「園遊会・その五」

「陛下、どうして、わたくしめのような者のことを……」

「ベクトラル伯、コナスは我が母の妹の息子、つまり我が従兄弟いとこである。そしてその従兄弟の婚約こんやく者が、そなたであることを知らされた」


 ベクトラル伯――コナス・ヴィン・ベクトラル伯爵。

 本当に、本当に短い間、リルルの婚約者であった男性。決して見目麗みめうるわしい容貌ようぼうではなかったが、彼と同じほどに心が美しかった人間を、リルルは数えるほどしか知らない。


「コ……コナス様……」


 その名を聞いた瞬間、リルルの胸が焼けた。熱くなった感情が心の中をいた。

 リルルの心の歯車が、逆回転する。わずかに退色たいしょくしつつある記憶が、色彩しきさいをよみがえらせて再生される。

 この腕の中にあった彼の、血まみれの最期の顔――満面の笑みが、鮮明なほどに脳裏に浮かび上がった。


なぐさめの言葉をかけねばならんと思っているうちに、機会はびに延び、今日こんにちになってしまった。すまなかったな、リルル。――礼をくずしてかまわぬよ」


 会場に詰めかけている貴族のほとんどが、息をするのも忘れて唖然あぜんとしていた。国王が春の園遊会において、その年に成人をむかえたばかりの貴族の子女に、小さな謁見えっけんの機会を個々にもうけ、短い祝いの言葉を送るのは恒例こうれいのことではある。

 が、ヴィザード一世の治政ちせいになって数年目、国王がこの場でこれほど多弁たべんな機会はなかった。


「余が不在だったばかりに、お前の運命を翻弄ほんろうさせてしまった。国の機密きみつに関わることゆえ、ことの詳細しょうさいを伝えることはできない……ゆるせ。ただ、コナスは本来、国葬ゆるで送られるべき人物であった。勇敢ゆうかん最期さいごであったと聞いている…………」

「は……はい……」


 そう、リルルはなにも知らないことになっている。

『異変』が起こっている間、屋敷の中で深窓しんそうの令嬢をやっていたことになっている。

 自分はなにを知っていて、なにを知らないことになっているのか――素早く頭の中で整理し、リルルは、選びに選んだ言葉を口に乗せていた。


「……本当に、本当に短い間でございましたが……コナス様にはとても親しく、とても優しく接していただきました……。あの方から、色々なことを学ばせていただきました……。いただいた様々な言葉が、今、わたくしの胸の中に生きています……」


 戦うのをやめないでくれ、と言葉をのこし、この腕と胸の中で息絶いきたえたコナスの、満足しきった死に顔を思い起こす。

 ――ひつぎの中に入れられ、顔が見える窓が閉じられる瞬間がひらめくようにまたたいた。


「先日、コナスの墓に参った。リルル、お前も葬儀そうぎには参列してくれたとも聞いた。我が従兄弟に代わって、礼をいう。ありがとう」

「へ、陛下……!」


 国王の頭が下がった・・・・。その姿が目に入った瞬間に、すでうるんでいたリルルの涙腺るいせんが、ついに、決壊けっかいした。


「あ……ありがとうございます……!」


 大粒の涙が玉となってほおこぼれた、と思った時には、もうそれは滝の流れとなっていた。

 この一ヶ月、封印ふういんしていたはずの想いと共にそれは熱く流れ、きぬ感情をあふれさせる――。


「私も、あの方の婚約者であった者として、陛下のお言葉を頂戴ちょうだいいたします……。そ……そのお言葉だけで、あの方が、どれだけすくわれるか……」


 心の底から押し寄せる涙の津波を止めるすべは、ない。せめてしゃくり上げることだけはすまい、と抵抗するのが精一杯だった。

 切ない――切なすぎる切なさに、心が耳では聞き取れない高周波の悲鳴を上げている。


「――リルル」


 国王が、前に――壇を一段下り、リルルに歩み寄った。

 見守る群衆が、今度こそ悲鳴に近い声を上げる。声を上げなかったのはログトだけだった――見たことも想像したこともない事態をの当たりにして、失神しそうになっていたからだ。


「従兄弟のために泣いてくれるのか。いい、遠慮えんりょらぬ。好きなだけ……好きなだけ泣くがいい。胸にたまった悲しみは、涙でしか洗い流せぬのだ」


 国王の手のハンカチが、リルルのほおに優しく当てられた。


「お、おそれ多い……! どうか……!」

「紳士は二枚のハンカチを持っているものだ。一枚は自分の手をくため、もう一枚は、淑女しゅくじょの涙をぬぐうため。どうかこのハンカチに、お前の美しい涙にれる光栄を与えてやってくれ」


 身じろぎすらはばかられるリルルの頬を丁寧ていねいに拭き、国王はそれをリルルの手ににぎらせた。


「お前の心が涙を止められる日が来るまで、側にいて拭い続けてやりたい。しかし、現実にはそれもかなわぬ、せめて、このハンカチを肌身離さず持っていてくれ。余の代わりに、お前の涙を拭えるように」

「陛下……!」

「いいのだ、持っていてくれ。なにかこまったことがあればいつでもいうがいい。余はこたえよう――息災そくさいでな、リルル」


 下がってよい、と微笑ほほえんだ国王の前に、ハンカチを手にしたままリルルは型がくずれそうなカーテシーで応えるしかなかった。雲をむような、おぼつかない感じを足に覚えながら降りた。

 国王が所定の位置に戻ってからも、貴族たちのざわめきは微震動のように続いていた。


「どういうことだ、陛下はどうして、フォーチュネットの娘に対してあのような振る舞いを」

「まさか、陛下はそろそろおきさきむかえられようとしておられるのでは」

「――魚貴族の娘を? まさか……」

「いや、陛下は一貫いっかんして、特定の貴族が力をばさぬようにしておられる。フォーチュネット家は金は持っているが、政治的な影響力はほとんどない……しかし格式は、くさっても伯爵家だ。決して不可解ふかかいなことではないぞ」

「嫁を取るには、理想の相手ということか……」


 憶測おくそくが憶測を呼ぶ中、ふらふらと下りてきたリルルをログトが迎え、その手をひったくるようにつかんだ。


「お父様」

「リ、リルル、とにかく来い、こっちに」


 すれ違う人間、その全ての注目を受けながら、リルルとログトは人並みの中をかき分けて抜けた。


「言葉のやり取りはほとんど聞こえなかった。陛下は、どうしてお前に対し、あのようなお振る舞いをなさったのだ」

「私がコナス様の婚約者としての立場であったから、それにお気をかけてくださったのよ」

「うむ……いや、それにしては親しげな雰囲気だった!」


 頭を下げ続けながら人の波をかき分け、二人は群衆から脱出する。


「お前が陛下のお后に……いや、これは想像したこともなかった!」

「はぁ!? そんなことあるわけないじゃない!」

「だが、万が一ということもある! と、取りあえず様子を見よう。しばらく婿捜むこさがしも中止だ。もしかしたら、陛下からお呼びがかかるかも知れない!」

「……はいはい」


 夢物語に震えている父を見て、リルルは細く長い息をく。なんにしても、面倒くさい婚約話が舞い込んでくる可能性が減ることは歓迎かんげいするべきことだった。


「――偽快傑令嬢をニコルが逮捕たいほしたら、陛下がニコルを貴族にしてくれないかしら……」

「リルル、なにかいったか?」

「ううん、なにも」


 取りあえず今は時間が欲しい。偽快傑令嬢はつかまっていない――警察があてにならない以上、自分の手でどうにかするしかないのだ。



   ◇   ◇   ◇



 謁見えっけんの儀が終わり、園遊会は主要閣僚かくりょうが国王に対し、短い祝辞しゅくじべる儀式ぎしきに移っていた。ほとんど型通りから外れない祝いの言葉を口にし、自分の番を終えて国王の前から外れようとしたランバルト公爵を、国王は呼びとめた。


「――ランバルト、明後日みょうごにちのあの用意は順調なのかな?」

「サーバス二世の御陵ごりょうから発掘された埋葬品まいそうひんを、王城に移送する儀でございますね」


 国王と並んでも体格的にはなんら遜色そんしょくのない精悍せいかんさをうかがわせるランバルト公爵が頭を下げる。その白くなった顎髭あごひげが、初老という雰囲気ふんいきかもし出していた。


「報告ではかなりの財宝が出たと聞いている。万が一にも、我が先祖の墓が盗掘にうなどの事態はけたい。王城の金庫において厳重げんじゅうに保管するべきであろうからな」

「承知致しております。我が警備騎士団の総力をげて、無事移送を成功させてご覧に入れます。どうか心安らかに」

「頼むぞ、王都警備騎士団団長」

「はっ」


 マントをひるがえした国王が壇上を降り、それを列席者の全員が頭を下げて見送った。その姿が正門の向こうに消えたのを確認したように、静まりかえっていた来客者たちが一斉に会話の大輪をあちこちで咲かせ始める。


 貴族たちが話題にする対象は、ニコルから完全にリルルへと移ってしまった。伝聞でんぶん憶測おくそくふくらませ、リルルが王妃の地位に納まるのは確実、といい出す者までいる始末だ。


「――で、実際のところどうなのですかな、フォーチュネット伯」

「きっと陛下から打診だしんがあったのでしょう? 正直なところを聞かせていただけませんかな」


 普段は『魚貴族』と軽蔑けいべつした目を隠さない貴族たちさえも、卑屈ひくつ態度たいどさぐりを入れてくる。それがあっという間に十人を超えたので、ログトは逃げの一手を打った。


 曖昧あいまいな笑顔で誤魔化ごまかしながら貴族たちを振り切り、合流したニコルとフィルフィナの援護えんごを受けて薔薇ばら園から脱出する。


「――えらい目にあったな!」


 待機させていた馬車に飛び乗るようにして乗り込み、ようやく身内だけになれた解放感に、ログトは体から力の全部を抜いた。


「私が知りたいぐらいだ。私も陛下が即位されてからずっと園遊会に出席してきたが、あんなことは見たことも……。リルル、お前、本当に心当たりは他にないのか?」

「本当にないんだってば」

「とにかく、しばらくお前は外を出歩くな。屋敷の中でじっとしていろ。――フィル、リルルの監督は任せたぞ」

「承知致しました」


 フィルフィナが頭を下げ、心の中で舌を出す。

 外に出るな――そんなことをいわれても守るわけにはいかない。

 自分たちには用事があるのだ。


「私の代で、国王陛下からなにかを下賜かしされたというのは初めてだ。名誉なことだ。是非そのハンカチは家宝にしよう」

「――いやよ。陛下から持ってるかどうかおたずねになられたらどうするの。肌身離さず持っているようにとおっしゃったのよ」

「むぅ」

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