「魔人との決着」

 街の真ん中で突如とつじょ、全くの不意に轟然ごうぜんとどろいた砲声は巨大な雷鳴のごとく鳴り響き、街の全ての鳥を羽ばたかせ、市民の全員の心をくだこうとするかのようにたたき、その方向に目を向けさせた。


 本当に街の真ん中に雷が落ちた、と信じた者も大勢いたほどの轟きだった。


 すさまじい音は、ただ一回――その残響は天空の高みに吸い込まれ、余韻よいんを波紋のように青い空に広げながら、消えて行った。


 それにおどろかなかったのは、百六十万人存在する者たちの中でもたった数名だった。

 そのうちの一人であり、音の発生源に最も近い場所にいた、いろいろな意味でたぐまれなる美女。

 豊かに波打った明るい緑色の髪をゆるやかな海風に揺らす彼女は、双眼鏡を目に当てて遠くをのぞいていた。


「――目標、命中を確認」


 せまい視界の中で、コアとなっていた右手をもぎ取られるように吹き飛ばされた悪魔――魔人の体がたましいを失った人形のように倒れる。


 港湾区域から約四カロメルトほど北に離れた高級ホテルの十階、最上級客室スイートルームに備え付けられた、個人プールまである屋上からその光景を確認し、美女は微笑ほほえんだ。


「ま、私にかかればこんなものね――ああ、なんて有能な私。もううっとりしちゃう」


 エルフとしては規格外の巨大な胸、くびれた腰、豊かな臀部でんぶ――そのいずれの大事な部分を、なんとか隠しているような肌もあらわな水着姿で、三人の娘を持つ母親であり、かつ、エルフの里の現役の女王であるウィルウィナは満足の息をらした。


 そのかたわらでは、命を持たない物の中では彼女が最も愛する銀色のつつが、二脚にきゃくに支えられた先端を大きく空に向け、尾部びぶを地面につけて鎮座ちんざしている。

 長さ二メルト、直径二十五セッチメルトの筒。知識がある者ならば、それが何であるかは、まさに一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


 稀少きしょう魔法金属アルケミウム鋳造ちゅうぞうされた、口径こうけい百二十ミルメルトの砲。そんな大口径の砲が、たった一人による運用、しかも狙撃目的で使われるというのが、完全に常識の範疇はんちゅうび越えていた。


 百二十粍狙撃直射砲。


 至近しきんの敵を撃つのにも用いられるその砲は、今回は約四カロメルトという超長距離狙撃ちょうちょうきょりそげきを達成するため、遠方の敵を正確にとらえるための照準眼鏡スコープが取り付けられている。それを発射直前までのぞきながらの発砲になり、正確な着弾を望むならば、砲を抱えたまま引き金トリガーを引かなければならない。


 砲のなかばで横にびた取っ手を握り、尾部を胸に当てたまま発砲した際のすさまじい反動。砲口制退器マズルブレーキと素材の力で軽減されているとはいえ、体へと直にかかってくる凄まじい衝撃をその胸で受け止められるのは、広い世界の中でもこのウィルウィナしかいなかった、


『――お見事です。こちらでも確認しました、アメジストゼロ


 女神像のそれのように整った形の耳からぶら下がっているイヤリングが震える。その響きが伝える長女の声に、ウィルウィナの目尻めじりが下がった。


「もうその符丁コードごっこはいいじゃない、フィルちゃん。ママって呼んで」

『……感謝します、お母様。そのまま指示があるまで待機していてください』

「感謝もいいんだけど、ちゃんと報酬ほうしゅうは払ってもらえるのよね――。ニコル君との高級ホテルでの夕食ディナー券を、二枚」

『……………………覚えてやがりましたか』

「忘れるわけないじゃない。そのためにあなたに引っ張り出されてあげたのよ? 私、ニコル君をどう口説くどこうか、そのことで頭がいっぱいなんだから」

『……遺憾いかんながら仕方なく食事は認めますが、その後でニコル様を二人きりで部屋にさそったりなどしたら、わたしが承知しょうちしませんよ!』

「いいじゃない。ニコル君ももう大人。自由恋愛ってやつだわ――。ニコル君がこの魅力的で蠱惑的こわくてきな胸に自発的に甘えてむしゃぶりついてくるのなら、いいのよね?」

『手を出したら殺します! いいですね!』

「もうフィルちゃんったら、こ・わ・い♪」

『死ね』


 ぶち、と断裂だんれつするように交信が切れた。


「ふふ、我が娘ながらまだまだ若いわね。……愛しているのなら、周りのことなど考えずにもぎ取りにいく勇気も大事なのよ」


 砲に次弾を装填そうてんし、ウィルウィナは傍らの軟質素材の寝椅子にその伸びやかな肢体したいを横たえた。き出しの肌に日焼け止めの塗り忘れがないか入念に確認をし、小さなテーブルに置いてあった氷入りの飲み物のグラスを手にする。


 葡萄ぶどう色の液体を一口含むと、芳醇ほうじゅんな果汁の香りが口と鼻の中に広がり、焼けるような冷たさがさわやかに喉を落ちていった。太陽はかなり大きな角度にのぼって、強い光を下界に送ってくれている。今日はそこそこ暑くなりそうだった。


「ま、フィルちゃんみたいにしのぶ恋というのも、嫌いじゃないけれどね――――おや?」


 黒眼鏡サングラスめようとしたウィルウィナは、ふと、視線を向けた南の空に、小さく過ぎるものがあるのをそのアメジスト色の瞳に認めていた。


「あれは……」



   ◇   ◇   ◇



 魔人の右腕をもぎ取った徹甲弾てっこうだんは、その弾道をほとんど変えることなく海に向かって直進し、海面に突き刺さって巨大な水柱をき上げさせた。

 音速の三倍弱で飛翔ひしょうした砲弾が空気の層を切り裂いた衝撃波が、風に揺らせられるものの全てを吹き飛ばす。


 頭を抱えて地にせる少女たちの長い髪も例外なくそれになぐられ、人の大きさはあろうかという大きな手で平手打ちされた感触を全員がその肌に感じた。


 ゴオン……。


 遠くで地響きに似た音が、遅れてやってくる。発砲音だろう。


 右手以外は完全に原型を保ったままの魔人が、突然生気の全てを失い、鉄の像そのものになったかのように、受け身も全く取らずに転げて地面に金属の音を響かせた。


「すっ……ごっ……」


 リルルがサフィーナが、遠くの轟音が空の彼方に消えて行ったのを確かめてから体を起こす。

 建物が密集した市街地において、目標を貫通かんつうした砲弾――流れ弾による被害を極限きょくげんできる場所とすれば、海を背にできるこの港湾部こうわんぶしかない。


 爆薬の武器でどうにか始末できるならそれでよし、いよいよの際は、尊大そんだいな悪魔に自分の弱点をしゃべらせ、それを遠くから狙撃させるためにこのひらけた場所に誘い込む作戦は、なんとか上手くいったようだった。


「話には聞いていたけれど、フィルのお母様が使われる武器は凄いわね……結局、最後に頼っちゃったわ」


 大口径砲の砲弾を弱点とされる一点ピンポイントに命中させるということがどういうことなのか、目の当たりにしてリルルは戦慄せんりつした。悪魔は、自分が撃たれたことに気づいただろうか。


「お嬢様、サフィーナ、無事ですか」


 起き上がったフィルフィナがスィルスィナをしたがえ、リルルとサフィーナの元に近づく。サフィーナはこめかみに指を当て、その白い顔を歪めていた。


「私、ちょっと耳鳴りが……」

「大丈夫? 休んでいていいのよ」

「これくらい、平気。――確認しましょう、吹き飛んだ右手を」

「うん」


 あの直撃を受けた右手、魔人本体ともいえるコアが原型を留めているとも思えなかったが、四散したとすればそれを確かめておく必要があった。


「ここから海の間を探します。海に落ちたとは考えにくいですね……それらしきものを見つけたら、すぐに声を上げて下さい」


 四人は戦果せんかを確認するために散らばった。

 サフィーナは岸壁がんぺきから突き出した乾船渠ドライドックに降りていく。解体中の船舶せんぱくくさりかけた無惨むざんな死体のような姿をさらしている隙間すきまに、魔人の右手が落ちていないかと予想したのだろう。


 他の三人はコンクリートがき出しの地面に残骸ざんがいが落ちていないかどうかを探した。あの激突インパクトの様子ならば粉微塵こなみじんになったかも知れない。しかし……。


「……みなさん!」


 それぞれの背中を打った見えないサフィーナの声に、リルルたちの肩がねた。全員の視線が声の方向に向いた。


「見つけたの?」

「ありました……が!」

「が?」

生きている・・・・・んです!!」


 そのサフィーナの言葉を三人の誰もが、瞬時には理解しなかった。


「右手が動いています!! 早く来て――きゃあっ!!」


 十数メルトは下っていったはずのサフィーナの体が、天地を逆様にし宙を舞う形でリルルたちの前に現れた。鋭い角度を空にえがいて落下に転じたサフィーナの体を、我に返ったリルルが走り落下点で受け止める。


「クーックックックッ!」


 背後から聞こえた聞き覚えのある・・・・・・・笑い声にまたも全員の意識が集中した。

 右手を吹き飛ばされて倒れていたはずの魔人デルモンが――起き上がっている!


「お嬢様、魔人の本体は船渠ドックの下です! そいつは……今笑っているそいつは、見えない糸であやつられているに過ぎません!」

「まさか……あの一撃を受けて死ななかったの!?」

「いやあ、正直なところ、死んだかと思いましたよ!」

「左の壁の端! 解体中の船との間に、奴はいるわ!」


 サフィーナのさけびに従い、リルルはがけのような急角度の壁を作っている船渠ドックを見下ろして視線を走らせた。


「――いた!」


 指が千切れてもいなければ、甲がくだけているわけでもない手の平が、リルルの足元に向かって底からい上がろうとしている。右手だけが蜘蛛クモかなにかのように指を動かし壁をい上るその不気味な姿に、少女の生理的嫌悪感が背筋がこおるような寒気を覚えさせた。


「もう指の幅の半分の半分ズレていたら、即死していたでしょう――実際生きてるのが不思議、奇跡みたいなものです! 悪魔とされる私がいうのもなんですが、今、初めて自分が生きているという実感をみしめている気がしますねぇ!」

「わたしがそいつを爆破します! お嬢様は下がって――」


 矢の先端にくくりつけられた爆薬の導火線どうかせんに点火したフィルフィナが、リルルに向かって走る。

 そのフィルフィナに、右手を失った魔人が風の勢いでおそいかかった。


「くぅっ!!」


 重ねに重ねられた訓練のため、考えるよりも早く反射反応で動いてしまうフィルフィナの戦闘能力が、不幸を呼んでいた。


「し……!」


 考えるよりも先にフィルフィナの体がひるがえる。体にみ付いた技の流れが、彼女の行動の全てを縛る――急迫し、両腕を広げて抱きつこうとしてきた魔人に反応して、手が動く――。


 ――危険を回避するために、げんを弾くという動作を!


「しまった…………!!」


 矢が魔人の胸に突き立った瞬間、爆薬は爆発した。高熱によって空気が超高速で膨張ぼうちょうする力が魔人の体を吹き飛ばし、余波でひろがった燃える風で全身をなぶられ、フィルフィナは、自分がしでかした大きすぎるあやまちを知った。


「わ……わ、わたしは、なんということを! あれが、あれが最後の爆薬だったのに!!」

「……フィル姉様、自分も手持ちがない」

「クククク、クククククク!!」


 吹き飛ばされた魔人はすぐには起き上がってはこなかったが、殺せていない――復活は遠くない。無意味な攻撃に、貴重きちょうな矢を……!


「私の核――いえ、私を滅却めっきゃくするには、高熱が必要なのですよ!」


 右手の形をした核が指をうごめかせて走る。再び体とつながって復活しようと目論もくろんでいる!


「この状態なら、今の爆薬の追い打ちで殺せたでしょうが……フ、フフフフ! もう全ての手段を使い果たしたようですね! まことに――まっことに残念でした!!」

「――お母様! そこから二射目を撃てませんか!?」

『ダメだわ、ここからでは射線が通っていない! 完全に物陰で見えないわ!!』


 そうだろうとは予想はできていたが、実際返ってきた答えにフィルフィナが奥歯が割れるのではないかというほどに歯噛はがみした。自分が犯した過ちの大きさに、顔から色の全てが消え失せていた。


「ク――――クックックックッ!!」


 表面をがした鉄の魔人が起き上がった。ひしゃげていたはずの体が、もう元に戻っている!!


「この核に受けた致命ちめい寸前の損傷ダメージも、少し時間をかければ治ります――あなた方の手は、全て出尽でつくしたようですね! 今度は、私の方から逆襲させていただきましょう!! 全員――全員、この場で死んでもらいますからねぇ――――!!」

「誰か! 爆弾をちょうだい!」


 涙を浮かべながらリルルが叫んだ。ここまで追い詰めたのに、あと少し、あと一歩がおよばないのか。

 自分たちの戦いが無駄になる。王城は燃え、革命を望む民衆たちは立ち上がり、それと軍隊が衝突しょうとつして多数の死者が出るだろう。街は燃え、関係ない人々が財産と生命を傷つけられ、そして――。


 快傑令嬢として守ってきた王都が破壊される。快傑令嬢として守ってきた人々が死んでしまう。

 それは許せなく、耐えられない。なんのために今までこうも戦い、こうも苦しみ、こうも悲しんできたのか!


「小さくてもいいの! ひとつだけでもいいの!」


 叫んでも手に入らないもの、降っていたりはしないもの。

 それを望んで、リルルは、のどの奥から、心の奥底から叫んでいた。


「誰か――誰か、私たちに爆弾をちょうだい!!」

「ク――ククク、ク――――ククククク!!」


 少女たちの心をあざけるようにその指をうごめかせる悪魔の右手。

 壁を這いずり、自分の体にたどり着こうとうごめ異形いぎょうの存在。

 ――その右手に、影が差した。

 あり得ない影だった・・・・・・・・・


「ク?」


 突然現れた、小さな円形の影の真ん中に右手が捉えられ、その異変に戸惑とまどいの停止を見せた右手のすぐ前に、ボトッと落ちる黒い球がひとつ、あった。

 闇を凝縮ぎょうしゅくしたような色をした、拳大より少し大きいくらいのその球体。


「こ……こ、こ、こ」


 頭から生えた短いなわ――導火線、その先端がチリチリと弾けて燃えて短くなり、完全に燃え尽きるのに、数秒も必要とはしなかった。


「これはァ――――!!」


 それが、魔人の最期さいごの叫びだった。

 内部から破裂するような青白い閃光を発し、次の瞬間にはその球の全てが高熱の奔流ほんりゅうき上げ、乾船渠ドライドックの壁を根元にして、巨大な炎の柱を天に向けて突き上げさせた。

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