「青い瞳のニコル」

「なんなのよ、あいつは!」


 ティターニャが自分の首にまっていた首輪を外し、苛立いらだちと共にそれを床に叩きつけた。軽い音を立ててすべったそれは、豪華ごうか飾り棚キャビネットにぶつかって止まる。

 愛らしいあやつり人形を魅了チャームの術から解き放ち、その身柄みがらまでうばっていったあの二人――!


「――快傑令嬢とかいうあの小娘に、ずいぶん手こずるようだな?」

「…………!」


 背後からせせら笑う気配の声に、ダークエルフの女が振り返り、憎しみに灼熱しゃくねつするような視線を向けた。


「あんなのは雑魚ザコだとかいってなかったか?」

「あのニコルとかいう子がどうかしてるのよ!」


 暗示を増幅ぞうふくする金の首輪の力を振り切り、自分からそれをもぎ取る――全てが理解の外の話だった。そもそも、ダークエルフの魅了の術の効力からのがれるというのがあり得ない話なのだ。


「ただの……ただの普通の人間のはずなのに……」

「闇の眷属けんぞくの力というのも、底が知れているということか」

「うるさい!」


 背後の気配に向けて振り向きざまに腕を振る。手刀の形に振り抜いた手から光の矢が飛び、それが闇の中から浮き出るように現れた少年の目の前で弾かれた。

 鋭利な三角となった光弾を素手で払いのけた白髪はくはつの少年・カデルが色素しきそのない顔で笑う――年相応としそうおうに見えない大人びた顔。


「その力だって、私が与えたものでしょう!」

「お前から与えられたとはいえ、今は私の力だ」


 カデルは毛の長い絨毯じゅうたんんで歩き、大きな窓のカーテンを払った。そこから見えるのは、直径百メルトまで拡大した円形の魔法陣まほうじんと、その真ん中から右脚と頭部をのぞかせている城の竜・・・だ。


 まだ力が満ちていないのか――沼からい出ようとし、這い出し切れていないように、そのふちで停止している。先ほどまでの空間の全てを震わせる咆哮ほうこうは、今は、ない。


「あれを見られたな」

「……報告されるのは、けられないわね……!」


 長い首を魔法陣の外に出して地面に横たえ、今は眠るように動かない城の竜。城壁で固められたような巨大な竜が今、外に出る取っかかりを得た状態で体を休めている――ようにしか見えない。


「事情にくわしい者なら、あれがなにかは聞けばわかる。代々の宰相さいしょうには申し送りされている事案だ」

「向こうも本気になってくるということね……。そうだ、報告では、そろそろコナスが帰ってくるそうよ」

「コナスか」


 同世代――共にエルカリナ王国の王位継承けいしょうの末端を担っていた・・風采ふうさいが上がらない男の姿を思い浮かべる。


「あいつも事情は知っているだろうに、舞い戻ることを選んだか。見た目の割りには、骨がある男なのかも知れないな」

「あんな男に何ができるっていうのよ。わなを張っておけば勝手に落ち込んでいくような男よ」


 ティターニャがきびすを返した。


「どこへ行く」

「『青の瞳』の回収よ。ここまでくれば必要なものではないのだけれど、押さえておくに越したことはないわ」


 それ以上議論をする気はないようだ。その歩みは止まらなかった。


「……あれは始動のためのかぎであり、停止のための鍵でもあるのだからね」


 部屋を立ち去ったティターニャの気配が、扉の向こうに消える。


「……どうも、たましいの底に張り付いたくせというのは抜けないらしいな。また同じ過ちを犯そうとしているぞ――」


 つぶやき、カデルは、カーテンを閉めた。



   ◇   ◇   ◇



 意識を失ったニコルを抱き、『結節の空間』から脱出したリルルとフィルフィナは、即席の転移鏡によって屋敷の部屋に帰還きかんしていた。

 リルルの寝室の寝台しんだいにニコルを寝かせ、あらかじめフィルフィナが呼んで待機させていた四人のエルフたちがその手当てあてに当たる。


 魔法を使えるとおぼしき二人の魔導師まどうしがニコルの頭の上につえをかざし、二人同時にいのりの言葉をとなえ続ける――目を閉じたまま、ただ長い呼吸だけを続けるニコルを残し、リルルは隣の居間いまに移った。


「お茶は、飲みますか?」

「――ありがとう、いただくわ……」


 自分たちが王女といただく高位の人物が、人間のためにお茶をれるという驚天動地きょうてんどうちの行為をしていることを知らないエルフたちは幸せだったろう。

 はしたないとは思いつつも、リルルはソファに体を投げ出すように横たえた。戦いの緊張が抜けきっていない。


「お嬢様、お着替えは――」

「このままでいいわ」


 快傑令嬢リロットの薄桃色のドレスを着たままで、リルルは力なく笑った。――もちろん、メガネは外したままだ。


「ですが、そのままでは……」


 自分はメイド服姿に着替え、戦いの気配の全てを落としたフィルフィナが瞳をくもらせた。


「私、ニコルにばらしてしまったのよ……私が快傑令嬢リロットであること・・・・・・・・・・・・・・を……」

「……お嬢様」


 フィルフィナが何かをいいかけてそのまま口を閉じ、押しだまった。リルルとニコルとの間で何があったのか、だいたいを察したようだった。

 沈黙ちんもくが流れる。筋肉の全部が重く、固い。口を開くことすら億劫おっくうな気分だった。


「もう、快傑令嬢も、本当に終わりね……」


 自嘲じちょうするように、こぼす。


「……お嬢様を逮捕たいほしたり、告発なさったりは、ニコル様はしないでしょう。ニコル様に、そんなことができるとは……」

「そうね……でも私、もう、二度とニコルの顔をまともに見れない」

「…………」


 フィルフィナは再び黙った。目の前のカップに手をばしたが、手を温めることしかできなかった。


「……あの拳鍔メリケンサックを使えば、ニコル様の記憶を吹き飛ばすことが可能ですよ?」

「あんなもので、ニコルのきれいな顔をぶんなぐらなければならないくらいなら、喜んでしばり首になるわ――フィルもそう思うでしょ?」

「同意見です」


 ふふ、と二人で笑うが、その笑いもすぐ沈んだ。

 次に言葉を切り出す気力がくまで、どれくらいの時間が必要だったか……。


「……ニコルは、目覚めたら、きっと私を責めるでしょうね」

「お嬢様……」

「いいのよ。私はそれだけのことをしてきたんだから。責められる……責められることをしてきたんだから、当然よ。当然なんだけれど……」


 覚悟がある、できているといいながらも、その実はできていない自分をのろうようにリルルは身を縮めた。不安が胸の中で重く収縮していく。そのまま、沈んだ心が体から抜け落ちそうな気がする。


「まずは、わたしがニコル様の様子をうかがいます。ニコル様のお気持ちがしずまってから、お二人でゆっくりお話をなさってください」

「フィル……ごめんなさい……お願いします……」


 リルルが頭を下げたのとほぼ同時に、寝室の扉が開いて四人のエルフたちが姿を現した。その全員が小さく一礼したのを受けて、フィルフィナもうなずく。全ての段取りが事前についていたのか、エルフたちはそのまま転移鏡の中に入って姿を消した。


「……ニコル様が、お目覚めになったようですね」


 フイルフィナが席を立ち、それに続いて体を起こそうとしたリルルを手で制した。


「休んでいてください。呼べるようになったらお呼びしますから」

「……ありがとう」


 リルルがため息をきながら再び体を横たえる。唇の端を結ぶようにしてフィルフィナは顔を上げ、まだ手をつけていない紅茶を盆に載せ、器用に寝室の扉を開けてその中に入り込んだ。



   ◇   ◇   ◇



「ニコル様、お加減はいかがでしょうか?」

「――フィル」


 フィルフィナが顔を見せたのに反応して、ニコルが体を起こそうとし――骨が抜けたようにベッドに体を沈めた。


「ご無理をなさらないでください」

「あ……ああ……フィル、ごめん……」

「謝る必要は、少しもありませんよ?」


 脇にある小さな机にほとんど冷めた紅茶のカップを置き、フィルフィナはその盆を抱くようにして小さな椅子いすに座った。

 ニコルがまばたく。のぞく瞳の色は青い。赤い色をにごらせていたのがまるで、悪い夢のようにしか思えなかった。


「ここは……リルルの寝室なんだね」

「そうですよ。なつかしいですか?」

「そうだね……家具も配置も昔のままだね。もう、何年も出入りしていないけれど……」

「お嬢様はもの持ちがおよろしいですから」


 贅沢ぜいたくらしい贅沢ができないリルルにログトだ。フィルフィナがこの屋敷に来てから家具はほとんど入れ替えていない。――贅沢ができないのは、フィルフィナもそうだったが。


「いけないな……フローレシアお嬢さんの寝室に入って、布団に寝かされているなんて……まだ頭が痛くて、体もよく動かせなくて……」

「よく効く痛み止めと、ぐっすり眠れる睡眠薬すいみんやくを用意してございます。ご無理をせずにおやすみなさいませ」

「…………フィル、確かめたいことがあるんだ」

「――はい」


 枕にその金色の髪を載せて目だけを向けてくるニコルのうったえに、来たか、とフィルフィナはのどを鳴らして唾の全部を飲み込んだ。

 覚悟をしていたとはいえ、心がこわばる。


「ニコル様のおっしゃりたいことはもう、もう、重々じゅうじゅうわかっております。ちゃんとご説明させていただきます」


 どう説明すれば、ニコルを傷つけずに納得させることができるのか。時間をかけて考えたがうまい知恵など浮かぶはずもない。結局は正面からり込むしかないと覚悟を決め、フィルフィナは口を開いた。


「……ニコル様、落ち着いて聞いてくださいましね。……実は、快傑令嬢リロットの正体は――」

「あのダークエルフの前で倒れたあと、僕はどうなっていたんだい?」

「――――」


 フィルフィナの口が、音をきざまずに動いた。


「なにも覚えていないんだ。……奥様の姿に化けたダークエルフが正体を現して、あの女の目を見た途端に意識がなくなって、その後今までなにをしていたのか――ああ、思い出そうとしたら、頭が痛くて……」

「あ、いえ、それは、その」

「――フィル、もうそろそろ……いい?」


 扉がわずかに開く。その隙間すきまから様子をうかがうように、リルルの頭がのぞきかけ――。

 フィルフィナが素早く、しかしさりげなく腕を旋回せんかいさせ、胸に抱いていた盆を後方に投げていた。


 カーン!


「うにゃあ!」


 あまりに軽い音と悲鳴が響き、派手に倒れる音が続いて扉が閉じる。


「……今、すごい音と声がしなかった?」

「さあ、なにか聞こえましたか?」

「なんか、全然つまってない西瓜スイカを叩いたような音と、猫がんづけられたような声が……」

「さあニコル様、あとの全てはこのフィルに任せて、今はゆっくりお休みください」

「あ、うん」


 フィルフィナから渡された何錠かの薬を口に入れ、吸い口の水でニコルはそれを飲みくだした。


「子守歌でも歌って差し上げましょうか?」

「い……いらないよ、もう子供じゃないんだから……」

「ですが、昔はよくフィルの子守歌を聴きながら、お昼寝をされたではありませんか。――では、お休みのキスをいたしましょう」

「は、恥ずかしいってば」

「いい子は、お姉さんのいうことを聞くものですよ?」


 フィルフィナはニコルのほおに小さくキスをして、少年の肩まで布団を引き上げた。顔を赤くして言葉をなくしていたニコルは薬が効いてきたのか、やがてその目をうつらうつらとさせる。


「――フィル、僕、夢を見ていたようだよ……」

「夢? どのような夢ですか?」

「うん……それが……すごく、変わった夢で……」


 ニコルの目が次第に細くなる。まぶたの間でとろけたような目が揺れていた。


「僕、もう……」

「ご無理をなされず。お休みなさいませね、ニコル様」

「うん……」


 眠気に負けてニコルがそのまぶたを閉じ、やがておだやかな寝息を立て始めた。その平和な寝顔にフィルフィナは微笑ほほえみ、もう夕暮れのあかさに染まった光を取り込んでいる窓のカーテンをシャッと閉めた。


「――さて」


 寝室の扉を開けると、アイスブルーの目を回したリルルが転がっていた。完全に気絶しているのか、微動びどうだにしていない。

 万感ばんかんの想いを込めて――フィルフィナは、お腹の底からのため息と共に、いっていた。


「……お嬢様、助かりましたね……」



   ◇   ◇   ◇



 ――そうだよね、あれは夢だよね。

 僕がリロットの首をめて、そのリロットがメガネを外したら、リルルになったなんて。

 リロットがリルルだなんて。

 ――夢だ。

 そんなものは、夢に、決まっている――。

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