「その切り札の名は、零(ゼロ)」

 王都エルカリナの南部、海に面した港湾こうわん地区。

 王都を訪れる人を迎え、去る人々を送り出す大型の港、王都が消費する莫大ばくだいな量の物資ぶっし搬入はんにゅうするための大規模な荷揚にあげ設備などが整備された区域である。


 市民たちの働き口をまかなう大規模工場の数も多く、いくつもの怪物の集合体のような巨大な工場群は、他の街ではなかなかお目にかかれないものだ。

 鉄とコンクリートとアスファルトでおおわれた街。それが王都が持つ顔のひとつだった。


 その海に近い工場群の屋上に、風にあおられ、はためく無数のはたがあった。

 旗――立てられた棒になわで結びつけられた筒型つつがたの布、いわゆる『吹き流し』といわれるものだ。大まかの風速と風向きを把握はあくするために使われる、特別製の旗である。


 この界隈かいわいに通う者ならば、派手な色合いの吹き流しの数々に首をかかげたことだろう。目に入るだけでも数十個のそれは、昨日までなかったのだから。

 旗は南からの海風に吹かれて、北にその尾を向ける。それを見上げる人々の気持ちも心も、知らないままに。



   ◇   ◇   ◇



 腹筋が一つ一つくっきりと分かれて浮き出たその腹部、まさに筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとしか表現の仕様がない腹部に、三本目――最後の刺突爆雷しとつばくらいがリルルの手によって突き込まれ、打突だとつの瞬間に、それは起爆した。


「うううう…………!」


 わずか三メルト先で小さくない高性能爆薬を爆発させるという、自爆攻撃に等しい危険な攻撃。自分たちにもおそいかかる音と炎と熱の波を、リルルと肩を並べたサフィーナが広げた魔法のかさが盾となって防ぐ。

 爆圧、爆音、爆炎――その奔流ほんりゅうの中で、少女たちは体を寄せて耐えた。


 周囲の全ての建物の壁をがすかのように、視界の全てをふさぐようにふくれ上がった、炎と光、黒煙。二人で足を踏ん張り、衝撃の嵐の中で歯を食いしばって耐えた少女たちを散々にもてあそんだそれらがやみ、余波が風に払われ――。


「え……?」


 まずリルルとサフィーナの目に入ってきたのは、二本の太い脚だった。最後まで状況を隠していた煙は見る間に薄くなっていく。やがて腰、大穴が空いた腹、大した傷もついていない胸部、腕――そして、子供とじゃれている親のような表情を見せている顔が現れた。


「な……!」

「ふは……ははは」


 リルルたちの望みを断ち切るように、デルモンの腹を貫通かんつうした穴は、静かにふさがっていく――コアは、そこでもない!


「……はははは、はははは……はーっ、はっはっはっ!!」


 横に振りかぶられたデルモンの手の平に、青白い光球が浮かんだ。リルルとサフィーナが反応する前に、それは二人の間目がけ、稲妻いなずまの速度で投げつけられていた。


「きゃあああぁぁぁ――――っ!?」


 糸のような細い紫電しでんき散らしながらたたき込まれた光球は、まさしく炸薬さくやくが込められた砲弾のように爆発した。力場りきばの変位の中で開放的に膨れ上がった圧力が、道路を深々とえぐったアスファルトの破片とその下の膨大な土砂の洪水こうずいと共に、二人の少女を吹き飛ばす。


「ぐっ!!」


 全身に電流のあみをきらめかせながら、ドレス姿の少女たちは地面に倒れした。仰向あおむけに倒れたサフィーナは動かなくなり、うつ伏せになったリルルは一瞬、ひじを支えにして起き上がろうとしたが、気力がきたかのようにそれが折れた。


「お嬢様!?」

「――しつこいエルフたちですね!」


 ケンタウロスから飛び降り、弓を引っつかんでけて来たフィルフィナとスィルスィナの二人に、デルモンは同じ光球を放った。けようもない速度で空間を駆け抜けてきた光の砲弾が至近に着弾し、エルフの姉妹たちも爆発の炎と粉塵ふんじんが四方八方に飛び散るのと一緒になって、地に投げ出された。


「くぅぅ……うう!」


 資材置き場の資材に叩きつけられ、降り注いだ細かい瓦礫がれきの中に埋もれたスィルスィナが沈黙ちんもくする。放物線を描いて地面に落下したフィルフィナも、背中を強打した痛みに声にならない叫びをらしただけで、あとはうめき声しか上げられない存在となった。


 直撃を受けたわけではないのに、それぞれに向けた一発の攻撃だけで、全員が立つことすらできなくなっていた。


「――あんまり魔人をめないでもらいたいですね? 私が一方的に攻撃を受けているのは、あなたたちと遊んでいてあげているからですよ」


 自分の体にかかったちりを、デルモンは丁寧ていねいに払い落とした。


「ですが、それで調子に乗られるのは困りますね、まったく――さて」


 デルモンは首を巡らせた。

 建物の切れ間の遠くに王城が見える。小癪こしゃくな追跡者たちは戦闘不能におちいった。もうここから飛翔ひしょうしても邪魔は入りはしないだろう。さて――。


「ま……待って……」


 飛び立とうとしたデルモンは、背後から聞こえたその声に振り返る――視線の先でリルルがうごめいていた。まだ立つ気力があるのか、地面をつかんで自分の体を引きずろうとしている。


「おや、まだ話せる気力があるのですか。あなたみたいな人間は意外にこわいのは知っていますよ。私をひつぎ封印ふういんした人間も、途中までほとんど私に圧倒されていたのに、最後の最後で勝負をひっくり返してくれましたからね――ここで殺しておくとしますか」


 デルモンが高々と右手をかかげた。手の平が真上を向き、リルルの体に影を投げた。


「私を……殺すの……?」

「ええ。心配しないでください。痛みはありませんから。消えるように死ねますよ」

「なら、最後に教えて……あなたのコアは、いったい、どこなの……」


 今にも途切れそうな、絶え絶えの声。アスファルトから顔をがすこともできないあわれな少女を前にし、デルモンは獣の顔で微笑ほほえんだ。


「気づきませんでしたか? ちゃんと手がかりヒントはあったのですよ。何故私があなたの攻撃を、両腕を広げて防御もしなかったのか――ふふ、ふふふ、ふふふふふ!」


 デルモンの右手――右手の甲が淡い燐光りんこうを帯びて、輝く。その巨大な手には不可思議な紋様もんようが浮かび上がり、鉄そのものの皮膚の上でそれは輝きを発しながら、渦を巻くようにうごめいた。


「防御するわけにはいかないのですよ! なにせ、この右手こそが、私のコアなのですからね!」


 リルルに、いや、もう抵抗もできなくなった全員に見せつけるかのように、デルモンはことさらにその右手を掲げた。


「ふふ――ふふふふ! さすがに、こんな体の末端に核があるなど予想もしなかったでしょう!」

「右手が、あなたの、核……」

「ふふ。ま、これは誰にも知られてはならない秘密ですからね。あなたを殺しておかねばならない理由が、またひとつ増えたということです――どうです? 力及ちからおよばず、今から殺される気分というものは。できましたらご感想を聞かせてください。魔人、いや、悪魔にとっては、人間の絶望こそが最高のご馳走ちそうなのですよ」

「く……く、くっ……」

「さあ、くやしいでしょう。私をこんなところまで追い込んでおきながら、むざむざ殺されるのです。なんなら、手足をひとつずつ折った方がいい反応を見せてくれますか? それとも、動かないあなたの相棒の指を折っていった方がこたえま――」

「くくくくっ……」


 なめらかに流れていた言葉が、途切れる。デルモンの目が、またたいた。


「くく、くくく、くくくく……」

「――なにを笑っているのです」

「くすす……くすくす……」


 デルモンが視線を横に走らせた。事切れていたと思っていた紫陽花あじさい色のドレスの少女の笑い声が聞こえる――死んでいなかったのか。


「ふふふ、ふふふ、ふふふふ……」

「あは、あはは、あははは……」


 後ろを振り向く。倒れて動かないメイド姿のエルフの二人も忍び笑いをらしている。デルモンの心がたちまち氷のように凍った――自分は取り返しのつかないことをしてしまったのではないかという予感が、汗腺かんせんを持たないはずの悪魔に、冷や汗をかかせたような錯覚におとしいれた。


「な……なに、なに、なにを……」

「うふふ」「くすくす……」「ふふふふ……」「あはははは……」


 怒りと苛立いらだち、あせりと恐怖がない交ぜになった感情が、一気にこめかみに押し寄せてきた。今ここで、ただ一人立っているはずの自分が、何故かものすごくみじめな存在であるような気分にさせられて――それが、悪魔を絶叫させていた。


「なにを笑っていると、聞いているんだ!!」

「――あなた、自分がどうしてここにおびき出されたか、まだわかっていないの?」

「お……誘き出された……!?」


 リルルの言葉にデルモンの心がぐらつく。ここで戦闘に及ぶのは計画的なことだったのか。しかし、何故ここなのか?


「建物が密集した街中で、あれ・・を使ってもらうわけにはいかなかったから。巻き添えが起こらない場所でないといけなかったのよ」

あれ・・だと……!?」

「……アメジストゼロ


 その解答を出すかのように、ほおをぴたりとつけた地面に向けて笑っていたフィルフィナが静かにつぶやいた。


アメジストゼロ、こちらアメジストいち、応答せよ」

『――こちらアメジストゼロ、感度良好』


 フィルフィナの耳にぶら下がったイヤリングが、大人びた女性の声を発して震えた。


標的ターゲットは目標の右手。そちらからも確認できますか」

『見えてる。いつでもいいわ……風速、風向確認、照準修正完了』

「では、お願いします」

『了解よ』


 リルル、サフィーナ、フィルフィナにスィルスィナが、呼吸を合わせて一斉に起き上がった。


「――こいつら、まだこんなに動けるのか!?」


 デルモンを混乱させたのはその事実だけではない。その全員が自分を中心にしてぶように離れ、今度は自分たちから手で頭を抱えて地面にせた行動の意味がわからず、右腕をかかげたままの格好で、首だけをめぐらせた。


「お前たち、いったいなにをたくらんでいる!?」

「こっちを見なさい」


 伏せている四人の中、海を背にしているリルルだけがデルモンを見据みすえていた。


「なんだと……」

「こっちを見なさい――すぐにわかるから!」


 リルルの方を見たデルモンが、気づくはずはなかった。

 北の方向でカッとひらめいた光、それは背中にしていたので見えはしなかったし、音速をはるかに超えて飛ぶそれ・・の方が音よりも圧倒的に速いので、先に聞こえるわけはなかったのだ。


「――――――――!!」


 質量と速度を融合ゆうごうさせた力は、秒速九百メルトという超音速でまさしく一直線に飛翔し、その弾道上にあったデルモンの右手を、問答無用で吹き飛ばしていた。

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