「独白の時間」

 城塞都市じょうさいとしの東側に、貧民街ひんみんがいは作られるという常識がある。

 高い城壁は東から昇る朝日の光をさえぎり、日当たりが悪い分居住性きょじゅうせいが悪化するため、裕福ゆうふくな者は近寄らず、貧しい者が集まりやすいというのがその理屈だ。


 王都にも東部に貧民街が存在する。まるで、川の流れに寄せ集められた落ち葉が堆積たいせきするがごとく。

 真夜中の街。

 廃材はいざいでできているのかと思わせるあばら屋が身を寄せ合って密集する住宅地のすみで、フードとマントに全身を隠した一団が集まっていた。


「ご指定のブツを持ってきやした」


 すねに傷どころではない。消えない切り傷を刻んでいる顔をフードの奥に隠した男が一団を代表し、目の前の細身の人影――おそらくは女の前で、似合わない丁寧語ていねいごを使って見せている。

 わざとらしいくらいにうやうやしく差し出されたその手に、ひとつの小さな箱がっていた。


 婚約指輪こんやくゆびわでも入れておくに相応ふさわしいような、ベルベットの布で包まれたそれのふたが開けられ、中からひとつの宝石が姿を現す。女の指――細くしなやかな、しかしその紫に近いあおをした肌の指が、それをそっとつまんで取った。


「――――」


 親指の先くらいの大きさをした青い球体。混じり気のない美しい光を放ち、それが女の手の平でわずかに転がる。女の目がそれを細く見据みすえた。


「あの豚、少しおどしつけたら、泣きながらこれを差し出しやがりましてね」


 男の背後で笑い声が起きる。どれもこれもがまともな面相めんそうの男でないことは明らかだった。


「母親の方はどんなに痛めつけても白状はくじょうしなかったのに、息子は情けないもんです。あの母親のまたから出て来たとは思えないくらいにね」


 下卑げひた笑いがさざ波のようにひろがる。女の方もそれにつられるようにくちびるの形がゆがんだ。


「楽な仕事でした。では、報酬ほうしゅうの方を――」

「報酬?」


 女の唇のはしがめくれ上がる。手の宝石を自然な仕草で地面に落とし――その上に自分のくつをかざした。

 男たちが目を見張る前で、女の靴のかかとがそれをくだいた。一団を代表する男が抗議こうぎの声を上げようとしたのと同時に、横薙よこなぎの旋風せんぷうがその男の首をもぎ取っていた。


「ただのガラス玉じゃないの!」


 肩の高さが身長になった男が、どう、とその場に倒れる。貧民街には似合いの装飾そうしょくとなったそれは、数十秒の間、心臓の動きに合わせてどす黒い血をき出し続けていた。


「いったわね! ちゃんと拷問ごうもんしろと!」

「で……ですが!」

「こんなわかりやすい偽物にせものをつかまされて、このマヌケどもが! コナスはちゃんと殺したの!?」

「…………!」


 答えは返ってこない。男たちは蒼白そうはくになった顔を見合わせた――誰一人、トドメを刺したと確信を持っている人間はいなかったからだ。

 女の腕がもう一度振るわれると、立っている男の中で最も女の近くにいた者が首を失った。


「役立たずが! 二重にしくじって! 今度失敗したら全員を殺す――そのつもりでいなさい!」


 き出すような怒りを食らい、男たちが蜘蛛くもの子を散らすようにしりをかけ遁走とんそうする。その全員の首をねたい衝動しょうどうおさえ込んで、女は奥歯をみしめた。


「……手駒てごまが足りないといっても、あんな役立たず共を使わなければならない羽目はめになるなんて……!」

『どうやら、青の瞳の確保には失敗したようだな』


 甲高かんだかさをびた少年の声に、女はななめ上を振り向いた。蝙蝠こうもりの形をした影が、不自然な羽ばたきの動きを見せている。


『ベクトラルていの火災を見ていた人間から証言が取れた。薄桃色のドレス姿の女が、最上階から小太りの男を抱えて空に脱出した、とな』

「……それがコナス……!」

『あの騎士の小僧どころか、快傑令嬢とかいう娘にも振り回されているようだな』

「うるさい!」


 再び旋風が巻き起こり、影の色をした蝙蝠がき消え――て、再び正反対の虚空こくうにそれは出現していた。


『コナスが生きているとなると、結節の空間への道がつながると見た方がいい。私は計画を早める』

「待ちなさい! 早すぎるわ! 今、魔法陣まほうじんを加速させるのは!」


 女の声を無視し、蝙蝠の影は姿を消した。後には首を失った二つの人体が、いまだ血をき出し続けていた。


「……これだから短命種たんめいしゅは!」


 奥歯をきしませながら女――ティターニャはマントをひるがえした。自然にその歩が足早になる――時間がない。今度は、奴等やつらは裏口からではなく、正面玄関・・・・から攻め寄せてくるだろうから。



   ◇   ◇   ◇



 診療室の窓から朝を告げる光があふれ、毛布にくるまったリルルはそれに目覚めをうながされた。


「う……うう、う……?」


 まだ起きない頭を振り、邪魔なメガネを取ろうと自然に手がびて――はっとそれを押さえる。

 リロットの姿のまま一夜を明かすなど初めてのことだった。しかも、自分の屋敷ではない場所で。


「いけない……なにも言伝ことづてしてないわ……。心配しているかも……」


 屋敷に戻っているだろうフィルフィナがどんな顔をして自分の帰りを待っているか、想像しただけで背筋が寒くなる。拳骨げんこつのひとつやふたつは覚悟しておかないと……。


「……すまないね、僕のために」


 下から聞こえてきた声に、リルルの目が反射的に向いた。


フローレシアお嬢さんに無断外泊をさせるとか、僕は紳士失格だな……うう……」

「……コナス様!」


 脚のない寝台で、毛布をかぶったコナスがうめきながらも言葉をつむいでいた。話ができるほどに回復している――その事実がリルルを心から安堵あんどさせてくれる。


「お加減は……」

「傷は痛むね。気分はだいぶ、よくなったけれど。……また君に助けられるなんてね……君が僕に血をくれたのか……」


 針が刺されたあとの感触をで、コナスは不器用に微笑ほほえんだ。


「私の血が使えましたから。よかった……血の相性が悪ければ、助けることはできなかったかも知れません」

「快傑令嬢リロットの血をもらえるとは、光栄のいたりだね……同好会の三人がそれこそ、泣いてくやしがるだろうな……もったいなくて、鼻血も出せやしないな、これは……ははは……」

「――お屋敷で、何があったんですか」


 コナスの乾いた笑いが、止まった。


「私、燃えるお屋敷に飛び込みました。そこで、ご家来の方々が……」

「ああ、いわないでいいよ…………僕は見たからね……全部・・を……」


 少女の胸に、重いものが響いた。


「家来のみんなが賊共ぞくどもに殺されるのを見た、いや、見せられた・・・・・


 口が弱々しく動く。それでも伝えねば、という意志が言葉をつなぐ。


「僕が屋敷に戻るのを先回りして、家来たちをおどして僕を屋敷の中に引き込んで、それから、用がなくなったとばかりに……その後、家の全部に火を掛けた。僕も中途半端に刺されて、二階に追い立てられて……僕を生きたまま焼き殺すつもりだったんだろうな……」

「そんな…………」


 人間がやることなのか、それは――リルルはそういいかけるが、口をつぐむ。

 そう疑うようなことは、今までたくさん見てきた。それがたくさんあるから、自分はこのドレスを身にまとって戦い続けてきたのだ。


 人が行うおぞましい行為から、人を救うために。


「それに……母が……」


 ――母?

 リルルの思考が空転する。コナスの屋敷で行われた面会式、そこであったハーベティの顔を思い出すのに一分の時間を要した。


「……すまないね。君に助けられておきながら本当に勝手ないいぐさだけれど……十分でいい、一人にしてくれないか。……お願いだよ」

「は……はい……」


 うつむいたコナスを一人にしておいていいのか――迷ったが、コナスの悲しさににじんだ声の前に、リルルは動かされていた。寝台から体をすべらせ、音を立てないようにそっと診療室から外に出る。


「――――――――っ」


 扉を閉めた途端とたん、中からしのび泣く声が聞こえてきて、それがリルルの心臓をきゅっとにぎりしめた。

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