第03話「封印都市・エルカリナ」

「炎の予感」

 夕日が地平線の向こうに沈み、夜のとばりが下りた時刻、リルルは軍病院をおとずれていた。


 ニコルが無事に戻って来たこと――まさかリロットとして取り戻したとは伝えられない――をどこにどうやって報告しようか、リルルは迷った。


 そして、迷った末に。


「この話の流れで私が足を向けるとすれば、病院が自然かなぁ……まだ警備騎士団の皆さんもいらっしゃるだろうし、怪我けがをされた方々の様子もうかがいたいし……」


 予想通り、病院には警備騎士団の関係者がまだ詰めていて、リルルはニコルが戻って来たことを伝えた。取りあえずは、これで一安心だろう。


 その足で病室に顔を出したリルルに、朗報ろうほうが待っていた。


「そ、そうですか……ニコルは、ニコルは無事でしたか……」


 目を開けることすら困難こんなんだったはずのラシェットが意識を取り戻し、寝台しんだいの上で体を起こすことは難しいにしても、言葉のやり取りができるまでには回復していた。


「それにしても、どうしてリロットが、あなたのお屋敷にニコルを……?」

「えっ」


 リルルが言葉につまったのを、後ろのフィルフィナが速やかに拾った。


「リロットは、ニコル様がお嬢様と幼少のころから親しい間柄あいだがらであることを知っているようでした。だからではありませんか?」

「そう……なのですね……。ふ、ふふ……リロットも、警備騎士団に直接、顔は出しにくいものでしょうから……」


 言葉をひとつひとつ口にするのも難儀なんぎしていたが、ラシェットには冗談じょうだんをいう余裕ができていた。そのことに、リルルは心底から安堵あんどの息をらす。


「おかげさまで、ニコル様の手当の手配もすみやかに行うことができました。あと一日もゆっくりお休みになれば、大丈夫でございましょう」

「それは……よかった……」


 寝台の上で、ラシェットが弱々しくはあるが微笑んだ。懸命けんめい治療ちりょうが功をそうしたのか、折れていた骨もつながり始め、肺がふさがり始めているのか、呼吸に漏れも感じられない。


フローレシアお嬢さん……」

「はい」

「まことに、お手数ですが……ニコルに、伝えてください……あやつられていた時のことは、気にするな、と」


 リルルが、目をまばたかせた。


「操られていた時のことを知ると、きっとあいつ、自分を責めると思うのです。でも、それは間違まちがいだと……お前が意志を強く持っていたから、一人も死ななくてすんだんだと……」

「ストラート様……」

「これで……あいつへの借り、全部、返せました。自分は、あいつのことを、かつて、侮辱ぶじょくしてしまって……」


 話す中で、ラシェットがわずかにうめいた。


「それでもあいつは、私のことを、少しもうらまなくて……自分は、私は……そんなあいつを……」


 やがて、自然にストラートのまぶたが下がり、動いていた口は、その隙間すきまから安らかな寝息を立てるだけになった。


「――ストラート様、ゆっくりお休みください……」


 そんなラシェットの肩にまで布団を引き上げ、まだ病床からは動けない騎士たちに一礼し、リルルは部屋をした。


「お疲れのようですね。無理もないでしょうが」

「帰ったらお風呂に入りたいわ。……疲れが、全部抜けきるくらいに熱いお湯で」

「すぐにお支度したくいたしますね」


 今日、やるべきことはやり終えた。どこでもいいから横になりたい――そんな気持ちをこらえながら、屋敷への帰途きとに着く。ラミア列車に乗り込み、帰宅時間に当たった混雑に多少気を滅入めいらされながらリルルは、列車の中からぼうっとした気分で景色をながめた。


 列車は政庁街の区域を南下し、商業区域に入る。夕暮れから少しの時間が経っているのに街は明るく、人通りは多い。無数の窓をきらめかせている高層百貨店デパートが大きく玄関を開け、そこから出てくる人入る人の人数も数えるのが無理なほどだ。


 何も考えず、リルルは流れる景色に目を向けている。今は何も心配したくはなかった――考えてしまえば、王城の直下で目の当たりにしたあの光景を思い出してしまうからだ。


 闇しか存在しない空間でうごめいていた、竜の形をした城――いや、城の体をした竜、というべきなのか?


「あれは……何を意味しているの? まぼろしだったのか、現実だったのか、わからなくなるほどにすごかったわ、あれは……」


 わたしが適切に処理をします――フィルフィナはそういっていた。悪いとは思いながらも、今は任せきりにしたかった。

 対向して走ってくるラミア列車の気配を音でさとる。いブルーの車掌しゃしょう服を着たラミアが列車をいて力強く前進するのが見え、客車がリルルの視界をさえぎる。


「――――えっ?」


 頭の先を引っ張られる感覚に、リルルは首を振っていた。

 目の前を高速で行き違っていった窓のひとつ、それに意識を引きつけられたのだ。


「コナス様……!?」

「お嬢様?」


 唐突なリルルのその声に、隣でつり革につかまっていたフィルフィナが顔を上げた。


「今、コナス様が乗っていたような」

「あの行き違いの列車に、ですか?」


 フィルフィナが目で追おうとするが、すでに列車は通過しきった後だ。窓の外には元の商業区域の明るい夜景が流れるだけだった。


「まさか……帰ってこられるはずがないわ……」


 自信があったわけではない。見たかも知れない、というあやふやな認識があるだけだ。

 そんなはずがない、という理屈がその自信をますますもろいものにしていた。


「コナス様だって、今、自分が王都にいることが危ないということを知っているはずなのよ。わざわざ帰ってこられるはずが」

「――それが……」


 思考を言葉にしようとして、フィルフィナは口ごもった。周囲の目を気にしているのがその顔色からわかった。


「……まだお嬢様にはくわしく話していませんでしたね。わたしが受け取った報告書の中身を」

「報告書?」

「色々あってお嬢様にお話しするひまもなかったですが、もうここまで来れば、はっきりお教えしなければいけない時期でしょうね……」


 できれば口をつぐんでおきたかった、とその顔がいっていた。どこか悲愴ひそうな感をうかがわせる伏し目がちな瞳が、何もない虚空こくうに投げかけられている。


「――それにもうこれは、王都に生きる人間の誰しもが、のがれられない事態にもなっていますから……」


 そう語るフィルフィナの顔を、リルルはわずかに顔を上げて見つめる。決意と迷いの中で揺れているアメジスト色の瞳がれているのに、聞きたくない、とリルルは思った。



   ◇   ◇   ◇



 東方向に走る列車への乗り換えをするのも面倒で、秘密のアジトに設置してある転移鏡てんいかがみで屋敷に戻ろう――そう算段をつけ、リルルとフィルフィナは港湾部こうわんぶの区域で列車を降りた。


 沿岸に面した地域は明るい街灯や照明に照らされ、あたかも昼のような明るさだ。その光が半分もとどかない、さびれた区域に建て替えを待つ廃工場が建ち並ぶ界隈かいわいがあった。――快傑令嬢リロットの前線基地であるアジトがある場所だ。


 もういい加減見慣みなれた景色を目の中で流しながら、半ば放心した気分でリルルはいつもの道を歩き、フィルフィナが代わりに周囲を警戒する。


 十数分歩き、もうアジトが目前という廃工場の密集地域にまで足を運んだところで――リルルはざわ、と肩を毛ででるような感触を覚え、考えるよりも先に後ろを振り返った。


 建物と建物の間の路地ろじ、北に向けて抜けている空――が、かすかに、しかし確かにあかい。闇の色に赤い絵の具を少量混ぜたような、不吉な赤さ。


「いったい、なんの赤……」

「火事の色ですね、あれは」


 フィルフィナがつぶやく。地上の大きな火事、その炎を空や雲が反射してそう輝く時がある。

 滅多めったにない、というほどのことではないが、リルルの心に嫌な予感が働き続けていた。


「まさか…………」


 まさか、あれは――――。


「コナス様の、屋敷の方……!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る