「エルフメイド・フィルフィナの華麗な一日」(夕方・その一)

 陽気は秋だというのに、まるで春のようなさわやかな風をまとって金色の少年――ニコルは、隣のエルフの少女に微笑ほほえみかけた。


めずらしいね。今日はリルルと一緒じゃないんだ」

「ええ……」


 警備騎士団での勤務の帰りなのだろう。私服に着替え、剣を腰に差したニコルの問いにフィルフィナは生返事で返した。どういう理由で流れたか自分でもわからない涙をぬぐい、不思議な緊張を覚えて列車の座席で体を小さくする。


「リルルは? お屋敷なのかな?」

「さ、さあ……。サフィーナと今日は一日お出かけという話で、いつお帰りになるかは、わたしは具体的には……」

「そうなんだ。サフィーナ様のところにも二人、フィルとそっくりなメイドのフローレシアお嬢さんがついたよね。まだ僕はよく話をしていないんだけれど――フィルの妹さんなんだよね」

「え、ええ……」

「話しかけようとしてもなんかけられている感じなんだ。やっぱり、エルフだから人間が嫌いなのかな」

「い、いいえ、ニコル様を嫌うとか、そんな失礼なことはわたしがさせません。その、ふたりとも、人見知りをする方ですから……ニコル様にれれば、すぐに打ち解けるかと……」

「そうかな。そうならいいけれど」

「は……はい」


 何故か動悸どうき奇妙きみょうに高鳴り、くちびるが思うようにすべらない。疲れているからだろうか――ニコルとひざを合わせて座るという状況じょうきょうが、フィルフィナの心をみょうに揺り動かしていた。


 車両を下から突き上げる震動の調子がちがってくる。今まで石の上を走っていたものが、鉄の板の上を走るような甲高かんだかいものに変わったのにフィルフィナは気づいた。照れ隠しかなにかのように窓の外を見ると、まっすぐに伸びる大運河が見えた。その半分があかね色に染まっている。


 今、ラミア列車は王都の大運河にかった大鉄橋の上を走っているのだ。いくつもの馬車や自転車がほとんど同じ速度で列車と併走へいそうしているのが車窓から見て取れた。


「フィルは、なにか用事で出かけていたの?」

「は、はい。お嬢様がいるとできない用事がまあ、色々ありまして……」

「リルルはさびしがり屋だからね。誰か側にいてあげないと、途端にしんみりしちゃうんだ」

「……そうですね」


 会話が、今ひとつ弾まない。

 いつもなら自分から冗談のひとつでも出して少年の方をからかうくらいなのに、気の利いた冗句ジョークのひとつも出てこない。今日の自分は本当にどうかしていると思いながら、フィルフィナは身を縮めた。


 列車は鉄橋を渡り終え、元の石畳にかれた軌道レールの上を走り、次の駅で停車する。目的の駅はこのひとつ先――フィルフィナがそこで降りて、ニコルは次の区画まで向かう。そこでこの同席は終わりだ。


 今、この状況で話せること、話さねばならないこと、話しておきたいこと――それを頭の中で並べても整理できない自分にフィルフィナが混乱しているうちに列車は再び動き出し、数分の走行をて、フィルフィナの目的の駅の手前で減速に入った。


「フィルはここで降りるんだね」


 リルルの屋敷の最寄り駅など熟知じゅくちしているニコルが、当然のごとくにいう。


「リルルが帰ってきたら、よろしくいっておいてね。僕も顔を見せたいんだけれど」

「――あの」


 ラミア列車は完全に停車し、ここで降りる何人かの客が座席から腰を上げた。手を離すと閉まる半自動の扉を開けて客が降りていく。その流れに乗るはずのフィルフィナはまごついていた。歯車の歯がいくつか欠けてしまったかのように今の自分はどこかおかしいのだ。

 

「ニコル様、その……ここで降りませんか?」

「フィル?」


 ニコルのおどろいた眼差しに見つめられて、フィルフィナの心が摩擦まさつのない地面で滑った。自分は何故ここでニコルを降ろそうとしているのだろう。その理由が本当にわからなくて、思考が空回る。


「その……お茶を」


 お茶。


「お茶を付き合っていただけませんか?」

「えっ?」

「そうです、お茶です」


 事態を上手く飲み込めていないニコル。フィルフィナはそんな少年の腕を考えるよりも先につかんでいる。

 お茶をしたいなんていうのは完全にその場の思いつきで口から出任せの言葉だったが、それは最適の切り札だと思えた。


「お茶を飲みましょう――確か、駅の近くに喫茶店きっさてんがあったはずです。そこに行きましょう。ニコル様、早く」

「うわあ」


 ニコルよりも背が低いはずの少女の細腕は、その細さに似合わない力でニコルを立たせていた。たとえ弱い力であれど、女性の力にかなうわけがないニコルは無理矢理に席からがされ、何故か足取りが弾みだしたフィルフィナに引きずられるようにして列車から降車させられていた。



   ◇   ◇   ◇



 それは、フィルフィナがほぼ毎日目にしながらも、一度も入ったことのない喫茶店だった。

 当たり前かも知れない。お茶ならそれなりのものがいつでも屋敷で飲めるし、こんな近場でお茶をするくらいなら遠くの出先でいい店を探すだろう。


 そんな近場にも、いや、近場であるからこそ穴場があるのかも知れない――なつかしい木のにおいが漂う店内、その席に着いてフィルフィナは思う。テーブルに、いや、コンクリートの建物の内側によい香りが漂う木材をふんだんに使った内装にフィルフィナは目を細めた。


 香ってくるのは木だけではない。どこに視線を移してもさりげなく目に入るよう計算されて配置された観葉かんよう植物が目を和ませてくれる。朝の買い出し、その際に時間が少しけば通ってもいい、フィルフィナは手書きのお品書きを開きながらそう思った。


「わたしは紅茶を。ニコル様は?」

「僕も同じものを」

「おすすめの焼き菓子を二皿下さい――以上で」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」


 若い女給ウェイトレスは注文されたものを伝票に書き写し、複写したものを席に残して一礼し、奥に下がっていった。

 仕事で疲れた人々が一時のいこいを得ようというのか、席は八分くらいの入りを見せている。


「ニコル様、ケーキくらい注文してもいいですよ、わたしのおごりですから」

「帰ったら夕飯なんだ。そんなに食べられないよ」

「たくさん食べないと。ニコル様ももっと背をばしたいのではないのですか?」

「うーん……」


 途端に期待通りの困り顔をしてくれるニコルの反応に、フィルフィナは懐かしい心地を覚えていた。


 この少年と初めて出会った時、今と変わらぬ明るい金色の髪を輝かせて母・ソフィアのスカートの後ろからひょっこり顔を出した時の照れた顔と、その天使のような愛らしい姿に一撃でときめいてしまった想い出がエルフの少女の胸の中でよみがえる。


 この王都に来て運命が繋がった瞬間。それはフィルフィナの心の中でふたつある。

 そのひとつがリルルで、もうひとつがニコル。

 年齢が十歳上乗せされても、その心根は全く変わらない少年。


 フィルフィナにとって、無くすことができない宝物である少年――。


 さほどの時間を空けずにお茶が運ばれてきて、向かい合うふたりでそれぞれのカップに口をつける。いい葉を丁寧ていねい抽出ちゅうしゅつしている、とフィルフィナは舌に温かい感触を受けた瞬間に微笑んだ。値段に十二分に釣り合う物だ。


「フィルとこんな風に二人でお茶をするなんて、ひょっとしたら初めてかも知れないかな」

「いつもお邪魔虫がいるからですか?」

「ひ、ひどいなぁ、リルルをお邪魔虫だなんて」

「冗談ですよ――ふふ」

「まったく……でも、いい機会かも知れないな」

「はい?」


 襟に手をかけ、居ずまいを正したニコルにフィルフィナは思わず首を傾げていた。


「フィルに聞きたいことがあったんだ。今ならちょうどいいと思って」

「聞きたい……なんの事でしょう」


 本当の本当に、何気なにげなくうながしてしまって。


「うん、それは――」


 フィルフィナは、今日の自分が油断しきっていたことを次の瞬間、少年の口から出た言葉で思い知らされることになった。


「――リロットのことなんだ」

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