「エルフメイド・フィルフィナの華麗な一日」(夕方・その二)
リロットのこと、とニコルの口から切り出されて、フィルフィナは腰が浮き上がりそうになった。
「最近、三日に一度は現れるじゃないか」
「そ……そうですね……」
そう答えてしまってから、フィルフィナは自分の
だが、ニコルはそのフィルフィナの応答に
「事件ならまだ――いや、それもよくないんだけれど――まるで僕を呼び出すように予告状を
「そ……そうなんですか……」
フィルフィナは冷静を
その予告状を作成しているのは、フィルフィナ自身だったからだ。
「一応、彼女は指名手配犯だからね。出動しないわけにはいかなくてその
困惑に表情を
おおっぴらにはニコルと手を
リロットと共にいくつかの戦いを共にしたニコルは、リロットが世の弱者に
夜の王都に舞い、剣をきらめかせ、勇気を
それを取り締まる当人であるはずの立場であるはずなのに、そんな彼女を
ただ、その活躍の中で、決定的に
「……彼女が僕に好意を持ってることは、本人が口にしていた。この耳で聞いた。当たり前か。そうでなければ、あんなことはしないよね」
「ま、まあ、そうですよね……」
「でも、どうして僕なんだい?」
ニコルは手で包んだカップの水面に目を落としていた。やわらかく揺れる紅茶がニコルの顔を赤く映していた。
「彼女と最初に出会ったのは、フェーゲットの森の中の屋敷だった。
「そ……そのお話は……お嬢様から、うかがっています……」
事の
リロットとキスをしてしまったことを、リルルに謝る――リルルとリロットは、同一人物であるというのに。
改めてこのひどい構図を見返すと、フィルフィナの口の中は紅茶でも洗い流せない苦みに
「ああ……」
目の前で少年を悩ませている事態の片棒をかついでいるのは、他ならぬ自分なのだ。そんなことはわかりきっていたはずなのに、こうして苦悩するニコルを目の前にすると罪の意識の重さが倍加する。キスの相手は結局リルルなのだからいいではないか――と軽く考えていたのは、やはり
「彼女はどこで僕と会ったんだろう。ゴーダム公の騎士団で修行するためにこの王都を離れた二年の間、一度も僕は帰ったことがないんだよ。なのに、彼女はずっと以前から僕を知っていたようだった。彼女はゴーダム公の領地にいたのかな……でも、そんなことはないような気がするんだ……フィル?」
「い、いえ、お続け下さい」
「フィル、手が震えてるよ。紅茶を
「そ、そ、それは、いけませんね……」
「フィルは
「な……なにに、ですか?」
「リロットの正体が誰なのか、知らないかい?」
ぶふっ!
「わあっ!」
フィルフィナが
「フィル、大丈夫?」
「わ、わたしこそとんだ失礼を! ニコル様、服にかかりはしませんでしたか!」
「平気だよ。でもフィルってば、派手に
「え……ええ、本当に疲れているようです。わたし……」
「もう屋敷に戻った方がいいかな。具合が悪くなるといけない」
「いえ、お
いきなり核心を突かれた精神的衝撃は大きかった――知っているなんてものじゃないのだから。
というか、逆に聞いてみたくもなるのだ。
「……その、あの……」
「うん?」
「ニコル様自身には、本当に見当がついていないのですか……?」
「ついてないから聞いてるんじゃないか」
「はは……まあ、そうですよね……」
というか、よくもまあ気づかないものだ――フィルフィナは別の意味で
だいたい、リルルだからリロット、というただでも安直な名前なのに、これにサフィーナだからサフィネル、とかいうどう聞いても正体を連想するだろうというもう一人が増えているのだ。
伯爵令嬢と公爵令嬢がまさか、正体を隠して夜な夜な暴れ回っているという想像が、ニコルの想像を
「――ふうぅ……」
申し訳なさにこれ以上縮こまることもできないフィルフィナは、こめかみに響く鋭い頭痛を覚えながら小さく息を
いっそのこと、もう全てぶちまけてしまおうか。
快傑令嬢リロットがリルルであることを明らかにし、ついでに自分もそれに加担していることの全部を洗いざらい白状してしまおうか。
それでニコルの態度がどう変わるかは想像がつかない。しかし、今自分が抱えている胸のつかえは取れるはずだ。
それが、みんなのためにもいいことなのかも知れない。どうせいつかは明らかになることであるし、一生隠し通して墓場まで持っていけることでもないのだ。この純粋な少年を
ニコルがこの街に帰ってから半年の間、彼を
リルルに相談したところで、うろたえるだけで首を縦には振るまい。ならば自分から
なにが自分をいちばん疲れさせていたかといえば、結局はこれなのだ。
「――ニコル様、もしも、もしもですよ」
ああ、自分はまたも回りくどいことをしようとしている、と思いながらもフィルフィナはその回り道から外れることはできなかった。
「もしも、わたしがリロットの正体を突き止める方法があるとしまして、ね」
なにを、この
「その正体が明らかになれば、ニコル様はそれを知りたいですか……?」
「知りたい」
当然の返答だ。知りたいに決まっているだろう。知りたいからこそ、この少年はこんなことを――。
「――そう思ってたんだけれど、ね」
――え?
「最近はなんていうか、少し、考え方が変わってきたんだ」
「変わってきた……どのように?」
「リロットも、そして少し前に現れたサフィネルも、僕に正体は知られたくないんだろう」
「それは……当然のことでしょう? だからこそ、あなたの前では顔を隠しているわけで――」
「でも、それは
フィルフィナは、
「彼女たちの戦いが終わる時、終わった時、もう戦わなくてもよくなった時、彼女たちは僕にその素顔を見せてくれるんだと思う」
「……あなたは、その快傑令嬢を
「そうなんだけれど、ね。彼女たちに危ないところを何度も助けてもらったからもう、敵か味方かわかんなくなってるよ」
ダメだよね、といって少年は小さく笑った。
「快傑令嬢を捕まえて、陛下から貴族の地位をいただく。それでフォーチュネットの旦那様に、僕とリルルとの仲をなんとしても認めてもらう。こっちの目的もあるはずなんだ。でもなんか、リロットを捕まえた途端に、全部がご破算になってしまうような予感がするんだよ……」
わけがわからないか、と恥ずかしそうに笑うニコルを見て、フィルフィナは思った。
やはり、この少年も魂の部分では理解しているのかも知れない。だからこそ、頭ではわからないようにしているのかも知れない。
それが最も真実に近い解答なのだろう。心と心、
「――そろそろ帰らなくっちゃ。母さんと
「そうですね。お引き
立ち上がり、伝票止めから伝票を取ろうとしたニコルの手をフィルフィナは押さえた。
「わたしが払います。
「でも……」
「失礼ですがわたし、こう見えて高給取りなんです。ニコル様の三倍は稼いでいますよ」
「――そうだったね。フィルはリルル専属の優秀なメイドなんだから」
「ええ」
伝票を片手にし、フィルフィナは
今日という日においての、いちばん明るい笑顔だった。
◇ ◇ ◇
夕暮れが過ぎた頃合い。フィルフィナが屋敷にたどりついても、リルルが帰ってきている形跡はなかった。全ての明かりが落とされたままで、フィルフィナは玄関の鍵穴に鍵を突っ込んで解錠し、暗い
庭から見てもわかりきったことだったが、当然リルルの居間の明かりもつけられてはいない。天井の魔鉱石ランプに火を
これからどうしようか。残っている食材を適当に組み合わせて、取りあえず空腹をしのげるものでも作ろうか――。
そう、腰に手を当ててそう考えていたフィルフィナの背後にある
「あ」
「あ」
快傑令嬢リロットのドレス姿、認識
リルルがそんな格好で秘密のアジトに通じる魔法の転移鏡から出て来た、ということは、ひとつのことしか意味しないのだ。
だが、
「……お嬢様、どうしてそんな格好をなさっているのですか……?」
「それはね、あのね。――快傑令嬢のお芝居を演じていた座の一団が、実は
わかってくれる? とリルルが笑う――引きつりきった表情で。
フィルフィナは、わかるわけにはいかなかった。
「――だから! わたしに無断でリロットになって事件を解決するなと! いつもいつもいつもいつも言っているではないですか!!」
「だって、フィルと連絡がつかなかったんだもの! しょーがないでしょー!!」
「うるさい!! 朝の残りの分も合わせて、その体に説教します!! 覚悟はいいですね!!」
「うわああああああああん!!」
◇ ◇ ◇
エルフの少女の一日はこうして暮れていく。
なんでもないような一日に見えて、取り返しようのない一日。
そして、少女が愛してやまない、かけがえのない一日が。
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