エピローグ

「その一」

 王城は燃えなかった。

 その美しく白い外観がいかんから、陶器とうきのようになめらかな肌をした美姫びきに例えられるエルカリナ城。そんなの城が炎に包まれることはなかったし、黒煙の一筋すらのぼることはなかった。


 蜘蛛クモの糸のようにか細い希望を抱きながら、北西に望める城を建物の上から一昼夜に渡りながめ続けていた貧民ひんみんたちは、そのあわい期待が幻に終わったことにさほどの落胆らくたんも見せず、二日もすれば完全に元の生活に戻っていった。


 一夜の夢であったと彼等かれらは解釈した。そうでなければ、やってられなかったから。


 幸運にも彼等は知らなかった――少しでも動乱の気配があれば、都市の東の城門が開け放たれて重騎士部隊が突入し、特定の区域の市民たちを、無差別に攻撃する計画があったことを。



   ◇   ◇   ◇



 匿名・・の通報により、革命を煽動せんどうする首脳部が廃劇場で拘束されていることを知った警備騎士団は、重要容疑者のバズとマハを逮捕したその足で、ただちに当該とうがい地区を急襲きゅうしゅうした。


 何者かによって・・・・・・・縛られ、動けない状態にされていたシャダを始めとする数十名の革命首脳部、彼等はそのことごとくを逮捕され、拘禁こうきんされた。


 その一連の逮捕劇において先駆さきがけを務め、勲功著くんこういちじるしいと見なされた准騎士、ニコル・アーダディスに報償ほうしょうを与えるという話が持ち上がったが、ニコルはそれを固辞こじした。


「いえ、これは自分一人の功績こうせきではありません。突入した全ての人員で割り振るべきものだと心得ます」


 快傑令嬢サフィネルのことに関し、ニコルは報告書にその存在を証明するものは、一文字として残していなかった。

 命を助けてもらった彼女にむくいるため、その存在の事実はせておきたかった。任務を誠実に果たしていないという罪の意識が、彼にそういう選択をさせていた。


「……それにしても、快傑令嬢サフィネルの正体はいったい誰なんだ」


 ニコルがいくら首をひねっても、その答えは得られなかった。


「なんか、とても親しい人のような気がするのだけれど……」


 そもそもが快傑令嬢リロットの正体さえ心当たりがないのだ。ニコルにとってはいまだ材料が少なく、それは永遠の謎であろうとも思えた。



   ◇   ◇   ◇



 今回の事件で逮捕された者たちは、その収容場所を海の上に割り当てられた。

 一隻の老朽船ろうきゅうせんを仮の収容所として定め、その船内に逮捕したものの全員を押し込んだのだ。

 そこで突発的な事態が起きた。事件の翌日の早朝未明、沖合に停泊ていはくしていた当の老朽船が、突然沈没したのだ。


 局地的な暴風雨が海面を荒れ狂わせ、船の乗組員もその全員が陸にがっていたので対処できなかった。船室に厳重げんじゅうな鍵をかけられていた容疑者たちは、脱出することなどかなわず、尋問じんもんの一回も行われることなくその全員が海底にぼっし、帰らぬ人となり果てた。


 この大失態について、特に処罰しょばつは行われなかった。どのみち全員が死刑であるのは確定していたし、一連の管理をしていたのが副宰相ふくさいしょうのザージャス公爵であることが、追求の手をにぶらせていた。ザージャス公爵がその責をとって副宰相の職をするにあたり、批判の声は立ち消えた。



   ◇   ◇   ◇



 そのザージャス公爵の元に、ひとつの包みが何者かによって投げ込まれたのは、沈没事件の翌々日よくよくじつだった。

 軽く一抱えはある包みには、一通の手紙がえられていた。


『――真に残念なお知らせを届けることになりますが、貴家きけ御息女ごそくじょ、エヴァレー・ヴィン・ザージャス令嬢を、この手で殺害いたしましたこと、ここにご報告させていただきます』


 鮮烈な文面で開幕した手紙に、それを受け取ったザージャス公爵の手は震えたものだった。


『不幸なことではありますが、無視できぬ事情によりち果たした次第でありました。なお、これは決して物盗ものとりのたぐいなどではなく、それを証明するため、御息女の持ち物をお返しいたします』


 小包の中には金品、装飾品そうしょくひん、貴族であることの証明書――なによりエヴァレーのものとしか思えない金色の髪が一房ひとふさ、白く細い紙で結ばれることで入れられていた。


「……そうか、エヴァレーは死んだのか。だが、これでよかった・・・・・・・

「あなた……」


 検分のためにそれをテーブルの上に並べたザージャス公爵と、その夫人は言葉を交わし合った。


「情報屋に調べさせてわかっていた。エヴァレーがあのバズやマハ、シャダとかいう今回の首謀者しゅぼうしゃつながりを持っていたことは。幸い、連中は上手く海の底に沈められた。しかし、エヴァレーが生きていればどこかからその事実が判明するかも知れん。……死ねば、世間は忘れるだけだ。これでよかった」

「ああ、私たちの娘が……」


 ザージャス公爵はそれ以上に心配することがあった。一人娘のエヴァレーが死んだ後、このザージャス家をどう存続させるべきか。

 親戚筋しんせきすじから、しかるべき男子を養子として迎えることになるだろう。


「今回は我が家も大いに傷ついた。屋敷の建て直しにいくらかかるかわからんし、副宰相の職も手放し、分家から養子を迎えるとなると威光いこう失墜しっついはなはだだしい……。これをどうやって立て直すべきか……」

「あなた、エヴァレーの葬儀そうぎは……」

「娘は火事で焼け死んだのだ。髪の毛すら残さず、な。これを送りつけた者たちも我が家をおどすことはすまい。証拠品を全て返却したのだからな。これらは全て焼き捨てるのだ、今すぐ」


 それはのこしてはならないものだった。遺せば全てが矛盾むじゅんするからだ。


「エヴァレーのことは忘れろ。私も忘れる。私たちには娘などいなかったのだ、いいな」


 数日後、エヴァレーの墓はひっそりと小さいものが建てられた。

 何もめられていない、ただ墓標だけの墓だった。



   ◇   ◇   ◇



「ねー、スィル」

「……なに、クィル」


 フィルフィナをほんの少し幼くちびっこくした、エルフの少女のふたり、双子の少女たちは、ゴーダム家の炊事場で大量の皿相手に、ひじまで泡まみれになって格闘していた。


「なんであたしたち、こんな格好でこんな所で働いているんさ?」

「……フィル姉様がそうしろっていったから」


 フィルフィナに無理矢理着用を命じられたメイド服は脱ぐことを許されず、しかもなんということだろう、そのままサフィーナに専属せんぞくでつくメイドになることを命じられたのだ。


「あたしたち、エルフの王女だよ? それがなんでこんな所で皿洗いしなきゃいけないの?」

「……フィル姉様がそうしろっていったから」


 クィルクィナは大いに不満の声を上げるが、スィルスィナはまだ素直に従っていた。実際のところ少し楽しかったというのもあったかも知れない。


「嫌だあたしは。こんなのエルフの王族としての矜持プライドが許さない。どっかで逃げ出してやるんだ」

「……フィル姉様に殺されても知らないし、フィル姉様に追えといわれれば私が追う」

「……なんでこんな所で下働きしなきゃいけないんだぁ……」

「ほらほら、口ばかり動かしていないで手を動かすのです、手を」


 二人が振り向くと、いつの間にかサフィーナがそこに立っていた。


「早くそのお皿を洗って片付けてしまいなさい。お出かけをしますよ」

「ついてこいっていうの? やだよぅ、面倒くさい……」

「文句をいうのではありません。帰りにカフェ・デル・アーモデアで果物添え砂糖雪練乳パフェを食べましょう」

「ええっ!? それってお嬢様のおごりなの!?」

「当たり前ではないですか」

「スィル、早く皿を全部洗っちゃおう!!」

「……エルフの王族としての矜持プライドは?」


 スィルの小さな皮肉も無視して猛然もうぜんと皿洗いをし出したクィルクィナを見て、サフィーナは満足げに微笑ほほえんだ。可愛くて愉快ゆかいなこの二人のエルフのメイドを大いに気に入っていたし、快傑令嬢サフィネルとしての活動には、なくてはならない戦力でもあったのだ。



   ◇   ◇   ◇



 その年の王都の夏は、それほどの大事件もなくゆるやかに始まり、静かに終わっていった。

 やがて、実りの秋が来た。

 それは、この王都に快傑令嬢リロットが現れて、ちょうど一年がった頃だった。

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