第四部「悪友令嬢は偽りのドレスを着て舞い降りる」

プロローグ

「狙われた宝飾店」

 エルカリナという名の街がある。

 世界でも指折りの強大国・エルカリナ王国の首都、王都であり、中核都市でも人口百六十万、衛星都市を加えれば三百万をほこる、まぎれもなく世界最大の巨大都市だ。


 商業においても活発な機能を有するこの都市は、夜更けに至っても真昼のように輝き続ける、不夜城という表現が相応ふさわしい区域が存在する。


 王都の西部の一角を占める広大な繁華街はんかがい。夜になっても眠りにかない人々がつどい、大枚たいまいはたいて欲望を晴らすため、きらびやかに輝く無数の店に吸い込まれていく。


 明るすぎる街灯がともり、立ち並ぶ高層の建物は窓という窓を輝かせ、上からのしかかってくる夜の闇をはねけて、真夜中の間をきらめき続ける。そして、その光に引きつけられて、また無数の人々が集まり、延々とにぎわうのだ。


 大通りに人通りは絶えず、客を呼び込む声があちこちから飛び、ところどころでわめき声が上がり、激しい喧嘩けんかなどの騒動そうどうも、ここでは日常的に頻発ひんぱつする。


 太陽が落ちても星が見えない世界。外からやってきた人々は、目撃した王都エルカリナの繁華街を、そうひょうした。


 ――そんな、ある日のこの繁華街において。


 今夜のこの地は、緊張しきった役人たちが大挙たいきょしてその場を巡回じゅんかいする、とても日常的とは表現することのできない厳戒態勢げんかいたいせいの、張り詰めきった空気に包まれていた。



   ◇   ◇   ◇



 時刻、午後十時。

 住宅地であればもう、ほとんどの家屋の明かりが消える時間だ。


 大型百貨店デパートが建ち並ぶ界隈かいわい。五階、六階建てが当たり前の建物が密集するその区域。午後八時ぐらいまでの営業時間が終了してしまえば、その灯火とうかを消し、明日の営業にそなえて眠る――。


 ひとつ南の歓楽街かんらくがい区域などはむしろ、夜の方が活況かっきょうていする世界であり、本当に一晩中その明かりが落とされることはない。そのにぎやかさはさすがに、ここまでは届いてこないようだった。


 この時間は、やや薄暗い街灯に照らされた大通りを、人目を忍ぶように歓楽街に向かう馬車が行き来するくらいのさびしさがあった。


 ――あった、はずだった。


 ほとんどの建物が暗く静まりかえる中、池の片隅かたすみで一匹のホタルがひっそりとその明かりを灯すように、大通りに面した大型百貨店と大型百貨店にはさまれた細長い建物――それでも五階建ての勇姿を誇る店が、深夜に差し掛かる時刻に、ますます明るく輝き続けていた。


 その店先には、数台の装甲そうこう馬車が前を固めるようにめられ、王都の治安を守る警備騎士団が百人弱の人員を投入し、厚い阻止線そしせんを張っている。


 通りかかった者たちは何事かあったのかと興味を引かれ、集まってくる野次馬たちを警備騎士団の隊員たちが追い払う――そんな光景がこの場では続いていた。


 そして、とても夜とは思えないさわがしさに包まれたそこに、不幸な男がひとりいた。


「ど……ど、どういうことなんですか」


 王都随一ずいいち宝飾品ほうしょくひん専門店『ゼラージュ二世』の総支配人は、証明にとがった禿げ頭の先端を反射させながら、その場を右往左往していた。

 まるで円錐器具三角コーンみたいな頭だ、と誰も口にはしないが、その場にいる他の者たちはみな、同じ思いを共有していた。


「どういうことなんですか、これは、いったい、もう、なにが、なんやら…………」

「なにか、ねらわれる心当たりは?」

「う、うちは真っ当な経営を心がけていますです、はい、それは、もう」

「反社会的な集団と、なにか付き合いがあるとかは?」


 その場で舞踏ダンスおどるようにくるくると回り続ける総支配人を聴取ちょうしゅしているのは、白い鎧とかぶとに全身を包んだ一人の若い警備騎士――准騎士だった。


「これまで彼女・・が狙った対象のほぼ全ては、そういう関連のものにつながりがあります」

「そ、そそそ、そんなものなんてありません! う、うちが、やっているとしたら、常識の範囲内はんいないで脱税をしているくらいで……」

「――夜が明けたら、税務署ぜいむしょの人間を向かわせますね」

「あああ」


 口をすべらせた総支配人がその場にうずくまる。それ以上の言葉が出て来そうにないのをさっし、准騎士は心の中でため息をきながら手帳を閉じた。


「よう、聴取は終わったか、ニコル」

「ラシェット先輩」


 若い騎士――ニコル・アーダディス准騎士が、自分よりいくらか背の高い准騎士に振り返ってみせた。兜の隙間すきまからこぼれている金色の髪が、光を受けてキラキラと光っている。


「これといって変わったことはありません。普通の宝飾店です」

「王家御用達ごようたしの店ではあるけれど、それが彼女・・おそわれる原因とは思えんよなぁ」

「ええ……わかりませんね」


 わからない、わからない――わからないことだらけだった。


「どうして、彼女快傑令嬢リロットがこの店を襲わなければならないのでしょうか……」


 二人は考え込んだ。


 ――快傑令嬢リロット。

 王都に立ちこめる黒い霧を吹き払う一陣の風。

 法の裏を隙間すきまってはびこる悪に、華麗なレイピアの一撃を見舞みまう薄桃色の稲妻いなずま


 ずるきを叩き、弱きを救う正義の令嬢。

 いまだその正体は不明、私利私欲を捨てて王都の平和を守る、庶民しょみんの味方――。

 だから、彼女が目標ターゲットに指定した者は、れなく悪なのだ。


 なのに。


くわしいことは調べてみないとわからんし、リロットにあばかれないとわからん事実があるのも知れんが……なんか今回は、ちがうな」

「ええ……違うと思います……」


 うずくまっておいおいと涙を流している総支配人を前にし、二人の准騎士は言葉を交わし合った。


 ――王都を震撼しんかんさせたあの『竜』の事件から、一ヶ月が経過していた。


 その間、快傑令嬢リロットは何度か王都に出没しゅつぼつしていた――その中には特筆とくひつすべき大した事件はない。


 王国の内情を探りに来た他国の諜報団ちょうほうだんを物理的に吹き飛ばしたり、下水道で禁断きんだんの魔獣を飼育しいくしようとした魔道の者たちを精神的に破壊したり、穀物こくもつを大量に隠匿いんとくし異常な値上げを目論もくろんだ業者の倉庫を全開放したり。


 なんということはない、ありふれた日常の事件ばかりだった。

 ただ、彼女を逮捕するという使命を一応は帯びている警備騎士団が、その任務遂行にんむすいこうに押っ取り刀で乗り出して、そのたびに優しく蹴散けちらされるというのがお約束だった。


『竜』の事件においても、ニコルは昇進しなかった。本来、正騎士どころか一気に上級騎士に推挙すいきょされてもおかしくない功績こうせきであったが、あの事件を解決したのは警備騎士団全体の手柄てがらであると書き換えられ・・・・・・ていた。


 加えていえば、その解決に関して大きく貢献こうけんしたはずのリロットの名も、メイド服姿の少女の存在も公式の記録からは消されている。公平に分配された報奨金ほうしょうきん――それがあの事件で得た、ニコルの利益の全てだった。


 が、警備騎士団の全員が事実を口にすることはできなくとも、ニコルの働きは理解している。警備騎士団団員から受ける信頼、それは形になるものではなくとも、ニコルにとっては何物にも代えがたい『利益』だった。


 ――それは、ともかくとして。


「狙われる対象はどいつもこいつもうさんくさい臭い・・があったもんだが、今回は……」


 二人は同時に手帳を取り出し、状況説明ブリーフィングで紹介された『予告状』の内容を、もう一度口の中で読み上げてみた。


『今夜半、宝飾品専門店『ゼラージュ二世』に参上し、宝石を頂戴ちょうだいいたします――快傑令嬢リロット』


「うーん……」


 二人でそろって考え込む。その短い文面に納得しきれないものがある。この違和感いわかんはなんなのだろう。


「なんかこれは、飲み込みがたいというか、認めがたいというか――」


 苦い物を口に含んだようにそこまで口にしたニコルが、大きく目を見開いた。

 ひらめくようなものを額の裏に感じ、その体が風を巻いて反転したのと、彼の視界の真ん中で黒い球体・・・・はずまずに大通りの石畳いしだたみに落ちたのとは、同時だった。


「――――ふ」


 その球体の先端で、チリチリと音を立てて燃えている導火線どうかせんの短さを目でとらえ――ニコルの口がその意思よりも早く、開いていた。


「――せて!!」


 耳を閉じ口を開け、ニコルが装甲馬車のかげに飛び込んだのと一秒を置かず、その黒い球体は起爆した。


 真っ赤な爆炎が、繁華街の通りで咲き誇る大輪の花となって開いた。

 横っ腹を見せていた装甲馬車の一台を爆圧ばくあつで浮き上がらせ、吹き飛ばすように横転おうてんさせる。


 空気の全てが大音響になぐりつけられた。周囲の建物の窓ガラスが呼吸を合わせたかのように一度にたたき割られ、ガラスの破片の豪雨ごううが大通りを洗い流すように降り注ぐ。それをまともに浴びた悲鳴があちこちで上がり、爆発の衝撃波に吹き飛ばされた者は、ものもいえなくなっていた。


 大通りを明るく照らしていた街灯のガラスとう、少なくとも視界に入るものの全てがほぼ同時にくだけ散り、一瞬にして消え失せた。


 朝焼けを受けた早朝くらいには明るかった街が、あっという間に暗くなる。建物かられる明かりが、かろうじて物の色と輪郭りんかくを認識させてくれるくらいだ。


 音に対して動揺どうようしないように訓練されているはずの軍馬があばれ出し、装甲馬車をいたまま大型百貨店の入口に突っ込み、馬車を入口に引っかけて大きく身をつんのめらせた。鼓膜こまくを破られ脳の中心を叩かれた騎士たちがまとめて転倒し、耳を押さえながら地面に頭をこすりつけて泣き声を上げていた。


「な……なんだ……」


 盾にしたはずの馬車が馬ごと浮き上がり、暴走し出したそれにかれそうになったのを、体を転がして回避かいひしたニコルが頭を上げる。ニコルの声に押されて伏せはしたものの、耳をふさぐことはできなかったラシェットが白目をき、その場で昏倒こんとうしていた。


 爆弾の爆発、そのたった一発で、繁華街の大通りは文字通りの惨状さんじょうと化していた。まともに立っている騎士の一人もいない。総支配人などは爆圧をまともに受けて十数メルトの距離を文字通りに飛び、体を建物の壁に貼り付けていた。


「あ――――っはっはっは!」


 脳を叩かれ、きしむような痛みに片目を開けるのが精一杯のニコルが、夜空から降ってきたその声に、震える目を向けた。


「あ…………れ、は…………?」


 闇色の空に、かさの白さが浮いていた。それは種をぶら下げた綿毛のようにゆっくりと舞い降りてくる――いや、傘だけではない。傘をにぎるドレス姿がくっついている。


 胸元から上、首元から鎖骨の全部を見せる真っ赤な・・・・ドレスに身を包んだ少女の姿が、大通りの石畳にそのハイヒールの爪先を降り立たせた。

 腕をひるがえしたと同時にたたまれた白い傘が魔法のように消え、赤紫色・・・に染まった一輪の大きな薔薇バラかたどった帽子ぼうしが、ニコルの網膜もうまくに鮮やかに映った。


「リロ……ット……?」


 泥のようにねばり着き、朦朧もうろうとした重い頭を抱え、ニコルは、かすれる声でつぶやいた。


「……い……や……」


 はっきりと動かない頭でも、わかることがあった。間違まちがい探しよりもそれは似ていなかった。


 起き上がることができないニコルの前で、その少女は片足を引いて上体を前に傾け、広いスカートのすそをつかんで翼のようにそれを広げた。


「――皆々様みなみなさま、大変長らくお待たせしましたわ!」


 片方のひざが曲げられ、作法通りの鮮やかなカーテシーが披露ひろうされる。背中に流れる長い黒髪・・艶光つやびかりをたたえ――顔の上半分を隠した大きく真っ赤なマスク・・・の向こうで、いたずらげな黒い・・・瞳が、燦然さんぜんとした光を放っていた。


「快傑令嬢リロットは――予告通り、ただいま参上いたしましてよ!」

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