「みんなのあした」(第三部 完結)

 雨は一晩中続いた。

 弱くもなく、強くもなく、世界を湿らせるように降る、静かな雨だった。

 一定の律動リズムかなでる雨音。誰かの忍び泣く声のように、しずしず、しずしずと降り続けた。


 ある者は眠れぬ時を過ごし、ある者は死より深い眠りに落ち――。

 そして、やがてはやってくる。

 やまない雨もなければ、明けぬ夜もない。


 ――あした。

 人々がかすかな期待を胸にして口にするその時が、いつものように、やってきた。



   ◇   ◇   ◇



 フォーチュネット家の庭の片隅かたすみに、小さな墓がふたつ、双子のように並べられて建てられた。

 いや、それは説明されなければ、墓とはわからないくらいの、簡素で質素なものだ。

 少女の手でなんとか持ち上げられるくらいの、少し大ぶりな石が、ふたつ。


 汚れてもかまわない上着とズボン姿という、めったに見せない服装で、リルルはフィルフィナと一緒に、早朝より指を土で汚していた。

 真っ白に輝く自然石を丁寧ていねいみがき上げ、危なっかしい手つきで短剣をその表面に突き立てる。


 主人がそれで手を切らないかと見守るフィルフィナがハラハラとする中、もどかしいくらいの時間をかけ、リルルは一つの文字列をり終えた。


「――うん」


 その出来映できばえにリルルは微笑ほほえみ、短剣をフィルフィナに渡して一人、屋敷に向かった。

 フィルフィナはそれを追わない。その場に残って、肩を並べるようにしてたたずむふたつの石に目を落とした。

 この庭に咲く花の、全ての色の花をえられ、小さな花壇かだんのように、自然の色彩にかざられている、それ。


 緩やかに吹いてくる風に揺れる花びらの穏やかな舞いに、フィルフィナも髪を、スカートをでられながら心を無にしていた。


 この数日の中でうしなった多くのもの、そして得られたわずかなもの。

 その収支をつけ、結論を得られる日は、果たして来るのだろうか。


「…………」


 何分、何十分の時が過ぎただろうか。


「――フィル、お待たせ」


 普段着の青いワンピースドレスに身を包んだリルルが現れた。風呂上がりのさわやかな、こざっぱりとした顔。ついでに髪も洗ったのだろう。タオルに吸い取らせた水気がまだ長い髪に残っている。


「いいえ……」

「じゃあ、納めちゃいましょうか」


 リルルは二つの小さな金属製ブリキの箱を持っていた。そのひとつをフィルフィナに手渡し、表面に短剣で文字が彫られた石の前に立つ。ふたを開き、リルルはその中に語りかけた。


「――毎朝、ご挨拶あいさつに参りますからね……コナス様……」


 箱の中には、血に汚れたハンカチが一枚、たたまれて納められていた。

 蓋を閉じ、石の前に四角く掘られた穴の中にそれを置く。


「フィル」

「はい……」


 多少の不安げな表情を見せて、フィルフィナはもう一つの箱をリルルに手渡す。一歩足を横に踏み、隣に鎮座ちんざしている石の前にリルルは立った。

 その石には、名前はられてはいなかった。その名を残すのもはばかられる名前だったからだ。


 手にした箱の蓋を開ける。中には眼球大の大きさをした、闇色の石――宝石が入っていた。

 この世の闇を煮詰め、丸い形に整形したような、それ。


「偶然とはいえ、よくそんなものが回収できましたね……」


 フィルフィナの顔にはおどろきはあっても、感心はない。その石――『瞳』が持つ意味がわかっていたから、それを自分たちが抱えていることには気が進まなかった。そのことを自分たち以外、誰も知らないとしても。


「……脱出時に玉座が転移鏡に吸い込まれた時、これも一緒に吸い込まれて、ドレスの中に入っていた――できすぎた偶然ぐうぜんよね……」


 カデルが『結節の空間』の時空のうずを、『城塞竜フェスドラグーン』を召喚しょうかん、起動させるために捏造ねつぞうした、秘宝の偽物にせものだった。


「……でも、そんな偶然なら、これは私にたくされたようなものだと思うから。それに、あの人ゆかりのものは、これしかないものね…………」


 名前を残すこともできない者の墓の前に、リルルはそれを納めた。目を閉じて、従兄弟いとこ同士で眠るふたりのたましいいのりをささげる。

 リルルの隣に立ったフィルフィナも、それにならった。


「あの方は……コナス様は、きっと、あの人を許しているわ……」


 目を開ける。心地好い風にリルルは微笑む。


「コナス様は誰かをうらみ続けるとか、そういうことができない方だと思うから」

「……わたしも、そう思います」


 一時は、心から許せないと思えた。自分の中では一線を越えてしまった瞬間さえあったかも知れない。

 それでも、今、『彼』をにくんではいない、うらんではいないというのも確かだった。

 ほろび、死に行く『竜』から自分を脱出させてくれたのも、『彼』の中でき出た、正直な意思によるもの。


 それだけは信じたい――少女は、そう思う。


「それだけは……ね…………」


 葬儀・・は終わった。

 少女が顔を上げる。空を見上げる。

 ――青い。青い、青い、青い空。


「――お腹空いたわね!」


 リルルが振り返る。スカートが少女の元気さをいろどるように、可愛くはためいた。


「お出かけなさいますか?」

「それもいいけど、ちょっと待つわ。多分、きっと――」


 もう一度、風が吹く。色の変わった風に、リルルは予感を覚えてそちらを向いていた。

 ――風の持ち主が、そこにいた。


「――おはよう、リルル・・・……」


 普段着のニコルがいた。

 金色の髪を風に揺らし、照れてまったほおの紅さを隠せず、たたずんでいる。


「ニコル……! ……おはよう」

「おはようございます、ニコル様」


 満面の微笑みで少女たちが迎える。


「――二年ぶりですね。わたしたち三人が、一堂にかいするのは」

「そう、なるのかな……」


 本当は、別の形で会っている。会えている。

 でも、それは今は、明かせない――。


「……リルル、約束もなしに押しかけてしまったけれど、申し訳ない。今日、突然休みをもらったものだから、迷惑だとは思ったんだけれど……」


 昨日の墓地で見せたかたさなどどこにいったのか、自分の浮き立つ心をおさえきれず、落ち着かないニコルがしきりに視線を動かしていた。


「なにをいってるの! いつだって遊びに来ていいんだから!」

「ニコル様、その手にお持ちのものは?」

「あ……これ……」


 右手に持っていた小振りの紙の箱を、ニコルは小さくかかげた。


「手ぶらじゃ悪いと思って。行きしな、知らないケーキ屋が開いていたから、そこで」

「気をつかわなくてもいいのに、ニコルったら――」


 ひとつの音が全員の耳にも聞こえるくらいに鳴ったのは、そんな時だった。

 ニコルとフィルフィナが、そしてリルルが無意識のうちに同じ一点を見つめる。


「あ……これは……あ、あはは……」


 自分のお腹からしぼり出されるかのように鳴り響いた盛大な音に、少女の頬が真っ赤に焼けた。


「ちょうど良かったではありませんか。お茶をれますから、早速さっそくいただきましょう」

「そ……そうね! そうしましょう! ニコル、上がっていくんでしょう? ううん、上がっていってもらうから!」

「ありがとう、リルル、フィル」


 ずかしそうにうなずくニコルの姿に、リルルの心の中に涼しい風が吹く。

 変わってほしくないところは、変わってくれていない。そんな少年の仕草がリルルには嬉しかった。幸せだった。


 ニコルが紙の箱をフィルフィナに手渡す。その隙間すきまめるように、リルルがニコルの元に歩み寄った。ニコルの心の間合いに自然に入り込むように、その体が納まる。少年の両手を軽くにぎって、引き寄せる。


 こぶしひとつ分の間合いしかけずに、少年と少女は向かい合った。リルルのくつかかとがわずかに浮き、あごが微かに上がって少女の目が閉じられる。

 ふたりの頬が同時に朱に染まるが、主導権イニシアティブを握っているリルルの方が断然有利だった。


「……ん――」

「うわ」


 無言の、強制力しかない催促さいそくに、ニコルが視線を横にすべらせる。

 幸福。それ以外になんの表情もうかがうことのできないフィルフィナの笑顔が、そこにあった。


「フィ、フィルが、見てるよ……」

「いいじゃありませんか。フィルに見せつけてください」

「ほらほら。いつまで、フローレシアお嬢さんを待たせるつもりなの?」


 さえずってから、薄桃色のくちびるが、ついばまれるのを行儀ぎょうぎよく待つ。


「――あああ」


 万事に休したニコルはもう、それにくっするしかなかった。

 そっとリルルの腰に手を回し、そっと抱き寄せる。

 互いの体温を確かめられるかどうか、くらいの短いキスが交わされた。


「――やっぱり、わたしも混ぜてもらいます」

「うわぁ」


 めいっぱいに爪先立ちで背伸びをしたフィルフィナが、ふたりの頬に唇を押しつけた。


「フィル、ダメじゃないか! 了解も取らずに、ほ――、ほっぺとはいえ!」

「ひどい、ニコル様、それはありません。もうフィルの大事な大事な、あんな・・・ところにキスをしてしまった間柄あいだがらではありませんか……」

「なにそれ! 私は聞いてないわ!!」

「どうしてお嬢様にいちいち報告する義務があるんですか? フィルにも自由恋愛の権利があるんですよ?」

「違う! 僕はフィルの唇にはキスはしてない!」

「唇以外にはしたのね!? それはどこなの!」

「そんな。エルフであるフィルの口からはそれはもう、恥ずかしくて恥ずかしくて――とても口にできない所にしていただきましたから」

「わぁ――!」


 庭の一角で声がはしゃぐ。空をゆく小鳥たちがなにごとかと視線を落とし、すぐに興味をなくして飛んでいく。

 風が吹く。風が吹く。

 王都に立ちこめていた空気を入れえるように、風が吹く。


「――もう、フィルったら、いっつも私たちをからかって!」

「わたしの大事な趣味なんです。取り上げないでくださいね」

「もういいから、早く屋敷に入ろう。リルル、お腹空いているんだろう?」

「怒るのも疲れちゃった。さ、ご馳走ちそうになりましょう――」

「――そうだ」


 歩き出そうとした空気を制して、ニコルが立ち止まる。リルルの方を見る。

 そのふたりを見やるフィルフィナが無言で歌う。

 わからない、という顔を見せたリルルに――ニコルは、金色の微笑みを輝かせて、いっていた。


「大事なことをいい忘れていた――。……ただいま、リルル」

「あ……」


 そうだ。

 ふたりはまだ、その言葉を交わしていなかった。

 少年が王都に戻って来てから、時間もっていたというのに。


「ああ……」


 そして、それは。

 少年と少女の日常、そのなにげなく、さりげない歯車を、再び回り出させるための、魔法の言葉だった。


「――――お帰りなさい、ニコル」

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