「薄桃と紫陽花、咲き誇る」

「あにゃ?」


 気絶から目覚めたクィルクィナが最初に感じたのは、後頭部の奥にめ込まれたようなにぶい痛みだった。


 廃劇場の楽屋がくや、その床の上で尺取しゃくとり虫のようにおしりを突き出し、あごで体重の一部を支える不自然なうつせの格好で倒れている。


 そんな姿勢のままで目を覚まし、息苦しさにクィルクィナは体を起こした。


「あにゃ……なんであたしはこんなカッコで? ……いてててて」


 横を見ると、背もたれの部分をたたき折られた粗末そまつな木の椅子いすが転がっていた。床にはそれがくだけたらしき破片が散らばっている。痛みに後頭部の髪をまさぐると、細かい木の破片がパラパラと落ちてきた。


 自分はここでなにをしていたのか……ああ、確か、意気消沈いきしょうちんしているエヴァレーが、おかしな行動に出ないように見張るよう、いいつけられていたはずだ……エヴァレーは?


「うにゃ? エヴァレー?」


 ――エヴァレーが、いなかった。


 拘束こうそくしていたわけではないが、たましいが抜けたような顔をして、砕けている椅子に座っていたはずだ。


 ……確か、そのエヴァレーが用を足したいからと立ち上がって、勝手に行ってくればと自分は興味もなく生返事をし、その時に姉のフィルフィナから魔法のイヤリングでの通信が入り――。


 記憶は、そこで途切れていた。


「――んにゃっ!? 魔法のイヤリングがられてるじゃん!?」


 現状を姉に報告しておかないと非常にマズい、という切迫感せっぱくかんかれて耳に触れたが、あったはずの感触が、なかった。

 これだけ材料がそろえば、結論は一つしかなかった。


「エヴァレーがあたしをなぐり倒して、イヤリングを盗って出ていった? でもいったい、なんでそんなことしなくちゃダメなのさ――!?」


 急迫きゅうはくした問題はそれ以上に、この状況じょうきょうを姉が知ったらどういう反応リアクションを示すか、ということだ。

 それについては、確信があった。


「こ……殺される……」


 一刻いっこくも早くこの状況を報告するために走り出すべきか、それとも、なるべく遠くに逃げるためここをすぐに離れるべきか――。

 どちらの選択が少しでもマシな結果を生むのか考えるが、どちらも結末がそう変わりはしないだろうということに、クィルクィナは心底、絶望した。



   ◇   ◇   ◇



 薄桃色のドレス姿のリルルが抱える短身砲が、その砲口から赤と青の色が絡まり合うような炎をき出し、轟然ごうぜんえた。

 砲といっても精度など望むべくもない短い砲身、それがロクにねらいもつけずにぶっ放される。


 地上を歩く目標ならまだしも、空を飛ぶ相手にそんなものが直撃するはずがない――デルモンの判断は常識的であり、実際正しかった。

 リルルが発射したものが、通常の砲弾でなかったということをのぞけば。


「ううっ!?」


 明らかに直撃ではないその弾道を読み、回避運動もしなかったデルモンの目の前で、細い鉄鎖てっさ蜘蛛の巣・・・・が、直径五メルトにおよぼうという大きさで開いたのだ。


「なにぃ――――!!」


 末端に数十個の分銅ぶんどうの重りをつけて渦を巻くように回転し、まさに砲弾の速度で自分に向かってくるそれを、デルモンがけられるはずはなかった。


 突風で体に吹き付けられた大きな布かなにかのようにそれは体におおかぶさり、強靱きょうじんな鉄鎖が翼に絡まってその動きを阻害そがいする。


 揚力ようりょくうばわれたデルモンの体が初めて地面に触れ、かれたアスファルトの舗装ほそうを鉄の体がけずるようにして破片をき散らし、そして止まった。


「――ふん!」


 立ち上がったデルモンが、体に絡んだ鉄鎖を体を伸ばすだけで引きちぎる。重量物をり上げるために使う鉄鎖は、あさかなにかのなわのようにほどかれた。


「――いやあ、お嬢さん! びっくりしましたよ! なかなか面白いオモチャをお使いになるようだ!」


 デルモンはもう飛翔する気はなかった。後ろからは自分を執拗しつように追ってきた二人のエルフたちが接近してくるのが馬蹄ばていの響きでわかっている。鋼鉄のかたまりであるこの体が海に叩き落とされれば、おぼれることはないが泳げもしない。海底を歩いて岸にたどりつく必要がある。


 その面倒くささを考えれば、うっとうしくむらがってくるこの虫たちを、ここでひねりつぶしておく必要があるようだった。


「あなた、昨日の戦いで私が復活するところを見ていたでしょう? 私がどういう性質を持つ存在なのか、知らないわけではないのではないですか?」

「――体のどこかにあるコアを破壊しないと、無制限に復活をげる……」

「ご名答です。で、お嬢さん、私の核がある場所は、把握はあくしているのですか?」


 リルルは首を横に振った。


「ダメですねぇ。相手の倒し方もわかっていないのに、無謀むぼうな攻撃を仕掛ける。ある著名ちょめいな軍学者はいったそうですよ――『三十六計逃げるにしかず』、と。様々な戦略も、撤退てったいより上策じょうさくであるものはなかなかない、という意味ですか。貴女あなたも逃げられてはいかがですか?」

「逃げるわけにはいかないわ」

「そうそう、その無謀で無意味な闘志が、身をほろぼす元なのです。ああ、面倒くさい。私はね、人間のように女性をもてあそび、なぶって情欲を満たそうなんて発想はないのですよ。魔人ですからね――まあ、なるべく苦しまないように殺してあげます。礼儀くらいは心得ているので」

「――そう簡単に、私たち・・・を倒せると思ってくれたら困るのよ!」

「相棒のいう通りですわ!」


 すずやかな声と共に、デルモンの頭上に影が差す。一瞬、自分と太陽との直線上に入ったその人影をデルモンが認めた時には、白いかさを広げた紫陽花あじさい色のドレスの少女はリルルのすぐ隣に降り立っていた。


「お初にお目にかかります、悪魔様。わたくし、快傑令嬢リロットの相棒、快傑令嬢サフィネルと申します! 短いお付き合いとは思いますが、どうかよろしくお願いいたします!」


 軽やかなカーテシーを披露ひろうして快傑令嬢サフィネル――サフィーナが一礼をする。二人で海への針路をはばんでくれるこのドレスの少女たちに、デルモンは笑うべきかどうか真剣に悩んだ。


「これはこれは、また美しいお嬢さんがお一人増えましたか。いえ、私にはそのメガネの魔法は効きませんよ。まあ、貴女たちの顔がわかったといって、どういうわけでもないのですがね」

「それは嬉しいですわ。正体を隠すためとはいえ、この美貌びぼうが隠れるのには抵抗がありましたから。おめいただき光栄です。あなたもたくましく素晴らしいお身体ですね。庭に魔除まよけとしてかざりたいですわ」


 サフィーナがにこりと笑う。


「ははは、新しい片割れはなかなか面白いお嬢さんだ。――いいでしょう、貴女たちの首をもぎ取って、私の収集物コレクションといたしましょう! 私はこれでも美は解する方なのでね!」

「サフィーナ!」

「わかっています、リルル」


 広げたかさ盾代たてがわりにするようにサフィーナが突き出す。その横でリルルは、黒い腕輪から長柄ながえの武器を取り出していた――先端から尻尾まで、三メルトはある長槍ちょうそうだ。

 しかし、その先端についているのは、と呼ばれるやいばではなかった。


 その異様さを認め、突進しおそいかかろうとしたデルモンが動きを止める。リルルが自分に向けている長柄、その先端についているのは大きな酒瓶さかびんほどはある円錐えんすい状の物体――それが刃の代わりなのだ!


「核があるとすれば、頭か心臓――それか、腹!」


 長柄を両手でにぎったリルルが地面をってみ出し、広げた傘を自分とリルルの盾のようにしたサフィーナもまた、リルルと肩を並べるようにして猛然もうぜんと前に出た。


「ぐっ!」


 リルルが体重の全部を乗せて突き込んだ刺突爆雷しとつばくらいの先端が、その鼻っ柱をつぶすようにデルモンの顔面に接触する。薄いかくでしかない先端はその衝撃しょうげきで簡単にくだけたが、それが起爆・・の条件だった。


 内部をすりばち状にられた円錐状えんすいじょう爆雷ばくらいが起爆、爆発の奔流ほんりゅうが一直線に走る超高熱の針となり、光と変わらぬ速さで、爆音と共に前へとけ抜けた。


 あらゆる物体をその高熱で溶解しつらぬく炎のきば、それがデルモンの頭部を貫き、余波となってき散らされたすさまじい炎の風の熱と風圧が空気と地面、そこに立つ者全員を揺るがした。


「くぅっ!!」

「うう、う……!!」


 爆発の力は、その全てが前に向かっておよぶものではない。重さ五カロクラムの特殊爆薬の爆発は四方八方にも向かい、サフィーナが広げた傘がそれを受け止め、曲面で受け流す。爆発の威力いりょくは傘の表面をすべって行くが、それでもサフィーナの腕には相当の衝撃がのしかかった。


「ううっ……!」

「サフィーナ、大丈夫!?」

「平気ですわ……私は快傑令嬢ですもの……!」


 小さな家一軒いっけんを飲み込むほどの爆発の炎と光が収まり、立ち上る膨大ぼうだいな黒煙が視界を隠す。吹き付けてきた海からの風がそれを全て押しやり、サフィーナは傘を下ろして正面の視界を確保した。


「ど……どうかしら……」


 すさまじい爆圧の威力いりょくの前に、溶けたあめ細工のようにゆがみきったデルモンの顔に、拳大こぶしだい穿孔痕せんこうあと穿うがたれていた。


 向こうの景色まで綺麗きれいに見える爆破痕ばくはつこんにリルルとサフィーナは勝利を予感し――それは、次の高笑いによって否定ひていされていた。


「――くーっふふふ!!」


 そのまま倒れるかというほどに後ろに大きくかたむいた体を脚が支え、デルモンは揺らいだ姿勢を正した。二つの手が歪みきった頭部を左右からはさむ。数秒、幼児が泥で遊ぶかのように雑にこねくり回しただけで、口が耳元までけたけものの顔が、あっという間に元通りの形に戻った。


「ざぁんねん! 私の核はそこではないのですよ。本当に面白いオモチャを次々出してくださる! 退屈たいくつしませんよ、本当に!」

「――オモチャは、一本で終わりではないわ!」


 リルルが黒い腕輪からもう一本を取り出す。


「サフィネル!」

「ええ、リロット!!」


 呼吸を合わせ、サフィーナが傘を前にかかげ、リルルが前に突進する――ねらいは、心臓!


「今度は!」


 だが、デルモンはけもしなかった。余裕顔で胸板でそれを受け止めると、一本目と同じ規模の爆発が炎と光の花を大輪として開かせる。


「クククク、ククククク!」


 心臓――そんなものがこの悪魔にあるとしたら、だが――の位置に綺麗きれい貫通痕かんつうこんけられ、普通の生物ならば生存など不可能であるはずの損傷ダメージを負わされながら、むしろ一撃目より悪魔の反応は余裕に満ちていた。


「ハズレ! いやあ、そこでもないんですよねぇ!」


 胸に空いた穴はたちまちにふさがってしまう。服についたゴミを払うかのように、悪魔の手が自分の胸を軽く叩いた。


「――さて、あなた、そのオモチャはあとどれくらい残っているんですか? その右手首の黒い腕輪は、異空間から好きな時に中の物を取り出せるが、容量は無限大ではないことも知っています。――その長柄の武器なら、あと一本というところでしょう?」

「――そうよ!」


 三本目――最後の刺突爆雷をリルルは取り出し、それを両手で握って前に向けた。確実に悪魔の核を破壊できる武器は、これでもう品切れだ。


「リルル、それでどこを狙うの」

「――腹」


 再びサフィーナがリルルと肩を合わせる。泣いても笑ってもこれが最後の突撃だ。


「思いつくのはそこくらいしかないわ」

「それもハズレだったら?」

「死ぬだけじゃない?」


 笑いもせずにいってのけたリルルの答えに、サフィーナは心から微笑ほほえんだ。


「上等――私たちの覚悟を、あの悪魔に見せてあげましょう」


 生も死も、相棒とならば共にするのもそれでよし。

 二人組タッグを組んで初めての戦いだが、ふたり一緒ならばここでほろんでもいはない、そんな信頼感だけがあった。


「――あとリルル……これが最後かも知れなければ、あなたに謝っておかないといけないことがひとつあるのだけど」

「なに?」

「私、ニコルとキスをしちゃいました」

「なんですってぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 思わず、リルルは刺突爆雷の標的を変えそうになった。


「大丈夫! 私が強引にキスをしただけ! ニコルの意思ではないから!」

「全然大丈夫じゃない! ――い、生き残ったら決闘だから、覚えておきなさいよぉっ!」

「素敵なお話! 是非そうしたいわ!」


 微笑むサフィーナと泣くリルル、二人の少女はまもりの傘と炎の槍を構え、両腕を広げて無防備を示す悪魔に向かい、停止も転進もあり得ない突撃を敢行かんこうした。

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