「愛・それぞれのかたち」

「……待ってください。今、大事な……とても大事なヤバイことに気が付きました」


 真っ赤なリンゴ色の紅茶で満たされたカップを両手で抱えながら、ふっと心にひらめいたものに、フィルフィナは鳥肌を立てた。


「なぁに?」

「お母様、この店に週六で通っているといいましたよね」

ちがうわ、来ないのが週に一日なのよ」

「同じ意味ではないですか! お母様、自前じまえ転移鏡てんいかがみを持っているのでしょう。そんなもの、一体どこに隠しているのです」


 魔法の転移鏡――一見いっけんしただけでは普通の姿見スタンドミラーと変わらない。貴重なエルフの魔法の物品だ。


「置いてもらってるのよ」

「置いてもらっている……どこに」


 口にふくんだ紅茶がフィルフィナののどを、大きな音を立てて下っていった。嫌な予感がこれでもかというくらい強烈に突き刺さっているのが頭に痛かった。


「知り合いの部屋」

「すぐに撤去てっきょしなさい!」


 叫んでしまって、フィルフィナは自分の口を手でふさぐ。普段冷静なはずの自分が母の前では完全に振り回されている。


「……なんて迂闊うかつなことをしているのですか! どうせお母様の私室につながっているのでしょう! この王都とエルフの女王の部屋が直接繋げられているとか、口にするのも恐ろしい!」

「フィルちゃんだって、お知り合いの部屋に転移鏡を置いているじゃない」

「リルルお嬢様は信頼できるのです! わたしたちは一心同体も同じの、深いきずなで結ばれた主従しゅじゅう関係でもあるのです!」

「私だって負けてないわ。主従に負けない深い絆で結ばれているのよ?」

「――っ」


 いどんでくるような上目遣うわめづかいで微笑ほほえんでいる母の顔に、フィルフィナは胃に重く来る痛みを覚えた。とんでもない切り札を切る時の顔だ、とわかった。

 聞くのも恐怖の極地きょくちだったが――フィルフィナには、聞く以外の選択肢がなかった。


「そ……その絆とは……」

「こ・い・び・と」

「別れなさい!」


 両方の側頭部をハンマーでなぐられたような衝撃しょうげきをこらえ、フィルフィナが声を絞り上げる。


「こ……こ、こ、ここ、恋人ですって……な、なにをやっているのですか……いや、相手はどんな人間なのです!」

「半年くらい前かな? ちょうどこのお店で知り合ったのよ。私がお茶を飲んでいると向こうから声をかけてきて」


 ノロケ話に発展するのは目に見えていたが、フィルフィナは耳を塞ぐわけにはいかなかった、対処するために情報を仕入れておかねばならない。


「どうかあなたのような美しい人の絵を描かせてほしい。私は画家の卵です――って。私その人と目が合った瞬間、こう、心の中で今まで冷めていたものが燃え上がるのを感じて」

「が……画家……。ちょ――ちょっと待ってください」

「いくらでも待つけれど、お茶が冷めるわよ?」

「絵……というのは、まさかとは思うのですが、まさか」

「その、ま、さ、か」


 ぽっ、と母の頬が赤らむ。飲んでいる紅茶に負けないくらいのあかさがあった。


――――ああ、ずかしい!! 恥ずかしいわ!! うふふふふふふ!!」

「あなたは本当に何をやっているのですかっ!!」

「大丈夫よ、耳は人間のまるいのにするっていう決まりにしてるから」

「そういう問題ではありません!!」


 なんということだ。

 この王都で、母の裸を描いた絵が売られたりかざられたりしているとは。

 聞かなければよかったという後悔が、両手のカップを金属が満たしているかのように重い。明日から絵を飾っている街を歩くのがこわかった。


「最初は下着になるのも恥ずかしかったけれど――あんまりに一生懸命お願いされるものだから、ああ、私もがんばらなくっちゃって、つい最後の一枚まで脱いでしまって……きゃっ、こんなの娘にする話じゃないわね!」


 母が真っ赤に焼けた頬を押さえて体をくねくねさせる。


「最近じゃ、真剣な眼差まなざしが裸の体に食い込む感じがくせになっちゃって――途中でついつい盛り上がっちゃって、そのまま私に抱きついてきたあの人とそのまま寝台ベッドくずれるように――うふふふふ! 座っているのが寝台なのが悪いのよ!」

「…………」


 テーブルにひたいをつけて体と心を折られていたフィルフィナが、九割をけずられた精神力を振りしぼり、その体と心を起こした。


「あ……あ、あなたは、自分のやっていることがわかっているのですか! 仮にも女王ともあろう者が、その立場で人間とまじわろうなどと……!」


 自分でも最後の一線は遠慮えんりょしているのに、といういきどおりが心でうずを巻く。


「いくら確率が低いからといって、人間とエルフの間では交配こうはいが可能なんです! お母様だって、まだ若いのに、そんなことをしていたら……!」


 週に六日、人間の街で喫茶店きっさてんに入りびたる――そこまでならまだ笑い話ですむ話かも知れない。

 だが、現役のエルフの女王が人間の愛人を作って子供まで成してしまったなどという話は、臣下しんかの誰が目をつぶってくれるというのか。


「ちゃ……ちゃんと、ひ、ひ、ひひ、避妊ひにんはしているのですか!」


 せめて最低限の配慮はいりょを、と願ったフィルフィナに向けられた答えは、残酷ざんこくだった。


「したことないわよ? って、避妊? 必要ないもの、私たちには」

「…………」


 どうやら産むことに忌避感きひかんはないらしい。これは妊娠しない取り返しがつくうちにどうにかしなければならない――こればかりはやりたくはなかったが、仕方がない。

 ――政変クーデターしかないだろう。


 恋バナで――上機嫌じょうきげんになり、嬉しそうにお茶を飲んでいる母の顔を見ながらフィルフィナは考えた。今、母を排除はいじょする政変を起こした時、どれくらいの勢力が母につくだろうか――。

 官房長官かんぼうちょうかん? 政務長官せいむちょうかん? 近衛隊長このえたいちょう侍従長じじゅうちょう――ダメだ、みんなわたしフィルフィナの方についてしまう!


 料理長から掃除係長まで、取りあえず『長』とつく肩書きの臣下をかたぱしから頭に浮かべてみたが、かなりきびしめに見ても母につきそうなものは一人もいない――なんということだ!


「フィルちゃん、今、私を政変クーデターで排除しようと考えてるでしょ」

「ぎくっ……」


 言葉の矢がフィルフィナのうすい胸をつらぬいた。


「親をだまそうったってダメよ。子供がなにを考えてるかくらいお見通しなんだから。でも、いっておいてあげるわ――その政変の計画は絶対に無駄に終わる!」


 自信のかたまりを見せつけるように、大きな胸を大きく張った母がほこらしく宣言せんげんした。


「何故なら、私が自分からあなたに女王の座を押しつけるからよ!」

「そんなことが許されるわけがないでしょうっ!!」


 フィルフィナの怒りが炎となって燃え上がった。


「女王の責任嫌さで王座を投げ出したなんていう例ができたら、王族の信頼が地にちます! 政変で倒れてください!」

「ま、それもいいんだけどね……どうせうちの連中に血を見る政変なんて無理だろうし。私にやりを突き付けて『申し訳ありませんが、どうかフィルフィナ様に王位をおゆずりください!』って泣きそうな声でうったえるのが精一杯でしょ」


 母がカップに口をつける。本当に幸せそうな顔でその中身を舌で味わった。


「私は喜びをぐっと隠して、苦虫にがむしみつぶしたような顔をして、『是非もなし……』とかいってればいいのよ」


 頭痛を覚えながらフィルフィナは目を閉じた。その光景が脳裏に鮮やかすぎる勢いで再現された。


「その後、私は追放されて――ね、追放先はここにしてね! もう私、この街で心の底から自由に生きるんだから!」

「ああああっ! もう、うるさい!」


 つける薬を失ってフィルフィナは炎をくだけだった。


「せ、せめて、子供を作るのだけは遠慮してください! 私もいまさら弟か妹なんて欲しくありません! それが人間との間の子など、問題しか起きないではないですか!」

「だから、子供なんてできないってば」

「避妊をしてないといったではないですか! それともなにか根拠こんきょがあるのですか!」

「根拠? それはね――」

「あ――――っ!」


 店の入口から聞こえた大きな声に、フィルフィナと母の視線が向いた。


「ウィル、今日は来ないんじゃなかったの!? びぃっくりしたぁ!」


 一人の人間の――若い女性がそこにいた。

 太くたばねた三つ編みと、顔の半分を隠すような大きい丸眼鏡がまず印象に残る顔だ。母――ウィルウィナの姿を認めた途端とたん、そのせた体がほとんど全速力でけ寄ってきた。


「ミーネ! なんだ、あなたも!」

「もぅ~~! 来るんだったら来るって教えてよ! 準備もしたのに!」

「ごめんなさい、今日は突然で特別だったのよ」

「今日も会えるんだったら、今朝、あんなさみしい想いをしてあなたを見送らなくてよかったのに……」

「ミーネ……」


 母と女性――ミーネと呼ばれた――がうやうやしく両手を握り合う。なにか異様にキラキラとしたものが背後に輝き出し、たまたま視界に入った造花ぞうかまでもそのいろどりを増したかのような錯覚さっかくに、フィルフィナは思わず目をこすった。


 ……まさか。


「ウィル、このお嬢さんが、もしかして……」

「そう、私の娘のフィルフィナ――可愛い子でしょ?」

「フィ、フィルフィナさん、初めまして」


 完全にぎこちない動きでずまいをただし、意識して背筋をばしてミーネが咳払せきばらいをした。


「あたし、ミーネといいます。どうかよろしく。――そ、その、あなたのお母様とは、その……真剣にお付き合いをさせてもらっていて――」

「――――」


 フィルフィナの思考から言語が消滅しょうめつしていた。


「ウィルとは、本当に心から愛し合う仲で……事情はよく知ってます! ウィルが本当にえらい立場なのも! あたし、別に結婚とか望んでません! その立場にあやかろうとか取り入ろうとかも考えてません!」


 白紙になったフィルフィナの心に、必死のうったえが降り注ぐ。


「むしろできることなら、ウィルには今すぐ女王なんてめてほしいくらい――だって、それならあたしたち、誰をはばかることなく一緒にいられるんですもの……」

「まあ……ミーネったら、可愛いこといってくれるんだから……」

「ウィル……」


 熱を帯びた瞳と瞳とが見つめあい、視線と視線とが絡み合う。

 その様をフィルフィナは絶望を抱えた心でながめていた。


 目を細めたり開けたりしてミーネという女性を観察する――なんということだ! どうきびしめに見ても、実に純朴じゅんぼくそうな『いいひと』に見える!


 これがたちの悪い人柄でもあれば、それをあげつらうことでどうにでもできるのに!


「ウィルと一緒にいられれば、それでもう十分に満足なんです。決してみなさんにご迷惑はおかけしませんから、どうかあたしたちのことを許してください!」

「大丈夫よ、フィルちゃんは優しいから。――ね?」

「…………」


 なるほど。これが根拠・・か。


「子供、できると思う?」

「……………………どうがんばったところで無理ですね……」

「じゃあいいじゃない。私、男はあなたのパパでりたの。もうしばらく男はいい――と思ったんだけど、最近可愛い男の子見つけたのよねぇ」

「あーっ、最近よく見る、あの金色の髪の可愛い子でしょ。もう、ウィルったら浮気者。でもあたしもあの子、気になってる」

「ねぇ、なんか女の子っぽい可愛さがあるのに、男の子らしいしんもあるのよねぇ」

「あたしわかるの、あの子、女の子よりもきれいな裸していると思う。そのうち絶対に裸になってもらって絵を描かせてほしい。そのあと……」

「うふふふふ! お互い男はもういいっていう約束じゃない! 絵を描くまでにしておかなくっちゃ!」

「そうね! おたがい痛い目にあったものね!」

「…………」


 両方のこめかみを押さえながら、フィルフィナは脳の中で反響する頭痛が治まるのを待っていた。

 自分もリルルに肉欲を抱いているわけではないが、心のつながりの強さという意味では母を責められる立場でもない。

 ……………………まあ、いいか。


「……ミーネさん、母を、よろしくお願いします……」

「は――はい! フィルフィナさん、ありがとう!」


 礼儀正しく腰を折って頭を下げてくれるミーネのことはもう、フィルフィナは考えないことにした。この事については母の好きなようにさせておこう。


「フィルちゃん、今、結構危ない相手とコトを構えているんでしょう」


 テーブルをはさんで向かい合う母がさり気なく本質的なことを口にし、フィルフィナの背筋が反射的に正された。


「……はい」

「親としては、そんなことはやめてほしいと思うけれどね――あなたも、好きな人を助けたいがために、そうしようとしているわけでしょう?」

「…………はい」

「なら、止めないわ。愛する人のために戦いなさい。ふたつの腕輪があなたたちを守ってくれるわ」


 フードをかぶって、母が立ち上がる。その腕を嬉しそうにミーネがとった。


「ただ、無駄死にはしないようにね……フィルちゃん、全部の問題が終わったら教えて」

「……わかりました」

「自分の名前がどういう意味かを思い出すの。私がつけた名前なんだから。――じゃあね、私のいとしい娘」


 二人は連れ立って歩き出し、店を出て行った。

 一人残されたフィルフィナは、まったく手がついていない自分のケーキを食べ、冷めかけた紅茶の全部を飲んでから、大きな息をゆっくりといた。


自由な愛フィルフィナ……か」


 もう、ここでやるべきことはない。屋敷に戻ろう。

 リルルが話したがっていたのはきっと、昨日の異変について。それを引き起こしたものと自分たちは、戦わなくてはならない。――この暮らしをおびやかされないために。


「お母様……確か、あなたはいいましたよね」


 小さな円い筒に丸めて納められた伝票を手に取る。

 そこに記されている内容に軽く目を通して――フィルフィナは、つぶやいた。


「……お母様のおごりだって」

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