「エルフの女王、もう一つの顔」

「エルフの女王だと!?」


 圧倒される場の中で、いち早く正気を取り戻した衛兵えいへいの一人が手槍てやりを構えた。その鋭い穂先ほさきをウィルウィナの方に向ける――まだ、間合いはとんでもなく遠かったが。


「なにをとんでもないホラ話を! 確かにエルフのようだが、女王のような立場がこんな場所に現れるわけがない! この狼藉者ろうぜきものが! それ以上動くと、槍で心臓を一突きにするぞ!」

「まあ、本当に物分かりが悪い一般兵さんだこと」

「なんだとこの女! ずいぶん大きな胸、いや、ずいぶん大きな顔をしてくれおって!」

「……あ!」


 リルルの頭の中で記憶が掘り起こされた。確か――フィルフィナが転移鏡で屋敷に戻って来た時に、一緒にいたエルフの女性!

 それを裏付けるように、後ろからついて階段を上がってきた全身黒ずくめの小柄な姿が、ウィルウィナと名乗った女性の前に盾のように立つ。


「フィル……!?」


 リルルも知っているその装束しょうぞく。アメジスト色の目と黒くった耳以外はなにも露出ろしゅつしていないその姿は、明らかに彼女フィルフィナのものだった。


「そこの御方おかたにおたずねしてみなさいな。私が誰かということを、たちどころに証明してくれるから」


 ウィルウィナが視線を振る。リルルやコナス、もちろんシェルナ侯にではない。この場において最も奥にいた、その人物に切れ長の目は向けられていた。

 反応は早かった。


「ウィルウィナ様!!」


 玉座の裏、絵画の前にいたイェズラム公爵が、バネで弾かれたように車椅子くるまいすから立ち上がった。

 周囲の目が一斉にギョッとかれる中、数十メルトの距離きょりを短距離走の勢いで走り抜け、ウィルウィナの前でほとんど転ぶようにひざを着く。


 自分が満足に歩けないということも忘れているかのような走りだった。


 あわてて従者じゅうしゃが車椅子を押して追いかけ、主人をきかねないあやうい間合いで急制動をかける。


「ま……ま、ま、まことに、真に女王陛下であらせられますか……!!」

「あら、あらあら。無理をしないでよアデルちゃん。あなた、もう体が相当悪いんでしょう? 私のために死なれたら責任を感じちゃうじゃない」


 軽く腕を組んで佇立ちょりつするウィルウィナの前で、大国の宰相――今現在、この大陸においては最高位の地位をほこるはずの老人が、周りの視線などかなぐり捨てるように手を突いて平伏していた。


「私がそれ以外の誰かに見える? あなたはよくご存じのはずよね――私のこと。それはもう、色んな・・・ことを、本当に……。黒子ほくろの場所だって変わってないのよ……なんならあなた、この場で言い当ててくださるかしら?」

「そ、そ、それにはおよびません!!」


 両手を絨毯じゅうたんに突いたまま、イェズラム公爵が深々と頭を下げた。衛兵たち、その全員の口が開いてあごが落ち、その冷静さで知られるシェルナ侯爵でさえ、口元を半開きにさせて戦慄わなないていた。


「じょ……女王陛下におかれましては、本当にお変わりないもの・・・・・・・・とお見受けし、このアデル・ヴィン・イェズラム、真に、真に、真に歓喜かんきえないものと……!」

「そういうあなたは、真に変わっちゃったわね。私の前に使節として初めて膝を着いた時はもう、それはそれは可愛らしい紅顔こうがんの美少年だったのに。すっかりシワくちゃのおじいちゃんね」

「も――も、申し訳ございませぬ……!!」

「謝ることないじゃない、アデルちゃん・・・・・・。誰だって歳はとっちゃうもの。――それに」


 微笑ほほえむ女王がかがみ込み、イェズラム公のほおをさらりとでる。老人の体がもう可哀想かわいそうなくらいに震えていた。


「私にはわかるのよ。あなたにはまだ、あの頃の面影おもかげが十分にあるわ。一目でわかったくらいだもの、ね。ああ、なつかしいわ……久しぶりにあなたの顔を見たら、想い出があふれてくるわね」


 女王の白い手が、老人の頭巾ずきんかぶった頭に優しく触れた。まるで幼児をあやす母親のようだった。


「あの日――もう何十年も昔の話だけれど、あなたと膝を突き合わせてお話したわよね。覚えているかしら?」

「は……は、もう、それは、それは、昨日のことのように覚えております……」


 恐縮きょうしゅく究極きゅうきょくに立ったイェズラム公爵のこめかみを、大きな汗の玉がひとつ、流れて落ちた。


「そのあなたがあんまりに可愛らしいから、他にも色々と・・・突き合わせて一晩中、それはそれはもうじっくりお話したわよね」

「は、あ、あ、ああ……」


 血が引いていたはずの老人の顔が紅くなる。思春期ししゅんきの少年が見せる色だった。


「あ、あ、あの夜のことは、このアデル、一生の想い出でありまして……ですから、どうか、どうか、この場では、その話の続きは、どうか、おひかえを……」

「昔の手紙箱をあさっていたら、あのあとあなたが送ってきた手紙を見つけてね。――この場で読んでいい?」


 胸の谷間から、ウィルウィナは何十通もの手紙のたばを取り出す。


「ど、どうかおやめください! ご、ごご、後生ごしょうでございますから!」

「私も何千通と恋文ラブレターをいただいたけれど、あなたが送ってくれたものがもう、それはそれはいちばん素敵すてきだったわよ?」


 想い出を抱きしめるように手紙の束を胸の谷間にめ、ウィルウィナの目が柔らかく細められた。

 リルルやコナスやシェルナ候、その他の兵士たちに言葉はない。まだ開いた口が閉じるには時間が足りなかった。


「教養があって、情緒じょうちょがあって、物語があって、情熱があって……素晴らしい名文だわ。私、死ぬまでこれを保管しておくから」

「せ……せめて、公表だけはお許しを……いえ、た、たとえ、なさるにしても、私の死後百年間は、なにとぞ、なにとぞ……」

「わかったわ。でもね、アデルちゃん――十年前のあれ・・は、ちょっとなかったんじゃない?」

「――――っ」


 イェズラム公の顔色が、あせりから絶望に変わった。


「いくらあのボンクラ王弟殿下が邪魔だからって、それと私たちをみ合わせてあの馬鹿たれ王弟殿下を排除しようとか、私たちエルフへの配慮はいりょがあまりにもなさ過ぎるわね。あの時、確かあなたはもう、今の宰相さいしょうの地位にいたのよね?」

「申し訳ありません! 申し訳ありません! 申し訳ありません! 申し訳ありません!」


 イェズラム公爵の額がきっちり四回、赤い絨毯じゅうたんに叩きつけられた。


「あの時はもう、他に手段がありませんで、私としても陛下になんとか連絡を取ろうとしたのですが、母君に溺愛できあいされた馬鹿王子王弟殿下の力が強く、どうにもできなかったところでございまして……おびの使者を送ろうにも、新しい里の場所もわからず、私としても……!」

「ああ、もういいわ。一国の宰相閣下にそれだけ頭を低くされれば、溜飲りゅういんも下がったから。いつまでもいつくばってないで、そろそろ車椅子に座っていいから、お願い――――いい加減に座りなさい! これは命令ですよ!」

「はい!」


 一秒とかからない動作で、イェズラム公爵は真後ろの車椅子に飛び乗った。


「いい子ね」


 宰相のシワだらけの額に口づけをし、ウィルウィナはまるで自室にいるような気楽さで玉座に向かって歩を進める。車椅子に戻ったイェズラム公のうなだれた顔から、き出されたたましいが失われていた。


「それにしても、本当になつかしいわねぇ」

「お――おま、お待ちを!」


 王権の象徴しょうちょうである玉座に向かい、ずかずかと歩いて行くウィルウィナをどうにかしなければと思ったのか、勇気の全部を振りしぼったシェルナ侯が前に出た。


「あ……あなたが、エルフの女王であるということには得心とくしんがいきました。しかし、これはあまりに無礼ぶれいでありましょう! 女王陛下でいらっしゃるのなら、王国に対してもそれなりの礼儀れいぎの示し方というものが……」

「半世紀ちょっとしか生きていないようなハナタレ小僧は、黙っていなさい!!」


 ウィルウィナの一喝いっかつに、シェルナ侯の根性が一撃で粉砕ふんさいされた。


「無礼なのはあなたよ。自分が誰と話しているのか、まだよくわかっていないんじゃないの?」


 木偶デクの坊のようになったシェルナ侯の前を通り過ぎ、玉座の横も通過したウィルウィナは、北面の壁――王国創建そうけんの五英雄を描いた絵画の前に立った。


 絵を守るガラスに手を当てた女王の目が、ふっと細く、柔らかくなる。過去をでる顔になる。


「ああ……こうすると、一番大事な想い出がよみがえるわ……。私のみんな・・・・・……。――特に」


 描かれている英雄の一人、あおし勇騎士・ヴェルザラードの顔にそっとてのひらわせた。


「ヴェルの奴……最後の決戦前に私が夜這よばいをかけたら、『巨乳は怖い』とか抜かしやがって逃げやがったのを、五百年った今でもうらんでるのよ。まったく、あの馬鹿ったれは」

「…………なにを、おっしゃっているので?」


 思考能力が四十年は低下したシェルナ侯が聞き返し、それにウィルウィナは微笑み返した――本当に物分かりの悪い学童がくどうに、さとすの教師のような顔で。


「この射手しゃしゅ、誰かに似ていると思わない?」


 背中で波打つ長い緑色の髪、その隙間すきまから鋭い耳を見せている射手――『みどり美射手びしゃしゅ・ウィリーナ』と名前が入っている人物の前で、ウィルウィナは同じ姿態ポーズをとって見せた。


「――――ああ!!」


 完全に一致した・・・・・・・。シェルナ侯の顔から色が消える。


「そ……そ、それでは、あなたが……!!」

「人間の世界での通名よ、ウィリーナは」


 かすかな照れを見せ、ウィルウィナがいう。


「ウィルウィナじゃ、名前の響きから、地位がバレてしまうからね――」

「あ、ああ、あなたが地上最強の射手とうたわれた、あの伝説の英雄の!」

「なんですって!」


 シェルナ侯が文字通りに腰を抜かしてその場に尻もちを着き、フィルフィナの口が覆面ふくめんの下で開いた。開いたままふさがらなかった。


 歴代の王族の中でも、最低の射手といわれていた母が、人間界でそんなあつかいを受けているとはまさしく初耳だったからだ。


 エルフに特異なその身体的特徴大きな胸のため、弓における正式な射撃の姿勢しせいが取れず、やむを得ず体の一部大きな乳房切除せつじょしなければならない――そう、フィルフィナの祖母そぼである先代の女王が決断した途端、まだ王女の立場だった母は泡を食って家出したトンズラこいたという。


 五百年も昔の話だ。


「……そんな話、聞いてなかったですよ…………!!」


 家出の間に世界を救っていた母に、フィルフィナはこれからどういう態度でせっしていけばいいのか、本気で悩んだ。


「と、いうことよ」


 全てを勝ちほこったウィルウィナが胸を張る。全員が圧倒され、言葉も出なかった。


「――ほら、あなたたちの王国を建国するのに貢献こうけんした英雄が今、目の前にいるのよ。お茶くらい持ってきなさいな、まったく気が利かない――ねぇ?」

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