「少女、最後の戦い」

 天をつかもうと高くびる真っ赤な火炎、その腕が静かに下がり、そしてリルルたちの視界の中で、消えた。

 あやつり人形のように起き上がってきた鉄の魔人が、糸が切れたようにその場に転倒し――そのまま、二度と動かなくなった。


「…………」


 リルルも、サフィーナも、フィルフィナもスィルスィナもが、それが誰のものであるのかがわからなかった。

 まさしく降っていた、突然の爆弾の投擲とうてきと大爆発。その爆発音が虚空こくうに吸い込まれて消えて行き、こだまさえも天の上高くに散っていった。


 船渠ドックの壁からは、音もなく黒煙が立ち上り続けている。あれほど心の表面を引っかくように響いていた悪魔の声も聞こえない中、それは静かな荼毘だびの煙にも見えた。


「い……今のは……」

「誰の……?」


 高熱でしか自分は倒せない――悪魔デルモンは自らいっていた。その、倒すための手段を使い果たしたリルルが天に祈り、その途端に天から爆弾が降ってきたのだ。


 それが神の手のものでないとしたら、誰か人のものでしかあり得ない――それが誰のものなのかが、問題だった。


「――やっつけられたかしら?」


 爆弾が落ちてきた天から、続いて降ってきたその声が、全員の意識を打った。

 ひとつの風がふわりと舞い降りてきて、リルルたちの視界の中で赤いハイヒールを地面につける。真っ赤なドレスの風圧で大きく広がったスカート、背中まで伸びた豊かに波打った金色の髪が、ゆるやかな風にはためいた。


あの娘クィルクィナに作らせた爆弾、ひとつ余ってたのよね。すっかり忘れてたんだけど、使いどころがあってよかったわ」

「――エヴァレー!」


 かかげていた魔法のかさをはらりと下ろして、赤紫色の薔薇バラかたどった帽子ぼうしかぶったエヴァレーがいう。目と髪の色を変えるために装着するマスクをしていない以外は、完全に偽快傑令嬢の姿だった。


「――わたしが確認してきます。スィル、ついてきなさい」

「……了解」


 エヴァレーの脇をすり抜けるようにし、拳銃を抜いたフィルフィナがスィルスィナを伴って船渠せんきょの中に降りていく。そのフィルフィナにちらりと視線を向けてから、エヴァレーの手が広げていた魔法の傘をたたみ、それを黒い腕輪の中に収納した。


「……エヴァレー」


 静かに立ちくすエヴァレーを正面にとらえたリルルが、メガネを外した。自分でも無意識の行動だった。


「リルル」


 リルルとエヴァレーは、十歩の間合いを開けて向かい合った。

 落ち着いた視線を交わし合い、しばしの無言がはさまれる。

 ふたりの間に気が満ちる間、サフィーナは一歩引いた場所からその様子を見守る。

 あの数日前の園遊会の時のように二人は対峙たいじしていたが、その本質はまるでちがうと感じられた。


「あなた、どうしてここに……いいえ、ここがよくわかったわね」

「簡単だったわ。あれだけ派手にどっかんどっかんしていればね。爆発の音が王都中に響いていたわよ。相当派手にあばれていたようね。――それに」


 エヴァレーが耳からなにかを外し、リルルの方に軽く投げる。反射的にリルルの手がそれを受け止めた。


「これは……」

「クィルクィナがつけていたものよ。ちょっと借りたの」


 通信連絡用のイヤリングがリルルの手の中にあった。それはまさしく、今もリルルが耳につけているものだ。

 また少しの沈黙が横たわる中、黒煙が立ち上る根元を確認したフィルフィナたちが上がって来た。


「――コアは、完全に四散していました。復活の可能性はないでしょう。念のため、異空間に分散させておきましたから、再結合はしないと思います」

「そう……」


 何度肉体に穴を空けても、核を体から分離させても復活してくる悪魔、魔人――。必勝の策をってこの場を決戦の場としてわなを張り、そこに落とし込んだと思ったが、デルモンの能力は自分たちの推測すいそくを上回っていた。エヴァレーという想定外の一撃がなければ、どうなっていたことか。


「……これで終わったのね……」

「ありがとう、エヴァレー。助かりましたわ。貴女あなたが来てくれなければ……」

「いいのよ、礼なんて」


 サフィーナにエヴァレーが微笑ほほえむ。その微笑びしょうの穏やかさからは、次の行動の気配などはまるで感じ取ることはできなかった。


「これから、お礼もいってもらえないことをするのだから」


 腰の小さなカバンから財布でも取り出すかのように、何気なくエヴァレーの手が左腰に回り――。


「っ!!」


 目の前で横薙よこなぎにひらめいたそれを、リルルは電光石火のレイピアの下払いでたたき払った。重く鋭い金属音が響き渡り、裸眼らがんの少女の目に、鮮やかな火花の残光が焼き付いた。


「なっ……!」

「さすがね」

「なにをするの、エヴァレー!」


 不意打ちを防がれたことにおどろきもなにも示していないエヴァレーに、一歩をみ出してサフィーナがみつく。

 そんなサフィーナを意外にも、フィルフィナが体を盾にすることではばんでいた。


「あなたは手を出さないで!」

「リルル……!?」


 冷静なリルルからの声がそれを後押しし、サフィーナは困惑こんわくの声をらした。


「エヴァレー、どういうつもりなの」

「なにが?」


 無言で示し合わせたように、リルルとエヴァレーは一歩、間合いを詰め合った。


「あなた、今の一撃、本気で踏み込んでこなかった。私に剣を抜かせるのが目的だったように」

「ふふふ……。リルル、あなた……本当に強くなったのね……」


 リルルに剣を向けるエヴァレーの目には、敵意も憎しみもなにもない。いや、逆に優しさがあった。目の前の相手に敬意を捧げるやわらかさがあったといっていい。


「そう、あなたのいうとおりよ。しかし、わたくしにイジめられていたころとは別人のようね……。――いえ、その本質が単に隠れていただけか……」

「あなたの真意をいって。回りくどいことはもういいわ」

「わかったわ、リルル。――貴女あなたにお願いがあるの。――わたくしたたかって」

「エヴァレー……?」


 言葉の真意を求めてリルルが見開かせた目に、エヴァレーの揺らがない瞳が応じた。


わたくしと本気で闘ってほしいの。お願い」

「どういう……」

「――もう、わたくしには、なにもないのよ」


 自嘲じちょうするような笑いを浮かべ、エヴァレーは静かに言葉を口にした。


「自由のない貴族の生活に飽き飽きしていた。恋も結婚も、人生のなにもかもがかれた軌道レールに乗せられていた。……だから、一年と少し前、卒業旅行先であったバズとマハたちの話を聞いて『革命』に興味を持ったわ」


 リルルの胸が小さく痛んだ。理解できる、共感できる言葉だったからだ。


「自由になるために、今までわたくししばってきたこの世に復讐ふくしゅうするために、その計画に加担したわ。――でもね、本当は、革命なんて最初からなかったのよ。それをたくらんだ者は、ただこの街を混乱におとしいれ、それにじょうじて私利私欲をむさぼることだけを考えていた……」

「スィルから、あらましは聞いているわ……」

「ねえ、わたくしって、いったいなんなの? ただの道化ピエロ?」

「…………」

「今はわかっているの。全てはわたくしおろかさから来ていると。悪いのは世の中じゃなかった……自分だったのよ。だから、わたくしはもう消えてしまいたい。……もう、わたくしにはなにもないわ。夢も、希望も、家も将来も全部なくした。――あるのは、絶望だけ」


 かちり、と軽く剣と剣が交わる。その小さな手応えに、目の前にいる相手の存在を感じる。


「なにも得られず、なにもかなわず、ただ罪人としてみじめに処刑される。馬鹿なわたくしにはお似合いなんでしょうけれどね。……逃げたとしても、どうやって生きて行けというの。その日のパンのために、話もしたくない男に体を売るの? そんなのぴらよ。死んだ方がマシ。――だから」


 間に横たわる距離を、気持ちを確かめるようにひとつ、ふたつ、みっつと剣が打ち合わされた。

 それはもう一つの語らいの形であったかも知れなかった。


わたくしは死ぬ。今ここで死ぬ。……でもね、最後の最後には、なにかひとつ、心からやりげたと思えることがなければ、死んでも死にきれないのよ! だから、リルル、お願い! わたくしと戦って! 本気でわたくしと剣をまじえて! わたくしはその中で、貴女の剣を受けて死にたい!」

「ダメよ!」


 サフィーナがさけび、飛び出そうとして、それをフィルフィナとスィルスィナが押さえ込んだ。


「快傑令嬢は人をあやめない! それをおかさせて、リルルに罪をわさないで! 許されることではないわ!」

「――やっぱり、そうよね」


 エヴァレーの剣が引かれた。意思を放棄ほうきするかのようにそれは地面に投げ捨てられた。


「無理なお願いだったわ。……そうよね、それが普通よね」


 けむ眼差まなざしがわずかに下を向く。悲しい色しかそこにはなかった。


「虫がいい頼みだったわ。人を殺すなんてことは、なかなかできるものではないものね……。ごめんなさい、最後の最後に困らせてしまって。自分の始末は、自分でつけることにするわ」


 右手首の黒い腕輪から、生えてくるかのように一丁の拳銃がその銃把グリップを現す。左手で抜いたそれを右手に持ち替え、自然な動作で銃口を自分の側頭部に押し当て、エヴァレーは、本当ににこやかに微笑んだ。


「リルル、サフィーナ。さようなら、ごきげんよう」


 キリリリ……と、かすかなきしみを発し、人差し指が引き金トリガーしぼる。

 フィルフィナとスィルスィナが鋭い眼差しで前をにらみ、奥歯を噛みしめたサフィーナが次の瞬間の光景を想像して顔をそむけた。


 乾いた発砲音が、鳴り響いた。


「っ!!」


 刹那せつなの空白があった。

 頭から血を流していないエヴァレーが目をき、宙にね飛んだ拳銃がアスファルトの地面にゴトリと落ちる。


「――リルル!」

「エヴァレー」


 電光のように鋭く踏み込んだリルルが、下からすくい上げた剣を大きく振り上げていた。


「私は、目の前で誰かに自殺なんてさせないわ」


 打撃で拳銃をもぎ取られた痛みに顔をしかめるエヴァレーの目の前で、リルルは剣を――エヴァレーが自ら捨てたレイピアを拾い、


「剣を取りなさい」


 差し出していた。


「あなたと、戦ってあげる」

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