「ヴォルテールの夢」
ヴォルテール男爵
その五十騎の中から二騎が
森に入り込んだ細い道を二頭の騎馬が走る。二頭が横に並んで走るのがギリギリの細い道だった。午前とはいえ
「――くっそ……いったい、なにがどうなっているんだか……!」
偵察分隊の一人に選ばれたラシェットは、
出撃直前の、ダークエルフと
非常の際に一人の隊員の不明には関わっていられないという
「ニコル……待ってろ! 早く任務を片付けて、お前を探してやるからな……!」
有力貴族として名高いゴーダム公爵。その紋章、公爵家の身内がつけることを許されたニコルの
借りを返すなら、今しかない。はっきりいって事情はほとんど飲み込めていないが、とにかく命じられた任務をやり
「……もうすぐだな!」
記憶にある道の折れ曲りを通過する。ここからはもう一分も馬を走らせる必要はないはずだ。
道を細めていた密集する木々が、
「うわっ!」
突然、何の前触れもなしに前をふらっと現れた人影に、ラシェットと
二頭の騎馬に
「危ねえな! いきなり道に飛び出す奴が――」
その人影が、見慣れた
「おい、どうした!」
「ヴォルテールの屋敷が……」
どこか放心している気配がある兵士。どこに視線を定めたらいいのか迷っているように目がぐるぐると回っている。
「そのヴォルテール男爵の
「屋敷に仲間は入ってない。みんな
――なに?
「屋敷がなくなった?」
「ああ……屋敷がなくなった」
「おい、大丈夫か。お前、様子がおかしいぞ」
「なくなったんだ、屋敷が……屋敷がなくなったんだ……」
「ちっ……」
どうも
「……は?」
自分もつい先日までいたはずのヴォルテール邸――それが見えるはずの場所まで足を運んでみて、ラシェットは
見えなかった――屋敷が。
「え、な、なんで、どうして」
屋敷が、なかった。
ほぼ正方形に掘られた堀、その堀に
ただ、塀の奥にあったはずの屋敷が、消えていた。
「……ど、どうなってるんだ……」
警護のために駐屯していた警備騎士たちが、目の前で起きている現実を受け入れられずに右往左往している。
「……どうなってるんだよ、これは!」
塀の内側の地面には、巨大な穴が空いていた。穴――この四角く切り取られた穴はなにかと
地下室をも
ヴォルテール家の人間は見当たらない。――少なからぬ私兵や、家来に
「ラシェット、これは、いったい……」
「わからない……わかるはずがないだろ」
併走してきた同僚に
砦――いや、小国の城くらいはあったはずの高層の建物が、消えた。いや、
そんなことを可能にする力とは、手段とは、いったい何なのだ?
「ど……どう報告する、これを」
「どうって、そのまま報告するしか、これは……」
男爵を追討しようと向かったら、屋敷がまるまるなくなっていました。
そんな話を、話だけで誰が信じるだろうか。頭がおかしくなったと断じられて、終わりだ。
そんな報告をしなければならない立場に立たされて、ラシェットは心底、
「……どう報告すれば、いいんだ……」
◇ ◇ ◇
――夢を見ていた。
昔、寝物語に母から聞かされた話が、眠りの中で
『あなたは、この王国の
自分が
『あなたのお父様も、本当ならあの王城の玉座に座っていらっしゃるお立場なのです――ほんとうは』
屋敷のバルコニーから望む王城。高台の上に建つ、この王都で最も高い建物。世界最大の王国に
『それが、
母の笑顔は記憶にない。いつも
人形よりも
『――カデル、愛しい我が子。あなたをきっとあの玉座に
……自分が知っている、唯一の昔話。耳元で何百回、何千回、何万回
そして、転機はやってきた。
最初はくだらないきっかけだった。ふたつの家の使用人同士が、酒場で
それが、
『何故よ! 何故我が家が
ヴォルテール家に下された『罰』は
当主であった父は追放同然に
『
『カデル、愛しい我が子……もう、お母様はあなたを守ってやれない。だから、これからはこの人のいうことを聞くのです。きっと、あなたの力になってくれますからね……』
息が上がる直前の母が紹介したのは、どう見ても異形のものにしか見えない女だった。
初めて会った時からその女は、全てを
『昔から力を貸してくれた人です。この人のおかげで、赤の瞳を守り通すことができた……まだ希望はあります。この赤の瞳と、お父様のいい伝えをまとめた
力
本当は、それだけが母の生きる力だったのかも知れない。
今から思えば、そう思える。
『
最後まで
『――それで、あなたはまず、何を望むの?』
何でもかなえてあげる、とその黒い瞳が笑っていた。
『ひとつだけ、今思っていることをいってみなさいな』
答えはひとつだった。
『永遠の若さがほしい。母が愛してくれたこの姿のままでいたい。――できる?』
『お安い
『王座に着くのに、人間である必要はない』
『いい答えね、気に入ったわ』
その口元が笑った。
今振り返ってみれば、納得のできる答えはあった。
『闇があなたを守ってくれるわ。光を背負ってるなどと思い上がってる連中に、
この女が、ヴォルテール家のことなどを考えているはずがないのはわかっている。我が家の事情、我が家が伝え
ならば、自分もこの女を利用するだけだ。
互いが互いに利用価値を認めている間は、裏切ることはないだろう。
――そして、先んじなければならない、必ず。
裏切られる前に。
◇ ◇ ◇
「――――」
カデル・ヴィン・ヴォルテールはいつもの寝台の上で目覚めた。
「お
目を開け、体を起こしたヴォルテール男爵としての少年――姿だけが少年の姿を
「……元の森の中も暗かったが、ここは真の闇だ。時間の感覚がなくなる」
「いずれ
「……そうだな」
寝台から体を
そのカーテンを開ける。光のない世界がそこにあった。
「……少しずつ大きくなっているな」
「まだまだよ。あれじゃ肩も抜けられないわ。もう十日……いえ、あと数日……」
「そうか。あと数日時間を
「『青の瞳』も手に入ればなおいいのだけど、ね。時間が早まるわ」
「……努力しよう。そのためには」
何をすべきなのか――思いを
光の歯車のように回転を続けている
ここは王都エルカリナの足元――に位置していると
光と闇の
本来、人が立ち入れない、立ち入るべきではない場所に、ヴォルテール邸は
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