「エルフメイド・フィルフィナの華麗な一日」(深夜・その二)

「わたしは……さみしいのです……」

「寂しい?」


 単純な言葉にすることに成功すると、それは自分の中心で弾むくらいにに落ちた。

 何故、こんな夜にさめざめと泣かねばならぬのか。

 何故、あたたかな布団にくるまれながら泣かねばならぬのか。


「フィルみたいな強い人が、おかしなことをいうのね」

「わたしは、強くなんかありませんよ……」


 フィルフィナはリルルの肩から右腕を通し、左腕と一緒に少女の体をぎゅっと抱き寄せる。それは、ぐずった幼い子供が母親を求めるのと同じだった。


「フィルは寂しくなんかないわ。私もいるしニコルもいる。あなたには明るいお母様もいるし、可愛い妹さんも……。サフィーナみたいな友達もたくさんいて、私が知らない知り合いだってたくさんいるのでしょう?」

「寂しいのです!」


 エルフの少女は白い首筋に目を当てる。それしか、涙を止めるすべがないというように。


「結局、わたしの家族以外、みんなわたしをのこして、すぐ死んでしまうではないですか……!」


 リルルが、目を開いた。


「……そうです、わたしは怖いのです。いつかみんな、わたしを遺していなくなる。あなたも、ニコル様も、ここで知り合った人たちはみんな、みんなみんないなくなる。どうしてなのですか……どうしてわたしだけが生き残ることになっているのですか……!」

「フィル……」

「わかっています。仕方のないことなのはわかっているのです。わたしはエルフだから。長命を約束された種族だから。だから生き残る。リルル……あなたが寿命でこの世を去るころ、やっとわたしは大人になるのですよ……」


 リルルの肌に押し当てた目から涙が止まらない。ふたりの少女の体温を合わせたものよりも熱い涙が、めども汲めどもあふれ出て、ふたりの肌を焼くようにらしていく。


「――なんで、なんで、わたしはみんなと同じ速度で歩めないのですか。みんなわたしよりも早く行って、ってしまう。わたしは、ここに来て得たものを全て失う運命を、最初の最初から宿命づけられているのですよ……!」


 全てのおそれの源泉げんせんは、それだった。

 そんなことは、本当に初めからわかりきっていたことだ。誰でもない、自分自身でわかりきっていたことだ。


 そんなことを何故飲み込めないのか。

 ――いや、飲み込めるわけがない。

 それと実際に直面した時の、恐怖を想像すれば。


「わたしは人間になりたい。長い寿命なんかいらない。あなたを失ってから数百年、わたしはあなたがいない寂しさに耐えなければならない。なんなのですかそれは……そんなひどい仕置きがあっていいというのですか……!」

「フィル」

「うううう……」


 リルルはフィルフィナの髪に顔をめるようにしてその頭の全部を抱き寄せた。森のにおいが香るような錯覚を覚えた。


「怖いよね……誰かをくすのは……」


 身を縮めるようにして泣くフィルフィナの体を抱きしめ、リルルはその頭をで続ける。本当の本当に子どもに戻ってしまったようなエルフの少女――実年齢ははるかに上のフィルフィナを抱いて、その存在を腕と胸の中にする。


「私も、本当のお母様がもうこの世にいないのだということを知らされた時、本当にこわくて、寂しかった。自分だけ置いていかれたような気がして。私はお母様に抱いてもらった記憶もなにもないんだもの……かかげられている写真が、私が知れる唯一ゆいいつのお母様のことよ……」

「は……はい……」

「できたら、私はあなたを寂しくなんかさせたくない。あなたは私のお姉さんで、妹で、お母様。私のかけがえのない人」

「はい、はい、はい……!」

「フィル、ひとつだけ私と約束して」


 リルルはフィルフィナの頭に密着させたくちびるを動かして、そういった。


「――もしも、あなたの周りから私たちがみんないなくなったとしても、自分で命を絶たないと。命尽いのちつきるまで、生き続けると」

「そんな……」

「その代わり、私たちはあなたにたくさんの想い出をあげる」


 フィルフィナの頭が、わずかに上がった。


「フィル……私たちみんなのお姉さん。あなたが寂しくなんかなれないほどの想い出を、私たちみんなのみんなで遺してあげるわ……」


 リルルの手がフィルフィナの腕を取り、その小さな手をつかんで、指と指を絡め合った。


「私たちと出会ったことを、後悔なんてしない、後悔なんてできないほどの。私たちと出会ってよかったと、心の底から本当に思えるほどの……綺麗で、楽しくて、幸せになれる想い出を抱えきれないほどに……」

「リルル……」

「私も、ニコルも、たくさんの人があなたを愛している。私たちの命があなたより先に消えてしまうのは天命だけれど、消えてしまわない想い出をあなたにあげる。だからフィル、寂しがらなくていいの。――あなたは、この世でいちばん恵まれた人なのだから……」

「…………」


 細い指と指が絡み合い、手の平の全部が合わせられる。言葉は呼び水で、本当の気持ちはその肌と肌の間で伝え合おうとするかのように。

 ふたりの体温が溶け合って、森妖精エルフの少女のこごえた、か細い心を温める。


 少女の存在そのものを薄くおおっていた氷はそのぬくもりの前に全て溶け落ちて、心のしんが、再びあたたかく燃えていくのをフィルフィナは感じていた。

 それは、生き返るという現象に、よく似ていたのかも知れなかった。


「――落ち着いた?」

「ええ……」


 フィルフィナが、リルルの体の下に回していた腕を抜く。


「お嬢様、申し訳ありません……」

「いいの」


 リルルは、フィルの髪にめていた唇を離した。代わりに、小さく開いているその額にほんの少しキスをする。反射的にフィルフィナの息がふわ、とれて、リルルの肌を一瞬温めた。


「フィル。心細くなったら、いつでも私にいって。私はあなたにできる限りのことをする――できる限りのことをさせて。……私は、あなたを愛しているのだから」

「はい……はい……」


 その言葉で、ふたりの契約けいやくは更新された。

 命ある限り、ふたりは共にいる。

 いいや、たとえ死がふたりを分かったところで、その心は永遠不滅に共にあると――。


「……お嬢様……今夜は、このまま眠ってもいいでしょうか……」

「ふふふ」


 顔を見せられなくなっているフィルフィナの言葉に、リルルは軽やかに笑った。


「当たり前じゃない。――さあ、眠りましょう」

「ありがとう、リルル……」


 言葉は尽き、今日という幕を下ろすために、ふたりの少女は共にまぶたを閉じた。

 カーテンの隙間すきまから届く月の光だけが、ふたりの少女を見つめていた。

 やがてふたりは同時に寝息を立て始め、明日といういつもの日常を迎えるための眠りに入った。


 そんな何気ない一日の終幕も、永遠の中の一部。

 巻き戻そうとしても巻き戻せない、取り返そうとしても取り返せない。

 はかなくて、寂しくて、そして愛おしくてたまらない。


 時間ときと呼ばれる、大切なたからものだった。



「エルフメイド・フィルフィナの華麗な一日」終わり

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