「廃劇場に紫陽花色の風が吹く」

 エヴァレーの白い腕、浮き出る血管をねらい、巨大なの口に似た注射器の針がよだれをらした。

 血を吸うのではない、精神をくるわせる魔法の混合薬クスリを送り込むための獰猛どうもうきば

 その鋭利な先端にエヴァレーが顔の全部を蒼白そうはくにし、声にも音にもならない悲鳴をのどから響かせ――。


 カッ!


「ぐぅっ!?」


 注射器を握るシャダの手の甲に、一枚のカードが突き立った。

 やいばのようにがれた角が皮膚を突き破り、手の骨に達するまで深々と刺さり、金属のきしみのような悲鳴と共に手から離れたガラス製の注射器が、床に落ちてくだけて悪魔の液体で舞台の床を汚す。


「だ……誰だ! こんなものを投げやがったのは!」


 頭目リーダーが注射器を取り落とし、カードが突き刺さった右手をかばうさまに、その配下も周囲に目を走らせた。それを投げた者の気配は――見えない!


「どこから投げられた!?」

「入口の辺りから――」


 舞台上以外に照明が当てられていない劇場内は暗く、舞台の反対側にもうけられている出入口はほとんど見えないくらいだ。だが、閉めたはずのその扉が開いているらしいことはうかがえた。――誰かがいる!


「照明を向けろ!」


 舞台をそでから照らす照明器具のひとつにけ寄った男がそれの角度を変え、劇場内の形を光でめるようにして出入口を照らす。

 が、怪しい人影はそこには浮かび上がらない。人の気配がない光景があるだけだ。


「誰もいません!」

「じゃあ、このカードは誰が投げつけて来たっていうんだ!」


 エヴァレーを拘束こうそくしていた手を放した男たちが懐の短剣を、右手からカードを抜いたシャダがうめきながら腰の剣を抜く。全員が何かしらの武器を持ち、見つけられない敵を探した。

 

「どこだ――いるんだろう! 出てこい!」

「――こんな暗い半地下の、つぶれかけた劇場跡でこそこそと悪巧わるだくみをしていれば、それが明るみに出ないとでもお思いになったのですか?」


 カビ臭さに包まれた空間には、とても似合わぬすずやかな声が、広い室内いっぱいに響いた。照明器具を握っていた男が、反射的に光をその声の方向に向ける。

 今は椅子いすが全て取り払われた、観客席跡の真ん中!


 まるい光に照らされ、その明かりを反射して輝くその少女・・の衣装のきらめきに、目を向けていた者の全員がそのまぶしさに思わず手をかざした。

 明度の高い青白い光を受けたそれは、夜の地上に影を投げかけるくらいに明るい満月の光ほどの目映まばゆさがあった。


 広いつば帽子ぼうしかぶったドレス姿の少女が、光の中から浮かび上がるように舞台に向かって歩を進める。白い手袋の手にはなにも持たれてはいない。そんな丸腰の姿であるにも関わらず、二十人以上がたむろする男たちの元に歩んでいく。


「何者だ、お前!」


 それぞれに長さの違う短剣を握った男たちが少女を半包囲はんほういする。が、何本もの刃を向けられておびえる様子もないその姿の前に、全員の腰が半ば引けていた。


「――貴方あなた方のようなお悪い方々に名乗るような安い名ではありませんが、どこの誰にやっつけられたとたずねられ、答えられないのも可哀想かわいそう。ですから、今日は特別に教えて差し上げましょう!」


 真っ青・・・な一輪の薔薇バラかたどった帽子の鍔が上げられる。白い額に亜麻色の前髪が垂れた。


「私の名は、快傑令嬢・・・・!」


 紫陽花あじさい色のドレスの長いスカートのすそをつまんだ腕が優雅ゆうがに伸びる。美しい鳥が翼をゆるやかに広げるような麗しいカーテシーが、廃劇場の真ん中で鮮やかに花開いた。


快傑令嬢サフィネル・・・・・・・・! ――あなた方がこれから毎晩、牢屋ろうやの中で悪夢と共に思い出す名前です! どうかお見知りおきのほどをお願いいたします!」


 青いアンダーリムのフレームに収まったレンズの向こうに輝くエメラルドグリーンの瞳が、笑いながらも挑戦的な色を帯びている。が、その素顔が男たちにのぞかれることはない。エルフの魔法のメガネに付与ふよされた認識阻害そがいの魔法が男たちの脳に作用して、視覚の記憶を定着させないのだ!


 手品のように現れた一本のレイピアのさやを左手でつかみ、流れるような動作でそのやいばを引き抜き、一閃いっせんする。その先端が鳴らした風切り音の強さに、多勢であるはずの男たちが半歩後退した。


「快傑令嬢サフィネルだと――!?」


 甲が血を流す右手と剣を、布で巻き付け固定したシャダがさけんだ。


「また偽快傑令嬢か! もうらねえんだよ!」

「偽ではありません!」


 亜麻色の長い髪を揺らして、快傑令嬢サフィネルは叫んだ。


「私は快傑令嬢リロット公認の相棒! 立派な本物・・の快傑令嬢です! 偽者呼ばわりされるのは、心外のきわみですわ!」

「頭のおかしいのが、またおかしい格好してやってきやがって! お前ら、さっさとその小娘をたたきのめせ! これから忙しいんだ!」

「へ……へい!」


 妙ちくりんな娘の乱入に、半ば思考を失わされていた男たちが気を取り直す。よくはわからないが、目の前にいるのはたった一人の小娘だ。

 男が寄ってたかればどうにでもなる――そう思ったのが彼等の運のきだった。


「お嬢さん、大人しくしてるんだ。今そのドレスを綺麗に切り刻んでやるからな。俺たちもその下の綺麗な肌には傷なんてつけたくないんだ」


 サフィネルの正面に立った男が一歩、前に進む。これから行われる予定の余興よきょうに、下卑げひた忍び笑いが漏れる。


「じっとしていろよ。その方がケガをしなくて――」

「こんな風にですか?」


 さわやかな風が吹くかのように、なんの前触れもなく――男たちの反射をうながすきすら与えずに、サフィネルの腕が目にも止まらぬ動きを見せた。

 男は風を吹き付けられた、としか思わなかっただろう。


「は――――」


 一歩前に踏み出されたサフィネルの足が戻された時、自分を的にして吹き抜けていった風の鋭さに男は震え、次には実際の肌寒さに震えることになる。

 男の上半身をおおっていたはずの服が、破裂した風船の残骸ざんがいのように細切れの布に変わった。


「はぁ――ッ!?」


 下に着ていたシャツまで端切れにされて吹き飛ばされた男が、自分のあられもない姿に目をき、そうした張本人である少女もかすかにそのほおめる。


「あら、私としたことが、はしたないことを。それに、服をがすのはおむさい・・・殿方ではなく、うるわしい美少年に限りますね。ああ、できることならあの美少年ニコルの服をこうしてみたい。それがわたくしの夢――ま、能書のうがききはこれくらいにして、ちゃっちゃと進めますか」


 腰を抜かした男が尻もちを着き、目の前で見せられた魔術か奇術のたぐいの技に、残りの男たちが更に半歩退しりぞいたところを、今度はサフィネルの剣が大きく旋回せんかいし――巨大な竜巻が、決してひらけてはいない。廃劇場に巻き起こった。


「えでっ!」「ぐあっ!」「んなっ!?」


 少女を中心にして渦を巻く紫陽花色の旋風がたけり狂うと同時に、男たちの得物えものを握る腕が次々にたたかれ、その手から刃物が弾き落とされる――ついでに男たちの体も、床に殴り倒された。時計回りの順番で、十数人の男たちがぎ倒されていく。


「いてぇ、いでえ! 腕が折れたぁ!」

「誰か、誰か医者を呼べぇ!」

「まあ、折るつもりはなかったですのに。ごめんなさい、まだ快傑令嬢一日目なもので」


 関節がひとつ増えたような腕を抱えてのたうち回る男たちの姿に、サフィネルは素で謝った。


「力の加減というものは難しいものですね。リル……リロットはさすが熟練者ベテランですわ。気をつけないと――」

「ふざけやがって! 手前テメェ、俺たちをめるんじゃねぇぞ!」


 舞台袖ぶたいそでからまるでいて出るようにして十数人の新手あらてが飛び出し、その手にした弓やボウガンを舞台の上からサフィネルに向けてねらいをつけた。


「あら、飛び道具ですか」


 十数本の矢にねらいを定められたサフィネルが、きょとんとした様子で舞台を見上げる。


「この劇場に何人詰めてると思ってるんだ! もういい、殺してしまえ! 撃て!」

「撃っていいんですか? とんでもないことになりますよ?」

「とんでもないことになるのはお前だ! お前ら、狙いを外すなよ!」

「本当にしちゃうんですか? 今ならまだ引き返せますよ? 明日からまともに歩けなくなる・・・・・・・・・・なんてことになってもいいんですか?」

「ごちゃごちゃわけのわからんことを! 早く撃て!」

「――仕方ないですね」


 なんておろかな、とサフィネルは心底からのため息をいた。こちらもできるだけ手加減しようとしているのに。

 自分の責任ではないぞとサフィネルは心の中でつぶやきながら、すっと、左の白い手袋をげた。


「やっておしまいなさい」


 劇場出入口にふたつの人影が飛び込んできた瞬間、空気をつらく嵐が吹き荒れた。


「ぐぁっ!」


 ボウガンを構えていた男二人がその場にひざを折ってくずれ落ちたのを皮切りに、舞台に立っていた射手が脈を打つ速度よりも早く次々に倒れていく。全員が膝を真正面から重い鈍器で殴られたように、前のめりになって派手に転げ倒れた。


「な――なんだ!?」


 遠距離武器を持った十数人が、全て薙ぎ倒されるまで五秒とかからない。ひとりでに倒れていく配下、その苦痛に引きつった顔の数々にシャダは心の底から慄然りつぜんとした――いや、ひとりでにではない!


 倒れている全員の膝小僧の骨、医学的には膝蓋骨しつがいこつと呼ばれる部位に矢が突き立ち、その裏側まで貫通かんつうされていた。シャダの背筋がこおる――貫通しているということは、その裏にある骨や筋肉までズタズタに損傷されているということだ。


 人間の膝がそんな目にえばどうなるのかは知っている。一生、まともに歩けなくなる・・・・・・・・・・


「――だからいいましたのに。警告は一回目でちゃんと聞いてくれないと困ります」


 人を矢で射殺いころそうとした連中だ、これくらいのお仕置きは当然のこと――そうは思いながらもサフィネルの心は重かった。まともな仕事にも、まともでない仕事にもつけなさそうなこの被害者たちの明日を思うと、心が暗くなった。


「……どうして眉間みけんを狙っちゃいけないの」

「いけないの! お姉ちゃんにもキツくいわれてるし! お姉ちゃんもこの王都に来てから一人も殺してないって!」


 舞台に立っているのが短剣を握りしめたまま足が震えて動けない男、シャダ一人であるのを確かめ、出入口で矢を速射した二人の影が、早足でサフィネルの元に駆け寄る。


「……息を吸って吐く間に十人は殺してた姉様が? あり得ない……」

「とにかく殺しちゃいけないの! お姉ちゃんのお仕置きが怖くなかったら、したがわなくていいんだよ!?」

「……素直に怖い」


 深い紺色のエプロンドレスに身を包んだメイド服姿の二人――いていない明るい緑の髪を綿のように膨らませている少女たちが、弓につがえられた矢をシャダに向けた。


「……それに、どうして私たちがこんな格好で」

「あああ、いいの! 考えなくて! お姉ちゃんに着ろっていわれたら着るの! このお嬢様にメイドとして仕えろっていわれたら仕えるの! わかった!?」

「……わからない……」


 理解はしていないが逆らう気もない、エルフの少女ふたり。フィルフィナの妹であるクィルクィナとスィルスィナは納得していない心を抱えつつも、姉に逆らうという禁忌タブーだけは犯すまいと心に決めている。まだ命は十分惜しかった。


「と、いうわけですわ。エヴァレー、大丈夫ですか?」


 にっこりと微笑みかけられ――いや、その表情は全く認識できなかったが、とにかくも相手に敵意のかけらもないことを知ったエヴァレーの顔から、緊張が抜けた。


貴女あなたは……」

「あなたの想像通りの者ですよ。――さてと」


 脇の階段からサフィネルがゆっくりと舞台に上がる。無防備に近いその少女が自分に近づいてくるのに、シャダはなにもできなかった。下からはエルフの少女ふたりの絶対必中な射程しゃていに収められているし、なによりもそもそも足が動いてくれなかった。


「あなたがここの頭目らしいですね。さぞかし色々なことをご存じでしょうから、今からそれを詳しく聞かせていただくといたしましょう。時間がないので少し荒っぽいお茶の席になるとは思いますが、まあ、ご容赦ようしゃ願います」

「……口を割らせるのは任せて。色々方法を知っている」

「任せるよぅ。あたし怖いの嫌いだぁ……」

「あまりむごいことはやめてあげてくださいね」

「……そこそこ・・・・惨いことにする」


 クィルクィナが顔をしかめる側で、スィルスィナは弓をしまった。サフィネルのレイピアの刃がその腹でシャダの膝を裏から軽く叩くと、それだけで支えを折られたように脚をたたんだシャダが正座をする。


 そんなシャダの前髪を遠慮なくつかみ、上を向かせたスィルスィナが真正面からアメジスト色の瞳でその顔をのぞき込んだ。


「……どうせ洗いざらい吐くことになるんだから、早めにくっした方がいい。人間の体は苦痛に耐えられるようにできていない」


 うなずいていいのか首を横に振っていいのか迷ったから、シャダはあごを震わせるだけにした。小便がれないのが不思議なくらいだった。


「……歯医者っていう拷問ごうもん方法、知ってる?」


 顔の全部で脂汗をいたシャダは、今度はうなずいた。それは自分たちがよくやる拷問方法のひとつだったからだ。

 全身にいた汗が、急速に冷えていくのがわかった。凍えるくらいの寒さだった。


「……なるべく早くくっしてほしい。歯が半分抜けたら、なにをしゃべってるかわからなくなるから」

「や――やめろ!」


 スィルスィナが取り出したペンチの錆臭さびくささに、絶望の音色ねいろでシャダは叫んでいた。

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