「フォーチュネット伯爵誘拐事件」(その二)

 二時間ほどを全力で走った荷馬車にばしゃから乱暴に引きずり下ろされ、目隠しをぎ取られたログトが放り込まれたのは、そよ風が吹いたくらいでもくずれるのではないかという、小さな小屋だった。


「大人しくしてろ!」


 どう見てもまともな生業しごとにはついていなさそうな風体ふうていの男が、手首を前でしばられたままのログトの体を突き飛ばす。木の格子こうしになっていて外が丸見えの扉が閉められ、小型のじょうがかけられて即席そくせき牢獄ろうごく閉鎖へいさされた。


 やれやれ、と心の中でぼやきながらログトは小屋の内部を観察した。地面にはわらが積まれているが、ふんにおいもない――ログトは多少安堵あんどして、かすかな笑みを浮かべて地面に座り込んだ。

 荷馬車の最低な乗り心地のために、腰が全般的に痛かった。


「気味わりいな、この親父。拉致らちされたっていうのに悲鳴を上げるどころか、道中でも一切だまったままだったぞ」


 無駄にさわいでなぐられてもそんだからな――小屋のすぐ前で集まっている五人の会話を盗み聞きしながら、ログトは口の中でつぶやいた。盗賊崩れなのか、顔中刀傷だらけの男たちが他にも辺りをうろついているのか見えた。全員が何かしらの刃物を持っていて、喫茶店の入店も断られそうなくらいに野卑やひな服装をしている。


 建物をればすぐに崩れて脱出は容易そうだったが、この人数ではただちにり殺されるのがオチだろう。四十を過ぎた時点で走るのが難儀なんぎだったのに、五十の半ばを過ぎたこの歳では、全力疾走ぜんりょくしっそうなど考えたくもなかった。


 どうやら森の真ん中らしいが、まだ昼下がりの太陽の光は十分明るく差し込んでいた。かつて伐採ばっさい所になっていたのか、鬱蒼うっそうと木々が密集した中に不自然な形でひらかれた空間があるようだ。隙間すきまだらけの小屋はそこからのぞけば全方位を見ることができて、ログトは手早く四方を観察した。


 っ立て小屋同然の平屋の建物は他にいくつかあった。盗賊の拠点きょてんなのかも知れないと予想がつく。


「おい、おっさん」


 何人かの顔の破片を適当に集めてい合わせたかのような顔面が、格子の向こうから突き出された。


「ログト・ヴィン・フォーチュネット伯爵だ。フォーチュネット水産株式会社の社長でもある」

「……こちらが質問する前に答えるなよ」

「答えない方がよかったか?」

「いや……」


 全部で二十人弱はいるだろうか、人質と頭目がどう交渉こうしょうするのか興味津々きょうみしんしんの手下とおぼしき男たちも集まっている中で、頭目とうもくらしい男が戸惑とまどっていた。


「無駄なことは嫌いなのでな。で、いくら身代金みのしろきんをふっかけるつもりなのかね?」

「……おっさん、俺たちがこわくないのか? いやに余裕じゃねぇか」

「怖いさ。生殺与奪せいさつよだつの権限をにぎられているのだからな。交渉が失敗すれば私は殺されるのだろう」

「ま、まあな」


 自分たちは、どうやらヤバい奴をさらってきたかも知れない、という一抹いちまつの不安が頭目の目の奥に見て取れた。


「こんなところで殺されたくもない。というわけで、交渉開始だ――金額は?」

「二十億エル」

「欲をかきすぎだ」


 予想の十倍を切り出され、さすがのログトも眉をひそめた。とても自分にその価値があるとは思えない。


「てめえの会社はかせいでるんだろ! これくらいの資産はあるはずだ!」

「そりゃ、資産としてはある。だがな、ほとんどは土地や建物や設備の不動産だ。そんな遊んでいる現金はないぞ」

「必死になって用意させろよ。でなければ腹いせにここでゆっくりとなぶり殺しにされるだけだぞ。全員気が立ってんだ。もうけ話がふいになっちまったからな」

「誘拐組織の残党というわけか?」

「俺たちの素性すじょうなんかどうでもいい! これからお前の会社と交渉するんだ。会社に指示するために手紙を書いてもらう。お前の自筆じひつでなきゃ、信用されないかも知れないからな」

「会社と交渉するのは無駄だ」

「なんでだよ!」

「私の後釜あとがまになっている副社長とは折り合いが悪くてな。私がここで殺されると、奴が泣いて喜ぶだけだ。消してしまいたい相手を金も払わずに消してもらえるんだから、お前達に感謝するだろう」

「…………」


 とんでもない内容を落ち着き払って淡々たんたんと話すログトの姿に、嫌な物でも見せつけられたかのように困り顔をした男たちが顔を見合わせた。その裏でログトも声に出さず考える。こいつらは荒事の玄人プロかも知れないが、身代金誘拐については完全に素人アマチュアだ。


 玄人プロのやることは予想がつくが、素人アマチュアはなにをしでかすかわからない怖さがある。


「じゃあ、お前をさらってきただけ無駄だっていうのか!」

「私の屋敷と交渉しろ。現金はそれほどないが、一日待てば二十億エルの現金にえられるだけの資産はある」


 屋敷で動かせるのは確か、リルルが持っている銀行の預金が数百万エルと、リルルの貯金箱に入っている数千エルくらいのものだということを計算しながらログトはいった。


「お前、俺たちをわなめようとしているんじゃねえだろうな」

「馬鹿をいうな。私も死にたくないといっただろう。屋敷にまだ十三歳くらいになったくらいのメイドがいる。読み書きもロクにできんような子供だ。そのメイドを連絡役に使うがいい。それを介して、私の娘が交渉に応じるだろう」

「メイドだな。よし、じゃあ自分が誘拐されたむねを手紙に書け。こちらの指示と一緒にお前の屋敷に放り込んでくる」

「手の拘束こうそくいてくれるのかね?」

「当たり前だ! 手を出せ! お前ら! 便箋びんせんとペンを持ってこい!」


 ログトは格子の隙間から手首を突き出した。手首をいましめていた縄が切られる。鬱血うっけつ寸前になっていた手を軽く振り、ログトは細く息をいた。


 荷馬車で荷物の下敷したじきにされるように隠された格好で移送される間、大きな花火の音が体に響くぐらいに聞こえた。ログトに余裕を与えている最大の理由があの音だった。


 フィルフィナは会社に接触せっしょくをすませ、屋敷で待機しながらさくっているころだろう。あとはフィルフィナの才覚さいかくに期待するだけだが、これについてはさほどの心配はしていなかった。うまくやってくれる。


 さあ、あのエルフの娘はどのような手段にうったえてくるものか。

 それを楽しみにしているのを隠して、ログトは紙とペンを受け取った。



   ◇   ◇   ◇



「――お父様が、誘拐されたですって……!?」

「まだ確定したわけではないですが、十中八九じゅっちゅうはっく、そうでしょう」


 緊急きんきゅう呼び出しの花火に応じて本社におもむき、状況を確認して帰ってきたフィルフィナの報告にリルルは青ざめた。


「しかし、安心しました」

「どこに安心できる要素があるのよ!」

「あの花火は旦那様だんなさまが急死なされたり、事故で大ケガを負った時の合図もねていましたので」

「――――」


 まだ身体に危害がおよんでいない可能性があるだけマシ、という解釈なのか。


「社内で秘書がなぐり倒されているのが見つかりました。護衛ごえい担当の社員の社員は朝から無断欠勤むだんけっきん……自宅を確認させましたが、殴られてしばり付けられていたそうです。一連のこれは、やはり」

「……お父様の身辺を、手薄にするための工作……!?」

「わたしは屋敷で待機します。じきに誘拐犯から連絡がここに来るでしょう」

「ここに? 会社じゃないの?」

「誘拐された場合は会社ではなく、わたしと交渉すると旦那様と打ち合わせしております」

「は――――」


 そんな事態まで想定しているのか、このふたりは。

 まるで日常業務のように問題を解決しようとしているメイドの姿にリルルはあきれるだけだった。父が誘拐されたという衝撃は、いつの間にかどこかに吹き飛んでいた。


「もう時刻は十五時です。金融機関きんゆうきかんも受付を停止しています。身代金をすぐに用意することはできない、一日待てば用意できる――その口実こうじつで、旦那様は一日だけ時間かせぎをなさるでしょうね」

「一日って……お父様を取り返すにしても、そのびた時間だけで、どうにか居場所を突き止めないと身代金を払わなくっちゃいけなくなるじゃないの。あのお父様のことだわ。誘拐犯に大金をくれてやるくらいなら、きっと荒事あらごとを選ぶに決まってる」

「そこはさすが親子といったところですか」

「荒事を好むっていうのが?」

「それはそうと、お嬢様」


 とがめるリルルの声をかわし、フィルフィナは微笑ほほえんだ。


「急いでお使いをしてはいただけませんか。わたしは今、ここを離れるわけにはまいりませんので」

「お使い?」

「はい」


 ポケットからガマ口財布さいふを出し、取り出した一万エル紙幣しへいを数枚リルルに手渡して、フィルフィナはいった。


「ウィスキーを一本買ってきてください。大きな箱に入ったなるべくお高い、高級そうなやつであればあるほどよいでしょう――ええ、小洒落こじゃれたグラスなどと一緒になっているやつとかが、最適ベストです」

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