「母と娘の対決」
地面に落ちている葉も枝も
両手が翼のように広げられ、うつむき加減のメイドの少女を
手元の本をめくり続けるフィルフィナは一切の反応を示さない。背後から
「だーれだっ」
「…………」
フィルフィナは
後ろから抱きすくめられ、目を完全に
「だーれだ!」
「…………」
「だーれだっ!」
「…………」
「フィルちゃん! 無視しないで! 返事して!」
「……もう少し声を落として下さい」
後頭部に押しつけられている巨大な二つの肉感を
「……こんな所を見つかったら大変なことになりますよ」
はああああああぁぁぁぁぁ――と、足元に何もなければ世界の中心にまで到達しそうな、今年いちばんの深いため息をフィルフィナは
「少しは、何というか……そういう
「いやっ!」
フィルフィナの顔から手を離し、頭の全部を隠していたフードを
「そんな他人
「そこが本当に悩みどころなんですよ……お母様」
フィルフィナは手にした本を一度閉じ、表紙の裏をめくった。
そこには『すぐに行くから、あなたの
フィルフィナは頭痛がした。
「もういい加減、どうにかならないかなと真剣に悩んでいます」
フィルフィナ自身もできることなら認めたくなかったが、この女性こそ、『里』の女王、フィルフィナの母親本人だった。
「フィ……フィルちゃん、ご
フィルフィナそっくりの――大人として
「怒るはずがないではないですか――
「そうよ! フィルちゃんにいわれて仕方なくしてるのよ! 私、人を怒ったりするのが嫌いなのに! みんな頭をなでなでしてあげたいのに! がんばってくれた子はこの胸で甘えさせてあげたいのに!」
「やめてください!」
余裕が十分にあるはずのゆったりとした
「そんなことは絶対に私が許しませんから! 女王の
「ううう……私ったら不幸……。お母様――あなたのお
「なんですか。
「やっ! いいじゃないの! 少しはお話しましょう!」
立ち上がって歩き出そうとしたフィルフィナを、背後から母が抱きしめる。
「ああ、可愛い
「人間の下働きの女の
「下賤とまではいってません! それにそういう風に
母が泣きながら懐から取り出したのは、
「これのせいで私、みんなに嫌われてる。
「やっぱりもう帰ります」
「いやっ! 離さない!」
そもそもなんだ、なんなんだ、この胸は。
「お母様……本当に私、お母様の娘なのですか? 胸に
「私がお腹を痛めて産んだ娘です! もうやめて! いい加減にお母様は泣きますよ!」
「これ以上お母様を
「……本当にこの地をちゃんと隠せているんですか? どこかでボロを出していませんか? こんな所を臣下に見られたら
「もうそんな話はいいでしょ……ね、フィルちゃん、お母様とお茶しましょう。おごりだから!」
「お茶?」
どこで?
追放をいい渡したはずの娘と、どこでのんびりお茶をするというのだ?
「まあまあ、来て来て」
母はフィルフィナの背中を押した。すぐ近くの
「さあさあ」
「あっ、押さないで」
フィルフィナの
◇ ◇ ◇
「フィ――――!!」
屋台で買った朝食を
叫ぼうとし、口の中に入っていたものを反射的に飲み込んでしまう。カップの紅茶を急いで口にした。
「フィ、フィル、やっと帰ってきたの!?」
「お嬢様、これは――」
リルルの目が大きく見開かれた。そのフィルフィナの背中を押して、頭一つ半は背の高い外套姿の女性が続いて出て来たからだ。
この転移鏡をフィルフィナの里の者が使っているのは知っていたが、実際に出てくるのを目の当たりにしたのは初めてだった。
「あら! 素敵なお部屋ね! 可愛い女の子の感じがするわ」
耳から見てエルフ――いや、髪の色や顔の作りからして、フィルフィナによく似ている女性の登場にリルルは言葉を失い、
テーブルについてカップを両手に抱えたまま
「あなたがリルルちゃん? まあ、フィルちゃんから聞いてはいたけれど本当に可愛い子! フィルちゃんがいつも大変お世話になっています。実は私――」
「あああ、余計なことはいわないでいいのです!」
母の口を手で塞ぎ、フィルフィナは叫んだ。
「お嬢様、こんな
「あの、フィル、私、あなたに話が」
「いいたいことはだいたいわかっています! 後でゆっくり聞きます! 今は少しお時間を下さい! ――ほら! 早くここから出ますよ!」
「でも、私リルルちゃんにちゃんと
「早く! ぐずぐずしない!」
背の高い女性に背中を押されていたフィルフィナが、今度は反対に彼女の背中を押してリルルの居間から出て行った。
バタン、と音を立てて扉が閉まる。
一瞬の暴風のように過ぎていった状況を理解できず、リルルは椅子に座ったまま、きょとんとし続けるだけだった。
◇ ◇ ◇
「もう……ロクに挨拶もしないで。私、リルルちゃんに会ったらどう挨拶しようかずっと考えていたのに、全部
ラミア列車を乗り
母が器用に乗り継ぎ切符をもらう様に、フィルフィナはただ
外見は地味な喫茶店だったが、内装は意外に
奥まった席、入口からは家具が
「――お母様!」
「いいのいいの。平気よ」
髪の量を
「あら、ウィルウィナさん」
注文を取りに来た女性が母の名前を呼んだのを聞いた時、フィルフィナはテーブルに頭を叩きつけそうになった。
「今みたいな時間に来られるのは、
「特別なの。こっちは」
「ああ、いつも話しているお嬢さん? フィルフィナちゃんね。やっぱりエルフだけに美人さんねぇ…………ご注文は?」
「ミルクティーをポットで。あ、あと、この
「かしこまりました。少々お待ちくださいね」
ふたりの前にお冷やのコップを置き、点数券を受け取ったエプロン姿の女性がにこりと笑って奥に引っ込んだ。
「いい店でしょ。ここ美味しいし、安いし、
フィルフィナは母の肩越しに、隣の席の客を見た。明らかに亜人と見える、犬獣人と猫獣人の男女連れがフードを外し、おしゃべりに花を
「……通い
「週に一日くらいかな?」
毎週のように通っているというのか、女王の立場なのに。
「来ないのは」
「――入り
フィルフィナは
「よくそれで里の
「別に私が決めることなんて、なにもないんだもの」
母――ウィルウィナがお冷やで
「お昼頃適当に戻って、日に一度の報告を聞いたらそれで終わり。あとは
「…………」
自分がリルルの世話にかまけ里を
外をほっつき歩いてめったに顔を出さないという妹たちも
「……
フィルフィナが母に投げつけられた本を返す。
王都エルカリナの喫茶店を紹介する
「それはそうとねぇ、今日のマーキちゃん、私感動しちゃった!」
案内本を大事そうに
「女王に逆らって
「……
「人選が難しかったんだから! フィルちゃん、そんな内容を伝えさせるのはキツいわよ! 心が弱かったら、役目に耐えられなくて自殺したっておかしくないわ! こんなこと頼めるのマーキちゃんしかいなかったのよ!」
ヴェールの向こうの玉座に向かって
「マーキちゃん、いい子ね。あの子、未来の
「……マーキの
「わかっているわよ、心配しないで。明日にでも出してあげるから」
「五日くらいは入れておいて下さい! 一応罰なんですから! 説得力がありません!」
「あら、ウィルさん、楽しそう。娘さんがいると違うわね」
店員の女性が注文したものをテーブルの上に並べる。温められたカップ、白く大きなティーポットとミルクの入った小さなポット、そしてきれいな皿に
早速母が自分のカップに紅茶を注ぎ、たっぷりのミルクと砂糖を入れてかき混ぜ始めた。
気力を振り絞ってフィルフィナもそれにならう。甘いものを口にしなければ気力が
「はあ……いい香り。いただきます」
音もなく一口、
「んふふふ……美味しい。やっぱり王都のお茶はいいわねぇ。里じゃこんなもの手に入らないわ」
「……お母様が、ここまで人間の文化に
納得しかねるものを覚えながらフィルフィナも紅茶を注いだカップに口をつけた。果実の甘味を強調した温かい風味が喉と心を
「それはあなたも同じでしょう? 文化という観点では、エルフは人間に勝てないのよ。私たちの世代の長さは圧倒的に長いし、
「…………」
いくらか気持ちが落ち着いたのか、母は初めて女王らしい顔をのぞかせていた。
「人間がエルフの
母の話がフィルフィナにもわかる。そういう気持ちが自分にもあった――一時期は。
「できればふたつの種族が
「だったら、ここに入り
「い・や」
母がにこりと笑う。
「……お母様のくせに、結構色々と考えているんですね」
「そうよ。あなたたちの
フィルフィナもまた、温かい紅茶を飲んだ。考えるべきこと、語るべきことは無数にあるように思えた。
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