「勝利者の敗北」

「か……空っぽのうつわだと……」

「だって、そうだろう」


 椅子の肘掛ひじかけにかけられたカデルの手が、震えていた。そのままそれをにぎつぶすのではないかという気配があった。


「その世界で君が得られるのは、敵だけだよ」


 後ろ手に縛られ、見下されているはずのコナスは朗々ろうろうとした声で続ける。


「誰もが君を憎み、その死を願い、君は誰かの前で眠りこけることもできない。ああ、いい当ててみせていいかい? 君はそこにいるけれど、その城に誰か一人でも『他人』がいるかい?」


 目をいたカデルが身を乗り出した。しかし、それだけだった。


「いないだろう。君は誰も信じていないからね」

「――お前も似たようなものだろう、コナス!」

「僕には友達がいるよ」

「地位と金にむらがるような取り巻きに、意味があるのか!」

「それがそうじゃないんだなぁ。まあ、信じてくれなくてもいいんだけどさ」


 ククク、とコナスが笑った。


「少ないけれど、僕には友達がいる。僕が『伯爵だ』と名乗っても、冗談だと思って笑い飛ばしてくれた友達が三人だ。君はカビ臭い物置で、腹の底から笑い合いながら誰かと安酒をみ交わしたことがあるかい? そのままみんなで酔い潰れたことも? 誰かの前で無防備に寝られるかい?」

「――――」

可哀想かわいそうな、可哀想なひとりぼっちのカデル君。たとえ世界を手に入れても、君は永遠にひとりぼっちだ。おめでとう、孤独こどくな皇帝陛下。君を心からいただく家臣は一人もいないんだね」


 カデルがなにかを叫ぼうとその口を開く。が、声は出ない。そんな少年に、コナスは悲しげに吐息といきらした。


「……君の行動が、母上の仇討かたきうちから来ているのはわかってるよ。僕の母も同じようなものだったからね。でも、君がその母上の妄執もうしゅうに取りかれてどうするんだい」

「……私、は……!」

「悪いことはいわない。その玉座から離れるんだ。君がしでかしてしまったことは、罪は大きい。しかし今なら、僕は君を見逃みのがす。だから――」

「――この負け犬が、なにをほざくのか!」


 カデルが立ち上がった。その顔から冷静な仮面ががれ落ちていた。


「貴様は二百年前に負けた、ベクトラルの末裔まつえいなんだ! 負け犬は負け犬らしく大人しくうなだれていろ! 勝者に向かって生意気な台詞セリフくな! この負け犬が! 負け犬が! 負け犬が!」

「……僕にとっては、ベクトラルの家とか王家の血筋とか、そんなものは、本当にどうでもいいことなんだよ……」


 カデルのどのような言葉も、コナスの心に傷一つつけはしない。たとえその表面に激突しても、曲面をすべっていくだけだった。


「できれば、それに無縁むえんな身として生まれたかった。……カデル。一人がこわいなら、僕が友達になろう。君の孤独はよくわかる。二人でちがう場所に行って、違う人間になってもいい。だから――」

「お前たち、その男を殺すんじゃないぞ!」


 コナスを囲んでいた荒くれ者たちが、電気を受けたようにその背を震わせた。


「……その男には、死より耐えがたい苦痛を与えてやる。あの娘ふたりを捕らえ、汚辱おじょくの底であわれにい回る様を見せつけてやる! 今並べた戯言たわごとの全てを、涙と後悔と共に撤回てっかいさせてやる! 殺してくれと懇願こんがんしても殺してやらん――よく見張っているんだな!」


 青い幕が、霧が晴れるように消え失せた。カデルの気配もなにもかもが消滅してなくなった。

 コナスが深い息をく。勝利の高揚こうようなどは微塵みじんもない。ただ悲しさと徒労感とろうかんがあった。


「――なあ、どうする」


 ざわめき出した男たちが、顔を見合わせ始めた。


「決まってるだろ。あんなくるいにつき合っていられるか……どうせ俺たちも用済みになったらどうなるかわからん。今のうちに遠くに逃げるぞ」


 この荒くれ共すら統制とうせいできていないのか。コナスは思わず笑ってしまった。


「おい、豚。俺たちはここから退散する。でもな、お前のふざけた小細工こざいくで仲間が、兄貴が殺されたんだ。そのうらみは晴らさせてもらうぞ」

「こっちは母親や家臣も大勢殺されているのに、全然り合わないじゃないか」

だまれ。まあ、俺たちも鬼じゃない。どうせお前もあの物狂ものぐるいに目をつけられているんだ。生きてたってロクな死に方をさせてもらえないだろ。だからその前に、楽に死なせてやろうっていってるんだよ」

「……ありがたくて、本当に涙が出るね」

「そこの大槌ハンマーを持って来い」


 少し離れた場所に横倒しになっている大槌を、男はあごでしゃくって見せた。


「おいおいおい、そんなもので人をぶん殴る気なのかい。やめてくれよ。せめて拳銃かなんかで」

「弾代がもったいないんだよ」

「たまんないなぁ」


 心からの思いに苦い顔をしたコナスの横で、大柄な男が大槌を地面に水平にして構えた。


「一分やる。祈れ」

「せめて五分くれないか。短すぎるよ」

「……二分だ! グズグズさせるな!」

「仕方ないなぁ」


 まったく、と呟きながらコナスはうつむき、左目を閉じた。


「……葬儀屋そうぎや、探し物屋、本屋、同好会の後を頼むよ。立派に活動していってくれ。リルルちゃん、君に色々話したかったけれど、かなわないようだ。ニコル君とお幸せに。……ヒィリー、デュリー、トロリー、カトリーヌ、ウーフェリー。もう一度みんなと暮らしたかったなぁ。ええと、他は……」


 男たちがイライラと時間を計る中、コナスの祈りはそこで途切れた。


「……なんだ、僕もさびしい人間だな。もう終わっちゃったよ」

「それじゃ、いいな」

「上手いことしてくれ」


 万が一しくじられた時の悲惨さを考えて、コナスは頭を起こした。的確に当ててもらえれば即死できるだろう。

 せめてみっともない声だけは上げるまい、とコナスは歯を食いしばった。


「行くぞ――」


 大柄な男が腰をひねる。風が巻いた瞬間、終わる命のことを思ってコナスはさらに、両顎りょうあごに力を込めた。

 ――そして、轟音ごうおんと共に、風が吹いた。


「ぐぎゃあ!」


 なにかが爆発したような音が響き渡り、悲鳴がとどろく。体が地面にぎ倒される音を、全身に力を込めきって微動だにしていなかった・・・・・・・・・・・コナスは聞いた。

 そのまま大きな体をちぢめきっていたが、感覚の途絶はなかった。


「…………あれ?」


 自分が死んでいるのか生きているのか、それを確かめるのはこわかったが――コナスは勇気を振りしぼって左目を開けた。

 足下に、ハンマーを握ったまま細かい瓦礫ガレキを被って倒れている大柄な男がいた。


 数十セッチメルトも見通せないような濃密のうみつな白い煙が立ち上っている。その向こうに、ゆらりと現れる一つの影――人の形をした影があった。


 コナスが目をまばたかせているうちに、その人影は、確かな輪郭りんかくと色をまとう。

 小柄な体格に銀色の甲冑かっちゅうをまとい、柔らかい髪に金色の輝きを帯びさせた、彼。


「――国王代理殿下! お助けにあがりました!」


 怜悧れいりな声がせまい空間に響き――コナスは、数時間前に聞いたばかりの声音こわねに、思わずその名をさけんでいた。


「君は……ニコル君……!」

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