「ちからとこころ」
おかげで屋敷に帰り着いた
重たい気持ちで玄関の前に立ち、大きくひとつ、息を吸って、
「ただいま、戻りました……」
「フィル!」
「待ってたわ! いったい何をしていたの!」
「……何をしていたんでしょうね?」
強引な調子で母によってお茶に誘われ、そこで母の愛人と対面――
「昨日、あなたも聞いて、見たでしょう! あの地からうなる声と、海から出た光――」
「聞いたし、見ました。……取りあえず、部屋でお話しましょう。長い話になるかも知れません……」
◇ ◇ ◇
リルルの
ふたり分のお茶をテーブルの上に置いて、フィルフィナも座る。リルルはその間無言で待っていた。
「……里からこれを持ってきました」
フィルフィナがテーブルに置いたふたつの箱に、リルルが首を
「これは……?」
「『銀の腕輪』。……『黒い腕輪』と同じく、エルフの里に伝わる秘宝です」
人が手に持つものくらいならば異次元の世界に
「……フィル?」
ふたつの箱のひとつに自然に
「……お嬢様にこれを貸すつもりで持ってきたのですが、思い切りがつかないのです。これは……黒い腕輪とは比べものにならない力をもっていますから」
「比べものにならない、力……?」
黒い腕輪の力だけでも
「……お嬢様に貸し与えた今までの数々の道具。あれを合わせれば、お嬢様ひとりで百人の警官と戦えるくらいの力があります。それが今までのリロットの力だったはず。しかし、これは……」
リルルの手から指を離す。ふたりとも決断を
「これは、万の軍隊とも対等に戦える力をお嬢様に与えてくれます。降り注ぐ矢を光の
「っ」
リルルが息を飲む音が聞こえたようだった。今まではせいぜいが、運が悪くない限りは銃弾を弾けるドレスと、十人力ほどの腕力や脚力を与えてくれる
フィルフィナにいわせれば『チンピラどもと戦うには過ぎた道具』というところのものだった。
「――しかし、今回の敵は、こんな道具でも勝てるかどうか危うい相手なのです。ヴォルテール
「……そんな」
「だからお嬢様にこれを渡したい。ですが、逆の気持ちもあるのです。……小国を相手に回して戦えるような大きな力を得て、お嬢様が変わってしまわないかどうか……」
テーブルに置かれたフィルフィナの手が震えている。リルルの目がその手から顔に向けられる――いつもは冷静な顔が不安の色に
「……いえ、わたしはお嬢様を信じています! 信じているからこそ、今まで人間には過ぎた道具をお貸ししてきました。ですが、万が一、万が一にでもお嬢様が力に飲み込まれて、変わってしまったら。これは、自分の中の正義を無限に行使してしまえる道具なのですよ」
これは、人間の手に渡すことのできない道具。十年前、
それが今回、強引な
「……あなたは優しい。その優しさがあなたを快傑令嬢にし、今までたくさんの人々を救ってきました。それもあなたの中にある優しさと、正義のため……ですが、その正義が暴走すればどういうことになるか。許せないと思うものに、無制限に制裁を加え出すかも知れない……」
「フィルのいうこと、わかるわ」
フィルフィナが目を上げた。アメジスト色の瞳が目に見えない波紋を作って揺れていた。
「……私にも自覚はある。今のリロットの時点で力の
ふぁ、とフィルフィナの喉から熱い息が
「フィル。もしも私が我を忘れ、この腕輪の力を振るい出し、止められなくなったら――私を殺して」
「お嬢様!」
どこまでも真剣な光をその
「フィルの言葉にも耳を傾けられない私なんて、怪物や悪魔といっしょよ。私、そんな私でいたくない。だから」
リルルの手が動く――箱ではなく、フィルフィナの手を取って、
「怪物や悪魔となって、みんなの敵になって、
「できるわけないじゃないですか! わ……わたしに、あなたを殺すなんて!」
「じゃあ、私といっしょに悪魔になってくれる?」
「っ――――――――」
一瞬、
「……私も死にたくないし、フィルやみんなといつまでも一緒にいたい。そのためにこの腕輪が必要なら、つける。力の
「……こんなことになるのなら、お嬢様にリロットの力なんて与えなければよかった、そう
「フィル、それは違うわ」
自分の手の中にある震えを抱くように、リルルはフィルフィナの細い指の連なりを握った。先まで冷たい感触が伝わってくる。フィルフィナらしくない――そして同時に、フィルフィナらしい感情の揺れ。
「あなたが私に力を貸してくれたから、こんな時に戦える。……かなうかどうかはわからないけれど、もしあの時あなたが私に力を貸してくれる気にならなかったら、私は今、
戦う。戦うこと、戦えること。
「――私の大好きなフィル。私を信じて、とはいわない。私を見ていて。ずっと見守っていて。そして……見守るに
「わ……わかりました!」
リルルの手に、フィルフィナのもう片方の手がすがるように乗せられた。
「わかりました……わかりましたから、もうそれ以上いわないで下さい! ……そして、覚えていて下さい! わたしがあなたを殺したら、わたしもその場で後を追いますからね!
「ありがとう」
リルルが
「お嬢様……わたしの手を握っていてください……」
覚えがある、この不安――エルフの少女は思い出す。これは、十年前、雨が降りしきる貧民街の
「わたし、怖い……わたしはあなたのお姉さん、あなたの母親代わりなのに……いいえ、だからこそ怖い……。あなたとの別れがすぐにでも来るという不安が、本当に、耐えられなく……」
フィルフィナの
「生き残るのよ――みんなで。そうでしょう?」
「そう……そうね、そう……あなたや、わたしたちの、大事な人たちと一緒に……」
大事な人。
――人間嫌いのエルフである自分が、気が付けば、多くの大事な人間を抱えていた。それは、リルルの世界を支えてくれる人たち。リルルの世界を愛する自分に、なくてはならない人たち。
「……リルル、ほんの少し、ほんの少しでいいの。わたしの手を握っていて……」
守るべきものを持ちすぎた、と思う。守るものがあるから、それを失うことを怖れる。
しかし同時に、逆にも考えるのだ。
失うことを怖れるものがないということは、とても
それは、生きているということに、値することなのか?
――エルフの少女の中で、それはもう、解答が出ていることだった。
だから、
「そうすれば、元の強いフィルフィナに戻るから。あなたを守れるわたしに戻るから……」
「――フィル」
リルルの左手が、フィルフィナの手の甲に優しく乗せられた。その手の平から感じるぬくもりが懐かしい記憶を
このぬくもりに触れた時、自分は決意したのだ。この少女の隣にいたい、このぬくもりを守りたい。
少女の命が永遠ならば、自分は喜んで永遠の時間を彼女に
「フィル。私のお姉さん、私のお母さん――私のともだち。ずっと隣にいてね」
「ええ、ええ、ええ……! 出て行けっていわれても、出て行きませんよ! まだわたしは、あの時の
「まだ覚えてたんだ。あはは」
「お嬢様とのあの約束、忘れるはずないじゃないですか……! わたしはそのためにここにいるのですから……!」
エルフの命は軽くはないのだ。それを救ってもらった借りは、まだ全然返せていない。
目の前にいる人間の少女の一生をかけて返してやる、と思っているのに、少女の無理解に腹が立ったから、笑ってしまった。
「――お、お茶が冷めましたね。淹れ直しますか……」
「もったいないじゃない。飲むわ」
「お嬢様は、本当に伯爵令嬢らしくないですね……あなたを初めて見た時、とても貴族だとは思いませんでしたよ……」
「ありがとう」
二人が手を離し、ようやく目の前のカップに手を掛けようとした時、壁の掛け時計が鳴り響いた。時報の
フィルフィナが反射的に立ち上がり、部屋を出て玄関に向かう。リルルは反対に寝室に走った。そこからなら玄関の外に誰がいるかが見えるのだ。
寝室の窓を開け放ち、窓から身を乗り出すようにしてリルルは――そこにいる人物を見て目を丸くした。
「ママ!? ……ソ、ソフィア! どうしたの!?」
思わず口走っていい直す。自分の
「リ……リルル! た……大変なんだよ!」
窓から体を乗り出したリルルに気付き、ソフィアが
「ニ、ニコルが、ニコルが……!」
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