「ヴォルテールの夢」

 ヴォルテール男爵逮捕たいほのために編成された警備騎士団の部隊が、王都の北門を発して北上していた。


 規模きぼは五十騎――国王親衛隊しんえいたいの動員が完了して出撃するまでのつなぎとしての戦力であり、ヴォルテール男爵の逃亡とうぼうを防ぐための包囲以上の役割は求められてはいない。そもそもが警察機関の特殊部隊として創設されたのが警備騎士団であり、軍事的戦力としては見劣みおとりがいなめないのだ。


 その五十騎の中から二騎が偵察ていさつのために先行し、奥にヴォルテールていが存在する暗く深いフェーゲットの森に突入していた。ヴォルテール邸には、まだ男爵家が追討ついとうの対象になったのを知らない警備騎士団の部隊が護衛のために駐屯ちゅうとんしている。彼らの安否あんぴが不安視されていた。


 森に入り込んだ細い道を二頭の騎馬が走る。二頭が横に並んで走るのがギリギリの細い道だった。午前とはいえのぼっているのに、生いしげる木々の葉がその光のほとんどをはばんでいる。陰鬱いんうつな薄暗さに恐怖感が呼び起こされ、速い速度でけることにためらいを感じさせられた。


「――くっそ……いったい、なにがどうなっているんだか……!」


 偵察分隊の一人に選ばれたラシェットは、不可解ふかかいしかない一連のできごとに理解が追いつかないことに苛立いらだちをかくせなかった。

 出撃直前の、ダークエルフとおぼしき女によるニコルの拉致らち。追おうとした時にはその姿は完全に見失われていて、足取りの手がかりすら得ることもできなかった。


 非常の際に一人の隊員の不明には関わっていられないという冷酷れいこくな判断が下り、ニコルの捜索そうさくは後回しにされて今、警備騎士団の全力としてのヴォルテール邸包囲の部隊が派遣されている。


「ニコル……待ってろ! 早く任務を片付けて、お前を探してやるからな……!」


 有力貴族として名高いゴーダム公爵。その紋章、公爵家の身内がつけることを許されたニコルの徽章きしょうを、稚児ちごとして取り入ることで手に入れたのではないか――。そう揶揄やゆした自分を、色々あった末にニコルは許してくれた。


 借りを返すなら、今しかない。はっきりいって事情はほとんど飲み込めていないが、とにかく命じられた任務をやりげればいいのだ。早くこれを終わらせて――。


「……もうすぐだな!」


 記憶にある道の折れ曲りを通過する。ここからはもう一分も馬を走らせる必要はないはずだ。状況じょうきょうを確認して、後ろを走っているはずの後続部隊に報告しないと――。

 道を細めていた密集する木々が、ひらけた。もう本当に間もなく、森の中で息をひそめるように建つヴォルテール邸が見えるはず……。


「うわっ!」


 突然、何の前触れもなしに前をふらっと現れた人影に、ラシェットと併走へいそうする同僚どうりょうが馬首をめぐらせて針路を変えた。ね飛ばしかねないところをすんでの所で回避かいひする。


 二頭の騎馬に蹴散けちらされそうになったその人影が、ぺたんとその場で尻もちをついた。


「危ねえな! いきなり道に飛び出す奴が――」


 その人影が、見慣れた胸甲きょうこうをつけた男であることを知ってラシェットは言葉を切っていた。ヴォルテール邸警備についていた警備騎士団の別部隊だ。その場に座り込んだままうつろな目をし、なかなか立とうとしない――。


「おい、どうした!」

「ヴォルテールの屋敷が……」


 どこか放心している気配がある兵士。どこに視線を定めたらいいのか迷っているように目がぐるぐると回っている。


「そのヴォルテール男爵の追討令ついとうれいが下ったんだ。屋敷に仲間は入り込んでいるのか」

「屋敷に仲間は入ってない。みんな天幕テントで寝てたんだ。その屋敷がなくなったんだ」


 ――なに?


「屋敷がなくなった?」

「ああ……屋敷がなくなった」

「おい、大丈夫か。お前、様子がおかしいぞ」

「なくなったんだ、屋敷が……屋敷がなくなったんだ……」

「ちっ……」


 どうもらちが開かない。同僚にその男の面倒を見るように頼み、ラシェットは駆け出した。屋敷を視認するためには、少しの距離きょりを走ればいい。そこから、ヴォルテール邸の全貌ぜんぼうが見えるはずだ――。


「……は?」


 自分もつい先日までいたはずのヴォルテール邸――それが見えるはずの場所まで足を運んでみて、ラシェットは愕然がくぜんとした。

 見えなかった――屋敷が。


「え、な、なんで、どうして」


 屋敷が、なかった。

 ほぼ正方形に掘られた堀、その堀に沿うようにして建てられた高い塀――見張り塔まである立派なそれは残っている。確かにそれは記憶と合致がっちしている。


 ただ、塀の奥にあったはずの屋敷が、消えていた。


「……ど、どうなってるんだ……」


 警護のために駐屯していた警備騎士たちが、目の前で起きている現実を受け入れられずに右往左往している。幽鬼ゆうきのようにさまようしかない彼らの間を走り、ラシェットは堀に渡された跳ね橋を渡って塀の内側を視界にとらえた。


「……どうなってるんだよ、これは!」


 塀の内側の地面には、巨大な穴が空いていた。穴――この四角く切り取られた穴はなにかとうたがうラシェットは、それが地下室があったあとだということに気づく。

 地下室をもふくめた屋敷の一切合切いっさいがっさいが、消えていた。それが確かに存在していたという痕跡こんせきだけを残して。


 ヴォルテール家の人間は見当たらない。――少なからぬ私兵や、家来にぞくするものがいたはずだ。それも屋敷ごと消えたというのか。


「ラシェット、これは、いったい……」

「わからない……わかるはずがないだろ」


 併走してきた同僚にたずねられても、ラシェットにはそう返事をすることができなかった。

 砦――いや、小国の城くらいはあったはずの高層の建物が、消えた。いや、どこかに移動した・・・・・・・・と考えるのが妥当だとうなのか?


 そんなことを可能にする力とは、手段とは、いったい何なのだ?


「ど……どう報告する、これを」

「どうって、そのまま報告するしか、これは……」


 男爵を追討しようと向かったら、屋敷がまるまるなくなっていました。

 そんな話を、話だけで誰が信じるだろうか。頭がおかしくなったと断じられて、終わりだ。

 そんな報告をしなければならない立場に立たされて、ラシェットは心底、途方とほうれた。


「……どう報告すれば、いいんだ……」



   ◇   ◇   ◇



 ――夢を見ていた。

 昔、寝物語に母から聞かされた話が、眠りの中で延々えんえんり返されていた。


『あなたは、この王国の正統せいとうな王なのです――ほんとうは』


 自分が物心ものごころつくはるか以前から、母は自分にそう語り続けていた。母の言葉として真っ先に思い出されるのはその言葉しかなかった。


『あなたのお父様も、本当ならあの王城の玉座に座っていらっしゃるお立場なのです――ほんとうは』


 屋敷のバルコニーから望む王城。高台の上に建つ、この王都で最も高い建物。世界最大の王国に相応ふさわしい偉容いようほこ豪壮華麗ごうそうかれいな建造物だ。


『それが、卑怯ひきょう姑息こそく陰謀いんぼうのために、臣下の立場にまでとされて――どうして私が産んだ子が王ではないの! こんなの間違まちがっている! このヴォルテール大公家たいこうけこそが、世界をべるべき唯一ゆいいつの家だというのに!』


 母の笑顔は記憶にない。いつも苛立いらだっているか、わめき散らしているか、放心ほうしんしているか――たまに笑いかけようとする時もあったが、それは笑顔とはいえないうつろなものだった。口元は笑っているかも知れなかったが、目に輝きはない。


 人形よりも空虚くうきょな笑みだったのを、はっきりとまぶたの裏に焼き付けている。


『――カデル、愛しい我が子。あなたをきっとあの玉座にえてあげる。今のお父様は頼りないけれど……お父様が引きいだ正統な血筋、そしてエルカリナ王国王女としての私の血。ふたつの血が交わったあなたは、あの城を見上げる人間ではない――あの城から全てを見下ろす人間なのよ』


 ……自分が知っている、唯一の昔話。耳元で何百回、何千回、何万回り返されたことか。


 そして、転機はやってきた。

 最初はくだらないきっかけだった。ふたつの家の使用人同士が、酒場でっ払ってケンカをしただけの話だった。


 それが、たがいの家の家来、ついには主人が仕返しと称して乗り出してきて――戦いが始まった。


『何故よ! 何故我が家がばっせられなくてはならないの!』


 ヴォルテール家に下された『罰』は過酷かこくだった。領地を没収され、代わりに与えられた地は一年を通して天候不順てんこうふじゅんが続く、風土病ふうどびょう渦巻うずま不毛ふもうの地だった。王都からの退去たいきょをいい渡され、人が入り込むのも難しい森の奥に屋敷を作ることだけがかろうじて許された。


 当主であった父は追放同然におもむかされ――数年をずして病没びょうぼつした。正直、顔もよく覚えていない父だった。


くやしい……! ハーベティ! あの売女ばいたが! あのにくたらしい姉……この手でその首をねじ切ってやりたい! 妹をこんな森に幽閉ゆうへい同然に押し込めて! 嘲笑あざわらっているにちがいないわ!』


 呪詛じゅそのように言葉をつむぎながら、母も病に倒れた。もともと精神がかなり不調をきたしていたところに、ことあれば王族の代わりに王を輩出はいしゅつするはずの大公家が、貴族としては最低位である男爵家に堕とされるという屈辱くつじょくを受けたのだ。


『カデル、愛しい我が子……もう、お母様はあなたを守ってやれない。だから、これからはこの人のいうことを聞くのです。きっと、あなたの力になってくれますからね……』


 息が上がる直前の母が紹介したのは、どう見ても異形のものにしか見えない女だった。

 き通るような金色の髪、紫に近い深いあおの肌、そして鋭くとがった耳――。

 初めて会った時からその女は、全てを嘲笑あざわらうような笑みを浮かべていた。今でもその表情しか頭に浮かばなかった。


『昔から力を貸してくれた人です。この人のおかげで、赤の瞳を守り通すことができた……まだ希望はあります。この赤の瞳と、お父様のいい伝えをまとめた文献ぶんけん……それがあなたの切り札になるでしょう……』


 力きる間際まぎわまで、心に復讐ふくしゅうの暗い炎をともし続けていた母。

 本当は、それだけが母の生きる力だったのかも知れない。

 今から思えば、そう思える。


いつわりの王を倒しなさい。時期を待ちなさい。正しきものは正しき道に戻らねば……』


 最後までのろいの言葉を口にしながら、母は死んだ。エルカリナ王国の王女として生まれた人間に、正式な葬儀そうぎを行うことも許されなかった。

 土葬どそうすることも禁じられ、やむなく火葬かそうという手段を選択し――母の体が燃え上がって煙と灰になった時、初めてその女は口を開いた。


『――それで、あなたはまず、何を望むの?』


 何でもかなえてあげる、とその黒い瞳が笑っていた。


『ひとつだけ、今思っていることをいってみなさいな』


 答えはひとつだった。


『永遠の若さがほしい。母が愛してくれたこの姿のままでいたい。――できる?』

『お安い御用ごようよ……あなたが人間でなくなる覚悟さえあれば』

『王座に着くのに、人間である必要はない』

『いい答えね、気に入ったわ』


 その口元が笑った。微笑ほほえんでいるだけの小さな笑みのはずなのに、耳元までけたかのような陰惨いんさんな印象があったのは、何故か。

 今振り返ってみれば、納得のできる答えはあった。


『闇があなたを守ってくれるわ。光を背負ってるなどと思い上がってる連中に、復讐ふくしゅうしなさい。私たちはそれを手伝ってあげるわ――光の力のもろさ、影の力の強さを思い知らせるのよ』


 この女が、ヴォルテール家のことなどを考えているはずがないのはわかっている。我が家の事情、我が家が伝え継承けいしょうしてきたことを利用しようとしているだけだというのは理解している。

 ならば、自分もこの女を利用するだけだ。


 互いが互いに利用価値を認めている間は、裏切ることはないだろう。

 ――そして、先んじなければならない、必ず。

 裏切られる前に。



   ◇   ◇   ◇



「――――」


 カデル・ヴィン・ヴォルテールはいつもの寝台の上で目覚めた。


「お寝坊ねぼうさんねぇ」


 目を開け、体を起こしたヴォルテール男爵としての少年――姿だけが少年の姿をとどめる――カデルのかたわらにずっといたのか、ダークエルフの女が椅子いすの上でその長い脚を組んでいた。


「……元の森の中も暗かったが、ここは真の闇だ。時間の感覚がなくなる」

「いずれれるわ。闇の静けさに安らぎを感じるようになるわよ」

「……そうだな」


 寝台から体をすべらせ、カーテンが閉ざしている窓に近づいた。快傑令嬢とか名乗る小娘を、突き破らせて外に投げ捨てた窓は今、きちんとガラスがはまっている。

 そのカーテンを開ける。光のない世界がそこにあった。


「……少しずつ大きくなっているな」

「まだまだよ。あれじゃ肩も抜けられないわ。もう十日……いえ、あと数日……」

「そうか。あと数日時間をかせげばいいのだな」

「『青の瞳』も手に入ればなおいいのだけど、ね。時間が早まるわ」

「……努力しよう。そのためには」


 何をすべきなのか――思いをめぐらせながらカデルは闇の先、唯一光を放っているそれを見つめた。

 光の歯車のように回転を続けている魔法陣まほうじん。年輪のように幾重いくえにも重なったそれは、複雑な文様もんよう幾何学模様きかがくもようをきらめかせながら、おのおの好き勝手な方向と速度で回り続けている。


 ここは王都エルカリナの足元――に位置していると思われている・・・・・・、闇の空間。

 光と闇の結節点けっせつてん

 本来、人が立ち入れない、立ち入るべきではない場所に、ヴォルテール邸は鎮座ちんざしていた。

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