快傑令嬢すぺしゃる!004

「フォーチュネット伯爵誘拐事件」(その一)

 その日、王都エルカリナ有数の大企業『フォーチュネット水産株式会社』において、激震が走っていた。

 一代で王都でも屈指くっしの大会社をきずき上げ、二十年以上に渡って第一線で活躍し続ける社長、ログト・ヴィン・フォーチュネットが誘拐ゆうかいされたのだ。


 時刻が正午に差し掛かろうというころのことだった。

 王都西地区にある本社から、王都エルカリナの衛星都市であるウェー・エルカリナの支社に向かおうと、乗り込むための馬車が差し回されるのを待っていた最中の出来事だ。


 巡り合わせが悪いことに、護衛担当ごえいたんとうの社員が無断欠勤むだんけっきんし、人手のりなさからログトの近くに人がいない瞬間ができたのがまずかった。


 ログトに帯同たいどうするはずの男性秘書が突然その姿を消してしまい、異変を感じた別の社員が玄関げんかんで待つログトの元に報告しようと向かった時、社長の姿はかすみのように消えていた。


 数分と置かずに馬車が回されてきてもログトは姿を現さず、すぐ近くを探そうとした社員は、足元に落ちていたひとつのカフスボタンを見つけて顔面を蒼白そうはくにさせた。


 それはまぎれもないログトのカフスボタンであり、それがここに落ちているということは、洒落しゃれにもならない緊急事態に自分たちがのぞんでいることを意味していたからだ。


「……このカフスボタンが、社の前に落ちていたというのか……!」


 本社の事務室、奥まった場所につくえを置く副社長が、その顔にまだ若さがありありと残る社員からの報告に背筋を大きく震わせた。


「はい、間違いありません。現場で社長が自ら引きちぎったものです。これは――」

「しっ!」


 大部屋で机を並べ、大量の事務処理に追われていた数十人の社員達の手が止まり、全員の視線が一斉に副社長に注がれる。ここでは社長も副社長も仕切りさえなく同じ部屋で働くのだ。だが、そんな垣根かきねのなさが今はあだになった。


「屋上に出よう」


 副社長は社員をうながし、事務室を出て社屋の屋上に向かった。


「副社長もご存じでしょう。引きちぎったカフスボタンは社長の暗号です。自分がこの場でなんったという――」

「誘拐だな」


 状況としてはそれしか考えられなかった。生死はともかく、その身柄を運んでいったことだけは確かだろう。

 王都においてこの半月、数件の誘拐事件が立て続けに起こった。その元締めとしての誘拐組織も快傑令嬢リロットにたたきのめされ、警察に検挙けんきょされて壊滅かいめつしたものだと思われていた。


「こういう緊急事態にせっした時、どうすればいいか、社長は手引き書にあらかじしるしている」

「金庫に入っているあの分厚いやつですか。い、今から戻って確認を」

「必要ない。私は覚えている」


 ログトとちがい、長身の神経質そうな副社長は屋上のすみに向かった。

 人の背の高さほどの柱のようなものとおぼしきものが分厚い耐水布たいすいぬのおおわれている。副社長が躊躇ちゅうちょなくそれを外すと、その下から一本の大きなつつが現れた。


 金属製で肉厚が結構ある丈夫な筒だ。先端のふたを外し、副社長は筒の中をのぞき込んでなにかを確認した。


「……なんなのですか、それは?」

「今にわかる」


 一度社屋に戻り、帰って来た副社長はその胸にひとつの大きな玉を抱えていた。

 社員の顔が嫌な予感に強ばる。

 筒、玉となると、ひょっとしてこれは――。


「下がっていたまえ」


 やはりそうなのか、と社員はけるようにして距離きょりを取り、副社長は筒の上にその玉をかかげた。玉の直径ちょっけいと筒の内径ないけいは、ほとんど同じ寸法すんぽうだった。


「――これを使う日が来るとはな」


 意を決し、副社長はその玉を筒の中に落とすと同時に、自らはその場にせた。

 ポン! と軽い音を発し、筒が玉を上空に向けてき出す。雲の高さまで目に止まらない速度で打ち上がったそれの先を追って、社員は高空を見つめた。


 王都に、轟音ごうおんとどろいた。

 十二カロメルト四方の王都、そこにある全ての建造物の壁をなぐりつけるくらいの重い音が一発、響く。空に大した光が輝くことはなかったが、音だけはやけに大きな花火だと社員は思った。


「――ついてこい」


 いつの間にか立ち上がっていた副社長が先を行き、階段を進む。今の花火の意味がわからない社員は呆気あっけに取られながら、副社長の背中を追った。


「あれは……花火だったのですか?」

「他の何に見える」

「いや、しかし、どうしてこんな事態に花火なんて。本当にあんなものが緊急の手引き書にっていたとは……」

「八年前に変わったのだ。それまでは『速やかに警察に連絡しろ』だったんだが」

「はぁ……で、どこに行くんです」


 副社長は迷いもなく階段を一気に一階まで駆け下りた。そのまま建物から出、会社社屋を囲む門の前に出た――ちょうどログトがおそわれたと思われる場所だ。


「君は社長付きになってまだ日が浅かったな」

「ええ……まだ一ヶ月もありません」

「ならひとつ大事なことを教えておく。今から来られる方に、決して礼をしっしないように」

「来られる方?」


 その『来られる方』は、間もなく来た。

 遠くから聞こえて来た馬蹄ばていの響きに社員は顔を上げた。それがこちらに向かって一直線にやってくるのだということは、石畳をけずるようにたたく強い調子の音ですぐにわかった。


 一頭のケンタウロスがものすごい速度で走って来た。門に面したややせまい道路が揺れるのではないかと思うほどの音が鳴り響き、鼓膜こまくを連続で撃たれた社員は顔をゆがめた。

 副社長が腰を曲げて頭を下げる。その最敬礼の角度に、あわてて社員もならった。


 頭を下げる二人の前で、固い印象の制服をすきなく着こなした若いケンタウロスの青年は停止し、その背に乗っていた一人の女性を降ろす。短い会話のやり取りがわずかに交わされて、ケンタウロスは再びその場を走り出した。


「こんにちは」


 その少女のものらしい声を耳に受け、社員は顔を上げた。


 紺色こんいろめ上げられたメイド服のスカートが視界に入り、続いて白いエプロンが確認された。メイドにしては小柄な部類に入る体格、幼い印象にほんの少しだけ大人びた気配をうかがわせる端正たんせいな顔、ふくらむように見える髪型の長い髪――なによりそのアメジスト色に輝く大きな瞳が心に焼き付いた。


「――旦那様だんなさまの身に、重大な事が起こったようですね。急ぎまかり越しました次第しだいです」

「お早いお付き、まことにご苦労様です」

「わたしはお屋敷のメイドに過ぎません。どうかそんなに頭をお下げにならないで」

「は――――」


 大企業の第二位に位置する重鎮じゅうちんが必死に頭を下げているこの少女、その正体を想像することができず、社員はどう挨拶あいさつするべきかわからず、口元をすべらせずにいた。

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