「ニコルとコナス」

 血にれたレイピアのやいばをニコルが振ってぶん、と風切かざきり音が響いたのが、危機が去った合図だった。


 今まで散々さんざん喧噪けんそうき散らしていた荒くれの男たちは全員が地にし、一言も発さない。灰色の床に血の色の池をそれぞれに作り、微かな息の音を立てている。


 ニコルが次に行ったのは、なわ椅子いすしばりつけられているコナスを解放することではなかった。まだ息がある男たちにトドメを刺すことだった。


 少年は男たちの一人一人を観察し、胸から、背中から、その心臓を事務的に一突きにしていく。まるで、消し忘れのランプのが残っていないかどうかを確認する役人のようだった。


 小さなうめき声が上がるたびに、男たちの命が順番に消えて行くのを、声も出せないコナスはおどろきの眼差まなざしで見ていた。それは、どこか少女然とした優しい雰囲気ふんいきさえまとう少年騎士には、とても似つかわしくない作業に見えたからだ。


「殿下、ご無事ですか。お怪我は」

「あ、ああ。ちょっと痛むけれど、大したことはないよ……」


 コナスを後ろ手に拘束こうそくしていた全てのいましめを、ニコルがく。


「ありがとう。しかし、ずいぶんれているようだね」


 いってしまってから、コナスは後悔した。目の前の少年の顔がわかりやすいくらいにくもったからだ。


「……慣れてなどはいません。今夜はきっと悪夢を見ることになります」


 男たちのマントで血をぬぐった剣をさやに収め、血だまりの中におぼれたまま二度と起き上がってこない男たちの亡骸なきがらを見つめる。


 その遠い目は、とても勝利者のものには見えなかった。


「……最初の時はひどいものでした。見習い騎士になってすぐのことです。同じ新入りの、同室の同僚どうりょうが、|

盗賊とうぞくの弓によって殺されて……並んで歩いていた僕がられてもおかしくなかった……。たまたまねらわれなかっただけで、槍を持たされていた僕は半狂乱はんきょうらんになって、もう何も考えられなくなって、盗賊に突きかかって……」


 苦い記憶を掘り起こし始めたニコルを止めるべきだ、とコナスにはわかっていたが、入り込むべき余地よちを見つけられなかった。


「……無我夢中むがむちゅうでした。突いても突いても盗賊は死ななかった。下手な所を突いて悲鳴を上げさせるだけで、滅多刺めったざしにしても死ななくて、ようやく死んだのに突くたびに苦しそうな顔をして、おつかえしている騎士の先輩に殴られるまで、槍を突き出していて……」


 ニコルの顔が見る間に青くなっていく。コナスにはそれが、ニコルが話す状況の中で、少年がしていた顔なのだとわかった。


「それから二週間は、食事に肉が上がる度に吐き気をもよおして……散々さんざん粗相そそうを……」

「悪かった!」


 率直そっちょくな謝罪が、コナスの口を突いた。


「すまない、君の心境しんきょうも考えずに! 許してくれ」

「……お言葉にはおよびません、殿下。これが騎士たる自分の任務にんむです。……情けない話をお聞かせいたしました。お許しください」

「いや……。しかし、よく来てくれたものだ。本当に助かったよ」

「全てはウィルウィナ様のおかげです。この剣も」


 腰に下げたレイピアに、ニコルは手をわせた。


「そして自分にも『双子の鈴』をお与えくださりました。反応がこの方向と距離きょりに突然移動し、来てみれば……間一髪でした」


 本当に間一髪だった。あの荒くれ者が最後の祈りの時間を与えてくれなければ、自分は死体としてニコルと対面していただろう――コナスは震え、おかしなことにその男に感謝する気にさえなった。


 そして、同時にわからないこともあった。


「……途中の迷路はどうしたんだい? いくら方向と距離がわかっていても、まっすぐ進めはしなかったろう。かなり迷えるようになっていたはず……」

「あれを」


 ニコルは壁に空いた大穴をし示した。少年がこの空間に突入して来た穴だ。


「通路の壁という壁を破壊し、一直線に進んできました。これもウィルウィナ様から戴いたレイピアの力のおかげです」

「…………そ、そうか」


 知恵の輪を力で引きちぎるようなその行為に、コナスは思わず身震いした。


「しかし、リルル嬢のおさななじみに助けられるというのはこれは、なにかの因縁いんねんというか、なんというか……」

「リルル?」


 コナスの口から出た意外な名前に、ニコルが目を見開く。


「あれ? 聞かされていないかな? 僕とリルル嬢は婚約中の身なんだよ」


 見開かれたままの目でニコルがコナスの顔を凝視ぎょうしした。


「コナス・ヴィン・ベクトラル。……本当に誰からも聞いていないかい?」

「…………ああ――っ!」


 声を上げてからニコルはあわてて自分の口をふさいだ。聞いたことはある――聞きたくなかったから印象はうすかったが、記憶にはしっかりと残っていた。


「こ……国王、国王代理殿下がリルルの婚約者……! ……い、いえ、これは大変失礼なことを! 殿下がフォーチュネット伯令嬢とご婚約こんやく間柄あいだがらであることは、確かに聞きおよんでおりました!」

「なにを遠慮えんりょしているんだい。君の呼びたいように呼べばいいんだよ。僕が彼女をリルルちゃん、なんて呼ぶよりよっぽど正統性があるじゃないか」


 コナスが笑う。時々、そのほおを痛みに引きつらせて。


「……君は優しい、いい少年だ。正直僕は君がうらやましく、ねたましいほどだよ……。年齢と体重が今の半分で、君の四分の三ほども美形びけいだったら、こうから君と争うんだけれど、まあ、ないものねだりというものだね……いててて」


 左の脇腹を押さえ、コナスはその笑いをゆがめた。服に血がにじんでいる。


「殿下! すぐにお城にまでお連れいたします! お傷の手当てをしなければ――」

「馬鹿いっちゃいけないよ。君がしなければならないのは、そんなことじゃないだろう」


 傷を隠すように手で押さえながら、コナスは声を振りしぼった。


「君がしなくてはならないのは、最前線におもむいている、二人のフローレシアお嬢さんたちを助けに行くことだろう。僕のことはいい。彼女たちの身の安全の方が大事だ」

「しかし!」

「君は国王代理の命令が聞けないというのかね!」


 稲妻いなずまのように落ちたその言葉に、ニコルの背筋がねた。柔和な笑みの一切を消したコナスが、真正面から少年を強い眼差まなざしで見据みすえていた。


「国王代理として、騎士ニコル・アーダディスに命じる。すぐさま前線に向かい、二人の勇敢ゆうかんなフローレシアを援護えんごしたまえ。これは君命くんめいである!」

「殿下――」

「……お願いだよ、ニコル君」


 ふわっ、と風が吹くように、コナスは表情を変えた。


「頼む。この通りだ。僕にとっての希望はあの二人と、そして君だけだ。ヴォルテールの野望を阻止そししてくれ。こんなことになるまでなにもできなかった、おろか者の僕たちの代わりに……」

「殿下……」

「僕なら、大丈夫だ。歩くくらい、一人でできる。……穴が続いている所をたどれば城まで行けるのかな? しかし、罠が――」

帰路きろの罠なら大丈夫です」

「……解除したのかい?」

「全て僕が作動させました」

「あはははは……あいててて」


 思わず込み上げた笑いと共に激痛が走り、コナスは笑いながら小さく悲鳴を上げた。


「なら、大丈夫だね。――ああ、だいたいもう予想はついているんだけど、ここから君はフローレシアの所までは」

「『双子の鈴』で大まかな方向と距離はわかりますから、そこに向かって通路の壁をぶち抜いていきます」

「……確実そうだね。大丈夫か」


 くつくつ、とわき上がる笑いをおさえるので精一杯になる。十分前までの不愉快ふゆかいさがうそのように思えるほどだった。


「――行ってくれ、ニコル君。僕たち大人の不始末を若者たちにさせることを心からびる。そして……」

「殿下?」

「……君は、君を大切におもってくれる人のために、生き残らなければならないよ。命を粗末そまつにしないでほしい。君が生きていることが、リルルちゃんの生きる力になるのだから……」

「大丈夫ですか、殿下!」


 ふらつきながら立ち上がったコナスにニコルが駆け寄ろうとし、コナスはそれを手で制した。


「早く行くんだ。猶予ゆうよはもうないかも知れない。さあ、早く」

「……殿下、どうかご無事で! 失礼いたします!」

「気をつけて」


 全てを振り切るようにニコルが一礼し、その身をひるがえしたのにコナスは微笑ほほえみ、椅子いすに腰を落とした。


 そのまま左目を閉じ、体から力を抜く。


 暗闇の中ですさまじい音がとどろく。爆風に似た風がコナスの髪を揺らし、目を開けて見ると、ニコルの姿は消えていた。

 間を置いて、爆音が続く。次第に遠くなっていくその音にコナスは安堵あんどした。


「――僕も、グズグズしてはいられないな」


 椅子から立ち上がる。脇腹の出血は思ったほどひどくはないが、じわじわと血のみを広げている。時間はないようだった。早くしないと――。


「……さて、行くか。僕もがんばらないとね……」


 少しの間世話になった椅子を愛おしげにで、コナスは、少し頼りなげな足取りで歩き出した。

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