「その二」

 週に一度、フォーチュネット家には定例の仕事があった。

  貧民街ひんみんがいおもむき、十数軒の孤児院に寄付を納めて回る仕事がそれだ。

 富を集め独占どくせんしているという批判ひはんかわすという側面もあったし、何よりフォーチュネット家にとっても、王都の治安の悪化は望ましいものではない。


 今、早朝から出かけたリルルが訪れているこの建物も、その孤児院の中のひとつだった。



   ◇   ◇   ◇



 お世辞せじにも綺麗きれいとはいえない長屋風の、うらぶれかけた建物。かろうじてへい体裁ていさいを成しているかこいに囲まれた敷地しきちから、リルルはフィルフィナをしたがえて出て来た。

 後ろを振り返り、手でひざを押さえるようにして合わせてリルルは軽く会釈えしゃくする。


「――また来週来ます。困ったことがあれば、いつでもいって下さいね」

「どうも、いつもいつも本当にありがとうございます。皆様方に幸運があらんことを」


 年かさの女性が直角になるまでその腰を折り、最敬礼をする。リルルはそれに微笑びしょうで返し、馬車の御者ぎょしゃ席に乗った。その隣にフィルフィナが腰を下ろし、一頭の馬につながった手綱たづなを取る。


「お姉ちゃん、またねー!」

「リルル様、さようならー!」


 女性の後ろには、大勢の幼い子供達があふれ出すように見送りに出て来て、精一杯に手を振っていた。この孤児院・・・の経営にはフォーチュネット家からの少なくない寄付は必要不可欠のものだったし、それを抜きにしても、貴族だというのに自分たちと遊んでくれるこの少女リルルが、子供たちは大好きだった。


 フィルフィナが振った手綱を小さく鳴らし、馬車は走り出す。リルルは子供達の姿が見えなくなるまで手を振り続け、視線を前に戻して大きめの息をいた。


「――はぁ」


 太陽はもうすぐ真上に届こうとしている時刻だった。すっかり秋らしいすずしさの空気が漂う。しかし貧民街の空気の味には、やはり違和感いわかんがあった。


 色のせた景色がリルルの瞳の中で流れる。その輪郭のりんかく端々はしばしくずれかけている街並みだ。

 季節がいくら巡っても、貧民街の荒れようは変わらない。人々のまずしさも同じように。

 まるで、王都はこの街の貧しさに支えられているかのようだ。


 貧しさの中で家族を捨てる者、病に倒れる者、罪を犯して捕まる者――そんな者たちが増えるたびに、親を無くした子供達が増えていく。そんな子供達を放っておけば、貧しさの中で犯罪に走るのはお定まりの理屈だったし、ひどくなれば犯罪組織の手駒てごまとして使われることもめずらしくない。保護する体制が必要とされた。


 朝早くから起き出し、半日の間ずっと最上級の笑顔を作り続けているリルルは、いよいよ顔が疲れてきた。


「お嬢様、もう一踏ん張りです。残りはあと一軒ですから」

「そうね、がんばるわ……」


 大通りはまだなんとか整備がされているが、そこから外れた道路は舗装ほそうも所々げているお粗末そまつさだ。無視できない穴やくぼみのために馬車は速度を上げることができず、時にそれが強盗のねらい目になる。リルルたちも、この街で強盗のたぐいおそわれた回数は、両手両足の指ではとても足りない。


 フィルフィナが護衛ごえいをしている限りは、リルルから金品をうばえる可能性は絶無ぜつむに近いのであるが――手綱を握りながらも、フィルフィナの意識は常にスカートの下、脚の拳銃嚢ホルスターした四丁の拳銃に向けられていた。


「――おや」


 フィルフィナに警戒を任せている分、ぼんやりと物思いにふけっていたリルルは、フィルフィナが発した声に現実へと戻らされていた。


「どうしたの?」

「いえ、あの路地にいる女の子ですが」


 フィルフィナの指の先で、この界隈かいわい以外を歩くには恥ずかしいくらいに生地がり切れた服を着た少女が、路地裏にけ込んで行く背中が見えた。顔はわからない――ほとんど手入れがされていない背中までかかる髪、その金色の美しさだけが目にえた。


「後ろ姿が、エヴァレーに似ていたなと……」

「フィル、間違まちがわないで」


 その自分の言葉の冷たさに、リルル自身もおどろいていた。


「エヴァレーは死んだのよ。もうこの世にいないの」

「……はい、そうでしたね……」


 それ以上の感傷を断ち切るために必要な沈黙ちんもくだったのか、二人は馬車が目的地に到着するまで口を閉ざした。そんな、どこか遠い世界に思いをせる二人を襲う困難こんなんもなく、さほどの時間を置かずに馬車は、最後の孤児院に到着した。



   ◇   ◇   ◇



 それは、一度はいされかけた教会だった。


 こぢんまりとした私学校くらいの規模はあるだろうか。築四十年――いや、半世紀はいっていてもおかしくはないというち果てぶりだ。崩れた部分をツギハギのように板でふさいである箇所かしょがいくつあるのか、数えるのも億劫おっくうになるくらいの荒れようだった。


 打ち付けた丸太と巻き付けた針金の囲いでかろうじて境界が示され、最後にいつそろえられたのかわからない植木が好き放題にその枝をばしている。割れた窓ガラスは粘着紙ねんちゃくし丁寧ていねい補修ほしゅうされているが、割れていないガラスの方が圧倒的に少数だろうことは一目でわかった。


 それでも、そこには生活感があった。

 物干しには洗濯せんたくされたシーツが十何枚もかけられ、風を受けて大きく揺れている。建物の陰からは大勢の明るい子供の声が聞こえて来て、それがこの建物のちた印象とは全くの対照を成していた。


 貧しさの中にも、ここには明るさがある。幸せのにおいさえただよっていた。


 フィルフィナは丸太と丸太の間――針金が入っていないので門だとされているそこに、馬車を静かに入れていく。馬車は中庭がのぞけようという位置でゆっくりと停車し、リルルとフィルフィナは御者台から降りた。


 教会本体と居住区と思しき平屋、その間のそこそこ広い中庭で、三十人ほどの子供達が集まって座っていた。下は三歳か四歳、上は十歳に届くかどうかという幼い子供達ばかりだ。そんな子供達が作る扇状おうぎじょうの列の中心に、真っ白な法衣ほうい頭巾ずきんで全身を包むようにした尼僧にそうがいた。


「……男の子は、さらわれたお姫様がとらわれている竜のお城にたどりつきました。お城の中にはたくさんの恐ろしい怪物がいました。恐ろしくなった男の子は逃げようかと思いましたが、お姫様の助けを呼ぶ声を聞き、勇気を出してお城の中に入っていったのです」


 小さな椅子いすに腰掛けている尼僧のひざにはそれほど厚くない本が広げられ、若い少女と思える声がその内容を朗々ろうろうと読み上げている。尼僧の法衣も頭巾も、ほつれかけた端々を丁寧につくろっているためかその形は崩れていなかったが、かなりの着古きふるしであることは目にも明らかだった。


 子供達の服も似たようなものだ。それぞれの上着やズボンに破れやぎなどがない服は一着もないだろう。そもそもがぼろ切れにしてもいいくらいの古着を買っているに違いない。

 しかし、修理がされていないものも、ひとつとしてなかった。それを直す人間の心遣こころづかいが伝わってくるようだった。


「――そして、竜を倒した男の子はその手柄てがらで騎士となり、お姫様と結婚して幸せに暮らしたのです――めでたし、めでたし」

「わあ、終わっちゃった!」

「先生、次はこれ読んで、これ!」

「もうすぐお昼ごはんの時間ですよ。ごはんを食べ終わってからにしましょうね」

「でも、先生はお仕事でいそがしいんだもん。ぼくたち本読みたい」

「ばぁか、先生にお仕事してもらわなきゃいけないじゃんか」

「あなたたち、先生のお手伝いしなさいよ、遊んでばかりなんだから」

「ちぇー」


 尼僧の膝にある本もかなりの古さだ。いったいどれだけ読み返されたのか、装丁そうていも崩れかけ、それもまた丁寧に補修されている。

 ここでは崩れかけていないものはないし、補修されていないものもない。


「あーっ、リルル様だ!」

「もじゃ子ちゃんもいるー!」


 邪魔をしないために、半分物陰に隠れて朗読ろうどくの様を見守っていたリルルとフィルフィナを、目ざとい子供が見つけ出し大声を上げた。


「みんな、こんにちは、ごきげんよう」

「こんにちは、もじゃ子ちゃんではありません」


 笑顔のリルルと無表情のフィルフィナ。子供達が作っていた列は一斉に崩れ、花のみつに集まるミツバチのように子供達は二人にむらがった。


「こんにちは、リルルさま!」

「もじゃ子ちゃん、いっしょにあそぼうよー!」

「そういうことはお嬢様の仕事なのです。さあ手を離して、スカートを引っ張らないで」


 子供達の手を優しく振り切り、フィルフィナは馬車の扉を開けて中の荷物を下ろしていく。


「甘い甘い飴玉あめだまをたくさん持ってきましたよ。おやつの時間にめなさい。その後に歯をみがかない悪い子は、歯医者さんの魔法で痛い痛いされますからね」

「はーい!」


 大きな箱を小さな体で軽々とかつぐフィルフィナ。その箱に手を下からえて手伝っているつもりの子供達が、わいわいとはしゃぎながらついていく。


「――リルル嬢、ようこそおいで下さいました」


 尼僧がリルルに深々と頭を下げる。髪はかなり短くしているのか頭巾の中に隠れて一本さえ見えなかった。ほおのこけたような影の気配がややせた感を見せていたが、その笑顔には美しさがあった。


「先生、こんにちは。――これ、早速」

「まあ……こんなに厚く……」


 リルルが差し出した封筒に『先生』と呼ばれた尼僧は少し目を大きく開いておどろき、次には最敬礼でお辞儀じぎした。


「毎週毎週、たくさんのご寄付をありがとうございます。この孤児院が成り立っているのも、リルル嬢のおかげですわ。ありがたく頂戴ちょうだいいたします……」


 尼僧の両手がうやうやしく封筒をささげ持つ。その指は全てあかぎれ切っていて、毎日が相当の炊事すいじや洗濯の水と洗剤にさらされているのが見て取れた。

 まだ綺麗さを保てている自分の指と比べ、リルルは申し訳なさを覚えたくらいだった。


「……これくらい、大したことないのよ。……そう、今、子供の数はどれくらいなの?」

「今週一人増えて、四十人になりました」


 数が増えることが喜びだというように、尼僧は微笑んだ。擦れ切れそうになっている自分の肌も服も、その全てが勲章くんしょうだというように。


「……それだけの人数をたった一人で世話をしているんでしょう。大変よ……」

「今は子供達も家事をたくさん手伝ってくれて、最初よりはかなり楽になりましたから。大したことはありません」

「それでも、食べ盛りの盛りの子供達が四十人でしょう? 食費だけ考えてもものすごいわ」

「たくさん食べてくれるのは、元気に育ってくれる証ですから。嬉しいことですわ」


 尼僧は笑顔を崩さない。微かにやつれた顔に、優しい眼差まなざしが命の色を見せていた。

 その煮詰につめたような琥珀こはく色の瞳を見返し、リルルも心から微笑ほほえみ――それが、リルルの口を軽くさせてしまっていた。


「あなた、本当に変わった……」


 まぶしいものを見るようにリルルはいった。いや、実際に眩しかった。こんな風に人を見ることができたのは、本当に久しいことだった。


「あなた、本当に変われたのね、エヴァレー・・・・・……」

「リルル」


 尼僧は――エヴァレーは、いや、もはやエヴァレーでもない少女は、片目をつむっウインクして、リルルにいった。

 優しさしかない声で。


「間違わないで。エヴァレーは死んだのよ。もう、この世にいないの」

「そうだったわ……」

「今のわたしは、名無しのエヴァ。しがない孤児院の先生。――それがわたしの全てなの」


 そう名乗れるのが自分の誇りで、ほまれで、喜び。

 そうとしか受け取ることができないたましいの輝かしさを見せて、エヴァは笑っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る