「エルフメイド・フィルフィナの華麗な一日」(深夜・その一)

 ――布団の中。

 寝付けなさの中で懸命けんめいに目をつむっていたフィルフィナは、まぶたに力を入れることにも疲れて、闇の中でその目を開けた。


「――――」


 全ての家事とこの一日にやらなければならないことの全てを終えて、朝目覚めたこのメイド部屋に戻り、寝台に入り布団の中にくるまっている。そのまま目を閉じていればやがて眠りに入り、気が付けば明日の朝を迎えているはずだ。


 その気になれば、この体はどこでも眠ることができる。体にかける毛布の一枚がなくても、屋根も壁もない屋外で野営をするくらいの体力も技術も持っている。

 なのに、眠れない。

 神経がたかぶっているのだろうが、そのわけがわからない。


「ああ……」


 頭の一番奥がえきっていてどうにも眠れる気がしないから、フィルフィナは身を起こした。

 壁に耳を当て、向こうの気配を探る。もしかしたらまた、自分の知らない間にリルルがリロットとして事件を解決しに出かけているのではないかという予感がぎったのだ。


 だが、フィルフィナの鋭い聴覚ちょうかくは、壁の向こうで眠るリルルの寝息をとらえていた。壁のかすかな震動が少女の存在を示してくれている。その確かな音の連続がフィルフィナに安堵あんどの息をかせていた。


「――さすがに、連日連夜ということはないですか……」


 困っている人を見つければ、その背後関係をロクに調べもせずに突っ込んでいく――いつか大変な目にうかも知れないと思うと気が気でならない。が、不思議と、リルルからリロットになる手段を取り上げる決断もできなかった。


 それを取り上げてしまえばリルルは自分の身を守れなくなるかも知れないし、取り上げたところで人助けに突き進んでいくのをやめはしないのだ。なにより、リルルの弱き者に手を差しべたいと思う心を、邪魔したくはない。

 ――自分も、その心に救われた者のひとりなのだから。


「――――うう……」


 そんな冷え込んでいるというのでもないのに、おそってきた突然のきつい寒気に、フィルフィナの肩が大きく震えた。

 一滴の光もない、闇だけが視界の全てを占めるこの空間。

 そんな中。寝台の上でひとり体を起こしていると、いつもは感じないはずの輪郭りんかくのない不安が、心にみこんでくる。


 滅多めったに感じることのない『心細さ』という感情に胸が締め付けられ、みょうなほどに心に食い込んでくる切なさに胸が痛くなった。

 今日の自分は、本当におかしい。いつもの生活のパターンから外れたからだろうか。


「お……お嬢様……」


 体の中心に向かって自分を圧縮してしまおうという引力に似たものを感じ、フィルフィナはうめいた。

 リルルと一日一緒にいなかったくらいで、自分はこんなに変調を来してしまうのか。

 そうだとしたら、それはもろいなどというものではない。薄いガラス細工よりも華奢きゃしゃなもので――。


「リ……リルル……」


 縮まる心からしぼり出されたような涙がまぶたを熱くし、ひとつの大きな粒を目のはしめて、ほおを転がり落ちた。体と心の間に吹き込んで来る無形の寒風に、自分という存在が冷やされて縮み上がる。

 この感触は、知っている。覚えがある。


「こ、これは……これは……」


 これは、十年前――嫌というほど感じた、あの時の感触だ。

 降りしきる止まない雨、冷え切った石畳いしだたみうす硫酸りゅうさんのように体を溶かしていくさびしさ。

 このまま、誰にも救われないと絶望して。ひとりのまま消えてしまうのかと希望の全てをうばわれて。


「リ……リルル……!」


 キィ……と蝶番ちょうつがいを微かにきしませて扉が開いたのは、ちょうど、そんな時だった。


「――フィル?」

「あ…………」


 青白い光が部屋の中にすべり込んでくる。そのみなもとたる手持ちランプを持った寝間着姿のリルルが、部屋の気配をうかがう顔をしてそこにいた。


「お、お嬢様……」


 まるで、あの日のままだった。

 戦いの中、仲間の全てとはぐれ、たったひとりとなって王都に落ち延びてきた自分。

 貧民街ひんみんがい片隅かたすみで汚れきり、ゴミのようになって転がり声もなく泣いていた自分を。


 この少女は、見つけてくれた。なんの呼びかけもしなかったのに。


「どうしたの、フィル。そんなに泣いて……」

「泣いて……?」


 いわれてから気づく。自分の両の頬が、涙にれそぼっているのを。


「どこか痛いの?」

「いえ、ちがうんです。どこも痛くはないんです。ただ、今日のわたしは本当におかしくて……本当にどうかしていて……」

「そうなの? ――じゃあ、フィル」


 ほんの少し。

 ほんの少しだけ、思案顔を見せて。


まくらを持ってきなさい」

「……お嬢様?」

「半年ぶりかしら?」


 リルルは、微笑ほほえんだ。


「一緒に、寝ましょう」



   ◇   ◇   ◇



「し……失礼します……」


 リルルの寝室。

 窓からうっすらと月光が入り込んでくるだけの暗い部屋。

 すでに寝台の布団に潜り込んだリルルとは反対側で、フィルフィナはおずおずと布団の中に入り込もうとしていた。


「なにを遠慮えんりょしてるの。フィルらしくもない」

「わたしは、メイドですから。主人のお布団に一緒になるのは、気が引けるんです……」

「その主人を遠慮なく投げ飛ばすとかしておいて、今更いまさらじゃないの?」

「そ、それとこれとは、話が別です」

「ふふふ」

「お嬢様……今は自分が有利だからって、調子に乗ってると明日がこわいんですからね……」

「ふふふふ」


 もう、とフィルフィナはくちびるとがらせるが、そんなのは威嚇いかくにもなんにもなりはしない。全てリルルに手の内はバレているのだから、虚勢きょせい以外のなにかになりようもなかった。


「フィル、そんなはしにいると落ちるわ」

「いいんです。どうせわたしはいじけるエルフなんです。端っこがよく似合うんです」

「なにをねているのかしら、このフィルは」

「あ」


 リルルの手がフィルフィナの肩にえられ、その小さな体を転がすように引き寄せた。抵抗もまるでなくフィルフィナの体が半回転して、少しとがり気味の鼻先がリルルの首筋に潜り込んだ。

 まるで、割れた皿の破片同士が元の形に合わせられるかのように、ふたりの体はぴたりと収まった。


「――お……お嬢様」


 少女の首筋からほのかににおい立つ香りに、フィルフィナは髪の中に隠してある耳を先端まで真っ赤にさせていた。


「あなたは私の友達で、相棒で、家族なのよ。それを忘れないで」

「リルル……」

「それで、フィル」


 リルルの手がフィルフィナの頭にかかる。髪の流れに逆らわないようにその手がすべり、フィルフィナの長い髪を何度となくでた。


「なにを泣いていたの?」

「わたしは……」


 なにを泣いていたのだろう、自分は。

 涙の川の源流を確かめるように、フィルフィナは自分の心の中に分け入り始める。

 今夜は、そうしなければとても眠れないようだった。

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