「水色の瞳の騎士」

 巻き上がった濃密のうみつな白いチリが霧のように立ちこめたものが晴れ、そこに姿を現した一人の騎士の姿に、荒くれ者たちに緊張きんちょうが走った。

 が、男たちも場慣れしていないわけではない。立ち直りもまた早かった。


「おっと、動くなよ!」


 合図も指示もなしにコナスの後ろに回った一人が、抜いた刃物をコナスの首筋にぺたりと当てた。


手前てめえ、どうやってここに来たかわからんが、それ以上動いたらこの国王代理殿下の首をっ切るぞ!」

「その手の剣を捨てろ!」


 他の男たちも短剣を抜いている。甲冑かっちゅうとレイピアで完全武装した騎士相手にそんな武器で立ち向かえるわけもなかったが、人質の存在は効果抜群ばつぐんだった。

 冷静な視線を向け、ニコルが状況じょうきょうを確かめる――敵は、立っているだけで六人。


「捨てろっていってるんだ!」

「ニコル君、僕のことはいい! この男たちを成敗してくれ!」

「おめぇはだまってろ!」


 コナスの首筋に刃を当てている男が、いている拳でコナスの頭を殴る。動作が大きく取れないためかそれほどの威力はないようだったが、コナスが小さくうめいて顔をゆがめた。

 ニコルの反応もまた、早かった。


「わかった! 武器を捨てる! だから殿下に乱暴するのはやめるんだ!」

「剣を足元に置け! ゆっくりだぞ!」


 いわれたとおり、ニコルが足元に剣を置くために体をかがめた。


「ついでに拳銃もだ! 持ってるんだろ!」

「――――」


 体がかがんだところをねらっての呼びかけに、俊敏しゅんびんな動きを封じられたニコルがそのまゆをひそめさせる。いわれるままに腰の拳銃嚢ホルスターから拳銃を引き抜き、地面に置いた。


「立て! その二つをこっちにり出すんだ!」


 素直にニコルが従う。爪先で蹴られたレイピアと拳銃が床をすべった。


「ああ……だからいわんこっちゃない……」


 あっという間に武装を解除されたニコルの姿に、コナスが重い息をいてうなだれた。


「聞き分けがいいじゃねぇか」

「っ」


 ニコルの後ろに回った一人が、少年の腕を後ろ手にねじ上げた。遠慮えんりょのない力にニコルがかすかに声を上げる。


「あっさりだな」


 全ての自由をうばわれたニコルの前に、へっと笑いながら男が近づいた。ニコルのあごに二本の指を当てて上を向かせる。男のよどんだ瞳と、少年のみ切った濃い水色の瞳が向き合った。


「なんだ、まだガキか。…………えらい別嬪べっぴんだな」


 絶望に左目を閉じていたコナスが、違和感にその目を開けた。


「男か? 女か? 微妙びみょうな感じだぞ」

「最近はいてみないとわからんのが多いからな」

「どっちでもいいじゃねぇか。この美形なら、むしろ男の方がそそるってもんだろ」

「そうだな。ここで全部脱がして裸にするか」

「お前ら順番は守れよ。俺からだからな」

「おいおいおいおい」


 話が奇妙な方向にれだしたのを目の当たりにして、さすがにコナスが口をはさんだ。


「君たち、ちょっと待ちたまえよ」

「ああ!? なんか文句あんのか! この国じゃ同性愛は罪に問われないんだぞ! それとも同性愛者を差別するってのか! この差別主義者が!」

「問題はそこじゃないだろ。無理矢理いるのに同性も異性もないんだよ」


 コナスの抗議こうぎが相手にされるはずもない。降っていたようなご馳走ちそうを前に、その顔に喜色きしょくを浮かべた男たちが文字通り舌なめずりをする。


「おい、フローレシアお嬢さん

「僕はフローレシアじゃない」

「俺たちがフローレシアにするんだよ。大人しくしていたら優しくあつかってやる。少しでも手出ししようとしたら……わかってるな」

「わかった。手は出さない・・・・・・

「いい子だ。じゃあ、味見からさせてもらうかな」


 顔の全部をゆがめきったコナスが顔をそむけ、後ろ手に腕をねじられたままのニコルのあごに指をかけた男が嘲笑あざわらうようにその舌の全部をばしてニコルに顔を近づけた。


 風が吹いたのは、その瞬間だった。


「っ」


 突如とつじょけ抜けた一陣いちじんの風に、ニコルと、そのニコルのくちびるに舌をわせようとしていた男の髪が、同時に揺れた。

 ……風? この、閉鎖された空間で?


「かへ?」


 風、といおうとして男は、二つのことに気づいた。

 上手くしゃべれない。――舌が回らない、いや、回る舌がない・・・・・・

 もうひとつ。


「あへ?」


 回るべき舌は、足元に落ちていた。なまめかしく見える濃い桃色の物体が、ひくひくと、ナメクジかなにかのように動いていた。

 理解は、痛みと同時に起こった。


「ひやあああああああ!」


 一瞬遅れておそってきた激痛に体をらせ、閉じた口の中で大量にみ上げられた自分の血を飲みながら尻もちを着く。


「なにをしてるんだ! こいつに手出しさせるなよ!」


 ニコルの両腕をねじり上げている男が叫び、自分の発言の矛盾むじゅんにその目をく。その男に対しても、風は吹いた。


「くっ!」


 肩から先にすさまじい衝撃を受ける。腕をねじ上げていたはずの少年の体が離れた。


「こいつ、俺の手を振りほどき――」


 いってみて、それが正確な表現でないことに気づいた。自分の手は、少年の腕をつかんだままだ。二メルト先につんのめったニコルの背中を、見てもそれが確認できた。


「――はれ?」


 手が、なかった。

 いや、手はある――目の前のニコルが、自分の腕をつかんでいた手を地面に投げ捨てた。捨てられた手は面白いくらいに床をすべり、壁に当たって止まった。

 ――あれは、俺の手か? つまり、今、俺の手首から先は――。


「ぎゃあああああああ!」


 両方の手首の断面からき上がった血の勢いに、失血そのものより精神的な打撃ショックを受けて男が昏倒こんとうする。二度と起き上がらなかった。


「な、なんだ、いったいなにがど」


 コナスの首に刃を当てていた男が体を起こし、首の両脇をかすめていく風を感じた。

 それも、ふたつ。

 首を右前から右後ろ、左後ろから左前、往復するように駆け抜ける風。


「うなっ」


 瞬時、意識が弾けた。頭が軽くなった、という最後の知覚を感じながら、男はコナスの脇に倒れた。


「……これは……!」


 首の脇、頸動脈けいどうみゃくを二本とも切断され、き上げる血の勢いに合わせるように顔を笑わせる男、その倒れている姿に、やいばから解放されたコナスはただ目を見張るだけだった。


「ぎゃあ!」

「ぐぎゃあ!」


 間髪かんはつを入れず、さらに他の二人が首筋からそれぞれ二本の血の筋を噴く。赤い霧をき散らし、男たちが重なるように倒れる。


「な――ど、どどど、どうなってるんだ……!」


 最後に残された男が足をもつれさせ、壁に背中を打ち付ける。そのまま壁に背中をこすりつけるようにして尻を床に落とした。震えていうことを聞かない手から、武器がすべり落ちる。


『風』の正体は、すぐに知れた。


「――――」


 ぶん、と震える音が空気を揺らして走り、ニコルの髪をひとつ、ふわりと揺らして少年の前で止まった。

 ニコルが捨てさせられていたはずのレイピアが、空中で静止していた・・・・・・・・・。そのを少年は握り、血もついていない刃を一振り、払う。


 信じられないことだが、信じる他はなかった――この剣がひとりでに空間を飛び回り、見えない刃の風となってけ巡ったのだ!


「俺が悪かった! 許してくれ!」


 ニコルの冷たい視線を受けて、最後に残った男が地にいつくばった。両手を突き、音が鳴るくらいに額を強く床にぶつけた。その剣が空中を飛び回る理屈よりも、今は自分が助かる方が大事だった。

 わけのわからないじゅつを使うようだが、目の前に立っているのは所詮しょせんはガキだ。可哀想かわいそうなくらいに哀願あいがんすれば、きっと油断する。


「お、俺たちも、好きでこんなことをしてたんじゃない! いうことを聞かなければ殺すとおどされ――ぎゃああああ!」

「あっ、すまない!」


 地面にひれ伏し文字通りに床を額で擦っている男、その背中に剣を突き入れたニコルが声を発した。


 剣の切っ先を背中に埋め込まれた男の痙攣けいれんする顔が、信じられない、と無言で震えていた。土下座どげざで許しをうている最中の人間の、背中にりつけるなどと!


「この角度で剣を入れるのは、れてないんだ。本当にすまない。余計な苦痛を与えるつもりはなかったんだ」


 ニコルがレイピアを引く。


「以前、君のように命乞いをする盗賊とうぞくを許しかけて、殺されそうになったことがあったんだ。先輩たちにもしかられた。二度とするなって。だから、君のような人間の命乞いは絶対に信じないようにしているんだ。――本当に改心していたとしたら、本当にごめん。僕をうらんでくれていいよ」


 用心深く男に近づいたニコルが、ほとんど致命的ちめいてきな傷に震えて動けないその背中に向け、まっすぐに剣を立てて身構える。

 今度は、失敗はしなかった。

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