「園遊会・その四」

「……貴方あなた、自分がなにをいっているのかわかってるの?」

フローレシアご令嬢、ご存じではないのですか? 自分の事情を」

「貴方の事情なんて知るわけが……」

「自分はあのゴーダム公のご息女そくじょ、サフィーナ嬢の求婚を辞退じたいした男です」

「……今、なんといったの?」


 聞こえていないわけはなかったが、理解できる話ではなかった。エヴァレーを取り巻いている少女たちの顔が蒼白そうはくになっている。太陽が西からのぼるのを見たと語られているに等しいことだったからだ。


「これは決して、サフィーナ嬢を侮辱ぶじょくするものではありません。サフィーナ嬢は自分が尊敬申し上げる。素晴らしいフローレシアです。心からおしたいしております。ですが、自分の事情により、お断りさせていただきました」

「……貴方、気は確かなの? それとも口から出任せをいっているの?」

「全て事実ですわ」


 背後からの声に、エヴァレーの目がり上がった。背後を振り向くと、その到底とうてい信じられない話を証明する最適な証人が、満面の笑顔でそこにいたからだ。


「サフィーナ様!」

「ニコル、お久しぶりです。今すぐ手の甲にキスをしていただきたいところですが、ここが最高に面白いところですから少しひかえていてもらえるかしら。ごめんなさいね」


 ニコルにとってはある意味、この瞬間では一番会いたくない少女を目の前にして、その顔が一瞬で真っ赤になる。そんな少年の愛らしい表情に少女サフィーナの、微笑みは決壊けっかいしそうだった。


わたくし、ニコルと結婚したかったですわ。父は将来の公爵位と領地の継承けいしょうを約束してニコルにそれを伝えたのですが、ニコルったらそれをすぐさまバッサリ。こちらのリルル嬢への愛をつらぬくのだといってもう、父も私も笑うしかなかったのですもの」

「っ!」


 サフィーナのかげからずかしそうに顔を出してきた少女の姿に、リルル、と叫びそうになるところをニコルは寸前で止めることに成功した。二番目に会いたくない少女だった。


「私という妻付きの、未来の公爵の地位をった殿方とのがたに、騎士団に入れてやる、ですか? あまりに安い取引ですこと。そんなことでは、このいとしいニコルの気もけませんわ」

「あ……貴方……本当にどうかしているんじゃないの……」

「ニコル、そろそろご説明はよろしいでしょう」

「は、はい」


 顔の全部を戦慄わななかせている一行の前を一礼して横切り、ニコルはサフィーナの前で自然にひざまずいた。優雅ゆうがな仕草で差し出した少女の手を両手で包むように取り、ニコルはその薄い絹の手袋に、静かにくちびるを押し当てた。


「さ、リルル嬢、貴女の番ですよ」

「は、はい」


 自分は前座だといわんばかりにサフィーナは退しりぞき、リルルに場をゆずる。ニコルは膝をついたままリルルの手が差し伸べられるのを顔をせて待っていた。


「……ニコル、今の話、本当なの……?」

「話す必要がないと思ったから、だまっていたのです。いけなかったでしょうか?」

「……ううん、そんなことはないけれど……」

「フローレシア、お手を」


 サフィーナの手にしたのよりもほんの一拍長い時間、ニコルは唇をその手の甲に押し当てた。リルルの足が下がり、ニコルも呼吸を合わせて立ち上がり一礼をする。


「サフィーナ様、いつの間にリルル様と……」

わたくしたち、とってもよいお友達になりましたの。ニコル、私もしばらく王都に住みますわ。お二人の愛の邪魔はいたしませんから、頻繁ひんぱんに顔を見せていただきたいです。それともリルル、私はお邪魔?」

「じゃ……邪魔だなんて。私も、その、お友達が少ないものですから……サフィーナ様と親しくさせていただけるのは、もう、望外ぼうがいの喜びで……」

「よかった! それでは行きましょう。リルル様を父や母に紹介したいですから!」

「は、はい」


 声を弾ませ、リルルとニコルを横に並べるようにして進ませてサフィーナは歩き出す。その和気わきあいあいとする様を、顔を強ばらせているエヴァレーは憎しみににごった目で見送った。

 胸の中を、黒く重たいものが渦巻いていた。


「――私の顔をつぶしてくれるとか、いい度胸をしているじゃないの。さすがは評判になるだけのことはあるのよね」


 竜がのどの奥かららすような炎、その見えない気炎きえんが、怒りに震えを止められない口からき出された。


「その胸の徽章きしょうを、自分の手でむしらせてあげるわ。覚悟しておくのね……」



   ◇   ◇   ◇



 広大な薔薇バラ園に、数十の奏者そうしゃが抱える金管楽器きんかんがっきの、荘重そうちょうなファンファーレが高らかに鳴り響いた。

 国王の登壇とうだんを知らせる楽団の演奏に、それまでそこかしこで盛り上がっていた会話の全てが一斉に断ち切られる。全員の視線が一方向に向けられ、全ての口が閉じられた。


 優美な白亜はくあの肌を輝かせる王城、その王城が土台とする丘にきざまれた、二百段を超える長い階段の脇には兵士たちがびっしりと詰められてひかえ、この王都で最も高貴な人物がゆっくりと下ってくるのを見守っていた。

 白い将官用の制服に金モールが入った厚く紅いマントを羽織はおり、左右の兵士の敬礼を受けるその男性。


 ヴィザード・ヴェル・ザラード――『ヴィザード一世』としょうされる、エルカリナ王国の現国王だ。

 三十歳を少し過ぎたくらいの、重厚な威厳いげんと生気にあふれた偉丈夫いじょうふ

 身長百八十セッチメルトを超えるめぐまれた体格が、地位に頼らない自身の強さを主張している。


 国王が国内の、城外における公式の場に出席するのは実に数ヶ月ぶりだった。外遊中に巻き起こった事件とその収拾による混乱のため、貴族主体のもよおしにおいても、顔を見せることが控えられていたのだ。


 二千人を超える群衆が打ち鳴らす拍手の音にむかえられながら、国王は正門前にしつらえられただんに上り、全ての衆目しゅうもくを一身に受ける注目の人となった。


 万雷のように鳴り響いていた拍手は、国王の手が軽く上がると、機を同じくして全てやんだ。


「――ありがとう」


 髭に飾られた口元が笑みを作る。威厳の中にどこか人懐ひとなつっこいにおいがあり、見る者の心を自然にかすめ取ってしまうような力があった。


「まずは、忙しきところを集まってくれたみなに対し、は心から礼をべる。数々の異変のために延期を重ねた恒例こうれいの園遊会、それがこの日、無事開催かいさいを迎えられたことをとても嬉しく思う。巡り合わせの悪さとはいえ、王都の危機に居合いあわせることのできなかった自らの不明を余はじる――皆々みなみなの苦労、心痛を思うと、心が張り裂けんばかりのせつなさにおそわれる。――すまなかった」


 拡声魔法の働きのため、国王の声は薔薇園の全体に響き渡った。朗々ろうろうかなでられるようなその語り口に、演説の調べだけでうっとりと心をうばわれる者も少なくなかった。


「王城、王都の損傷も修復され、後は民草たみくさの心が一日も早くえることをいのり、そのために努力を惜しまぬつもりである。今回、成人を迎えた若き俊英しゅんえいうるわしき令嬢たち。貴族はその精神からたっとうき者であり、民草たみくさうやまいを受ける存在でなければならない」


 リルルはまた――周囲の人間とは別の想いを抱きながら、それを聞いていた。

 もしもあの『竜の事件』が勃発ぼっぱつした時に、この国王が城にいたならば、傷つかなくてもいい人間、死ななくてもいい人間が大勢いたのではないか。


 その象徴でもある一人の男性のことをリルルは思う。

 その名を忘れたことはただの一日とて、ない。


 演説はそれほど長くもなかった。手元に原稿げんこうを置いていないのか、その目は一瞬たりとも下を向かない。相手に心を乗せた言葉を届けようという意思がそこにあった。だから、受け手もそれを受け取ろうという気にさせられるのか――。


「――では、たっとうき道に進む若者たちに、謁見えっけんの機会を与えたいと思う。我が言葉を受けたいと望む者は、壇の前に!」


 十六歳の誕生日を迎え、この園遊会が社交界への初登場デビューとなる貴族の子弟が百人ほどの列を作った。一人ずつ壇上に上がり、短い挨拶あいさつを述べ、国王のこれも短い――しかし、一人一人にちがった言葉を受ける。


 一人につき三十秒あるかないかという、あわただしいやり取りだ。それでもこの人数であれば一時間では納まらないだろう。

 おおっぴらな移動こそなかったが、両隣と声を落として語り合うひそひそ声の集まりが雑音ざつおんのような層を横たえる中、リルルは列の真ん中に並んでいた。さすがに謁見を受けるのを待つ子女たちは口を真一文字に結んでいる。目の前のサフィーナとも一言の会話を交わすこともない。


 約三十分をようし、サフィーナが壇上に登ってカーテシーを披露ひろうしながら名乗りと簡潔かんけつ挨拶あいさつを述べる。王はその名に思うところがあったのか、少しばかり長い会話のやり取りがあった。


 サフィーナが左に歩を進めて壇を下り、入れ替わるようにリルルが登壇する。

 国王直々に拝謁はいえつし、言葉を受けるという貴重きちょうな機会にね回る心臓を押さえるのに苦労しながら、せめて名乗りだけはトチるまいと息を殺しながらリルルは、片足を引いた。


「初めてお目もじかなう光栄によくします。わたくし、リルル・ヴィン・フォーチュネットと申します。国王陛下におきましては、ご機嫌うるわしゅう――」

「そなたに会いたかったよ、リルル」


 カーテシーを披露したまま、リルルはその声に固まった。顔を上げることすらできない。わずかに目が上を向いただけだった。


「ベクトラル伯のこと、聞いている。――悲しい想いをさせたな、リルル」


 緊張に強ばったリルルのアイスブルーの瞳に、国王のにこやかな笑いが映っている。

 その口から出た名前、言葉――その全てを理解するのに、リルルには一分の時間でも足りなかった。

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