「園遊会・その三」

 そこに立ちはだかっていたのは、純金の金塊が放つような深く輝く濃い金色の髪を、腰の高さまでまで波打たせる少女だった。

 髪飾りで押さえられた髪が広く見せている額、その光る白さが、理知的な印象をうかがわせる。

 煮詰につめた琥珀こはくを思わせる色の瞳が、少しだけ切れ長の目の中で大きく座っていた。


「一年と少しぶりね、リルル。卒業以来だわ」

「……エヴァレー」


 同年代の子女を六人、まるで親衛隊よろしくかたわらに従え、スミレ色の正装衣フォーマルドレスに身を包み、その若さにも関わらず、女王然とした雰囲気ふんいきただよわせている少女。

 勝ち気しか見えない眼差まなざしが挑戦的な色をたたえ、その正面にリルルをとらえていた。


「エヴァレー様、でしょうが。おさかな令嬢ごときが、公爵令嬢様に何様のつもりなの?」

「さっさとその高いを下げなさいな、領地なしの爵位だけの貴族風情が」


 とらきつねもなんとやら、親の爵位ではリルルにおとる貴族の令嬢たちからも、礼をしっした声が飛んだ。


 全員がこの園遊会で初登場デビューを飾るのか、取り巻きの全員が正装衣に身をかざっている。それぞれに従者がつくのがしきたりのはずだが、この連中の前には、そんなものも関係がないようだった。


 そんな針のような言葉の数々を、そよ風でも受けるかのようにリルルは流した。

 実際、かすり傷ほどのきざみも残しはしなかった。


「リルル、貴女あなた、ちょっと人が変わったみたいね。学校ではわたくしの顔を見ると、いつもおどおどしていたくせに」

「そう?」


 確かに目の前の少女、エルカリナ王国に属する貴族の中でも、名門中の名門であるザージャス公爵家、その一人娘のいうとおりではあった。

 私立中等学校パブリック・スクールに通っている間、このエヴァレーとその取り巻きにいじめられくした記憶が、リルルの中でよみがえる。


 学校の中ではフィルフィナの庇護ひごを受けることもできず、校内でエヴァレーの気配を感じた時は、猫の臭いをかぎ取ったネズミの如く学校内を逃げ回ったものだ。公爵家の威光いこうには教師も学校側もまるで無力で、誰一人頼りになる者はいなかった。


 あまりに度が過ぎているものに対してはフィルフィナが校外で介入してくれたが、いじめ勢力の親玉であるエヴァレーには手は届かなかった。肩で風を切って校内を闊歩かっぽするこの連中に、自分のような力のない子女たちがどれだけの辛酸しんさんめさせられたか。


 そのウェーブのかかった髪の香りが漂ってくるだけで血圧がね上がったかつての感覚は、不思議と今はない。卒業から今にいたるまでの何が自分をそう変えたか――問うまでもないことではあった。


「そして、そこにいらっしゃるのは、王都の学校にもかよったことのない田舎公爵の令嬢様かしら?」

「お初にお目にかかりますわ、ザージャス公爵令嬢様」


 サフィーナがひざを折り、わずかに頭を下げて見せた。それが限度だとその目が語っていた。


「貴女のことはおうわさでかねがね……王都の中等学校に行きたいと父に申し出ましたら、とんでもない高慢こうまんちきな女がいるからと却下きゃっかされましたの」


 お前のことだ、とサフィーナの上目遣うわめづかいの目がいっていた。


「正解でしたわ。あなたのような方にからまれると私、死んでしまいたくなるほどに気弱なたちですから」

「――ふん、家に少し力があるからといって……」

「それは、お互い様のお話でありますよね?」


 名門公爵家、それぞれの一人娘同士の視線が正面から激突する。その少しも笑っていない目から発せられる見えないものが摩擦まさつを起こし、火花さえ散らしそうな空気があった。


「……おさかな令嬢と田舎令嬢、えらく仲がいいようね。どういう経緯いきさつでそういう取り合わせになったのか……」

「ええ、私たち親友ですの。ですから、リルルがこまっていると、私が思わず助けてあげたくなる、そういうことですわ」

「――後で覚えておくのね、リルル。一年間逃げ回れていたようだけれど、また可愛がってあげるから」


 退け、といわんばかりにエヴァレーはリルルとサフィーナに体をぶつけるようにして前進した。それにぶつかってやる義理もなく、リルルたちは道を空ける。すれ違う際に取り巻きたちの憎々しい目を受けた。


「リルル、あの方とは因縁いんねんがありそうですね」

「因縁、というか……」


 人の波を割るようにただまっすぐ進んで行く一団に、リルルは言葉をくもらせた。社交界に出たらあの相手をしないといけないのか、と思うと、心から憂鬱ゆううつな気分にさせられる。


 重いため息をいたリルルを、サフィーナが好奇心しか見えない目で見つめていた――その奥が、輝いている。


「……私の顔が?」

「いえ、あなたのお顔、目を見ていて、思ったものですから」


 小首を傾げたリルルに、それはそれは面白そうに公爵令嬢はいってみせた。


「『私は切り札を持っているぞ』という目をされていましたわ」


 リルルの胸がひとつ、裏側から不規則にねた。


「……不思議な御方おかた。普通の女の子のようにしか見えないのに、普通の女の子には思えない……。いえ、私ってこんなことばかりいってるから、不思議ちゃんあつかいされてしまうのですね」


 ごめんなさい、といいながらサフィーナは笑う。悪意のかけらも見えないその笑みに、リルルもつられて微笑んだ。微笑むしかなかった。


「リルル、あの方をつぶす時は、一言おっしゃってね。私も是非とも協力しますから」

「あ……は、はは……。そんなことはない方がいいと、思っていますけれど……。あれ? フィルは?」


 さっきまでいたはずのフィルフィナがいないことにようやく気づいてリルルは周囲を見渡す。そういえば、エヴァレーもフィルフィナの存在に気づいていなかった――。


「ここです」

「うわぁ」


 リルル自身の影から浮かび上がったように、フィルフィナが背後に現れる。


「フィル、あなた、面白い技をお持ちなのですね?」

「――親友であるサフィーナには、お教えしておきましょう、わたしの秘密を」

「秘密?」


 フィルフィナはかしこまりながら髪を――耳元・・に手をかけてそれをき上げた。ふわふわとした髪の中に隠れていたもの・・が、ほんの少しだけその先端を見せる。

 サフィーナの瞳が一度、大きくふくららんだ。


「ご気分を害しませんでしたか?」

「……いいえ、別に私、あなたの種族に偏見へんけんは持っていませんわ。フィル、よろしくお願いしますね!」

「こちらこそ」


 両手をつないで握手あくしゅする二人の姿に、このサフィーナという少女の心に、リルルは晴れやかな空の青さを見たような気がした。


「あ……ニコルは?」


 リルルがその存在を思い出した時、ニコルはちょっとした危機の中にいた。



   ◇   ◇   ◇



貴方あなた、お待ちなさいな」


 リルルたちを連れてくる――その名目で一時ゴーダム公爵たちと別れたニコルは、すれ違った貴族の子女とおぼしき一団に声をかけられていた。


 会釈えしゃくはし、礼は失してはいないはずだったが、と思いながらも立ち止まる。


「自分でしょうか?」

「ニコル・アーダディスよね?」


 これで自分の名前を向こうから呼ばれたのは何回目だろう。百回を超えていそうだった、


「左様です。失礼ですが……」

「エヴァレー・ヴィン・ザージャスよ。一度で覚えなさいね」


 六人の令嬢を、まるで従者のように従えた豪奢な金色こんじきの髪を輝かせる少女――エヴァレーが、尊大そんだいそのものの態度たいどで名乗った。


「公爵令嬢様の前で平民の騎士ごときが礼も示さないとか、わきまえなさい。今すぐひざまずくのよ」


 まるで訓練を受けているかのようにクサビ型の隊列をくずさない少女たちが一斉いっせい非難ひなんの声を上げる。その甲高い声をぶつけられたニコルは、おくさぬ顔でいっていた。


「できません」

「はぁ?」

「自分がひざまずく相手は限られています。公爵令嬢とおっしゃいますが、自分の直接の主君でもありません。ましてや王族の方々でもない。自分にその義務はないものと考えます」

「はぁぁぁ?」


 動揺どうようもなく淡々たんたんと持論を展開する少年騎士の姿に、取り巻きたちがいきり立つ。が、エヴァレーが小さく上げた手がその全てをしずめた。


過度かどの礼を強要するのが、公爵令嬢たる方のなさり方なのでしょうか?」

「はっきりとものをいうのね。度胸どきょうは認めるわ。『竜』を倒したのは伊達だてではないということなのね」


 またその話か、とニコルは瞳を陰らせる。リロットやフィルフィナの手柄てがらまでも自分のものになってしまっているのだ。

 その誤解をくわけにもいかないというのが、もどかしいところだった。


「失礼いたします、これからフォーチュネット令嬢の元に向かわねばなりませんので」

「リルルに仕えているの、貴方。つまんない主君を持っているのね」


 ニコルの眉間みけんに谷がきざまれた。


「その徽章きしょうはなに? ゴーダム公爵の身内? ただの平民でしょ?」

「ゴーダム公爵家の方々からは、家族同然の身として迎えられています。大変名誉なことだと思っています」

「その可愛らしい顔でたらし込んだの?」

「なにをおっしゃっているのか、わかりませんが」

「男をくるわせるのは、別に女に限った話ではないということじゃない、私はよくわからないけれど」


 今度は少年の眉が危険な角度に変わる。それを理解しないのが少女たちの幸運だった。


「申し訳ありません、自分にはよくわからないことです。失礼させていただいてよろしいですか」

「もう一つの徽章は、フォーチュネットの騎士団所属を示すものよね――あんな領地のひとつも持っていない家に、軍勢も何もあったものではないでしょ。それってオモチャなわけ?」

「確かにフォーチュネットの騎士団は自分一人だけの騎士団です。自分がその騎士団長ということになっています」

「よくもまあ、そんなおままごとみたいな恥ずかしい真似ができるわね」


 ふん、とエヴァレーは鼻を鳴らし――次に、とんでもないことをいい始めた。


「貴方、ザージャスの騎士団にいらっしゃいなさいな。ずいぶん評判みたいだから、うちでってあげるわ」

「え…………!」


 取り巻きたちの声がざわめいた。


 ザージャス騎士団の入団といえば、騎士階級の人間にとって自慢じまんするに十分な名誉めいよちがいなかった。貴族家の三男四男が強く望み、ようやくつかめるかつかめないか――それを平民でしかない少年が得られるとか、聞く人間が聞けば、嫉妬しっと激怒げきどしかねない話なのだ。


「――おさそいの、まことにありがとうございます」


 ニコルの顔が笑顔に変わり、それを見たエヴァレーも微笑んだ。

 少年の笑みの意味を、完全に読み違えた笑みだった。

 その考え違いの間隙かんげきに鋭い一撃を加えるように、ニコルははがねしんつらぬかれた声で、いっていた。


「ですが、つつしんでとお断りいたします」

「はぁぁぁ?」


 エヴァレーの声が、きしんだ。

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