「さよなら、エヴァレー」

「……リルル、本当? わたくしと戦ってくれるの?」

「死にゆくあなたに嘘をいってどうするの」


 リルルの手ににぎられたその剣は揺るぎもしない。少女リルルのアイスブルーの瞳が、燃えるような光を宿していた。


「私と戦って、私に殺されたいんでしょう。望み通りにしてあげる。――剣を取りなさい」

「――ああ!」


 エヴァレーの顔が喜びに弾けた。まるで、一滴の光もない世界に、脱出の灯火ともしびを見たように。


「ありがとう、ありがとうリルル!」


 うやうやしささえ伝わるような手つきで、エヴァレーはその剣をつかんだ。


「ありがとう、リルル。わたくしの、わたくしの……最初で最後の友達よ、貴女あなたは……」

「礼の言葉なんて、無用よ」


 打ち震える瞳を向けてくるエヴァレーに、どこまでも冷静なリルルの目が細くえられる。その奥の瞳は、全く揺らいでいなかった。


「武器はレイピアのみ。決着は、どちらかの命が絶たれるまで――作法は、それでいいのね」

「ええ、それで結構よ!」

「いいわけがないわ!」


 声をあらげさせ、唾を飛ばすようにサフィーナがわめいた。


「リルル! やめなさい! 相手は怪我人なのよ!」


 エヴァレーのドレスの胸元には、今も巻かれた包帯がのぞいている。昨夜に撃たれていた傷は縫合ほうごうしたばかりで、無理矢理にふさいでいるだけに過ぎない。リルルから輸血されたとはいえ、血の量も十分ではないはずなのだ。


 本来は、こうして立っていることさえ不思議なほどの重い傷だった。


「こんなものは、まともな勝負ではないわ! ただのなぶり殺しになってしまうだけよ!」

「あなたはだまっていて!」

「リル……!!」


 リルルの声の鋭さに、サフィーナがされた。


「これは私とエヴァレー、ふたりの友人同士の話なのよ。部外者は引っ込んでいなさい!」

「リルル……!」

「サフィーナ、お願い、リルルを責めないであげて」


 エヴァレーが剣を構える。その動きだけで胸の傷にはさわるだろうに、その顔には脂汗あぶらあせは浮かんでいても苦痛はない。

 荒い息の中には、歓喜の色さえ混じっていた。


「リルルは、わたくしのわがままに付き合ってくれようとしているのよ……。責めるなら、わたくしの方だわ。サフィーナ、貴女にも失礼なことを色々といったわね。今、ここでびておくわ……」

「エヴァレー……!」


 またも身を乗り出そうとするサフィーナを、フィルフィナがその背中と水平にばした腕ではばんだ。


「さあ、リルル、始めましょう。手加減はしなくていいわ――わたくしも、手加減はしないから!」

「心配しないで、エヴァレー。貴女を殺してあげる」

「――ありがとう、本当にありがとう、リルル!!」


 二人の同じ形をしたドレスの少女が対峙たいじし、剣の切っ先を軽く打ち合わせる。

 そして、戦いが始まった。



   ◇   ◇   ◇



 薄桃色と真っ赤なふたつの風がそれぞれに吹き、荒れ狂い、渦を巻く。

 その手に細剣レイピアしか持たない少女たちが、打ち込むように足を踏み出し、腕を振り回して肩と腰を旋回させ、彼女たちの嵐を生んだ。


 風と風――嵐と嵐が交わって金属音のさけび、火花のひらめきが咲き、力と力で、体と体でぶつかり合う少女たちの命と心が何度も何度も交錯こうさくする。その動きのひとつひとつには油断も慢心まんしんもない――少女たち同士の、み切った闘志だけが込められていた。


「……不思議だわ……」


 もう、それを見ているだけの傍観者ぼうかんしゃでしかなくなったサフィーナが、呆然ぼうぜんとした顔でつぶやいた。


「本当の真剣で今、命のやり取りをしているのに、殺し合いだなんていう感じがしない……不思議ね……」


 それはたがいの命を取り合う行いのはずなのに、怒りや憎しみやうらみなどは全く見えない、純粋な闘志だけのぶつかり合いに見えた。

 真剣であるのに、互いを尊敬し合う宿敵ライバル同士の競い合い――競技か試合であると見るべきなのか。


 この結末がどちらかの死でしかないのは、約束されていることなのに。


「私、あの二人の学校生活なんて知らない。でも何故か、制服姿のあの二人が仲良くしている光景が目に浮かぶのよ……」


 まだあどけない少女たちが、着慣きなれない制服姿で連れ立ち学校の道までを歩く様、机を並べて一冊の教科書を見合う様、お昼休みで互いの弁当をつつき合う様……。

 楽しい一日を笑顔で振り返りながら、夕日の赤さに照らされながら二人で家路いえじをたどる様。


 そんなものはサフィーナの妄想もうそうであり、現実には一片いっぺんたりともなかったものだ。

 しかし今、サフィーナの目の前で、たましいと魂の全てを削り合うように剣を交え合っている少女たちに、サフィーナがそんな幻影を見たのも確かだった。


「リルル、わたくし、本当に後悔をしているわ!」

「なにを!」


 傷の痛みを抱えているとは思えないような鋭いエヴァレーの踏み込み。呼吸を合わせて反撃カウンターを受ければ即死はまぬがれない殺し間キルゾーンに、まるでおそれもなく易々やすやすみ込んでいく。


 いや、たとえそれで反撃の刃を胸に受けても彼女エヴァレーに後悔などない。むしろそれが望みのようなものなのだから。


「貴女と一緒に学校に通っていたころ、貴女に変な反発を持たずに、素直に心をひらけていれば! 仲のいい友達になれていたでしょう――そう思ってね!」

「エヴァレー、私たちは友達なのよ」


 脚の、背の、腕の全てをばして突き込んでくるすさまじい勢いのエヴァレーのやいば。それを刃の腹で、背で受け、流し、払いながらリルルは舞う。エヴァレーの舞いに合わせるようにおどる。

 海を背にした舞台で、少女たちの剣舞けんぶ躍動やくどうを見せる。


「どちらかの命がきるまでの間、私たちは親友だわ。忘れないで」

「嬉しい! リルル、わたくしは貴女が好きよ! 愛してもいるわ!」


 リルルの肌を幾度いくどもエヴァレーの剣がかすめる。その紙一重はリルルが意図的に作るものだ。相手の動きを見切って対し、付け込むすきを与えない。全力で打ち込むエヴァレーと最小限の動きでそれをしのぐリルル、その差は見た目以上に大きい。


「……どうしたの! 貴女は受けるだけではないでしょう! こちらはすきだらけなのに、どうして打ち込んでこないの!」

さそいかと思ったのよ」

「誘いなんてかける余裕はないわ! 来なさい、リルル! 貴女の本当の剣を見せて!」

「行くわ、エヴァレー」


 今まで防戦にてっしていたリルルが、前に踏み込み出した。上下左右、体重は乗せていなくとも強雨ごううのような速度で繰り出される突きの連続を浴びせられ、その勢いをさばききれずにエヴァレーが後退あとずさり始めた。


 そのひとつひとつが体を傷つけ、時には致命ちめいを予感させる鋭さをはらんで冷たい恐怖となって触ってくるはずなのに、そんなおびえの中でエヴァレーは、微笑わらっていた。


「これよ! 楽しいわ――こんな楽しいこと久しぶり、いいえ、初めてよ! リルル、もっと! もっと打ってきなさい! こんなものじゃないでしょう、貴女は!」


 心からの喜びを発してエヴァレーはさらに踊る。重い打撃を弾くたびい合わせていたはずの傷口が開き、包帯に血のみが浮かんでもその激しさはしずまらない。


 が、全てのものには、限界があった。

 二十の手数と二十の手数で打ち合っていたものが、やがてエヴァレーが十九になり、十八になり、十七になる。


「く、うう、う、う……!」


 その足りない物を気力でおぎなおうとすることが、少女の体からあらゆる力を急速にけずっていった。


「は、うっ、ううっ……!!」


 元々乱れていたエヴァレーの息が上がり始める。リルルの剣を受ける動きが緩慢かんまんになっていき、動作の全てから精細さが失せていく。


 ――その時は、もう、目の前にあった。

 戦う二人の本能がそれを知り、魂が呼び合った。


「――リルル!」

「エヴァレー!!」


 最後のけとばかりに防御の全てを放棄ほうきし、捨て身の逆襲ぎゃくしゅうに転じて全力の全てを込めた、エヴァレーの突き。

 それを迎え撃って突き出された、リルルの剣。

 刃の腹と刃の腹を激しく擦過さっかさせ、目がくらむほどの火花――いや、電光を発した二本のレイピア。


「くうっ!!」「つぅぅぅっ!!」


 それは互いの直刀ちょくとうの、正面同士の激突にも関わらず、それぞれをからめ取り合うような複雑な動きを見せ――二人は、見えない力に腕をつかまれたように、同時に腕をね上げさせていた。

 一本の剣が、ものすごい速度で、天空に向かって打ち上げられた。


「あうっ!」


 それが重力に引かれて落下に転じ、まっすぐ下に向けた切っ先をアスファルトの大地に刺して突き立ったと同時に、リルルのレイピアがその腹でエヴァレーの肩を打っていた。

 肩をたたきつけられた重い打撃に、体を沈められたエヴァレーが片膝かたひざくずす。


「リ、ルル……!」

「勝負、あったわ」


 鋭い光を眼差まなざしに宿したリルルが、エヴァレーの肩に剣を置いたまま冷たくいい放った。そのリルルを見上げ、汗にれきった顔をゆがめながらも、笑みを浮かべているエヴァレーが応えた。


「さ……さすが本物の快傑令嬢ね……! わたくしなんかは、足元にもおよぶものではなかった……貴女の勝ちよ……!」


 もう片方の膝もくずれ、エヴァレーはひざまずいた。数分の激闘の中、体力どころか気力さえも、もう一滴も残っていない。あまりもの重い疲労は疲れを感じる機能すら奪い取り、半ば放心の中にエヴァレーはいた。


「さあ、なにをしているの……。わたくしの命をうばわなければ、戦いは終わらないじゃない……。約束だったでしょう……リルル……」

「わかっているわ、エヴァレー」


 リルルの剣がエヴァレーの肩から離れた。そのが進み、エヴァレーとの間合いを詰める。


「心配しないで。今、あなたを殺してあげるから――」

「――リルル!!」


 さくのようになっていたフィルフィナの体を押しやり、ついにサフィーナは前に出た。


「やめなさい! どんなことがあっても、快傑令嬢はその手で人をあやめてはならないの! それは、私があこがれた快傑令嬢の姿ではないわ! どうしてもエヴァレーを殺すというのなら、私があなたを腕ずくで――」


 剣を抜いてサフィーナはみ込む。リルルが冷たい視線を投げた――サフィーナがそう感じた次の瞬間、サフィーナの手から、重い衝撃しょうげきと共に剣が跳ね飛ばされていた。


「――腕ずくが、なんですって?」


 地から空に落ちる雷光のような斬撃ざんげき余韻よいんだけを見て、サフィーナは震えた。その向こうにある、リルルのアイスブルーの瞳が放つ、まさしく氷のように冷え切った視線にも。


「私をめないで、サフィーナ。私がどれだけの死線をくぐってきたと思っているの」

「リルル……!」

「エヴァレー、首を差し出しなさい。手を組み、祈るのよ」

「ああ……!」


 膝を合わせたエヴァレーが喜びの声を上げて素直にしたがい、上体をかたむけてその手を前に組む。首筋を隠すようにその長い金色の髪が流れた。

 リルルはそのかたわらに立ち、両手で剣を振り上げた――まさしく、首斬り役人のように。


「――フィル!!」


 痛めた手を押さえかがみ込みながら、最後の望みをつかむようにサフィーナは叫んだ。


「どうしてあなたはだまっているの! あなたこそ、あんなリルルを真っ先に止めなければならないのでしょう! それを!!」

「わたしはリルルを信じます」


 目を開いて一切そむけないフィルフィナが、よどみも揺らぎもない声でいった。そのアメジスト色の瞳をまばたきもさせず、全ての全てを見届みとどけようとしていた。


「わたしはリルルがすることを信じます。それだけです」

「フィル……!」


 サフィーナは、絶望した。その手を他者の血でけがさないことをほこりにした快傑令嬢の名が、自分の目の前でおとしめられることになるのか。


「――リルル」


 ひざまずき、組んだ腕に力を込めたエヴァレーが、うつむいたままの姿勢で問いかけた。


「最後に、本当の最後の最後に、ひとつだけお願いがあるの……」

「なに」

「……ニコルのことよ」


 高々と剣をかかげたままリルルは、次の言葉を待った。


わたくし、彼にとてもひどいことをしたわ。彼の身も心も傷つけた。それでも彼はわたくしのことを案じてくれたわ……。貴女は腹を立てるかも知れないけれど、わたくし、彼に恋をした……今まで一度もしたことのない。本当の恋だったわ……」

「――それで?」

「だから、彼が欲しかった。力尽ちからずくでうばおうとした。……でも、たっせられなくてよかったわ……。彼のように、本当の意味で気高い人間の側にいたら、心のいやしいわたくしなんて本当にみじめになるだけだもの……。だから、わたくしが謝っていたと、心から謝っていたと彼に伝えて欲しいの。リルル、お願い……」

「――その望みは、かなえられないわ」


 拒絶きょぜつ


「あなたが生まれ変わって、あなた自身の口から伝えなさい」

「生まれ変わる……」


 生まれ変わる。


「……生まれ変われるかしら、わたくし……」

「生まれ変わろうと思えば、何度でも生まれ変われる」


 リルルはいった。迷いもなく口にした。


「あなたがどう望むのか、全てはそれにかかっているのよ」

「……そうね……」

「あなたは、どう生まれ変わりたいの?」

「どう…………」


 十数秒の、空白。


「次は、もう少しマシな自分に生まれたいと思う……」

「祈りなさい」


 エヴァレーは目を閉じた。

 その唇が少しの間動き、祈りの言葉らしきものを小さくつむぎ終わったのを見計らって、


「時間よ――覚悟はいいわね」


 リルルは宣告した。


 サフィーナが目を閉じ、顔を背ける。これから起こることを直視する勇気などはとてもなかった。

 スィルスィナまでもが目を閉じる中、フィルフィナだけが、これから起こることをその強い瞳で見届けようとしていた。


「さよなら、エヴァレー。今、あなたを神の元に送るわ」


 リルルの剣が、まっすぐに振り落とされた。

 金色の髪が、ほつれた糸のように舞った。

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