「エヴァレーの舞台」

 通勤の人の流れでいっぱいのラミア列車に乗り、エヴァレーはリルルの屋敷がある高級住宅区画から二区画を東に向かった。平民層が住む住宅地をまたぎ、列車は貧民街ひんみんがいに入る――基本的に大通りしか通行しない列車の車窓から見る街並みは、まだくずれてはいない。そこそこ高層の住宅が並んでいる。


 が、エヴァレーは知っている。高層住宅の陰になっている景色は、まさに貧民窟スラムと化していることを。


 南北に走る系統の列車と接続する大通りの交差点、その停留所ていりゅうじょでエヴァレーは降りた。この近くに廃劇場はいげきじょう――革命指導部かくめいしどうぶがアジトにしている本拠ほんきょがあるのだ。


 それから十五分後、リルルとフィルフィナも同じ停留所で列車から降り立った。


「……フィル、私たち、これからどこに行こうとしてるの?」

「いってなかったですか?」

「全然」

「面白い所に連れていってあげますよ」


 かすかに笑うフィルフィナの表情に、リルルは舌の全部が苦くなるのを覚えた。こういう時のフィルフィナがいう『面白い場所』というのは、たいていが火薬と鉄のにおいが充満じゅうまんしているのだから。


「お嬢様ももっと社会勉強をしなければいけません。まあ、このフィルにお任せください」

「フィルと付き合っていたら、本当にどんどんかしこくなってしまうわ……」

「おめいただき恐縮です」


 北から走って来た南北系統のラミア列車が止まり、得意顔のフィルフィナが先頭に立って、車掌しゃしょうの巨大ラミアに乗り換え切符を渡し、それに続いたリルルも車両に乗り込む。目的とするべき場所はここからひとつ南の区画、亜人たちが主に住まう亜人街あじんがいにあるからだ。



   ◇   ◇   ◇



 歩くたびに、自分の中心の中で金属の柱がきしみ、そのまま折れてしまうのではないかという痛みが走るのに耐えながら、エヴァレーは、五百メルトの距離きょりをたっぷり十五分はかけて歩いた。足の裏が地面をむと鈍痛どんつうにうめき声がれ、額に脂汗がにじむ。


 それでも、目的の廃劇場の前にたどりつき、全部の気力を使ってエヴァレーは居住まいを正した。――大丈夫、胸から血もにじんではいない。

 正面の玄関と裏口は見張りが固めている。玄関から突破するのに、エヴァレーは奇策きさくもちいた。


「おはよう」


 顔見知りの見張りににこやかに挨拶あいさつし、エヴァレーは正面から堂々と中に入った。河川敷かせんじきでニコル共々狙撃そげきの対象になったという昨夜の事件が、この見張りの耳に届いていないことにけたのだ。


「よう、あんたか」


 見張りの男は特に顔色を変えることもなかった。


「シャダはいる?」

「奥にいるぜ。今大事な客が来てるんでな」

「……客?」


 首筋に氷を当てられたような嫌な予感に、エヴァレーは震えた。


「入ってもいいけど、邪魔はしないようにな。重要な商談・・らしい」

「そう……じゃあ、そうしようかしら」


 内心の動揺と傷の痛みを隠しながら、エヴァレーは廃劇場の中に入る、足元がわかるくらいに落とされた照明が薄暗うすぐらく照らす劇場内は、まさに廃墟の臭いしかしなかった。

 この頃合いタイミングでなんの客なのか、どんな密談をするというのか。


 密談に適している部屋は、支配人のひかえ室以外にないだろう。エヴァレーはえて楽屋の方に回った。控え室と壁一枚へだてて隣り合っているその部屋で壁の反響をさぐれば、話の内容もよく聞こえるのを知っていたからだ。


 扉が外れたせまい楽屋は無人だった。疲れて休むふりをよそおい、エヴァレーは壁にもたれかけ、耳を当てた。


『――この段階で、そんな話を信じることはできない』

「――――!」


 石膏せっこうの薄い壁を通して聞こえてきた第一声に、それが誰の声であるのかを瞬時に理解して、昨日止まった心臓が、また止まりそうになった。


『いいのか? そんな悠長ゆうちょうなことをいっていて』


 これはシャダの声にちがいない。しかし、それに相対あいたいしている声の主は――。


『じゃあ、第一撃はけられんな。計画の第一段階を発動させてもらう。おどしでないと知るがいいさ。多分、もう一度話合う気になるだろうから、その時の会合の場は教えさせてもらう……このアジトももう引き払うから、ここをおそっても無駄だぞ』

『待て! 王城に持ち帰って会議にかける。それまで猶予ゆうよを……!』

『待てるわけないだろ。お前たちの時間稼ぎに付き合えるかよ。会議は一発目の被害を知ってからやるんだな。――話し合いは終わりだ。おい、客人のお帰りを見送れ』


 隣の部屋の扉が開く音がした。エヴァレーはとっさに物陰に隠れ、廊下の方に視線を向けた。


「……お父様……!」


 半ば背中を押されながら歩いていく男――貧民街の中でその印象が浮かんでしまわないために、平民の姿に変装しているその人影にエヴァレーは口の中でさけんでしまっていた。現在副宰相ふくさいしょうの立場でもあるザージャス公爵――自分の父!


「言葉だけのおどしじゃ響かんな。まあいい、一発ぶん殴って、次の取引で要求額を引き上げるだけだ」

「いくらに引き上げるんです?」

「五百億エルってところだな」


 取り巻きの一人にシャダが応えるのが聞こえる――脅し? 取引? 要求額?

 いったいなんの話をしているのだ、いや、なんの話をしていたのだ。

 密談の相手は、今まさに革命を仕掛ける体制の側だというのに!


「革命を未然に防げるんだったらそれくらい安いもんだ。払いしぶったら、本物の革命祭をしてやるだけさ。混乱に乗じて略奪りゃくだつのし放題だ。赤字にはならんだろ」

「警察も警備騎士団も軍隊も、あちこちに上がる火の手の鎮圧ちんあつに忙しいことでしょうな」

「というわけだ、早速最初の暗殺祭あんさつまつりに取りかかるか――そこで息を殺しているお嬢さんを、どうにかしてからな」

「っ!?」


 楽屋の中に投げかけられた声に、エヴァレーの心臓がつぶれそうになった。潜んでいた物陰から立ち上がったエヴァレーを、部屋に雪崩なだれ込んできた数人の男たちが両側からその肩と腕をつかみ、無理矢理押さえつけてしゃがみ込ませる。


「放して! 放すのよ!」

「お前がのこのこ舞い戻ってきたのに、こちらが気づいていないとでも思ったのか、馬鹿にするなよ」


 男を両側に従えたシャダが楽屋の中に入ってくる。無理矢理にひざまずかされたエヴァレーに侮蔑ぶべつそのものの目を向けた。

 四人の男に両腕両肩をつかまれ、首しか動かせないエヴァレーが必死ににらみ返す。


「――今まで話していた相手はわたくしの父ね! 貴方あなたたち、いったいなんの話をしていたの!」

「聞き耳を立ててたんだろうが。なら、内容もだいたい想像がついてるだろ?」

「……貴方たち、革命をする気なんて最初から……!」

「ねえよ」


 ハッ、とシャダの鼻が鳴る。


「そんなものが成功するはずないだろ。こっちは向こうの軍隊を押さえる手立てなんてなにもやってないんだ。幸運に幸運が重なって王城を占拠せんきょできたところで、国王に脱出されればそこで終わり。――なんのために王都エルカリナに衛星都市があるのかも考えるんだな」


 シャダがエヴァレーの前でかがんだ。少女のあごに指がかかり、その顔に浮かんだくやしさの濃度を確かめるように、男の目が楽しげな光を帯びる。


「衛星都市は出城なんだよ。たとえ本丸が落ちても、首脳部さえ生き残っていればいくらでも逆襲ぎゃくしゅうできる。無傷の海軍と王都の外にある軍隊に攻められたらあらがいようもない。烏合うごうしゅう蹴散けちらされるだけさ」

「貴方たちがやりたかったのは、火事場泥棒かじばどろぼうというわけ!?」

「世界で最も富が集中する街を、火事場泥棒するんだ。胸がときめくだろ」


 低い忍び笑いがエヴァレーの耳を打った。


「……わたくしは、貴方たちが革命を、この国のふるい体制をこわすというから、協力してきたのに……!」

「お前みたいな頭でっかちのかしこいお馬鹿さんが多いから、俺たちの商売は苦労しないんだ。現実もなにも知らない、自分の世界しか見えていない理想主義者が、夢と希望をたくして大集合さ。あの扇動家せんどうかの正体を知ってるか? ――あいつの頭は完全におかしいんだぜ」


 海上で囚人しゅうじんとして護送ごそうされているのを助け、酒場で大演説を行っていた、あの黒髪の中肉中背の男の姿を頭の中で描いた。自分も旅行先であの演説に触れたから、この活動に参加することにしたのだ。その男が……。


「あいつがしゃべっているのは、全部俺の台本によるものなんだよ。あいつは台本がなければ、自己紹介もロクにできんのさ。まあ、腹話術ふくわじゅつの人形とくらいに思ってくれたらいい」

「…………!」


 少女の頭に衝撃という名の重しがかかり、その目が地面しか見つめられなくなった。あの男が腹話術の人形なら、自分はなんだ。自分の意思で動いていると思い込んでいるあやつり人形ではないか。


「――さて、お嬢さんをお絶望させて差し上げるのはこれくらいでいいか。見世物ショーはそれなりの場で行わないとな……よし、お前ら、舞台にそいつを引き出せ」



   ◇   ◇   ◇



 シャダの指示どおり、エヴァレーは肩と腕を四人がかりで固定されたまま、劇場の舞台の上に引きずり出された。その舞台の真ん中でさっきと同じように押さえつけられ、ひざをつけさせられる。

 これから行われることがわかっているのか、その舞台を見上げるようにして数人の男が立っていた。


「お前で遊んで景気づけにしたいところだが、時間がなくていそがしいんだ。楽しみは後に取っておくことにしよう。おい、アレ・・持って来い」

「わかりました」


 シャダの隣にひかえていた男がふらっと姿を消す。一分もたずに戻って来たその男の手には、一本の小さな注射器がにぎられていた。


「そ……それは……」


 シャダの手にそれが手渡される。透明とうめいの注射器の中に込められている濃紺色の毒々しい液体に、最悪の予感しか浮かんで来なかった。


「魔法のお注射さ。とてもとても気に入ってくれると思うぞ」


 予想から少しも外れていない答えが返ってきた。


「何日か前だったか、お金持ちの奥様にこれを射って差し上げた時は、傑作けっさくだったよ。気位きぐらいのメチャクチャ高い、人に頭も下げたことがないようなご婦人が、最後には自分から犬の真似をしておねだりをしてくれたからな」

「や……やめて……」


 空気を押し出すために注射器が押され、針の先端からわずかに中の液体がれる。それをたれたが最後、たましいの全部を確実に溶かしてくれるだろうその魔力に、死を望んでいたはずのエヴァレーは心底から恐怖した。この場で首をはねられる方が万倍は救いだと思えた。


「お前もこれを射ってもらえるならなんでもするようになるぞ。この注射のことしか頭になくなる。よかったな、世界が変わる・・・・・・ぞ」

「た……助けて……」


 エヴァレーを押さえつける力が、さらに込められた。もはや微動びどうだにできない圧迫あっぱく、そして迫る針の鋭い気配を、まだ当てられてもいないのに肌に覚える。

 背骨のしんからい上がってくる恐怖に少女は震えた。震えることしかできない無力感がすがりつかせた。


「助けて……ニコル……ニコル、お願い、助けて……」

「ニコルだ? お前が助けを呼べるような相手か。お前があのガキにどんな仕打ちをしたのかはみんな知ってるんだよ。馬鹿娘が」


 白い肌に浮かんだ青い血のすじをシャダの指がとんとん、と叩く。

 照準ねらいは定められた。


「今まで世話になったな、フローレシアお嬢さん。安心してくれ。身も心もこわれたら解放してやる」


 見たくない、と心は思っているのだが、少女の目は自分の腕にゆっくりと迫ってくる針の先端に釘付けになった。

 歯の根も合わない戦慄わななきの中、もう声にもならないいのりを、エヴァレーは口の中でとなえ続けた。


「ニコル……ニコル、助けて……!」

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