「深淵へ」

 退くこともできない、ニコルを倒すのもかなわない。なら、前進しよう――その、リルルの作戦とも呼べない無謀むぼうな提案。フィルフィナは覆面ふくめんの中で小さくため息をき、息にできない分をのどの奥に押し込んでいた。


「……また、お嬢様の無茶ぶりですか……」


 エルフの少女のかげを帯びた目がわずかに震える。アメジストの瞳をにごりに似たよどみが渦巻く。


「他に方法がある?」

「……ないですね。――シーファ」


 隣に並んだシーファに、フィルフィナが視線を前にえながら声をかけた。


「もうひとつ、頼まれてもらえますか」

「生きてここから出られる手段だったらな」

「あのニコル様を十五秒間くらい拘束こうそくできませんか?」

「十秒が限界だといったろ」

「奥の手を使っても無理ですか?」


 シーファの目が一瞬、フィルフィナの横顔をうかがった。


「……何故知ってる」

「朝に訪ねたあなたの『ねぐら』、あなたのようなラミアが住める家・・・・とは思えなかったもので」

「私としたことが迂闊うかつだな……よし、やってやる。十五秒間だ。それ以上は保証しないからな」

「よろしくお願いします――お嬢様」


 フィルフィナがリルルに視線を送り、リルルはうなずいた。

 再びリルルは前衛に立ち、レイピアをまっすぐに構える。今まで道具アイテムの力でごり押ししていれば勝てる相手としか戦ってこなかった。それがゆえに、構えは素人しろうとのものそのものだ。


 無表情を変えないニコルが腕をかざす。天井に突き刺さっていたサーベルが吸い寄せられるかのように、広げられた手に収まった。


「ニ……ニコル……」


 まともに戦えば勝ち目などない相手――それと真正面から剣を交えなければならないという恐怖に、体のしんが震える。歯の根が震え、奥歯がカチカチと小さく鳴るのを止められない。


 それでも、立ち向かわねばならない。背を向けるという選択肢は、今、消した!

 手に握るレイピアよりも、両手首にはめている腕輪よりも――今頼れるのは、勇気のみなのだから!


「――ニコル!」


 床をくだく勢いで、リルルはみ出した。ニコルのサーベルが呼応するように振られる――その軌道がえる!

 刃と刃の激突、衝撃波をともな轟音ごうおんが二人の間で爆発する。レイピアとサーベルがへし折れないのかが不思議なくらいの衝突に、その力を受け止めた手首がへし折られそうだった。


「ううううぅぅっ!」


 銀の腕輪の力をさらに強く意識して体を押し出す。ニコルの体が揺らぎ、体を支えるために足が後ろに下がる――その一瞬のすきをフィルフィナが見逃すはずはなかった。

 鋭利な光をひらめかせて矢が飛ぶ。それはねらたがわずにニコルの肩をおお装甲そうこうに激突し、計算通りに金属の曲面で弾かれた。


 生身の手足に命中すれば、確実にそれを引きちぎる威力いりょくの一撃に、装甲が破壊されて砕ける。さすがのニコルの体も大きく揺らぎ、踏ん張ろうとする足の動きが追いつかない――その間隙かんげきを突いて、シーファが疾走はしった。


 長大な体に似合わない勢いで突進してくるシーファの動きに、ニコルは体を揺らがせながらも剣を向ける。


「――――!」


 意思を感じさせない瞳がラミアの姿をとらえ、体のひねりもなく腕が振られる――しかし、風もける速度で!

 横薙よこなぎに振り抜かれたそれは、シーファの胴を右から左に両断し、骨と肉をくだき、大量の血を飛沫しぶきとなってき散らす――はずだった・・・・・


「ええっ!?」


 リルルが目をいた。手応えが返ってくるのを疑っていなかったニコルの体が回転する――サーベルは空をいだだけだ!


「かかったな!」


 ちゅうに舞い上がったシーファの両足・・が、ニコルの後頭部を蹴った・・・。踏み台にされるように打撃を受けたニコルの体がつんのめり、次にはそのニコルの全身を一頭の大蛇だいじゃが胴体の全部を使って巻き上げ、め上げていた。


 シーファが着地し、その背後で大蛇だいじゃごとニコルが地面に倒れる。


「デネフィット! しばらく頼む!」

「任せておけ」


 大蛇がその鎌首かまくびをもたげた――シーファの腰から下で接合せつごうしていた、文字通りに巨大な蛇の個体が野太い声で言葉を発した。


「え、あ、あ……ああ、これか!」


 おどろく中でリルルはようやく察した――メイリアがいっていた、シーファがいていたという『大嘘』の正体を。


「お嬢様! 早く扉に取り付いて!」

「う、うん!」


 床に押さえつけられたニコルを尻目しりめにするようにしてフィルフィナが走り、リルルも続く。床をふさぐ鉄の巨大な扉、二枚の鉄板の引き分けになっているそれを、二人が両側からつかんだ。


「全力で!」

「ええ!」


 リルルとフィルフィナの銀の腕輪が一層強く輝いた。魔力で封印されているはずの扉が、物理的な力によって無理矢理開かれていく――その開く速度はにぶいが、確実に隙間すきまいていく!


「早く――早くしろ!」


 デネフィットと呼んだ大蛇に加勢したシーファが、ニコルの手からサーベルをもぎ取る。再び腕ごと体を拘束され、なおかつ地面に押しつけられているニコルは、それでも体を起こそうと腹筋の力だけでデネフィットの絞め上げにあらがった。


「――何をしているの! そんなへびなんて早くはねのけなさいな!」


 ティターニャの声が響く。その声音には余裕がない――よほどその扉の向こうに入られてはマズいのか、とリルルは直感した。


「なら、入ってあげようじゃない!」


 扉にかけた手、踏ん張る足、膝と腕、腹の力――全ての筋力という筋力を意識して、自らを機械と同じようにしてリルルは厚い鉄の板を引く――下に続く階段が見えてくる。どこまで開くかわからないが、開けるだけ開くしかない!


「ぐっ!」


 背後で聞こえた悲鳴に、リルルは振り返った。シーファの体が天井に叩きつけられ、ニコルがその腕でつかんだデネフィットの体を振り回し投げ捨てる。ニコルの全身を包めるほどの巨体が、まるで普通の蛇と同じように軽く投げ捨てられた。


「っ!」


 リルルが息を飲む――表情のないニコルが目の前にいたのだから!

 少女にできたのは、反射的に腕を伸ばすことだけだった。


「ニコル……ぅっ!!」


 抱きついてくるかのようにニコルがリルルの体にぶつかり、かろうじてそれを抱き留めるようにしてリルルは受け止める――が、その体当たりの衝撃を完全に殺せるわけがない。


「あ――ああ、ああああ――――ッ!!」


 もつれ合った二人の体が扉の隙間に落ち、下に続く階段を転がり落ちていってフィルフィナの視界から消えた。


「お嬢様!」


 退路を断っていた光の壁が消え失せたと同時に、重く鈍い音を軋ませて鉄の扉がゆっくりと閉まっていく。

 フィルフィナの決断は、早かった。


「シーファ、早くここから撤退てったいして下さい」

「どうする気だ、まさか」

「わたしも後を追います。あなたたちには危険な目にわせて申し訳ありませんでした――ありがとうございます」

「私がいないとここから帰れないぞ、わかってるのか。それに、その下は得体の知れない領域なんだろう、危険過ぎる!」

「帰るだけなら、あてがあります。無策ではありません――それに、もしもメイリアがこの下に落ちていったら、あなたは冷静に撤退できますか?」

「――――――――」


 シーファの目から、説得しようとする意思が消えた。


「二番目の家で待っていてください。もしも帰らなかった時は……色々とお願いします」


 では、と丁寧ていねいに頭を下げ――フィルフィナはもはやギリギリの幅しかなくなった扉の隙間すきまに身をおどらせた。数秒後に扉の全てが閉じきり、静寂せいじゃくがその重い緞帳オペラカーテンを下ろした。


「シーファ。どうする」


 知恵ある巨大な大蛇、デネフィットが相棒である女性――シーファに声をかける。


「……どうしようもない。あのエルフは無謀だが馬鹿じゃない。きっと目的を達するだろう」

「そうだな。我々も退かなくては」

「ああ」


 シーファはきびすを返した。寄り添うように併走へいそうするデネフィットは大きく肩をすくませるようにしてその頭を胴体の中に格納かくのうし、つつのようになった空間にシーファが下半身を飛び込ませる。


 ラミアの形態になったシーファがその場を離れてしまえば、そこには、ニコルのサーベルだけが残されるだけになった。

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