「ハーピー娘、メイリアのさわやかな目覚め」

「……一人も殺せなかったですって?」


 王城の直下に存在する『結節の空間』――そこにつながる鉄の扉の守護神と化したニコルは、壁に背をもたれさせ、無言で座り込んでいた。

 まばたききの一つもしないうつむいた目が、自分の足先を見つめている。いや、その目には何かを視認している気配、光はなかった。


『大した催眠さいみんだな。魔の力というのもこの程度か』

「うるさい!」


 ニコルのかたわらに腕を組んで立つダークエルフの女――ティターニャが、その翼を羽ばたかせて宙に浮く蝙蝠コウモリのような影に叱声しっせいを飛ばした。少年特有の高さと低さの間でらめくような幼い声は、その影から発せられていた。


「この子が特別なのよ……それに撃退はした。一人として入れていないわ」

『相手を殺すくらいの暗示あんじがかけられていないのは、危険しかないな。そいつはてた方がいいのではないのか?』

「保険をかけておくわ。それでいいでしょう」

『……まあ、その扉を抜けてきても、無事に生還せいかんできる者がいるとは思えんが。そんな小僧こぞう一人自由にできないというのは、どうなのだ?』

「うるさいといってるでしょう!」


 苛立いらだちをぶつけるようにティターニャが腕を振るうと、その蝙蝠型の影は雲散霧消うんさんむしょうした。あとには静寂せいじゃくだけが残る。


「……見所があるとは思ったけれど、ありすぎるのも困るわね……」


 魅了チャームの術をまともに受けながらも、たましいの奥で必死に抵抗ていこうを示す白面はくめんの少年。自分の術中じゅっちゅうおぼれないことに怒りも覚えるが、同時に、そんなことが可能なこのただの人間・・・・・に興味も持つ。


 心の自由を与える代わりに手足の自由をうばい、じわじわとなぶることでその精神を侵食しんしょくしていく――どんな肉体も、究極的には拷問ごうもんに耐えることはできないのだ。全ての面倒がなくなればそうやって遊んでやろう。遊びは、難しければ難しいほど心をたかぶらせてくれるものなのだから。


「術をかけ直すのも面倒だから、あなたにはこれをあげるわ」


 ティターニャのこぶしが人差し指を上に伸ばす。と、無の中から浮かび上がるように金色の輪が現れた。ちょうど、首の太さにはまるくらいの直径ちょっけいを持つ、細いかざり気のない輪。それを女の手がニコルの首に近づける。


 輪を無造作むぞうさに首筋に当てると、そのまま輪がニコルの首に入り込んでいく――虚像きょぞうに現実のものを押し当てているかのように。その間、ニコルはうめきもしない。自分が何をされているのかもわからず、うつろな顔が虚空こくうを見つめるばかりだ。


「あら、なかなか似合っているじゃない」


 輪はまさに首輪となって、ニコルの首にぴたりとめられ、そこで固定された。


「いい? 聞こえているはずよ。……その首輪は、あなたが正気に戻ろうとすると、魅了の術の力を増幅ぞうふくさせる。それでも抵抗すれば、精神を引き裂くほどの力が加わる。外から他人が外そうとしても、あなたの心をくだく――外させようとしないことね。本当のお人形さんになりたくなければ」


 わかった? とささやくティターニャにニコルはこたえない。が、赤い瞳が刻んだわずかな波紋はもんにティターニャは満足した。


「私からの贈り物プレゼント、大事にしてね……まあ、自分では捨てられないようになっているんだけど」


 いい子にしていてね、とティターニャはニコルのほおに口づけをし、身をひるがえした。もっと気持ちいいことで遊んでいたかったが、忙しい身なのだ。

 お楽しみは、あとに取っておく――。


「またね、私の可愛い騎士様」


 カツン、とかわいた足音が一つ響くと、魔の眷属けんぞくは姿を消した。

 あとには、物いわぬ――いわぬはずのニコルが一人残されて、地下迷宮ダンジョンの静かな守護者となり、そこに存在し続けていた。


「…………リ………………ル………………ル…………」



   ◇   ◇   ◇



「ふわあ~~~~あ」


 ハーピーの娘、メイリアは朝の光を頬に受けて目を覚ました。

 ふかふかの羽毛うもう布団――羽毛というのが気にはなったが――にくるまっていた体をゆっくりと起こす。その布団の軽さと暖かさに、初めてその上で体を弾ませた時は感動を覚えたものだった。


 その立派な寝台の大きさもまた感動の的の一つだった。ねぐらの粗末そまつな寝台など、二人で乗るとあからさまにミシミシという音が響き、こわい思いをしたものだった。今は補強ほきょうに補強を重ねて、その上で多少無茶なことをしても大丈夫にはなったが。


「ふぁぁぁ~~あ」


 上体を起こし、腕を振り回し、体のりをほぐす。


「やっぱり寝心地いいなぁ。ったく、ニンゲンってのは亜人からさ……さく、さくしゅ? してこんな贅沢ぜいたくなもの作りやがって。ムカつくなぁ」


 言葉でいうほどムカついていないメイリアは、詰めれば五人ほどは寝られる幅の寝台を広げた手でたたく。腕をいっぱいに広げても端まで届かなかった。


「この寝台でシーファと一緒に寝たいなぁ……ふたりで暴れたってへっちゃらだろうに。ここから出される時に暴れてみようかなぁ」


 窓を見る。壁よりも窓の面積の方が大きい。立派なバルコニーに出られるガラス窓もある――そこから一望できる王都のながめは壮観そうかんだった。まあ、自分は割とそういう景色にはれている。なんせ、飛べるのだ。


 寝台もテーブルも物書き机も、専用のトイレさえも、その調度の全てが立派な部屋だ。さすが王城の・・・貴賓室きひんしつちがうと思う。外国からの要人を宿泊させる、王城の最高層の一つ下、エルカリナ城の威容いようを思い知らせるための部屋なのだ。


 これで、窓の全てに鉄格子・・・が入っていなければ最高なのに――メイリアはつくづく思った。


「要するに、牢屋ろうやじゃんか」


 廊下ろうかに出る扉も固くじょうがされて、出入りする自由はない。外には完全装備の衛兵えいへいがふたり立っているという厚遇こうぐうぶりだ。

 シーファがニンゲンを裏切らないための保険としての、人質なのだ。


「あ~、ムカつく」


 水差しの水をコップに注いで飲む。ねぐらの水差しと違い、それにもいちいち立派な装飾そうしょくがされているのがまた腹立たしかった。


「つまんな。早くシーファお役御免ごめんにならないかな……ねぐらに戻りたい。こんな所で一人で寝るより、シーファに抱きしめられていた方がずっといい。この寝台も持って帰りたいけど、こんなのねぐらに入れたら確実に床が抜けるしなぁ」

「――ハーピー、食事だ」


 グチグチと愚痴ぐちっているメイリアの耳に外から声がかけられた。改造したのか、廊下に繋がる扉の下がわずかに開いて、返事も待たずにトレーがすべり込まされる。


「んだよ、普通に扉開けて持ってくればいいじゃんか」


 毒づきながらトレーを取りに行く。テーブルにそれを載せ、料理を眺めて確かめた。

 拳大くらいの五個のパン、たっぷりとソースがかけられた鳥のモモ焼き、味が予想もつかない血の色をしたスープ、こんもりと盛られたサラダ。


「あたしに鳥料理って、なんだ? なんかの当てつけか?」


 フォークとナイフを手にする。二十分ほどかけてその全てを平らげ、鳥のモモ焼きのソースの一滴も残さずに丁寧ていねいに舌でめ上げた。


「ああ、美味おいしかった。ムカつく」


 ふくれた腹を抱え、寝台に横になった。


「いちいち美味しく作りやがって。あたしを太らせて飛べなくさせようとしてるのかな。太っちゃったらシーファに可愛がってもらえなくなるじゃんか。こんな部屋じゃ飛ぶこともできないのに、ムカつく」


 いちいち不味まずく作るのも手間だから、という考えは彼女の頭から抜けているようだった。


「……シーファ、早くむかえに来てよ。あたし、寂しいよ……早く二人の巣に戻りたい。こんなの何日も続くのかな……ムカつく……」


 罵倒ばとう語彙ボキャブラリーも使い果たし、ふわふわの枕を涙でらし始めたころ――窓の外・・・からノックされる音に、とがり気味の彼女の耳がひくついた。


「――は?」


 聞きちがいか、と思ったが、再びノックの音が響く。枕を投げ捨てる勢いでメイリアは体を起こした。


「おはよう」

「お――お前!?」


 バルコニーの窓と鉄格子越しに、薄桃色のドレスをまとった少女が立っていた。顔はよくわからない――見た途端とたんに印象が頭からがれ落ちていくが、そんなことが起きるような女は少なくとも今まで一人にしか会ったことがない。


「お前、確か、快傑令嬢リロットとかいう……」

「迎えに来たの。シーファさんがあなたを連れ出して来いって」

「本当か!?」

「しっ」


 駆け寄ってきたメイリアにリロット――リルルが人差し指を立ててくちびるに当てた。


「外に見張りがいるんでしょ? さわいだらダメよ」

「あ、ああ……。でもどうしてシーファが?」

「好き勝手に動かないといけない用ができちゃったの。あなたが人質にされていたら、動けないでしょ? だから連れ出しに来たの」

「お前、飛べたのか……」

「ええ」


 微笑ほほえみ、リルルは手にした白いかさじくにしてくるりと回って見せる。


「でも、この鉄格子だぞ」


 親指ほどの太さがある鉄格子。忌々いまいましい黒い光沢を帯び、侵入する者も脱出する者もはばんでいる。メイリアが中から内開きに窓を開けるが、当然バルコニーは出られない。


「あたしだって、これがなかったら飛んで逃げ出してるんだ。全部の窓にこれがはまっているから、逃げようにも――」

「ああ、これね」


 傘を足元に置き、リルルは軽くその二本を握った。左腕に嵌めた『銀の腕輪』の存在に意識を集中させる。銀の腕輪の上で文様もんようが光となって浮かび上がり、それが手首の回りで回転した。


 ガキン! と音が響いて鉄の棒が基部からもぎ取られた。目を丸くしたメイリアの前でもう二本、さらにもう二本と、枝でも払うかのように外されていく。人ひとりが出られる隙間すきまができるまで、十秒とかからなかった。


「開いたよ」

「……は、ははは……」


 メイリアがバルコニーに出た。風が気持ちいい――自由の風だ。


「でも、このままあなたを連れて行くのはまずいの。あなたは逃げ出したんじゃない、私に連れ去られたっていうことにしないと。シーファさんがそう絵を描いたって見られると、あとあと面倒なことになるから」

「ど、どうすればいい?」


 リルルがメイリアの耳元でささやく。メイリアは二つ三つうなずき、すぅと息を吸ってから――。

 体全部を響かせるようにして、さけんでいた。


「助けろぉぉぉぉぉぉぉぉ――――っ!!」


 五秒も経たずに出入り口の扉が乱暴に開け放たれ、警備の兵士たちが二人部屋の中に雪崩なだれ込んできた。


「助けて、さ、さらわれる――!」

「ぞ……ぞくか! き、貴様――!?」


 嵌まっていたはずの鉄格子が外され、窓の向こうでハーピーを小脇に抱え、傘を手にしたドレス姿の少女の姿に兵士たちが足を止める。たとえ実見じっけんしていなくても、新聞や雑誌などで散々さんざん見て読んで知っている――快傑令嬢リロット!


「兵士のみなさま、朝早くからおつとめご苦労様です!」


 両手がふさがっていなければカーテシーを披露ひろうしたいところだったが、そこは我慢した。


「失礼ながら、このハーピーの少女は不肖ふしょうこの私、快傑令嬢リロットが連れさらわせていただきます! シーファと名乗るラミアの女性も私が誘拐ゆうかいさせていただきました! 犯人をおさがしなら、是非とも私の所にお訪ねくださいませ!」

「き――貴様! 何故そのハーピーをさらう必要がある! そのハーピーをさらってどうするつもりだ!」

「それは――――えっと?」


 リルルは言葉に詰まった。そうだ、誘拐するにも動機が必要なのだ。

 剣を抜いた兵士がじり、じりと間合いを詰めてくる。何か気が利いたことを返さねばならない、というあせりがリルルの唇を動かしていた。


「こ……このハーピーは、連れ帰って、ず……」

「ず?」

「――寸胴ずんどう鍋に入れて、鶏ガラのスープを作る材料にさせていただきます!」

「「「な、なんだってぇぇぇぇ――――!」」!」


 兵士たちと耳元のハーピーの口から異口同音いこうどうおんに悲鳴に似た叫びがほとばしる。


「お、お前、あたしを料理の材料にするつもりかぁぁ!」


 リルルがバルコニーの床をる。ハーピーを抱えた少女が王都の空へと舞い上がった。


「助けてぇ!! 羽をむしられる、煮られる、焼かれる、でられるぅぅ!!」

「あ、暴れないで」


 芝居しばいではない、本気でリルルの腕からのがれようとしてメイリアが手足を全力でばたつかせた。


「お前、シーファも食う気なんだろぉぉ! 今頃シーファを血抜きしてるんだぁぁ! あたしのスープでシーファの肉を煮込んで食べるんだぁぁ!!」

「ごめん、ちょっと口が滑ったの!」

「嫌だぁぁぁ! ダシを取るためだけに三日三晩茹でられるなんて嫌だぁぁぁぁ! ……どうせだったら肉まで食べてくれ! せめて、お前のお腹の中でシーファと一緒になりたい……」

「食べないから! 食べたくないから! 食べられないから!」


 悲鳴か怒号どごうなげきかわからない声が姿と共に小さくなっていき、バルコニーにみ込んだ兵士たちは、翼でも持っていないと追えなくなった二人の姿を、空の点として見送るしかなかった。


「な……なんだ、あれ……?」

「……わからん」


 上司に報告せねばならない。そんな単純なことさえも、二人の頭の中にすぐにはわき上がらなかった。


「わかるのは、快傑令嬢がハーピーの娘をかっさらって行ったってことだけだ……」

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