「地下へ」

「……閣下! ぞ……ぞくが! リロットが、快傑令嬢が……!」

「報告は簡潔かんけつにしろ」


 ノックも省略しょうりゃくして閣議室かくぎしつに飛び込んできた衛兵えいへいに、車椅子くるまいすに横たわって動かないイェズラム公爵は、閉じた目を小揺るぎもさせずに応じた。


「快傑令嬢リロットがハーピーの娘をさらっていったのだろう」

「な……何故、ご存じで……」


 まさにその急報をたずさえてけつけて来た衛兵は、それ以上の言葉をげなかった。


「そこの窓から見えたのでな」


 首をかすかに振って指し示す――閣議室の広い窓が王都の空を映していた。


「娘らしきのが二人、窓いっぱいに飛んでいくのが見えた。うわさの薄桃色のドレス姿の少女と、明らかに異形いぎょうの姿をした翼を持ったもの。――あのハーピーがいた貴賓室きひんしつは、この真下だったか……」

「お……おっしゃる通りで……」

口上こうじょうもだいたい聞こえていた。耳だけは調子がいいのでな……シーファといったかな、あのラミアもさらったとかいってたか……」

「――どういたしましょうか」


 イェズラム公爵の片目が開いた。昨夜から閣議室に詰めっぱなしのシェルナ侯が言葉をつないでいた。


「あのラミアがいなければ、第三次の突入ができません……道案内のシーファがいなければ現場にはたどり着けないのです。むかえの者がいっているはずですが、おそらくは空振りでしょう」

「そうか。ならば、彼女たちが第三陣というわけだな……」


 シェルナ侯と衛兵が顔を見合わせた。


「考えてもみたまえ。何故リロットが今、あの二人を必要とするのか。まさにくだんの場所に向かうためではないのかな」

「なんのために」

「以前、警備騎士団団長、ランバルト公爵から話を聞いた。リロットと直接話をしたことがあるらしい――ああ、これは内密ないみつの話だ。外にはらさんようにな」


 イェズラム公爵はその話を聞いた時のランバルト公爵の顔を思い出す、嬉しそうな、なにか安らぎを得たような顔をしていた、彼は。


「……快傑令嬢リロットは、王都の平和を守る正義の味方だそうだ。彼女が動く時、それは全て王都のためになる――と」

「しかし、リロットは指名手配犯です!」


 衛兵が口角泡こうかくあわを飛ばす。それだけはゆずれないというように。


「……副作用のない薬は存在しない。正義を示すには、法をみ越えないといけないとこともあるのだろう……我々はそれを許すことはできない、が……」


 事態は少しも好転こうてんしていないのに、何故か、心強いものも感じる。自分の手を離れたこの展開が、どう転がるのかを見てみたいという興味があった。


「今は彼女たちの行動を見守ろう。どのみち、手段もなかったしな……」



   ◇   ◇   ◇



 泣きわめき手足を暴れさせるメイリアを抱え力尽ちからづくで押さえながら、リルルは王都の空を東に飛んだ。鳥の黒い影に混じり、どう見ても空の青さには溶け込まない薄桃色のドレス姿が風を受けて流れ舞う。


 地上の人々がさわぐ声を無視し、あらかじめ決めておいた地点――高層住宅が密集みっしゅうする区域、その細い路地に入り込むようにして降りていく。周囲からは降下の地点はさとられないだろう……多分。


「来たか」


 人気のない路地ろじ――人が二人、ちがえるかどうかという細い道に、並ぶようにしてフィルフィナとシーファが待っていた。


「シーファ、シーファ! よかった、生きてた! シーファぁ!」

「……どうした?」


 その姿を認めるやいなや、抱きついてきてわんわんと泣き始めたメイリアの体を受け止め、シーファは首をかしげた。ヴォルテールていに駆けつけた時に身につけていた、目と耳だけがのぞく黒装束姿くろしょうぞくすがたに全身を包むフィルフィナが、その目を細める。


「もう煮込にこまれてお肉になってたと思ってた! 無事だったんだねぇ!」

「……お前、メイリアにどういって連れてきたんだ?」

「あはは……」


 泣き声のかたまりを軽く抱きながらたずねるシーファに、巨大な汗の粒を浮かべたリルルは、かわいた笑いを浮かべるしかなかった。


「メイリア。よく聞け」


 シーファがメイリアの体を離す。涙と鼻汁でベトベトになっている妹分の顔をハンカチで丁寧ていねいぬぐってやっていた。


「私たちは、これからまた地下下水道にもぐる。でも、あいつらお偉方えらがたたちの命令じゃない。自分たちの意志と判断で潜る。だから、人質のお前を出してきた」

「シーファ……また危ないことをするんだ……。どうしてもしないとダメなの……?」

「これが私の仕事だ。メイリア、『二番目の家セカンドハウス』で待っていてくれ。場所は覚えているな?」

「うん」

「これを」


 フィルフィナがメイリアにフード付きの外套がいとうを手渡す。王都に住む亜人たちのほとんどがかぶっているものだ。


「姿を見られるな。この時期にハーピーだと知られると、すぐに手が回る。食料も水も運び込んでおいた。私が帰るまで大人しく待っていろ。絶対外には出るな」

「うん……待ってる。待ってるからシーファ、絶対帰ってきてね」

「当然だ」

「ね……シーファ、いつものあれ、して」


 びく、とシーファの肩がねるのがわかった。リルルがその目を丸くする。


「……すまない、二分、時間をくれるか」

「はい?」

「……お嬢様」


 リルルの体をフィルフィナが軽くひじでつつき、それでも察しないリルルを無理矢理に後ろに振り向かせた。


「フィル、なに……」

「しっ」


 シーファとメイリアの方に顔を向こうとしたリルルをさらに制する。その横目が『なんと気が利かない』と無言でしかっていた。


「シーファ……シーファ、さびしかった。行って欲しくない。でも、シーファのいうことなら、聞く」

「すぐ帰って来る。心配はらない……いまさらお前をひとりにさせられるものか。お前は私の……」

「シーファ……恥ずかしいよ……」

「二人とも向こうを向いていてくれているし、ねだってきたのはお前だろう?」

「……シーファ……ん……」

「……ん、ん……」


 会話が途切れ、二人の息づかいしか――何故かとても甘い感じの息づかいしか聞こえて来なくなって、またも振り返ろうとしたリルルの頭をフィルフィナの手ががっちりと固定した。


「フィ、フィル、あれ」

「しっ! 聞き耳を立てるなどと、淑女しゅくじょのすることじゃありません!」

「フィルだって、いつもより耳が立っているじゃない」

「……これは少し寒いからです! 寒いとこうなるんです!」


 二人の息がからみ合い、絡まれ合う気配を二分間たっぷり聞かされ、その間いつもの倍の調子で心臓を拍動はくどうさせていたリルルとフィルフィナの後ろで、その濃密のうみつな空気が少しはやわらいだ。


「――すまない、時間を取らせたな」

「あ、いえ、べ、別に、私たちは……」

「――シーファ、ねぐらで待ってるから! 嫌いなお風呂も入って、体をきれいにしておくからね! すみずみまで!」


 最後にトドメとばかりにシーファのほおに熱い口づけをして、メイリアはその場を駆け出していった。


「――さあ、行くか」


 アザになったくちびるの形をくっきりと残したシーファが、いつもの冷静極まりない表情でそういった。


「……私の顔になにかついてるか?」

「い、いいえ! 大丈夫! なにもついてないから!」

「いいのですか? あなたの話を聞いている限り、かなり危険な潜行せんこうになるのでしょう。お願いした身で、こんなことをいうのもなんでしょうが」


 表情を隠すことに成功したフィルフィナがたずねる。


「私にとって人間は、どうでもいい」


 言い切った。それが本心のすべてだというように。


「今回の事態もおおよそ、人間の下らない、始末の失敗の結果だろう。――しかし現実、この王都には多くの亜人が住んでいる――人口百六十万の中に一人も数えられていない亜人たちがな」


 人口統計に表れない数字。その全貌ぜんぼうを知る者はおそらくはいないだろう。


「それに、この機におんを売っておくのも悪くはないと思った。――あいつらが恩を感じてくれる連中だとありがたいのだが……」

「やらないよりはマシでしょう」


 確認は終わりだ、というようにフィルフィナは視線を向けた。十字になった路地の真ん中の地面にまるふたが被されている。一見いっけん、ただの地下下水道の入口――いや、まさに下水道の入口でしかない。

 地下下水道そのものが地下迷宮ダンジョンと化していなければ、日常の景色の一つでしかないはずだった。

 まさに。


「――では、おもむきましょうか……わたし、地下迷宮ダンジョン探索たんさくというのは初めてです」

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