「エルフメイド・フィルフィナの華麗な一日」(夕方・その二)

 リロットのこと、とニコルの口から切り出されて、フィルフィナは腰が浮き上がりそうになった。


「最近、三日に一度は現れるじゃないか」

「そ……そうですね……」


 そう答えてしまってから、フィルフィナは自分の迂闊うかつさに目を見開いてしまった。自分はリロットの出現頻度ひんどなどには無関心なことになっているのだ。たとえ、リロットの出現のたびに号外が出ていたとしても、それの全てを把握はあくしているのは当たり前のことではない。


 だが、ニコルはそのフィルフィナの応答に違和感いわかんを覚えなかったようだった。そのまま唇がなめらかに動き続けた。


「事件ならまだ――いや、それもよくないんだけれど――まるで僕を呼び出すように予告状を寄越よこすんだ。何日の晩、夜の何時頃にどこに現れます、って。目的なんか書いてない。ただこの日時と場所に現れる――それって、予告状っていうのかどうかも微妙びみょうだよね」

「そ……そうなんですか……」


 フィルフィナは冷静をよそおってカップを持つが、指が震えきっていた。

 その予告状を作成しているのは、フィルフィナ自身だったからだ。


「一応、彼女は指名手配犯だからね。出動しないわけにはいかなくてそのたび出張でばるんだけど、もう警備騎士団の先輩たちもれっこだよ。人気ひとけのないところに出動して、僕がリロットにさらわれて、それでみんな仕事が終わったと解散だよ。リロットが他になにかやる時はそれをちゃんと明記しているし、書いていない場合は僕がリロットにもてあそばれて終わり――これって、いったいなんなんだろう?」


 困惑に表情をくもらせるニコルがいう。実際のところ意味はわかるまい。


 おおっぴらにはニコルと手をつなぐことすらはばかられるリルルが、ニコルとたわむれたいがためだけにリロットという仮面をかぶり、月夜を舞台にして共におどり――いや、ニコルに無理矢理踊りを付き合わせ、一方的に抱きつき、無理矢理にキスまでして解放するというのだから。


 リロットと共にいくつかの戦いを共にしたニコルは、リロットが世の弱者にわざわいをなすような悪しき者ではないと理解はしている。法から逸脱いつだつした振る舞いはするものの、彼女なりの優しさをつらぬき、善人ぜんにんを傷つけず、貧しき者からは麦の一粒もうばいはしない。


 夜の王都に舞い、剣をきらめかせ、勇気をふるって戦う薄桃色のドレスをまとう少女。王都の民達は彼女をたたえ、法でさばけぬ悪が彼女に倒されるたびに、祝杯しゅくはいささげたものだ。


 それを取り締まる当人であるはずの立場であるはずなのに、そんな彼女をらえて顰蹙ひんしゅくを買うような真似を嫌い、あらがいはしても決して大ケガをさせることのない彼女を騎士団内でしたう声も根強い。彼女を取り逃がしてもしかられる人間が誰ひとり存在しないことがそれを傍証ぼうしょうしていた。


 ただ、その活躍の中で、決定的に犠牲ぎせいになっている者がひとり存在した。


「……彼女が僕に好意を持ってることは、本人が口にしていた。この耳で聞いた。当たり前か。そうでなければ、あんなことはしないよね」

「ま、まあ、そうですよね……」

「でも、どうして僕なんだい?」


 ニコルは手で包んだカップの水面に目を落としていた。やわらかく揺れる紅茶がニコルの顔を赤く映していた。


「彼女と最初に出会ったのは、フェーゲットの森の中の屋敷だった。うわさに聞いていた彼女を僕は初めて見た――でも彼女は、そこでいきなり僕にキスをしてきたんだよ」

「そ……そのお話は……お嬢様から、うかがっています……」


 事の顛末てんまつは全て、ニコルが手紙という形でリルルに知らせてある。リルルに心をささげていると表明している以上、不義ふぎと見なされる事は隠し立てすることなく、全て彼女に伝えなければならない。


 リロットとキスをしてしまったことを、リルルに謝る――リルルとリロットは、同一人物であるというのに。

 改めてこのひどい構図を見返すと、フィルフィナの口の中は紅茶でも洗い流せない苦みにまった。


「ああ……」


 目の前で少年を悩ませている事態の片棒をかついでいるのは、他ならぬ自分なのだ。そんなことはわかりきっていたはずなのに、こうして苦悩するニコルを目の前にすると罪の意識の重さが倍加する。キスの相手は結局リルルなのだからいいではないか――と軽く考えていたのは、やはり間違まちがいではないのか。


「彼女はどこで僕と会ったんだろう。ゴーダム公の騎士団で修行するためにこの王都を離れた二年の間、一度も僕は帰ったことがないんだよ。なのに、彼女はずっと以前から僕を知っていたようだった。彼女はゴーダム公の領地にいたのかな……でも、そんなことはないような気がするんだ……フィル?」

「い、いえ、お続け下さい」

「フィル、手が震えてるよ。紅茶をこぼしそうだ」

「そ、そ、それは、いけませんね……」

「フィルはかしこいから、もしかしたら見当がついているかも知れないと思って」

「な……なにに、ですか?」

「リロットの正体が誰なのか、知らないかい?」


 ぶふっ!


「わあっ!」


 フィルフィナがき出した紅茶の飛沫しぶきが、ニコルに散弾のごとくおそいかかった。


「フィル、大丈夫?」

「わ、わたしこそとんだ失礼を! ニコル様、服にかかりはしませんでしたか!」

「平気だよ。でもフィルってば、派手におどろいたりして」

「え……ええ、本当に疲れているようです。わたし……」

「もう屋敷に戻った方がいいかな。具合が悪くなるといけない」

「いえ、お気遣きづかいなく。大丈夫……大丈夫ですよ、あは、あははは……」


 いきなり核心を突かれた精神的衝撃は大きかった――知っているなんてものじゃないのだから。

 というか、逆に聞いてみたくもなるのだ。


「……その、あの……」

「うん?」

「ニコル様自身には、本当に見当がついていないのですか……?」

「ついてないから聞いてるんじゃないか」

「はは……まあ、そうですよね……」


 というか、よくもまあ気づかないものだ――フィルフィナは別の意味で戦慄せんりつするしかなかった。

 だいたい、リルルだからリロット、というただでも安直な名前なのに、これにサフィーナだからサフィネル、とかいうどう聞いても正体を連想するだろうというもう一人が増えているのだ。


 伯爵令嬢と公爵令嬢がまさか、正体を隠して夜な夜な暴れ回っているという想像が、ニコルの想像をはるかに超えるものなのだろうか。


「――ふうぅ……」


 申し訳なさにこれ以上縮こまることもできないフィルフィナは、こめかみに響く鋭い頭痛を覚えながら小さく息をいた。


 いっそのこと、もう全てぶちまけてしまおうか。


 快傑令嬢リロットがリルルであることを明らかにし、ついでに自分もそれに加担していることの全部を洗いざらい白状してしまおうか。

 それでニコルの態度がどう変わるかは想像がつかない。しかし、今自分が抱えている胸のつかえは取れるはずだ。


 それが、みんなのためにもいいことなのかも知れない。どうせいつかは明らかになることであるし、一生隠し通して墓場まで持っていけることでもないのだ。この純粋な少年をあざむき続ける罪悪感に耐え続けるというのが、そもそも無理な話だったのかも知れない。


 ニコルがこの街に帰ってから半年の間、彼をだまし続けてきたことになる。その罪はどう考えても重いだろう。ニコルは、リルルを裏切ったことにならないかという罪の意識をずっと背負せおっていたのだから。


 リルルに相談したところで、うろたえるだけで首を縦には振るまい。ならば自分から口火くちびを切ってしまおう。

 なにが自分をいちばん疲れさせていたかといえば、結局はこれなのだ。


「――ニコル様、もしも、もしもですよ」


 ああ、自分はまたも回りくどいことをしようとしている、と思いながらもフィルフィナはその回り道から外れることはできなかった。


「もしも、わたしがリロットの正体を突き止める方法があるとしまして、ね」


 なにを、このおよんで白々しい。


「その正体が明らかになれば、ニコル様はそれを知りたいですか……?」

「知りたい」


 当然の返答だ。知りたいに決まっているだろう。知りたいからこそ、この少年はこんなことを――。


「――そう思ってたんだけれど、ね」


 ――え?


「最近はなんていうか、少し、考え方が変わってきたんだ」

「変わってきた……どのように?」

「リロットも、そして少し前に現れたサフィネルも、僕に正体は知られたくないんだろう」

「それは……当然のことでしょう? だからこそ、あなたの前では顔を隠しているわけで――」

「でも、それは今は・・隠しておきたいという話だと思うんだ」


 フィルフィナは、だまった。


「彼女たちの戦いが終わる時、終わった時、もう戦わなくてもよくなった時、彼女たちは僕にその素顔を見せてくれるんだと思う」

「……あなたは、その快傑令嬢をつかまえないといけない立場なのではないのですか……?」

「そうなんだけれど、ね。彼女たちに危ないところを何度も助けてもらったからもう、敵か味方かわかんなくなってるよ」


 ダメだよね、といって少年は小さく笑った。


「快傑令嬢を捕まえて、陛下から貴族の地位をいただく。それでフォーチュネットの旦那様に、僕とリルルとの仲をなんとしても認めてもらう。こっちの目的もあるはずなんだ。でもなんか、リロットを捕まえた途端に、全部がご破算になってしまうような予感がするんだよ……」


 わけがわからないか、と恥ずかしそうに笑うニコルを見て、フィルフィナは思った。

 やはり、この少年も魂の部分では理解しているのかも知れない。だからこそ、頭ではわからないようにしているのかも知れない。


 それが最も真実に近い解答なのだろう。心と心、たましいと魂でつながっている少女と少年がこうまでわかり合えないということは、あり得ない。あり得ないと思う――。

 沈黙ちんもくの時間が置かれ、それぞれにカップに残った紅茶を飲んだ。少し冷めていたが美味おいしかった。


「――そろそろ帰らなくっちゃ。母さんとばあちゃんが心配するから」

「そうですね。お引きめして申し訳ありません」


 立ち上がり、伝票止めから伝票を取ろうとしたニコルの手をフィルフィナは押さえた。


「わたしが払います。おごるといったではないですか」

「でも……」

「失礼ですがわたし、こう見えて高給取りなんです。ニコル様の三倍は稼いでいますよ」

「――そうだったね。フィルはリルル専属の優秀なメイドなんだから」

「ええ」


 伝票を片手にし、フィルフィナは微笑ほほえんだ。

 今日という日においての、いちばん明るい笑顔だった。



   ◇   ◇   ◇



 夕暮れが過ぎた頃合い。フィルフィナが屋敷にたどりついても、リルルが帰ってきている形跡はなかった。全ての明かりが落とされたままで、フィルフィナは玄関の鍵穴に鍵を突っ込んで解錠し、暗い廊下ろうかを夜目を頼りに進む。


 庭から見てもわかりきったことだったが、当然リルルの居間の明かりもつけられてはいない。天井の魔鉱石ランプに火をともし、自分が出かけた時のままになっている部屋を見渡してフィルフィナは息をいた。


 これからどうしようか。残っている食材を適当に組み合わせて、取りあえず空腹をしのげるものでも作ろうか――。


 そう、腰に手を当ててそう考えていたフィルフィナの背後にある姿見スタンドミラーが薄く発光し、それに気づいたフィルフィナが反射的に振り向いたと同時にそこからリルルが抜け出してくる。


「あ」

「あ」


 快傑令嬢リロットのドレス姿、認識阻害そがいのメガネをかけたままのリルルとフィルフィナの目が、真正面からかち合った。

 リルルがそんな格好で秘密のアジトに通じる魔法の転移鏡から出て来た、ということは、ひとつのことしか意味しないのだ。


 だが、えてフィルフィナは聞いていた。怒りを制御する時間が必要だった。


「……お嬢様、どうしてそんな格好をなさっているのですか……?」

「それはね、あのね。――快傑令嬢のお芝居を演じていた座の一団が、実は誘拐ゆうかい事件の元締めだということがわかって」


 わかってくれる? とリルルが笑う――引きつりきった表情で。

 フィルフィナは、わかるわけにはいかなかった。


「――だから! わたしに無断でリロットになって事件を解決するなと! いつもいつもいつもいつも言っているではないですか!!」

「だって、フィルと連絡がつかなかったんだもの! しょーがないでしょー!!」

「うるさい!! 朝の残りの分も合わせて、その体に説教します!! 覚悟はいいですね!!」

「うわああああああああん!!」



   ◇   ◇   ◇



 エルフの少女の一日はこうして暮れていく。

 なんでもないような一日に見えて、取り返しようのない一日。

 そして、少女が愛してやまない、かけがえのない一日が。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る