「玉座の間の英雄たち」

 リルルが自分の屋敷に戻ると、三枚の書き付けメモが居間のテーブルに残されていた。


『用事があって外出します、なるべく屋敷にいてくださいね。フィルフィナより』

挨拶あいさつもなく立ち去る無礼ぶれいをお許しください。お世話になりました。任務に戻ります。ニコルより』

『ベクトラル家のことで重大な所用しょようあり。午後には戻るから必ず屋敷にいるように。父より』


 三枚の書き付けにそれぞれ、読んだという意味の印をつけてリルルはため息をいた。

 ニコルは動けるようになって警備騎士団に戻ったのだろう。無理をしていなければいいが。

 父・ログトの用件は……わかる。昨夕さくゆうの炎上したベクトラル伯邸の事件を耳にしたのだろう。


 王都の空を染め上げたほどの大火災だ。それも伯爵家の屋敷が炎上したとなると、きっと新聞にもったにちがいない。

 屋敷にいるように、という指示は……守れるか、どうか……。


「フィル……こんな時にいて欲しいのに……」


 ニコルたちに読まれることを念頭において内容をぼかしているのだろうが、彼女が不在の理由が気になる。あるいは、リルルにもわからないようにしているのか……。

 無人の屋敷を確認してから、リルルは裏の庭に出た。


 いったんは普段着に戻していた服装を、再び快傑令嬢リロットのドレスに戻し、リルルは魔法のかさを開いた。

 コナスの元に、戻らなければならない。



   ◇   ◇   ◇



「やあ、気をつかわせたね」


 リロットの姿になってノワールの診療所しんりょうじょに戻ったリルルが見たのは、庶民しょみんのものとおぼしき地味な服装に着替えたコナスだった。明らかにたけはばが合っていない服に無理矢理にそでを通し、少しおぼつかない感じもしないではないが、ちゃんと二本の脚で立っている。


「みっともないところを見せてしまったかも知れない。君の年齢の二倍はあるいい大人だっていうのにね」


 感情を吐き出しきったのだろうか、コナスの表情はほがらか――のように見え、しかしやはり、どこか陰の気配がつきまとっていた。


「……あんた、無理をしない方がいいぞ。脇腹の傷は強引に血を止めて傷口はってはいるが、とてもくっついているとは思えん。体力が戻ったら再処置をしなければならんのだ。動かない方が……」

「ありがとう。でも、今は無理のしどころなんでね。ああ、治療代ちりょうだいだけれどあいにく今、財布さいふを忘れていてね――あの血まみれの服でいいかい?」

「……布地と布地の間に、たくさん宝石がい付けられていたようだが」

「すまないけれど、それでお代の代わりにしておいてくれ。足りればいいけれど。――さて」


 胸の前でベストのボタンを止めることをあきらめたコナスが、リルルに微笑ほほえみかけた。


「世話になりっぱなしで本当に申し訳ないね、もう一つだけ用件を頼まれてほしいんだ」

「用件……ですか?」

「なに、君ならあまり時間は取らせないよ。ちょっとひとっ飛び、っていう感じさ」

「ひとっ飛び?」

「ああ。大丈夫、この王都の中の話だから。――そう、ちょっと飛んで欲しいんだ。王城までね」



   ◇   ◇   ◇



 小高い丘の上にそびえ、九つもの階層を持つこの世界随一ずいいちの巨城・エルカリナ城。

 その最上階、この街で最も高い階層に位置する玉座の間に宰相さいしょう・イェズラム公爵はいた。

 部屋の広さは相当なものだ。階段を除けばこの階層は玉座の間だけで占められている。


 北面以外の三方が全てバルコニーに面した大きな窓で囲まれ、外からの光がこれでもかというくらいに差し込んできて、実に明るい。転落防止のために手すりが高くえられているバルコニーからは王都の全てが一望いちぼうにでき、その眺望ちょうぼうおとずれる外国の要人ようじんたちをおどろかせる。


 その部屋の北面、玉座の背中の壁に掛けられている一枚の大きな絵画の前に車椅子くるまいすでたたずみ、イェズラム公は巨大ながくの中に納められた、一幅いっぷくの絵を見つめていた。

 エルカリナ王国創建の物語を描いた絵だった。


 遠く暗雲に包まれた巨大な城を背景に、五人の人物が描かれている。

 それは五百年前、この世界に現れた魔王を討伐とうばつした英雄たちの姿だった。


 蒼し勇騎士ゆうきし・ヴェルザラード。

 朱き鋼戦士こうせんし・ティガ。

 みどり美射手びしゃしゅ・ウィリーナ。

 白い聖少女せいしょうじょ・ルイン。

 闇の魔導士まどうし・ローデック。


 それは、この世界に住む者なら、皆が知っている物語。

 魔王を討伐とうばつし、魔界に通じる扉を封印ふういんし、それから――。


「イェズラム公」


 階段から上がってきたシェルナ侯が背後から声をかける。イェズラム公は少しだけ頭を向けてそれに応じた。


「アーダディス准騎士が姿を見せました。リロットによって救出されたという話は、事実のようです」

「……話を聞いてみたいな。どうやって救出されたかという経緯いきさつも知りたいところだ」

「それが、本人は駐屯地ちゅうとんちおそわれて以来の記憶を失っているようで……証言は取れませんでした。一応、出頭しゅっとうするように命じはしていますが……」

「それは残念だ。操られている間は何も覚えていないということか……リロットの口から話を聞きたいが……無理だろうな」

「全焼したベクトラル伯邸の調査も進めていますが、どうもただの火事ではないようで。焼け跡から多数の遺体を発見しました。数が多すぎます。脱出に成功した生存者がいません」

「殺害された後に、火を放たれた……戻ってきたベクトラル伯が狙われたな。注意をしておくべきだった……」

「リロットらしい人影が、ベクトラル伯を救出したらしいという情報もあります。目撃者の数だけは多いのですが、確認が取れていません。ベクトラル伯が今、どこにいるのか――」

「ベクトラル伯なら、ここにいますよ」


 宰相と副宰相の目が、同時に同じ回数、まばたいた。

 シェルナ侯が振り返る――バルコニーに出られる大きなガラス戸が開いて風が吹き込み、人の気配が玉座の間に侵入してきた。


「イェズラム公、シェルナ侯。ご無沙汰ぶさたしております」

「そなた……いや、そなたは……!」


 玉座の間にも十数人の衛兵えいへいひかえているが、いきなりバルコニーから現れた珍客ちんきゃくにすぐには反応できないようだった。


「緊急事態のようなので……無礼ぶれいと失礼は承知ではありますが、このような形で参上させていただきました。ご機嫌きげんうるわしゅう」


 まだ痛む傷に顔をしかめつつ、コナスはその表情に柔和にゅうわなものを作ろうとつとめて笑っていた。その脇を支えるようにしてリルルが肩を貸している。


「ああ、やっぱり痛み止めくらいもらえばよかったかな。でも、飲んでしまえば眠くなってしまうし、これからいそがしくなるし……」

「ベクトラル伯、無事だったか……そこにいるのは、リロット……」


 仕事熱心な衛兵たちが任務を思い出し、リルルをらえようと身構えるように腰を落とす。それをコナスが手を広げて制し、続いてイェズラム公の声が飛んだ。


フローレシアお嬢さんに代わってベクトラル伯の体を支えないか。そのフローレシアはわざわざお越し下さった客人きゃくじんだ。丁重ていちょうにもてなせ。まったく、気がかん」


 静かだが強い力の声に衛兵が震え上がり、機械仕掛けの人形のような動きでリルルと交替した。


宰相さいしょう閣下、副宰相閣下――大変申し訳ありませんが、昨日受けた傷が痛むのです。椅子いすに座るご無礼ぶれいをお許し願えませんか」

「椅子だ! 早くお持ちしろ!」


 もう一人の衛兵が稲妻いなずまに打たれたかのように階段をけ下りていく。二分とかからずに小さな椅子が用意され、これに尻を乗せてコナスは太い息を吐いた。ひたいやこめかみに脂汗あぷらあせが浮いている。


「イェズラム公爵様、シェルナ侯爵様、初めてお目もじかないます」


 コナスがようやくは落ち着けたのを見て、リルルは車椅子の宰相と、その彼を守るように側に立つ副宰相に体を向けた。片足を引いてスカートのすそをつまみ、鳥が翼を広げるように優雅ゆうがに腕を広げる。


わたくし、快傑令嬢リロットと申す者でございます。以後、ご昵懇じっこんのほどを――」


 薄桃色のドレスが大きな扇形おうぎがたを展開し、その匂い立つように華麗かれいなカーテシーに宰相も副宰相も一瞬、言葉を失ったままリルルを見つめた。


「ほう……顔が覚えられないといううわさは本当だったのだな。貴公の顔だけ、もやがかかったように印象に残らない……」

「こちらの顔を拝見してはいただけないこと、ご承知のほどをお願いいたします」

「残念だ。きっと見目麗みめうるわしいフローレシアであらせられるだろうに、顔もよくわからないとは……。まあ、それはいい。リロット嬢、おうかがいしたいことがある」

「――この王城の真下のことでございましょうか?」

「そうだ。貴女あなたが救出してくれたという准騎士が先ほど任務に復帰した。彼から事情を聞きたく呼び出している……本人は肝心かんじんなことはほとんど覚えてはいないらしいが」

「…………」


 ニコルが元気になった、という知らせがリルルの心を軽くしてくれる。よかった、と思う。


「この王城の下にあることは、できれば一般人には知られたくないことだ。本当なら貴女を捕縛ほばくしてろうに閉じ込め、誰にも伝えられないようにしてしまいたいところだが……」

「秘密は、必ずお守りいたします」


 リルルとイェズラム公爵との視線が交錯こうさくする。相手を信用すること、相手の心にゆだねるということ。うたがい出した瞬間に、心のうずの底に吸い込まれて行く危ういその行為。


「…………わかった」


 イェズラム公爵は大きな息を吐き出した。もしもの時は、自分が責任を取るしかないと思って。


「貴女を信じよう。貴女が信じられる、他人を見る自分の目に私はけてみる……では、どこから話せばいいか……」


 宰相が考えを巡らせるように視線を揺らしたその時だった――玉座の間のすみで口を開けている階段の下から、さわぎ声が聞こえてきたのは。

 喧騒けんそうがさざ波のように聞こえてきたと思うと、それは次第に近づいてきて、やがてはその内容がうかがえるほどの大きさとして聞こえてくる。


「待て……待て、止まれ! 止ま……うわっ!」

「その二人を上に行かせるな! 誰か、誰か!」


 兵士たちの声――いや、悲鳴。それがもう、階段のすぐ下まで迫ってきている。人が倒れ転がる音が響き、階段を上る歩みのように耳に伝わって来た。


 この玉座の間には到達させまいと、階段の先に陣取じんとどった衛兵がふたり、邪魔な猫が放り投げられるように排除はいじょされる。人がくるくるとちゅうを舞う様子を目の当たりにして、リルルが息を飲んだ。


「ああ、なつかしい。五百年前もこうやってこの城に来たのよねぇ。内装はずいぶんきれいになったけれど、作りは昔のままね。安く上げたものだわ」


 階段を上りきったその人物――波がかかった豊かな美しい緑の髪を背中までらし、簡素だが高貴さをうかがわせる白いドレスに身を包んだ、やや長身の女性。かかろうとした十数人の衛兵が足を止め、リルルもコナスも、宰相も副宰相もが息を飲んで思考をしばし、停止させた。


「まあ、素敵すてきながめ! あの時は海は赤くて、地面は荒れ地だけだったわ。こうして見るとあの時と同じ城とは思えないわね。変われば変わるものだわ」


 背中を向けていたその人物がこちらを向く。リルルの目がその姿を映し、その瞳孔どうこうちぢめた。

 どこか、ものすごく・・・・・馴染なじみのある、怜悧れいりさを見せる美しい顔立ち。別次元の高貴さを感じさせるその整った顔もさることながら、さらに別の要素が一同をだまらせた。


 髪を押しのけるようにして後ろに向かってびる、鋭く尖った耳。そして何よりも全員の言葉を失わせたのは、ドレスの胸部分をこれでもかというくらいに、下から強く押し上げている、重厚かつやわらかそうなふたつの――いや、の存在!


「みなさま、ごきげんよう。…………あら、お返事は? わざわざエルフの女王の一人であるこの私、ウィルウィナが自ら足を運んだというのに、ご挨拶あいさつも省略されるのかしら?」

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