「たったひとつの切り札」

 表情の欠片かけらも変えずに、ニコルがみ込んだ。

 気迫きはくも気合いも何もない。歩き出した、というくらいにさりげない動き――だが、数十歩は離れていたはずの間合いが、ほんの一瞬で詰められる!


「っ!」


 瞬時にして急迫きゅうはくされたリルルが反射的にレイピアを横に構えなければ、風を巻くようにして突き込んできた刃をさばけず、斬り裂かれていただろう。

 経験の中で自然につちかっていたかんが、少女の命を救った。


「うくっ!」


 すさまじい金属音と同時に電光のような火花が弾け、突き飛ばされたリルルの体が床に落ちて跳ねる。命の裏をでるような冷たい刃に身をさらされた恐怖が、てつく感触となって全身を冷やす。


「お嬢様!」


 フィルフィナが第二射を放とうと矢をつがえる。フィルフィナの瞳の色にリルルは全てを察していたから、さけんでいた。


「フィル! ダメ!」

「今のニコル様には、これくらいでないと牽制けんせいになりません!」


 リルルの声を振り払い、鋭い音を響かせてフィルフィナがげんを弾いた。

 音速に到達するその速度の矢は、ニコルの喉元のどもとにわずか数分の一秒で到達する――はずだった。

 サーベルを持たない少年の手が、ひらめくように払われた。


「っ!」


 神速の矢は空中でいともたやすく払われ、壁に叩きつけられて火花を散らす。フィルフィナの眉間みけんが汗にれた。

 

「これは……!」


 きっと払いのけるだろう――払いのけてくれなければ困る、と思って放った矢ではあるが、実際にそれを顔色も変えずに手で飛ばされてしまうと恐怖しかなかった。


「マズいな」


 自分が勝てる相手ではない、と小剣ショートソードを抜いたシーファの強ばったほおがいっていた。


「お前たち、勝算があるのか?」

「一応、ないことはないですが……」

「なら、なんとかしてくれ。私は道案内以外のことは頼まれていないつもりだぞ」

「わかっています」


 じり、とニコルがを進め、リルルとフィルフィナたちはその分後退あとずさる。弾丸と変わらない勢いと速度の突進を見せられれば、こちらから踏み込む勇気などくはずはない。


「……が、以外のことも頼まれてもらえますか」

「内容によるな」

「あのニコル様を拘束こうそくしようとしたら、どれくらいの時間、拘束することが可能ですか?」


 シーファが沈黙ちんもくする。その目がわずかに泳いだ。


「……十秒だ。それ以上は無理だ」

「感謝します。お嬢様、前衛ぜんえいに立って下さい!」


 主人を盾代たてがわりに使う――本当なら口にしたくない指示だったが、全員で生き残るにはそれしかないとフィルフィナは口の中の全部を苦くして言葉にしていた。


「銀の腕輪を意識して! ニコル様の攻撃を受けることだけに集中して下さい!」

「わ、わかったわ!」


 立ち上がったリルルが前に出る。魔法のドレスに防御効果があるとはいえ、数十歩の距離を吹き飛ばされ床に叩きつけられた衝撃は小さくない。体の節々ふしぶしに熱を帯びる痛みを覚えながらリルルは前に出る。


 行き止まりの床を閉鎖している、黒光りする重々しそうな鉄の扉が見える――ニコルはそれを守っているのか、一定の間合いから踏み込んでこない。離れたがために回り込まれることを警戒しているのだろうか。


 フィルフィナがちらちらと送ってくる視線で、わかる。勝機を見出すとすれば、その制約につけ込むしかないと。


「ニコル……目を覚まして!」


 手のレイピアの重みを意識しながらリルルは踏み込んだ。そのリルルの意識を反射神経で感じたのか、予備動作のない動きでニコルが――突っ込んで来た!

 その速度を一度見ているから、どんな瞬速だとしても予想はつく――対応ができる!


「ニコル!」


 スカートのすそひるがえすように横にぶ。大上段に振り落としたニコルのサーベルがリルルのハイヒールをかすめて地面を穿うがち、コンクリートで固めているはずの床を破壊して大量の破片をまき散らした。


 リルルが頭の帽子ぼうしを外し、盾代わりにかかげる。少年の体重の全部――いや、それでは説明がつかないほどの強烈な打撃が帽子の真ん中をつらぬき、銀の腕輪の力で補強しているはずのそれに深々と突き刺さる――元のままでも、弾丸を弾き返せる帽子なのに!


「つぅっ!」


 突きの軌道きどうらすだけの役目しか期待していなかった帽子を弾き飛ばさせて、リルルは壁に体を叩きつけられた――というより、叩きつけさせた。


「うぐぅっ…………!!」


 銀の腕輪の効果がなければ、そこで全身の骨を砕かれて終わりだったろう――が、まだ、生きている!


「ニコル様!」


 最良の機会を見出みいだしたフィルフィナが第三射を放った。突きの体勢で体をび切らせたニコル、その手が持つサーベルの刃とつばの境界をそれは正確に叩く。ニコルの手からサーベルがもぎ取られたように飛び、天井高く突き刺さった。


「――――やるしか、ないか!」


 得物えものを失ったニコルに向かって、シーファが猛然もうぜんと突進した。右手にかかった打撃に動きを止められた少年におおかぶさるように、そのへび状の胴体をおどらせて急接近する。


 少年の視界の裏に回り込むようにシーファは体をすべり込ませ、反射的に目で追おうと体をひねったニコルのさらに裏側に回り込んで、その少年の体に巻き付いていた。


「…………!」


 太い胴体に腕ごと体をめ上げられ、顔も隠れたニコルが息だけでうめいた。相当の筋肉量がある胴体に全身を拘束され、常識外の力を振るっていたニコルもそれを瞬時には振りほどけない――はずだった。


「く……! なんて力……!」


 シーファの顔が強ばる。生身の人間なら数秒で全身の骨を粉砕ふんさいできるはずの圧力に耐え、巨大な蛇の胴体がもたらす剛力ごうりきたかが少年の力・・・・・・・が抵抗していたのだ。


「拘束して……いるぞ! 今なら!」

「ありがとうございます! これで!」


 フィルフィナが懐から一本のつつを取り出し、シーファが文字通りに絡んでいるニコルの背後に飛びかかった。巻き付いた蛇の胴体から見えている隙間、わずかに開いたそこを狙って筒を突き出す――その先端にあるのは、一本の針!


「ニコル様――――失礼いたします!!」


 脊髄せきずいと脊髄の間を狙ったそれは、フィルフィナの目論見もくろみ通りに突き刺さった。


「く――――!」


 シーファの胴体の中で、ニコルの体がきしんだ。自分の体の中で機械がガクン、と動いたような固い衝撃にシーファは体を震わせた。

 そのまま動き続けるのではないか。そのシーファの不安を裏切って、ニコルの体から力がけた。そのひざくずれかけた。


「き……効いたのですか……?」


 フィルフィナの手が、首筋から筒を抜く。強力な鎮静剤ちんせいざい――これをニコルの体に打ち込むのが唯一ゆいいつの手立てだったのだが……。


「っ!?」


 崩れかけていたはずのニコルの膝が、立ち上がった。やわらかくなっていたはずの体が鉄のようになり、シーファの背筋がおびえにこごえる――上手くいったはずなのに!


「――シーファ! 離れて!」


 フィルフィナの声が飛ぶ。内側からいましめを引き裂こうとする力が働ききる前に、シーファは逃げ出していた。


「……効いた、と思ったんですが……!」

「一瞬な」


 へびの胴体を床を滑らせてシーファがフィルフィナの側に寄る。


「あれは薬かなにかか……どうやら、体内で一瞬にして中和ちゅうわできる能力があるようだな」

「……困りました。あれは一本しかないんです。ここは一度撤退てったいを――」


 フィルフィナの言葉をさえぎって、ニコルが色のない表情で腕を振った。キン! と硬質こうしつな音が背後で鳴り響くのが聞こえてリルルは振り返る――背後、自分たちが歩いてきた通路を、青い光の壁が封鎖ふうさしている!


退路たいろが…………!!」

「ここで逃がすわけがないでしょう!」


 ティターニャの声が鼓膜こまくに突き刺さる。どこから話しているかわからない――しかし、どこかにいる!


「その光の壁は物理攻撃では破壊できないのよ。その騎士様を倒さない限りは、ね――でも、あなたたちにその騎士様が殺せて? 逃げることもできず、ここで死ぬ運命――フフフフッ! あきらめて受けれなさいな!」

「…………」


 嘲笑ちょうしょういろどられた声を聞きながら、リルルは、前をじっと見ていた。その落ち着いた視線の気配にフィルフィナが気づく。


「――お嬢様、なにを考えているんですか」

「あの鉄の扉」


 ニコルの背後、床を埋めるほどの巨大な扉をリルルは目で示す。


「ニコルを倒せない、退くこともできないのなら――いっそのこと、あれを開けて進んでしまうっていうのは、どう?」

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