「エルフメイド・フィルフィナの華麗な一日」(午後)

 午後一時半を少し回った頃、フィルフィナは王都西部の繁華街はんかがいの一角にある、七階建ての大型百貨店デパートの裏口に入ろうとしていた。


「ご苦労様です」


 小柄なメイド服、印象に残りやすいふわふわした髪型の少女が一礼したのを見て、一瞬とがめようと身を乗り出した警備員はそのまま元の位置に着いた。商品の搬入口はんにゅうぐちになっているその空間はかなりの関係者の出入りがあったが、一見して異質と見えるフィルフィナに声をかける者はいなかった。


 一般客の立ち入りが制限されている領域、倉庫と事務室が入り混じる裏方に入り、勝手知ったる場所というようにフィルフィナはそのまま気軽に階段を四階まで上っていく。扉一枚向こうは広大な売り場という階、迷わずにフィルフィナは爪先つまさきを目的の『書籍売り場』と札がかかげられた事務所に向けていた。


先生センセ!」


 事務所の扉を開けた途端、両手にハンカチをにぎりしめて右往左往うおうさおうしていたひとりの男が、その視線の先にフィルフィナをとらえてけ寄ってきた。


「こんにち……」

「ア・ラーキン先生!」


 事務所に入ろうとしたフィルフィナは、そのとことん事務服姿が似合う男の突進を受けてそのまま廊下ろうかに押し出された。ア・ラーキン――フィルフィナが持つもう一つの名前、筆名ペンネームだ。


「遅いやないですか! もう来られへんと思って、心配してましたんです!」

「でも、まだ予定の二時には二十分ほどは――」

「こういう催事さいじの時は、少なくても一時間前には入っといてもらわんと! みなさんお待ちになってるんです!」


 他の人間からはあまり聞きれない抑揚イントネーションの発音――なまりで話す四十代手前といった風情ふぜい。歳の割りにどこか頼りなく見える、なよなよとした仕草が強く印象に残る男だった。


「五時には終わらさんといかんのです! 先生には今から始めてもらいます! そうせんと二百冊をさばききれませんわ!」

「二百冊?」


 少女のアメジスト色の瞳が一瞬、にごった。


「百冊の予定じゃなかったのですか?」

「開店からお客さんが殺到さっとうしてるんです! 予定の整理券百枚はあっという間になくなって、百枚を追加したんです! だいたい二百分で二百冊の本に署名サイン握手あくしゅ――がんばれば、不可能な数やないですわ!」

「――――」


 フィルフィナは体の背面全部に寒気を覚えた。これから二百人と殺し合いをするという方がマシに思えた。一度に百人なら同じ対応を何度かしたことがあるが、そのたび精根せいこんき果てきったものだ。

 そもそもがんばれば、というが、実際にがんばるのはフィルフィナひとりのはずだった。


「……本当に二百人も並んでいるのですか?」

「ほんなら、自分の目で確かめてください!」


 フィルフィナは、背中にしていた売り場につながる扉をほんの少しだけ開き、その隙間すきまから目をのぞかせた。途端に、買い物を楽しむ人々の賑やかな声がどっと押し寄せてくる。


「――――」


 横二列、縦には――いったい何列いるのかわからないへびのような人の連なりが、売り場の外周の半分をめるようにして並んでいた。その大部分は若い女性で、全員が胸に同じ本を抱えてガヤガヤと声を上げながら列を作っている。全てが同じ目的のために並んでいる人間だ。


 その全てが今から一人一人自分が応対しなければいけない相手だということに、滅多めったに見られないおびえの色がフィルフィナの顔半分をめた。


「さ、ささ! ア・ラーキン先生! 早く着替えて着替えて!」


 男がひとつの衣装いしょうを箱から引っ張り出す。法衣ほういに似た真っ黒なワンピースと、魔法使い以外がかぶるとは思えない高くとんがった帽子ぼうしが、フィルフィナをさらに恐怖させた。



 ――こうして、本日発売の『ちびっこ騎士・ニコニコと魔法の剣』の作者署名サイン会は開始された。



   ◇   ◇   ◇



「ア・ラーキン先生! 握手、おねがいしまーす!」


 もうこれで何十人目か数えるのも億劫おっくうになった愛好家ファンを前にして、書籍売り場の一角に小さな机と椅子を構えたフィルフィナは座ったまま、強張こわばりきった笑顔を保ち続けながら手を差し出した。


「――おや、あなたはいつぞやの……」

「はい! この前の印刷物展覧会コミケで先生のご本を買わせていただきました!」


 見覚えのある少女だった。フィルフィナが持つもう一つの顔――物語作家『ア・ラーキン先生』としておおやけの場に出る時はたいてい顔を出してくれる少女だ。遠慮えんりょのない握力で小さな手を握られる。この日に備えて魔法の手袋を用意し着用していたが、それでも半分右手の感覚はなくなりつつあった。


 十秒間握りしめられた手が解放され、目の前に買ったばかりと思しき本が音を立てて置かれる。すでしおりは百数十ページの最後の方に挟まれていた。総天然色フルカラーで印刷された表紙には、まだ十歳にもなっていないようなちびっこい騎士姿の男の子の絵が印刷されていた。


「今度は可愛いお子様騎士のお話なんですね! 続刊の予定はあるんですか!?」

「ええ、好評なら続きを書かせてもらおうかと――」


 元気と夢しか持っていない可愛い金髪の騎士が、行く先々で敵味方問わず、様々なお姉さんから可愛がられながら冒険するという物語だ。


 迫る締め切りに苦しみながら、思いつきで走り書きした本がこんなに売れるのかと思ってフィルフィナは驚愕きょうがくしていた。話のつじつまが合っているかどうかさえこわくて、誤字脱字ごじだつじの確認すらも担当者に投げた原稿だった。


「じゃあ、絶対続きが出ますね! 楽しみ! がんばってください!」

「あ、ありがとう――」


 半分気力で握ったペンでフィルフィナは差し出された本の裏表紙いっぱいに署名をする。書籍売り場の担当責任者である事務服姿の男が少女を手でうながし、フィルフィナが息をく間もなく次の客が装填そうてんされた。


「ア・ラーキン先生! 握手をお願いします!」

「は――あ、ありがとう――」


 薄れかけた意識を奮い立たせ、フィルフィナは顔を微笑ほほえみのまま固定しながら、握手をする次の少女の肩の向こうに並ぶ列の人数を数える――まだの最後は見えない。


 自分がいつからここにいるのか、いつまでここにいればいいのか、全てが曖昧あいまいになりながらフィルフィナは握手をし、本の裏表紙に署名をし、また握手をした。

 いつかは、この無限に続く行いにも終わりがあるのだと信じて。



   ◇   ◇   ◇



 三時間あまりの激闘を終え、二百の手に握手し二百冊の新刊に署名をしまくったフィルフィナは、ボタンも止められるかどうか怪しい手でメイド服に着替え、足取りもおぼつかなく夕方の繁華街に出ていた。


「ふう……」


 今日、こなさなければならない用事はなにか――絶望感を抱えながら半分ぼやけた頭で記憶を掘り返し、全ての用事が終わっていたことに気づいてまたも大きな息がれた。


「あとは……帰るだけですか……」


 サフィーナと遊びに出かけているリルルは、きっと夕食も一緒にするにちがいない。屋敷に戻ったら倒れるように寝よう。万の軍勢を相手にしたような疲労感を抱え、フィルフィナは大通りに停車した東行きのラミア列車によろよろと乗り込んだ。


 客車の中は大勢がこの場所で降車したために、いているくらいの乗車率だった。り革につかまる握力あくりょくもほとんど死んでいて、腰を下ろせるだけで全身に安堵感あんどかんみる。あとは大運河を越えた先の駅で降りるだけだ。そうすれば今日は休める。


 疲れた。


 エルフの里で王女をしていた時もそれなりの気苦労はあったが、人間の街というのはそれとは比べものにならなかった。リルルの世話、リルルにまつわる人々との交流、際限なく広がり続ける面倒な関わり合い――それは楽しいものも多分にあったが、心をけずっていくこともまた多い。


 この街でまともでないことを無事にこなそうとすれば、とにかく金がかかる。リルルが行っている快傑令嬢としての活動にも金はかかる。情報は情報屋から買わねばならないし、闇市場から仕入れる武器弾薬爆薬の量だって相当であるし、そういうものはがいして高価だ。


 無辜むこの民から銭一枚、糸一本うばわぬと決めている限り、そのための資金をどうにかしてかせがなければならない――なにをするにも金、金、金、その調達にフィルフィナは疲れる時もあった。いや、すでに疲れていた。


 最初にリルルが快傑令嬢リロットとして起つ、と決心してから一年がつ。最初はご令嬢による、気まぐれの正義の味方ごっこと思っていたものが、見境なく巨大な敵にいどんでいくリルルの無鉄砲さに付き合っているうちに、とんでもないことになっていた。


 しかし、それがこの王都に生きる人々を救っていることは確かなことだ。少女リルルの危なっかしいくらいにまっすぐな心が、何人もの人々の心を救っているのを目の当たりにするたび、フィルフィナはその行いを止められなくなっていた。


 物事は始まれば、いつかは終わる。


 快傑令嬢リロット――リルルの最後の戦いがどのようなものになるか、それはまだフィルフィナには見通せない。今のフィルフィナにできることがあるとすれば、この戦いを最後のものにしないこと――そう祈るだけだった。


 大通りの交差点で列車が停車し、大勢の客が降りて前から新しい客が乗ってくる。まだここは自分の降りる駅ではない。隣に座っていた客も降り、フィルフィナは四肢ししに重く染みた疲れを覚えながら目を閉じた。


 あわただしく車内を人が移動し、いたはずの隣に誰かが座る気配がする。と、その隣の人物がフィルフィナがひざの上に乗せた手に触れてきた。

 ――また、痴漢ちかんか。


「フィル」

「ああ……わたし、今日は疲れているんですよ……。見逃してあげますから、今日は勘弁かんべんしていただけませんか。お願いします……」

「フィルってば」

「なんですか、れ馴れしい。わたしをフィルと呼んでいいのは、リルルお嬢様とニコル様と、サフィーナとあと――」

「そのニコルだよ」


 フィルフィナは目を開けた。思考がめぐるよりも早く、首が巡っていた。

 見慣みなれた金髪の少年が、微笑ほほえみを浮かべてこちらの顔をのぞいていた。


「――ニコル様……」

「こんにちは、フィル。いや、もうこんばんは、かな。ちょっと疲れてるみたいだね……フィル?」


 フィルフィナは少年の少し濃い水色の瞳を見つめた。

 その美しい色の中で、涙を一筋流している自分の顔があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る