「鮮烈の号外」

 その高らかな『快傑令嬢』の名乗りを、姿勢を正して受ける余裕のある者は、一人としていなかった。

 最も無事だったといえるニコルでさえ、かぶとの外からぶつかってきた爆発の衝撃波に、まだ脳が揺れていた。


「ぐ……う、う、うう…………」


 焼けるような脳震盪のうしんとうしびれにその端正たんせいな顔をゆがめ、気力がき――一度、地面に突っした。


 そんな中、危険をとらえようとただ一つだけ必死に機能している聴覚が、ハイヒールが石畳いしだたみたたく音を聞く。


 カツ、カツ、カツという響きに、声が重なる…………。


「――なによ、いってたほど大した爆発じゃなかったじゃない。これがエルフの爆弾? 爆薬の量を間違まちがえていたんじゃない?」


 音が近づく。このまま行かせてはならない――目を開けても何も見えず、指一本すらまともに動かせない中で、ニコルは、懸命けんめいに体をよじらせた。


「ま……待て……」


 脳の機能が乱れているためか、指の先まで痺れが張り付いて取れない手を、文字通りの手探りでニコルはばした。柔らかいものに指先が触れる。考えるよりも早く、それを右手でつかんでいた。


「きゃあっ!?」


 少女・・の声が飛んだ。

 からみついたものを振りほどこうと上がった足を放さず、ニコルは出せる全ての力――わずかなものであったが――を振りしぼり、それをつかみ続けた。


「お前は……誰だ……」

「――放しなさい!」

「うっ!」


 もう片方のハイヒール、そのとがった先端がニコルの胸に食い込んだ。よろいがなければニコルの皮膚ひふを破りかねないほどの鋭利えいりさがあった。


「安月給の分際で! 大人しく寝ていればいいのよ! なにを無駄に根性を見せようとしているの! この格好かっこうつけが!」

「ぅあっ!」


 相手をつかんでいた右腕が蹴飛けとばされる。遠慮えんりょのない蹴りにニコルの腕が跳ね飛ばされたと同時に、布が引き裂かれる音が夜のえた空気をり裂いた。

 少女の足首をおおっていたタイツをニコルの指が放さず、そのまま引きちぎっていたのだ。


「こ……こいつ!」

「ぐぅっ!」


 ニコルの腕を、鋭いヒールがみつけた。手甲てっこうで守られていない内側であれば、骨までつらぬくような深手ふかでになっているほどの衝撃だった。


「死にぞこないのくせにしつこい――本当に殺すわよ!」


 腰に差されていたレイピアが抜かれる。その切っ先がニコルの首筋に当てられた。


「――殺す……だって……?」


 人相にんそうを消してしまうほどに赤く広いマスク、その奥からのぞいてくる瞳に、ニコルは苦痛の中で笑った・・・


「……できないことを、いうもんじゃないよ……」

「なんですって……?」

「……君に、その手で人を殺せるほどの度胸はない……」


 大きな黒い瞳が揺れた。


「君は、人殺しを爆弾の爆発のせいにすることはできても、その手でなにかをめ殺したり、刺し殺したりすることはできない……て……手応えが、体に伝わるからね……。僕にはわかるんだ。目でわかる…………」


 のどをレイピアのやいば圧迫あっぱくする。それでもニコルは歌い続けた。苦悶くもんに歪む顔の、口元だけが笑っていた。


「人を殺せる人間と、殺せない人間……そして、人殺しを他の責任になすりつけることのできる人間が……君は最後の部類の、いちばん卑怯ひきょうな人間だ……聞いているかい?」

「――だまりなさい!」


 ニコルの頭が、兜の上からハイヒールの爪先つまさきをぶつけられた。白い光が意識の中で大きくひらめいた。


「手応えがなければ殺せるわよ、弾丸のせいにすればいいもの」


 ドレス姿の少女の手にいつの間にか、魔法のように現れた拳銃がにぎられている。その銃口がまっすぐニコルに向けられ、黒い手袋に包まれた指が、引き金トリガーに乗せられた。


「私の指が引き金を引けなかったかどうか、あの世で確かめるのね」


 ニコルと少女の視線が、交錯こうさくした。

 少女の右手、人差し指に力がかかる――が、引き金を支える機械的な抵抗を押しやるには至らなかった。

 銃はおろか銃口すら見ていないニコルの瞳が揺れもせず、少女の瞳をまっすぐに射抜いぬいていた。


 あと、ほんの少し動くだけで確実に訪れるだろう、『死』。それを全くおそれていない眼差まなざしが少女の心を完全に貫き、銃創じゅうそうを刻み込んでいた。


「っ……!」


 指の関節が固められたような感覚に少女が戸惑とまどい、狼狽うろたえ、それをさけびで振り払おうとした時――少女の両耳から下がっているイヤリングが、かすかに震えた。

 拳銃を持つ手が下がる。これも魔法のように拳銃が消え、からになった手が右の耳にえられた。


「……ああ、わかっているわ――ィル。かさなくてもいそぐわよ……まったく……」


 空気を張り詰め切らせていた緊張感が、途絶とだえた。

 シンと冷えてえた空気が、なにかを遠くから伝えてくる。鐘とふえがいくつも重ねて鳴らされる音……まだかなり遠くだが、確かに近づいてくる。

 それを聞きつけたのか、少女の口元が大きく歪んだ。


「命拾いしたわね、おめでとう。――今度目の前に現れたら、間違まちがいなく殺してあげるから。楽しみにしていてね」


 ぺっとかれたつばがニコルのほおを汚し、それを受けながらもニコルは、まばたきすらしなかった。

 せめて、視線だけでも目の前のぞく拘束こうそくし続けようと、瞳に最後の力が込められていた。


「さようなら――生意気な騎士様」


 側頭部に加えられた衝撃が意識を吹き飛ばして、ニコルの世界は途絶とぜつした。



   ◇   ◇   ◇



 一夜が明けた。

 四方を長さ十二カロメルトの城壁に囲まれた、閉ざされた世界。

 それがせまいか広いかは、その人間が生きてきた歴史によって照らし合わされるものなのかも知れない。


 そしてまだ人々の大半が微睡まどろみの世界にみとどまり続けるその時間に。

 ひとりのエルフの少女が、まだ人通りの少ない高級住宅地を歩いていた。



   ◇   ◇   ◇



「ふぁぁぁ…………」


 高く長い塀で囲まれた屋敷の間を抜け、大通りに出たところで、そのメイド服姿の少女は大きくあくびをした。


「――ああ、わたしとしたことが……。この、完全無欠で器量よし、性格よし、暴力よしのわたしがあくびなどと、人に見られでもしたら……」


 思わず大口を開けてしまったことをじて周囲を見渡す。

 幸い、気づいてくれた人間は一人もいないようだった。


「――よかった」


 早朝にも関わらず多くの通勤する人々があわただしく両脚を動かす中、買い物かごを腕にげ、その小柄――見方によっては幼いとも見える印象を振りまく少女は、てくてくと落ち着いた歩調で歩いていた。


「ああ、眠い……結局、日付が変わる時間まで起きていてしまったのですか……完全に寝不足ですね……」


 深い紺色こんいろのエプロンドレス、真っ白なエプロンに、頭にはこれも真っ白なフリル。綿毛わたげのようにふわふわとした、知り合いからは『もじゃ子さん』と呼ばれるその緑の髪――。

 

 一見するだけではエルフには見えない。エルフ族特有の長く尖った耳は髪の中に隠れていて、強い風が吹き付けてこない限りはその先端がほんの少しだけ、ちらっと見える程度だ。

 気高けだかきエルフ族。その中でも、王族の立場に位置する存在でありながら、メイド。


 全世界をくまなく探し回ってもふたりといない、そんな特別な少女。

 名をフィルフィナ、という。


「……やはり、サイコロ遊びはあぶないですね。中毒性があります。特に、お金をけていたりすると」


 道路には馬車などの車両が列を作り、人の密度が増してきた大通りをフィルフィナは進む。彼女はこれから朝市あさいちに食材を買い出しに出かけるのだ。それが彼女の、毎日欠かすことのできない日課だった。


「お嬢様ったら可愛い。わたしに負け続けるのをムキになっちゃって、貯金まで全部き出しちゃって。終わりには自分が着ているものまで賭けるといい出して……あんまり可愛いから、ついつい全部いて差し上げたじゃないですか……ふわあああ」


 小さなあくびがり返される口元を押さえながら、てくてく、てくてくと歩く。


一糸いっしまとわぬ姿になって、恥ずかしそうにほおめてその身をちぢこめている姿とか、あんまりに可愛らしすぎて、おそいかかりそうになるのを必死でおさえていましたよ、わたしは。この自制心をたたえていただきたいものですね――しかし、お嬢様もまだまだ子供でいらっしゃいます」


 歩きながらフィルフィナはポケットをさぐり、手の平にの上に、ふたつのサイコロを取り出した。

 ――なんの変哲へんてつもないサイコロに、見えた・・・


「――だいたい、多少のけ引きがあるとはいえ、確率が二分の一の勝負で、そんな一方的にボロ負けするはずがないんですよ」


 それを小さく揺らし、軽く転がす。何度か目を変え、停止したサイコロを見つめながら、フィルフィナは軽く目を細めて見せた。


「こんな仕掛けでもなければ、ね」


 ひとりでにサイコロが転がり、赤い一の目をふたつとも出して、それは仲良く並んだ。


「――ふふ」


 それをポケットに戻す。さらに歩を進め、ラミア列車の停留所ていりゅうじょ長椅子ベンチにぽんと小さなおしりを落とした。


 いい気分の朝だった。空も晴れ晴れとして青い色をえさせている。まさにご機嫌だった。


「さあ、全財産をなくしたお嬢様はどう出て来ますか。おねだりしてきた可愛さに応じて、お金を貸してあげるとしますか。ああ、もう幸せ。果たして、こんなに幸福で許されるのでしょうか……ふわああ」


 朝という時間に激しくかき混ぜられる人の移動のうずの中、上機嫌で座るフィルフィナは、時折ときおりあくびが混じる鼻歌を歌いながら地に届かない足を振る。


 早朝の空気を震わせるように、新聞売りの少年が張り上げる声が響く。遠くに『号外、号外――』というわめきが聞こえて来て、ともすればうたた寝をしかねないフィルフィナが顔を上げた。

 ――強い風が吹いてきた。


「わぷ」


 石畳いしだたみに転がっていたゴミが吹き飛ばされ、それに混じった一枚の新聞紙が、フィルフィナの顔にかぶさった。


「……なんですか、失礼な新聞ですね……」


 両腕両足で絡みついてくるようにおおい被さってきたその新聞紙を引きがす。

 見出しに『快傑令嬢リロット、深夜の繁華街に現る』という文面が大きくおどっていた。

 フィルフィナの目が、自然に記事の文字列を追う。


「『昨夜午後十時頃、快傑令嬢リロットが予告にて襲撃しゅうげきをほのめかしていた宝飾品専門店・ゼラージュ二世に現れ……』……またわたしに無断でリロットになったんですか。勝手にやるなといっているのに…………は?」


 その続きの文面が、フィルフィナの眠気を吹き飛ばしていた。


「……『大型爆弾を炸裂さくれつさせ、王都警備騎士団九十余人に重軽傷を負わせた上、金額にして約三億六千万エル相当の貴金属ききんぞくうばい、上空に逃走とうそうしてその後行方をくらます――』?」


 いつしか、新聞紙を広げるフィルフィナの手が、わなわなと震えていた。


「……九十余人に重軽傷を負わせた? 三億六千万エル相当の貴金属を奪った……!?」


 くしゃり、とフィルフィナの手の中で紙がひしゃげる。それをその場で引きちぎってしまいたい衝動しょうどうを必死でこらえながら、フィルフィナは、自分の体のしんを伝ってえたぎる激情げきじょうえていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る