「刃なき逆襲」

「……快傑令嬢リロットとかいう娘と、それにつきまとっているエルフの娘のことか!」

「そうさ。二人とも悪を許さない、僕なんかとてもおよびもつかない、確固たるたましいの持ち主だ」


 口にしてみて、全ての自由をうばわれた立場でも、コナスは愉快ゆかいになっていた。それだけ口がなめらかにすべってくれた。


「たかが小娘ふたりが、なんになるというのだ」


 青い炎が大きく揺れた。次にはそれが空間一面に広がり、壁と天井、床にまで広がる青白い半透明のスクリーンになる。おどろきに目を見張った一同の前で、ひとつの光景がその全体に投影された。


「ひっ」


 荒くれ者たちの顔の全部が大きくゆがみ、そののどから声帯がきしむような音がこぼれる。

 事前に知識があるコナスの驚きは、そこまで大きなものではなかったが、それでも胃に響いた重い衝撃に歯が食いしばられた。


「これは……!」


 れっきとした王位継承権おういけいしょうけんを保持した王家の分家、ベクトラル大公家たいこうけ跡継あとつぎとしてのコナスに伝えられていた、口伝くでんのままの様相ようそうが今、目の前に展開していた。


 暗緑色の岩石――いや、強固な建材で構成された、無機質な竜。しかもその足元には人がいる――竜に追いすがろうと走っているその人影は、竜の足に鋭く生えている巨大な爪の大きさほどにしか見えない!


 長く前に伸びた首と尾、山のように盛り上がった胴体の姿からは、山のような大きさの大要塞が前進している、という印象しかいてこなかった。


「わかるだろう、コナス」


 コナスの歯が食いしばられ、その眼から冷静さが消えていることに満足するかのように、カデルの声は落ち着き、そして勝ちほこっていた。


「これが伝説にある、魔界からの侵略を防ぐための切り札である、『城塞竜フェスドラグーン』だ。天界の神によって造られた存在であり、かつての魔界による侵攻が行われた際、傷つき機能が停止していたものが、五百年の時間をかけて再生したものだ。これは今は、私の統制下とうせいかにある。もうすぐ、これは結節の空間から飛び出す――地上に出るのだ」

「……話には聞いていたし、君の目的がそれにあることは、予想はついていたよ……」

「お前も大公家の人間だ。ちゃんと申し送りはされていたのだな」

「……で、そんなもので地上に出てどうするんだい? そんなものでお日様を浴びながら、散歩でもするのかな?」

「まず、王城を跡形あとかたもなく吹き飛ばす」


 コナスの口が一つ、大きく引きつった。


「この城塞竜の前では、王城などかざりに過ぎない。今からこの城塞竜こそが、エルカリナ王城なのだ。魔王の城などを再利用した過去の遺物いぶつに用はない。本当の支配者は誰なのか、無知蒙昧むちもうまいな民がしっかり心にきざめるよう、全ての者たちの前でふるき城を破壊する」

「…………もったいないね。観光名所としてのこしておくべきだよ。でさ、実際問題、そんなことができるのかい?」

ためしに実演じつえんして見せよう」


 コナスの笑いが消え去る。迂闊うかつなことをいった、とその見開かれた眼がいっていた。


「どうやってこの城塞竜が『結節の空間』からけ出すのか、お前も見たいだろう」

「――やめろ!」


 コナスには、それが見えなかったが、わかった。

 カデルがその手にした閉鎖機スイッチの、取り返しのつかない突起トリガーえた指に、力が込められるのを。



   ◇   ◇   ◇



 エルカリナ城の一角では今、まさに暴虐ぼうぎゃくの嵐が荒れくるっていた。


「ふふん、ふふん、ふふん、ふふん……」


 巨大騎士の剣にくずされた貴賓室きひんしつ――の隣の部屋。ほとんど同じ作りの、もうひとつの部屋。

 南向きの広いバルコニーに大きな浴槽よくそうえさせ、それにいっぱいの湯を張らせて、その上に大量の石鹸シャボンの泡を泡立たせている。


「ああ、ああ、これはまさに天の国の感じだわ」


 ゆるやかな浴槽の曲面に体を合わせるようにうつ伏せになり、その長い髪を後ろにまとめてい上げたウィルウィナは、浴槽からあふれ出る泡の中に上半身の半分をしずめていた。


 心地よい程度にぬるい泡の中に上機嫌でかるエルフの女王を前にして、白い上着の少年たちが十二人、それぞれに引きつった顔で整列していた。

 全て、ウィルウィナが自ら面接し、りすぐった美少年たちだ。

 城を救った功労者の意向に逆らえる者などいるはずもなく、他人の城でまさに女王として振る舞っている。


「こういうのをなんていうのかしら? 『フィルフィナ洗濯せんたく』とかいうのだったかしら? あ――グラスが空になっているわよ」


 裸の肩、乳房の危ういところまでを泡の外に出しているウィルウィナが、片手にしているグラスを軽く振る。小さなテーブルの上で氷に冷やされているボトルをあわてて持ち上げた少年が、そのグラスを赤い液体で満たした。


「ありがと」


 石鹸の甘いにおい、赤いワインの葡萄ブドウ由来の芳醇ほうじゅんな香りに包まれながら、ウィルウィナはグラスに口をつけてそれをわずかにかたむけた。

 これ以上もないほどに退廃たいはいし、堕落だらくした味が舌に触れ、喉を通り抜けていった。


「いいわねぇ、お酒、お風呂、美少年! これ以上なにを望むものがあるのかしら。里じゃ絶対にこんなことはできないしねぇ」


 まさに絵に描いたような、頑迷がんめい融通ゆうづうかないエルフの女王像を演じ続けなければならない心的負担ストレスを、ここぞとばかりに発散はっさんさせている彼女の暴走は止まらない。


「ああ、弓をるので酷使こくしした、肩と腰と脚が痛いわ」


 並んだ十二名の美少年たちが、たがいに顔を見合わせた。その困惑こんわくし合う美少年たちに、ウィルウィナが視線を向ける。


「……酷使した肩と腰と脚が痛いわ」


 少しだけ冷たくなった口調に、まださっしがいい方の美少年がけ寄り、側でひざを着いた。


「ウィルウィナ様……あの、よろしければ按摩マッサージをさせていただきますが……」

「あらぁ? なにか要求しちゃったように聞こえたかしら? でもせっかくだから御厚意に甘えましょうか」

「では、お上がりいただいて、お部屋の中で」

「このままでいいわよ」


 少年たちの顔に恐怖の色が走った。


「このままでいいわ。お風呂につかりながら按摩マッサージしてもらうの、気持ちよさそう」

「そ、そんな、直接お肌に手を触れることなど」

「このままでいいといったのよ」


 瞬間、ウィルウィナの眼から笑いが消えて、それが少年たちの心を冷えさせた。


「たくさんの手に同時にんでもらうのって、気持ちよさそうね」


 もう、少年たちに迷いはなかった。

 浴槽にむらがれるだけの人数が群がり、膝をついて泡しか見えない湯船の中に手を突っ込む。

 十を軽く超える手に一度に触れられ、石鹸が溶けた湯で盛大に洗われる感触に、ウィルウィナはとろけるような吐息といきらした。


「そう……そう、そうそう、しっかりさすってね。肩とか、肩の付け根とか、腰とか、脚の付け根とか――もちろん、今いった所以外・・・・・・・もしっかりとね」


 目の端に涙を浮かべ、自分たちが行っている恐ろしい作業に恐れおののき、色んな理由で腰を引かせた美少年たちが、一分一秒でもこの苦行くぎょうが早く終わってくれることを祈りながら手を動かす。


「ああ、幸せ。寿命じゅみょうがもう百年はびそう。高級ホテルじゃエルフはお断りだし、お金を積んでもこんなことはしてもらえないしね――あ、足の指もこすってね。指と指の間もよ」

「ひぅっ……」

「泣くな、泣いちゃダメだ」

「……それにしても、どうしてこんなに水準の高い美少年がそろっているのかしら?」


 全員の手がびくっ、と震えたのをウィルウィナは感じた。互いに顔を見合わせ、頬を赤らめ合う美少年たちの様子にウィルウィナも全てをさとった。


「……ああ、そう、そういうこと……。このお城にも高尚こうしょうなご趣味しゅみをお持ちの方がいらっしゃるようね。まあ、他人の性癖趣味には口を出さない主義だからいいけれど」


 そんなことは放っておいて、今はただこの心地よさに心を沈めよう――そうウィルウィナが目を閉じようとした時に、その予感はひたいに突き刺さった。


「――――」


 ウィルウィナが、躊躇ためらいもなく、浴槽の中で体を起こした。

 ウィルウィナの肩に手を触れていた美少年たちがつんのめって浴槽に体を突っ込ませかけ、残りの美少年たちは泡の中から突然現れた裸体に思わず目を手でおおった。目がつぶれる、と信じている者も数人いた。


 まるで普通に浴槽から出るようにウィルウィナの脚がひとまたぎし、大量の泡混じりの湯を体からしたたらせたまま、バルコニーの手すりにまで歩を進める。


「ウィルウィナ様! いくらなんでも、このような場所で、そのようなお姿で!」


 最も勇敢な美少年がバスタオルを手にし、女王の体になんとしてもそれを巻き付けようとした時、笑みが消えた顔で南の海を見据えるウィルウィナの視線の先で、それ・・が震えた。


 ズバァウッ!


 空と海との境界で、太陽が破裂したかのような光が爆発して大きく弾け、それが王都に存在する全ての影を、光の中に引きがして吹き飛ばす。

 そのまぶしさにウィルウィナが顔をそむけた瞬間に、それは、底から海を突き破って現れたのだ。


「――――――!!」


 巨大な光の柱が、海から天に向かって突き上がった。

 空に横たわる雲を下からつらぬいたそれは、一瞬にして気化きかさせて蹴散けちらし、空のそのはるか上方にまで屹立きつりつした。


 光よりも数秒遅れ、すさまじい轟音ごうおんが響き渡る。王都のありとあらゆるものを震動させ、音の衝撃が街という水面に波を打たせた。


「ひゃあ、ああああ……!」


 ウィルウィナにタオルを巻き付けようとしていた美少年は反射的にウィルウィナにしがみつき、その瞳の中で光の柱が消え失せても、そのまま体を硬直こうちょくさせていた。


「――ま、こうなるわね……」


 ウィルウィナの視界の真ん中にとらえられた、海。王都南部の港湾部こうわんぶから突き出ため立て地の沖、数カロメルト先だろうか。


 海に、穴が空いていた。

 それはこのエルカリナ王城の全てがそのまままってしまいそうなほどの、大きな口だった。



   ◇   ◇   ◇



 るほどに大きく首を上にらし、その大きく開けたあごの奥から、闇の全てを吹き飛ばすほどの光を吐き終えた城塞竜が、静かに首を水平に戻した。

 青い幕の中で展開された光景に、一滴いってきの声さえらせなかったコナスが、のどを震わせていた。


「ふぅん……。ねらいは外れたな。連続で『光』を吐くこともできないか。まあ、王都を直撃はできなかったが、十分だ。これで脱出口はできた」


 青い幕に投影される映像が、カデルの姿に切り替わった。玉座とおぼしき大きな椅子いすに、小さな体が乗っていた。


「コナス。お前に特段のうらみはないが、ここで死んでもらう。エルカリナ王家の血を引く者は私一人でいい。あとあと面倒になる種はつぶしておく」

「……僕には子供は作れないんだけれど、信じてくれないんだろうなぁ……。で、さ。聞いておきたいんだけど」

「なんだ。私は忙しいんだ」

「いいじゃないか。これが最後の従兄弟同士の語らいになるんだから、あと数分くらいつき合ってくれてもバチは当たらないだろう」


 どこか飄々ひょうひょうとしたコナスの口調に引きずり込まれるものがあったのか、意外にもカデルはそれに応じたようだった。コナスが再び口を開くのを待つ気配があった。


「王城を破壊して、王都を制圧して、その後はどういう計画なんだい?」

「ゴッデムガルドを消滅しょうめつさせる」


 エルカリナ王国でも有力貴族のひとり、ゴーダム公爵が治める街の名前をカデルは口にした。


「ゴーダム公爵は覇気旺盛はきおうせい質実剛健しつじつごうけんな人柄で知られている人物だ。国民の中で人気も高い。王都が制圧されたと聞けば、無謀むぼうにも反抗してくるかも知れない。そのゴーダム公爵を、主要都市ごと消滅させる――どんな効果が期待できる?」

「……いい見せしめになるだろうね……」

「残りの貴族も私にひれ伏し、従うだろう。そしてこの城で大陸間を飛翔ひしょうする。周囲の国の都市を吹き飛ばし、他国民を恐怖によって服従させる。空を悠々ゆうゆうと舞うこの城塞竜を倒す手段は存在しない。少し時間はかかるだろうが、世界は遠からず、この手に落ちる」

「なるほど、完璧な計画だ。文句をつけたいけれどつけようがないよ。素晴らしくて拍手を送りたいんだけど、しばられているからね。勘弁してくれ」

「こんなにも偉大いだいな力を眠らせたままくさらせてしまおうという歴代の国王など、歴史に不要な存在だろう。お前は死んだことも知られないまま歴史にもれることになるが、あきらめてくれ。それでは――」

「ああ、ちょっと待って」

「……なんだ」


 さすがに、カデルの声に苛立いらだちがにじんだ。


「まだ君は肝心かんじんなことに答えてくれてないよ。確かに、君の手段については拝聴はいちょうした。世界はやがて君のものになるだろう。――それで、さ」

「だからなんだ」

「世界を手に入れて、その手に入れた世界において、君はなにをしたいんだい?」


 カデルは答えなかった。

 椅子に座ったままなにかをいいかけ、そのまま固まっていた。

 その空白が、回答の全てだった。


「考えたことないんだろう。なんのために世界を手に入れようとしているのか。断言しておいていいよ。――君が手に入れられるのは、世界という大きさだけは馬鹿でかいだけの、空っぽのうつわだということをね」

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