニックすえに考えもなしにその場を飛び出そうとし、的確に膝をられて走ることもできなくなった。


 離れた座でグラスを口元に運ぼうとしていた頭目が、突然き上がった悲鳴の列に、元々ゆがんでいる顔をさらに歪めた。


「どうしたぁ! 何事だ!」

「矢です! 矢をたれています!」

「矢だと!?」


 叫ぶ頭目の目の前で、報告にけ寄って来た当の手下が膝に衝撃を受け、受け身もなく前のめりに突き倒された。


「てっ……敵襲だ!!」

「親父を小屋から引き出せ! 盾にする!」

「鍵だ! 鍵を開けろ!」


 牢番ろうばんとして小屋の鍵を預かっていた男が、酔いに覚束おぼつかない手つきで錠前に鍵を突っ込む。その間にも男たちが次々に倒れていく。どの男たちも正確に膝を射抜かれていて、その精密さに男たちは震え上がった。


「いったい何人に囲まれてるんだ!」

「早く人質を引きずり出せ!」


 小屋の扉が開けられる。鍵を握る男を突き飛ばし、頭目がその中にみ込んだ。


「親父、出――!」


 出てきたのは小屋のすみで頭を抱えて伏せていたログトでなく、陰から出てきたりの一撃だった。

 ハイヒールの一撃が頭目の脇腹に深々とめり込み、大柄な体がまりのように吹っ飛ぶ。


「げえぇぇ――――っ!?」


 まだ消されずに残されていたランプの明かりでその脚の持ち主を見た男たちは、開けた口から内臓が飛び出るのではないかというほどのさけびを発していた。


「かぁっ……快傑令嬢だとぉぉぉっ!?」


 薔薇バラの花一輪をした、広いつばの紅い帽子ぼうし、夜会にもえるだろう薄桃色のドレス、背中までびたかすかにウェーブをたたえた銀色の髪が、わずかな青みをふくんで輝く。

 その姿を見たことがある者も見たことがない者も、目の前に現れた特徴的な出で立ちで、それが誰であるかは瞬時に理解できた。


「皆様長らくお待たせいたしました――と、ここでカーテシーの挨拶あいさつをしたいところですけれども、時間があまりないということで!」


 地面にぎ倒された体を起こしかけた頭目のあごが、ハイヒールの爪先に勢いよく蹴飛けとばされ、今度は意識ごと頭目の頭が地面に叩きつけられた。


「失礼ながら、今夜は省略させていただきます!」


 快傑令嬢リロットにふんしたリルルの左手が、右手首の黒い腕輪からムチを引き抜く。

 それが一度振り抜かれて空気を切り裂く音をブンと立てて地を叩き、再び振られた次の瞬間には、誘拐団の手下でその場に立っていられる者はいなくなった。



   ◇   ◇   ◇



 最初の悲鳴が上がってから三分もたない幕切れだった。


「――あなたを誘拐した者たちは、全員片付けました」


 万が一の流れ弾などに備えて伏せていたログトが顔を上げる。開け放たれた扉のところにドレス姿の少女が淡いランプの光を背中から受け、そのほっそりとした体の輪郭りんかくさらしていた。


お初にお目にかかります・・・・・・・・・・・、フォーチュネット伯爵様」


 白い手袋が優雅に広がるスカートのすそをつまみ、少女の片足が下がって膝が曲げられる。赤いフレームのメガネがきらりと輝いたように見えるが、認識阻害そがいの魔法の力の前に、ログトにはその顔をることができなかった。


 認識できていれば、心臓がまるほどの衝撃を覚えていただろう。


わたくし、快傑令嬢リロットと申す者です。以後、よろしくお見知りおきのほどを――」

「お前が……うわさの快傑令嬢……」


 服についたホコリを払い落としながら、ゆっくりとログトが立ち上がる。初めて目にするその非日常の存在に、声のはしが震えていた。

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