「母と娘の対決」

 地面に落ちている葉も枝もまず、音のない踏み込みが土のみをえぐって、その気配は黒い風となってフィルフィナの背後にせまった。

 両手が翼のように広げられ、うつむき加減のメイドの少女を照準しょうじゅんとらえる。


 手元の本をめくり続けるフィルフィナは一切の反応を示さない。背後からおそいかかったその手は、フィルフィナの顔――両目にかぶせられ、鮮烈せんれつな問いが飛んだ。


「だーれだっ」

「…………」


 フィルフィナはこたえない。

 後ろから抱きすくめられ、目を完全にふさがれていても、手の中の本をめくり続けていた。


「だーれだ!」

「…………」

「だーれだっ!」

「…………」

「フィルちゃん! 無視しないで! 返事して!」

「……もう少し声を落として下さい」


 後頭部に押しつけられている巨大な二つの肉感を忌々いまいましいものと覚えながら、フィルフィナは苦い言葉をにじませる。


「……こんな所を見つかったら大変なことになりますよ」


 はああああああぁぁぁぁぁ――と、足元に何もなければ世界の中心にまで到達しそうな、今年いちばんの深いため息をフィルフィナはいた。


「少しは、何というか……そういうを取りつくろうという気にはならないんですか……女王陛下・・・・……」

「いやっ!」


 フィルフィナの顔から手を離し、頭の全部を隠していたフードをね上げ、豊かに背中まで流れている深い緑色の髪を木漏こもれ日に輝かせ、その女性はいった。


「そんな他人行儀ぎょうぎはやめて! 私たち、心から愛し合う母子おやこじゃないの! ママって呼んで!」

「そこが本当に悩みどころなんですよ……お母様」


 フィルフィナは手にした本を一度閉じ、表紙の裏をめくった。

 そこには『すぐに行くから、あなたの転移鏡てんいかがみの前で待っていてね(はぁと)』という書き文字と、本人の似顔絵らしい落書き同然の顔が笑みを満面に咲かせていた。

 フィルフィナは頭痛がした。


「もういい加減、どうにかならないかなと真剣に悩んでいます」


 きぬのヴェールの向こうの玉座に座り、落雷のような勢いできびしい声を飛ばしていた本人とは思えない――涙がにじんだ上目遣うわめづかいでフィルフィナを見つめている女性。

 フィルフィナ自身もできることなら認めたくなかったが、この女性こそ、『里』の女王、フィルフィナの母親本人だった。


「フィ……フィルちゃん、ご機嫌斜きげんななめ? わ、私がきつい感じで当たったから? それで怒ってるの?」


 フィルフィナそっくりの――大人として成熟せいじゅくした彼女はこうなるだろうなという延長線上そのものの顔をした、本当に似通っている面差おもざしの母がひたすら下手したてで娘の機嫌をうかがっている。

 

「怒るはずがないではないですか――私がやらせてる・・・・・・・んですから」

「そうよ! フィルちゃんにいわれて仕方なくしてるのよ! 私、人を怒ったりするのが嫌いなのに! みんな頭をなでなでしてあげたいのに! がんばってくれた子はこの胸で甘えさせてあげたいのに!」

「やめてください!」


 余裕が十分にあるはずのゆったりとした外套がいとうでも覆い隠せずに下からそれを突き上げる、ちょっとした中玉の果実くらいの大きさはある胸。それを自分で抱きしめている母を、フィルフィナは怒鳴どなりつけた。


「そんなことは絶対に私が許しませんから! 女王の権威けんいをなんだと思っているんですか!」

「ううう……私ったら不幸……。お母様――あなたのお祖母ばあ様に『絶対を出すな』ときつくいわれ、そのお祖母様がくなったら次は娘のあなたに『絶対を出さないでください』っていわれ……これじゃ私、親と娘のあやつり人形じゃない……もういや……」

「なんですか。愚痴ぐちをこぼしに来ただけでしたら私は帰りますよ」

「やっ! いいじゃないの! 少しはお話しましょう!」


 立ち上がって歩き出そうとしたフィルフィナを、背後から母が抱きしめる。


「ああ、可愛い衣装いしょううらやましい……私もそんな可愛い服着てみたい。みんなの前でスカートをひらひらさせてみたい……」

「人間の下働きの女の下賤げせんな服装ではなかったのですか?」

「下賤とまではいってません! それにそういう風にけなせってフィルちゃんがこれで指示したんでしょ!」


 母が泣きながら懐から取り出したのは、ひもじられた厚めの冊子だった。


「これのせいで私、みんなに嫌われてる。頑固がんこで厳しくて物分かりの悪い女王だって。女王なんかなってもいいこと一つもない。もうめたい」

「やっぱりもう帰ります」

「いやっ! 離さない!」


 やわらかい腕と胸でこれでもかというくらいに包んでくる母親にフィルフィナはキレそうだった。

 そもそもなんだ、なんなんだ、この胸は。


「お母様……本当に私、お母様の娘なのですか? 胸に遺伝子いでんしが全く作用してませんよ。どこかそこら辺の木の下で拾ってきたのではないのですか?」

「私がお腹を痛めて産んだ娘です! もうやめて! いい加減にお母様は泣きますよ!」


 すでに滝のような涙を流しながら母が叫ぶ。


「これ以上お母様を虐待ぎゃくたいしないで! みんなのために犠牲ぎせいになってるのに!」

「……本当にこの地をちゃんと隠せているんですか? どこかでボロを出していませんか? こんな所を臣下に見られたら政変クーデターが起きますよ」

「もうそんな話はいいでしょ……ね、フィルちゃん、お母様とお茶しましょう。おごりだから!」

「お茶?」


 どこで?

 追放をいい渡したはずの娘と、どこでのんびりお茶をするというのだ?


「まあまあ、来て来て」


 母はフィルフィナの背中を押した。すぐ近くのしげみを広げる――茂みに偽装ぎそうした草色の布が払われ、一枚の姿見スタンドミラーに似た鏡、あらかじめ定められた特定の地点を、瞬時に移動できる転移鏡が現れる。


「さあさあ」

「あっ、押さないで」


 フィルフィナの抗議こうぎを無視し、母は娘を転移鏡に押し込んだ。固体のはずの鏡がフィルフィナが触れると水面みなものように波打ち、その体をもぐり込ませた。



   ◇   ◇   ◇



「フィ――――!!」


 屋台で買った朝食を居間いまのテーブルで食べていたリルルは、姿見代わりに置いている転移鏡が突然輝き出し、中からフィルフィナの姿が出て来たことに、椅子いすの上で体をび上がらせた。

 叫ぼうとし、口の中に入っていたものを反射的に飲み込んでしまう。カップの紅茶を急いで口にした。


「フィ、フィル、やっと帰ってきたの!?」

「お嬢様、これは――」


 リルルの目が大きく見開かれた。そのフィルフィナの背中を押して、頭一つ半は背の高い外套姿の女性が続いて出て来たからだ。

 この転移鏡をフィルフィナの里の者が使っているのは知っていたが、実際に出てくるのを目の当たりにしたのは初めてだった。


「あら! 素敵なお部屋ね! 可愛い女の子の感じがするわ」


 耳から見てエルフ――いや、髪の色や顔の作りからして、フィルフィナによく似ている女性の登場にリルルは言葉を失い、まばたきすらも忘れた。

 テーブルについてカップを両手に抱えたまま硬直こうちょくしているリルルの姿に気が付き、その女性は満面の笑みを浮かべた。


「あなたがリルルちゃん? まあ、フィルちゃんから聞いてはいたけれど本当に可愛い子! フィルちゃんがいつも大変お世話になっています。実は私――」

「あああ、余計なことはいわないでいいのです!」


 母の口を手で塞ぎ、フィルフィナは叫んだ。


「お嬢様、こんな一般モブエルフのことなんて、今すぐ忘れてもらってかまいません!」

「あの、フィル、私、あなたに話が」

「いいたいことはだいたいわかっています! 後でゆっくり聞きます! 今は少しお時間を下さい! ――ほら! 早くここから出ますよ!」

「でも、私リルルちゃんにちゃんと挨拶あいさつしないと。初めまして、私、フィルちゃんの――」

「早く! ぐずぐずしない!」


 背の高い女性に背中を押されていたフィルフィナが、今度は反対に彼女の背中を押してリルルの居間から出て行った。

 バタン、と音を立てて扉が閉まる。

 一瞬の暴風のように過ぎていった状況を理解できず、リルルは椅子に座ったまま、きょとんとし続けるだけだった。



   ◇   ◇   ◇



「もう……ロクに挨拶もしないで。私、リルルちゃんに会ったらどう挨拶しようかずっと考えていたのに、全部台無だいなしじゃない」


 ラミア列車を乗りいでたどりついたのは、市場いちば近くの小さな喫茶店きっさてんだった。

 母が器用に乗り継ぎ切符をもらう様に、フィルフィナはただ呆然ぼうぜんとしてその様子をながめていた。席が空いていない列車の中でり革を持って立つのも、れたものの様にしか見えなかった。


 外見は地味な喫茶店だったが、内装は意外に小洒落こじゃれていた。飾り箪笥キャビネットの上に並べられた小物のれ、壁に絶妙ぜつみょう間隔かんかくかざられている小さながくの絵――店全体を統一した、深い木の色を思わせる茶色の色合いが、気持ちを落ち着かせてくれる。


 奥まった席、入口からは家具が邪魔じゃまをして直視ちょくしできない席に座ったフィルフィナが驚いたのは、目の前の母がそのフードを外したことだった。


「――お母様!」

「いいのいいの。平気よ」


 髪の量をふくらませることで耳をめるようにしているフィルフィナとちがい、母の耳は完全にその形を見せている。人間の街でエルフが、しかも王族ともあろう者がこんな所で姿をさらすとは――。


「あら、ウィルウィナさん」


 注文を取りに来た女性が母の名前を呼んだのを聞いた時、フィルフィナはテーブルに頭を叩きつけそうになった。


「今みたいな時間に来られるのは、めずらしいわね?」

「特別なの。こっちは」

「ああ、いつも話しているお嬢さん? フィルフィナちゃんね。やっぱりエルフだけに美人さんねぇ…………ご注文は?」

「ミルクティーをポットで。あ、あと、この点数券ポイントカード、点がまったからオススメケーキをふたつ」

「かしこまりました。少々お待ちくださいね」


 ふたりの前にお冷やのコップを置き、点数券を受け取ったエプロン姿の女性がにこりと笑って奥に引っ込んだ。


「いい店でしょ。ここ美味しいし、安いし、居心地いごこちいいし、最高のお店よ」


 フィルフィナは母の肩越しに、隣の席の客を見た。明らかに亜人と見える、犬獣人と猫獣人の男女連れがフードを外し、おしゃべりに花をかせていた。


「……通いれてるようですね」

「週に一日くらいかな?」


 毎週のように通っているというのか、女王の立場なのに。


「来ないのは」

「――入りびたりではないですか!」


 フィルフィナはあわてて自分の口を押さえる。


「よくそれで里の政務せいむが回ってますね……!」

「別に私が決めることなんて、なにもないんだもの」


 母――ウィルウィナがお冷やでのどらした。


「お昼頃適当に戻って、日に一度の報告を聞いたらそれで終わり。あとはキーファ官房長官マーシャ政務長官がちゃんとしてくれるわ」

「…………」


 自分がリルルの世話にかまけ里を留守るすにしていることが深い罪に思えてきて、フィルフィナの歯の根がかすかに震えていた。

 外をほっつき歩いてめったに顔を出さないという妹たちも論外ろんがいだが、この母も相当な爆弾だ。


「……あきれました、本当に」


 フィルフィナが母に投げつけられた本を返す。

 王都エルカリナの喫茶店を紹介する案内本ガイドブックだった。ページの半分が大きな×印でられているのは、亜人お断りの店ということだろう。×印がない頁には、どれにも母の覚え書きが細かく入っていた。


「それはそうとねぇ、今日のマーキちゃん、私感動しちゃった!」


 案内本を大事そうにふところにしまいながら母がいう。


「女王に逆らってばつを受けるのもいとわずにあんな行動に出られるなんて! 私、あの子の告白を聞きながら涙ぐんでたんだから! 玉座を飛び出してあの子を抱きしめたいのを、肘掛ひじかけに爪を食い込ませて必死に我慢がまんしていたのよ!」

「……絶縁ぜつえんを伝達する使者が来ないから、変だと思っていたんですよ……」

「人選が難しかったんだから! フィルちゃん、そんな内容を伝えさせるのはキツいわよ! 心が弱かったら、役目に耐えられなくて自殺したっておかしくないわ! こんなこと頼めるのマーキちゃんしかいなかったのよ!」


 ヴェールの向こうの玉座に向かってひざと手をつき、涙ながらに懇願こんがんしていたマーキの姿を思い起こす。里の秩序ちつじょを守るための母と娘の腹芸はらげいではあったが、確かにそれに付き合わされる周囲の負荷ふかは重いものがありそうだった。


「マーキちゃん、いい子ね。あの子、未来の官房長官かんぼうちょうかんにしたらいい仕事してくれそう」

「……マーキの入牢にゅうろうの期間は、ほどほどにしておいてあげてください」

「わかっているわよ、心配しないで。明日にでも出してあげるから」

「五日くらいは入れておいて下さい! 一応罰なんですから! 説得力がありません!」

「あら、ウィルさん、楽しそう。娘さんがいると違うわね」


 店員の女性が注文したものをテーブルの上に並べる。温められたカップ、白く大きなティーポットとミルクの入った小さなポット、そしてきれいな皿にせられた小ぶりのチーズケーキ。

 早速母が自分のカップに紅茶を注ぎ、たっぷりのミルクと砂糖を入れてかき混ぜ始めた。


 気力を振り絞ってフィルフィナもそれにならう。甘いものを口にしなければ気力がきそうだった。


「はあ……いい香り。いただきます」


 音もなく一口、ふくむ。途端とたんにそのまなじりが下がった。


「んふふふ……美味しい。やっぱり王都のお茶はいいわねぇ。里じゃこんなもの手に入らないわ」

「……お母様が、ここまで人間の文化にまってるなんて……」


 納得しかねるものを覚えながらフィルフィナも紅茶を注いだカップに口をつけた。果実の甘味を強調した温かい風味が喉と心をぬくめてくれる。


「それはあなたも同じでしょう? 文化という観点では、エルフは人間に勝てないのよ。私たちの世代の長さは圧倒的に長いし、繁殖力はんしょくりょくも低い。世代交代が緩慢かんまんで新しい才能が出てこない――新しいものを見つけようとする機会が減るの。これは競争においては致命的ちめいてきだわ」

「…………」


 いくらか気持ちが落ち着いたのか、母は初めて女王らしい顔をのぞかせていた。


「人間がエルフの長命ちょうめい嫉妬しっとするのと同じように、エルフもまた、人間の文化を生み出そうとする力に嫉妬する……」


 母の話がフィルフィナにもわかる。そういう気持ちが自分にもあった――一時期は。


「できればふたつの種族がおだやかにまじわればいいと私は思っているけれど、多分無理ね。人間とエルフは間に子供ができにくい。きっと同化しようとしても、エルフが数を減らすだけの話になる……そうしたら先にあるのは絶滅ぜつめつよ。私にも女王としての責任があるから、そんなことはさせられない」

「だったら、ここに入りびたるのはやめてください」

「い・や」


 母がにこりと笑う。


「……お母様のくせに、結構色々と考えているんですね」

「そうよ。あなたたちのあやつり人形でも、女王陛下なんだから」


 フィルフィナもまた、温かい紅茶を飲んだ。考えるべきこと、語るべきことは無数にあるように思えた。

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