「亜人街の組事務所」

 スィルスィナが幼児のように泣き叫ぶシャダの髪の毛をつかんでずりずりと引きずっていく――行き先は楽屋裏がくやうら、『ちょっと見せられないことをするから』という理由らしい。


 快傑令嬢サフィネルはそれに少し首をかしげるだけだったが、双子の性格を知っているクィルクィナは、シチュー皿いっぱいの苦虫にがむしを一度に口に放り込まれたような顔をしていた。


「エヴァレー、気分はいかかですか」


 エヴァレーの側にひざをついたサフィネルが青いメガネを外す。その下から出て来た素顔にエヴァレーはおどろきもしなかった。案の定、公爵令嬢サフィーナの顔があった。


「……どうして、ここを突き止められたの」


 クィルクィナがほうきでゴミでもき集めるように倒れている男たちを一カ所に集め、どこから持ってきたのか太いくさりでそれらをまとめてぐるぐる巻きにし、錠前じょうまえで固定した。うめき声の山ができあがる。


「何故あなたからリルルたちが目を放したのか、おわかりですか?」

「……そうすればわたくしが抜け出して、どこか重要な所に向かうから?」

「私があなたを尾行びこうしていたのです。リルルたちと打ち合わせて」

「しかし、貴女あなたまでが快傑令嬢とはね……」

「うふふ。私、少し前から快傑令嬢の愛好家ファンでしたの。それで私も快傑令嬢になりたいっていったら」

「よく許可したものだわ。まあ、わたくしの偽快傑令嬢に比べたら百万倍もマシか……」


 奥の方から絹を引き裂くような男の悲鳴が空気を貫き、同時に鈍い音が鳴り響いた。

 いきなり聞こえて来た声に全員の肩がそれぞれに跳ねる。クィルクィナが自分のあごをつかむようにして震えていた。そんなクィルクィナにエヴァレーの視線が向けられる。


「……貴女、逃げ出して双子と合流していたのね」

「な、なな、なにか文句ある?」


 一時は双子の妹を人質に取られて使役しえきされていたエルフの少女が、サフィーナの背中に隠れながら牙をく。エヴァレーは苦笑するだけだった。


「ないわよ。貴女に興味はないの。勝手にしなさいな」

「いわれなくたってそうするわよぅ」


 またも奥から甲高い悲鳴がひとつとどろく。それきりその方向からの異音は途絶え、ほどなくしてスィルスィナが戻って来た。


「……待たせた。色々聞き出してきた。結構素直にしゃべってくれた」

「そう、それはよかったです」


 尋問じんもんの内容を箇条書かじょうがききにしたものなのか、スィルスィナが紙片をサフィーナに手渡す。そのスィルスィナの手にめられた白い手袋がうっすらと血に汚れているのに、クィルクィナが露骨ろこつに嫌な顔をした。


 短く数行にまとめられた内容に目を通し、サフィーナがふう、と小さな息をいた。


「――これは、早くリロットの援護えんごに回った方が良さそうですね」


 サフィーナが立ち上がる。再び青いメガネをその目にかけた。


「クィル、あなたはエヴァレーの側について、彼女を見ていてあげてください」

「えええ……嫌だぁ……」

「命令です。いいですね?」

「ううう……」


 エルフの里の王女たる自分が、何故人間などの命令を聞かねばならないのか――その反発心は体いっぱいにあったが、サフィーナの背後に見える姉の気配に屈服くっぷくするしかない。

 まゆ一つ動かさずに大の男を拷問ごうもんできる双子の妹もこわかったが、姉はその一万倍は怖かった。


「……わたくしなんてどうでもいいのよ。それより貴女たちのしなければならないことをなさいなさい。それが……」

「エヴァレー」


 サフィーナが微笑みかける。エメラルドグリーンの瞳が、柔和にゅうわな光を浮かべていた。


「快傑令嬢の使命は、この王都を守ること。この王都とは、この王都に住む人々のこと。そしてその中にはエヴァレー、あなたも含まれているのですよ」


 サフィーナの手がエヴァレーに差し出される。その真っ白な手袋に包まれた手をエヴァレーは見つめた。

 その先にある、ダメを押すようなサフィーナの再度の微笑ほほえみが、エヴァレーにとってはトドメになった。


「……本当に、お節介せっかいな連中ね、貴女といい、もう片割れといい……」

「ふふ」


 白い手袋をにぎって、エヴァレーは立ち上がった。



   ◇   ◇   ◇



 王都の南東部に位置する亜人街あじんがいは、その貧民窟スラムを想像させる印象を裏切り、一見は整備された高層の住宅が集まっていた。

 いや、高層の住宅を建築しないと、あふれるほどに集まった膨大ぼうだいな数の亜人たちを収容しゅうようできないという事情もあった。


 王都に住む者としては数えらカウントされないが、さりとて王都における産業を稼働かどうさせるにおいては、もう必要不可欠となった亜人たち。それは欠けてしまうと、一つの機械の動作を止めてしまうほどに重要な歯車となっている。


 表向きは王都に住むことを許されないが、官憲かんけんがその姿を目撃してもなんら手を下さないという、完全に灰色の領域の存在。

 そんな彼等を象徴するかのように、彩りのない街並みもどこか乾いた空気をただよわせていた。


「懐かしいな、二年ぶりだぜ――全然変わってないな、この街は」


 黒っぽい灰色のフードを頭からかぶり、周囲の亜人たちと同じ格好をした三人組――バズ、マハ、デルモンたちはわざわざ王都の城壁の外周を一回りし、直接東の城門から侵入していた。指名手配が回ってきていないとも限らない。なにより自分たちの存在を知っている者がこの王都にいるのだ。


「日程としてはギリギリだったわね」

「あのまま順調な船旅でしたら、今日の朝が明ける前には港につけていれたんですけれどねぇ」


 マハとデルモンがぼやく。曳船タグボートを下りてから駅で馬を強奪ごうだつし、最低限の仮眠だけを取るだけで、馬を盗み継いで街道をけに駆けてきたのだ。

 取りあえずは落ち着ける場所が欲しい。どうせすぐに落ち着けないことになるのだが――。


「で、その相手は信用できるわけ?」

「二年前にこの王都で一緒に仕事をした時、たっぷりおんをかけてやった。大丈夫だろう」


 記憶を頼りに高層住宅が並ぶ界隈かいわいの細い道に入っていく。背の高い建物がほんの細い通りだけを挟んで建ち並んでいるので、日当たりは最悪だ。東のきわになると、これに城壁の高さが加わって、湿気しっけで居住性は最悪のものとなる――これは東に面している貧民街ひんみんがいも同種の苦労であったが。


「ここだ」

「……ここで合ってるの?」


 表から見ればなんの装飾そうしょくもない、まるで殺風景さっぷうけい高層建築物ビルディングを前にして、バズは足を止めた。十階建てのほとんど直方体そのものの建物に、正方形の窓をはめ込んだだけの、人が入れればなんの文句もないだろうといいたげな建物だ。


「周りの建物、みんな同じよ。はっきりいって区別がつかないわ」


 フードの奥の顔を不安に染めたマハが周囲を見渡す。さすがに同じ色の同じ形をした建物に囲まれれば、迷い込んだような気持ちになるのかも知れなかった。


 だが、そんな外観にも意味はある。建物の色を消すことで個性も消し、この中にいる住人の個性も消してしまう。外から特定されることを望まない――この界隈の人間たちは、おおよそ皆がそういうたぐいの人間だ。


「同じように見えて、わかる奴には区別がつくようになってるのさ。目立たないように看板が出てるだろう」

「……看板?」


 看板とは入口の脇に張り付けられた、建物と同じ色の文字が書かれた建物と同じ色のこの小さな板のことをいうのだろうか。マハもいわれるまでその存在に気が付かなかった。


「バズ」


 建物の扉を開ける前に、二メルトと少しはあるはずのその入口を腰をかがめて出て来た一人の人物がいた。人物――獣人だ。黄金の毛並みを見せる猫、いや、トラの頭部を持つその偉丈夫いじょうふは、身長に比例してたくましい体躯たいく窮屈きゅうくつそうに、特注の背広の中に収めている。


 獰猛どうもうな色を帯びた赤い瞳、閉じた口からものぞく鋭いきば、まっすぐにびた針金のような固いヒゲ。大の大人でも正面に立ちふさがられれば、無言で後退あとずさりするほどの、威圧感いあつかんかたまり――。


 が、その迫力ある巨躯きょくを、何故か一回り小さく見えせような陰のようなものがまとわりついていた。マハはその違和感に、思わず口を複雑な形にゆがめてしまう。


「よう、組長ボス、わざわざのお出迎でむかえ恐縮だ」

「……今日は組員が全員忙しくてな。事務所を出払っているんだ」


 公的機関が決して認めない、この亜人街の非公式な統率者である虎獣人――ティーグレが野太い声をか細い調子で出した。建物の看板には『ティーグレ観光案内株式会社』とかかげられているが、観光として案内されるのは表の世界ではなく、裏の世界である。


「なんだなんだ、去年組長になったっていうのに、雰囲気ふんいきが全然出てないな。苦労してるのか? 若頭わかがしら時代とはまた別の心配があるっていうのか?」

「……まあ、そんなところだ。取りあえず事務所に入ってくれ。会わせたい人もいる」

「会わせたい人?」


 ティーグレはそれにはすぐに答えず、三人が入ったのを見届け、出入口の扉を閉めた。


「別組織と抗争こうそうでもやってるのか?」

「いや、俺が組の頭になってからは平和なもんだ……その会わせたい人の協力があってな」


 昇降機エレベーターがない建物、靴音くつおとを響かせて四人は階段を上がって行く。なるほど、人気は全くなかった。この建物がまるまる組のものであるのにも関わらず、人っ子一人出くわしはしない。


「その人っていうのは、顔役かなんかなのかよ」

「まあそんなもんだ。――会えばわかる・・・・・・

「ふぅん」


 階段を上りきった十階は全体が組長の住居兼事務室だった。抗争相手に襲撃された時、ここが最後のとりでとなるように扉も厚い鉄板のものを使っている。筋肉のかたまりのようなティーグレが、少し力を入れないと容易に動かないほどの重みがそれにはあった。


あねさん、客人をお連れしました」

「ご苦労様です」


 通された部屋の中央には、十何人が楽に座れるほどの大きなローテーブルにソファーといった、応接のための設備がある。観葉植物の一つもない殺風景な部屋は、何故かしきりになっている板が何枚も置かれていたが、飛び道具を防ぐための盾にもなるのだろうか。


 その部屋の壁際に、これまた巨大な机が鎮座していた。八人ほどでかからねば持ち上げることができないほどの大きさ、よくこんな階までそれを運べたと思えるほどのものだ。


 机の奥で、立っている人間の姿を隠すほどに背の高い椅子いすが背中を見せている。女性の声はそこから聞こえて来たが、その姿は椅子の背もたれに隠れ、全く見えなかった。若い女性の声に聞こえる――少女の声といってもいいかも知れない。


「女だ?」


 バズとマハはあきれ声を出した。亜人の暴力団ぼうりょくだんに出入りするものなのだから、亜人なのだろう。人間の常識は通用しない。しかし、彼以上の強面こわもてがいるとは思えないティーグレの、その上に君臨くんりんする人物の声であるとはとても思えなかった。


「長旅お疲れ様でしたね、客人たち」

「……あんた誰だ?」

「バズ!」


 ティーグレの声が飛ぶ。


「姐さんに失礼だろう。本来お前が気軽に声をかけられる方じゃないんだ、つつしめ」

「ティーグレよぉ、名乗りもしない相手を信用しろっていっても無理だぜ。名乗りもしねえ顔も見せねえ、仁義じんぎが通らないって奴じゃないのか?」

「バズ、別にいいじゃない。こっちは早く旅の汗とホコリを洗い落としたいわ。半日くらい仮眠もできるんでしょう」

「面倒くさいですねぇ。挨拶あいさつだけして退散すればいいじゃないですか」

「よかねえよ!」


 仲間二人の不満声をバズが退しりぞけた。


「こっちは一度足をみ外したら、二度とやり直しがかねえ稼業かぎょうをやってんだ。どうせその姐さんとやらもそれに一枚んでるんだろう。こっちの素性もなにも一方的に知られただけで、はいそれで結構ですっていうわけにはいかないんだよ」

「……仕方ないですね。あなたたちをおどろかせると思って、顔も名前もせておくつもりだったんですが……やれやれ」


 ティーグレが片目をゆがめて手を当てた。これから始まる一悶着ひともんちゃくを完全に嫌がってる顔だった。


「まあ、名乗る必要はないと思います。顔を見ていただければ、誰かはわかりますからね――」


 微かにきしんだ音を立てて、椅子がくるりと半回転する。

 その瞬間、バズとマハの文字通りの悲鳴が、事務室内いっぱいに響き渡った。


「げええぇぇぇぇ――――ッッ!?」


 豪華ごうかな革張り椅子を回転させてあらわになった、椅子に抱かれるようになった格好のその姿には、見覚えがあった――いや、忘れるはずのない姿、顔、形だったからだ。


「どうも、昨日ぶりですね。ようこそ王都においでなさいました。お疲れのところ大変申し訳ありませんが、これからあなたたちをじっくりと歓待・・させていただきますよ」


 軽く頬杖ほおづえを突いたフィルフィナが、心底楽しそうな微笑みを浮かべながら――高らかに宣言した。

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