「首飾りの鎖がつなぐもの」

 フェーゲットの森から転移鏡てんいかがみを抜けた先、廃工場跡はいこうじょうあとを利用した秘密のアジトで、快傑令嬢リロット――リルルは、フィルフィナの帰還きかんを息をめるようにして待っていた。


 今までに遭遇そうぐうしたことのない、人智じんちを超えたものとの敵対を前に、ニコルとの二年ぶりの再会の感動など吹き飛んでいた。目的の一つも果たせず、ほうほうの体で逃げ出すということ自体、この薄桃色のドレスをまとい始めてから初めてのことなのだ。


 転移鏡から自分が抜け出してから、今、三分。

 その一分一分がとてつもなく重苦しい時間にしか思えず、まだ姿を見せないフィルフィナにあせりをつのらせる。


 やはり、自分も援護えんごに向かうべきではないか――なかばそんな決心が固まって腰を浮かしたころに、フェーゲットの森に通じる転移鏡が輝いた。


「フィル……!」


 水面中にもぐっていた人間が浮上するように、波打った鏡から暗緑色あんりょくしょく装束しょうぞくに身を固めたフィルフィナが飛び出してくる。


物陰ものかげに隠れて!」

「うえっ!?」


 さけぶと同時にフィルフィナは後ろ足で姿見スタンドミラーの形をした転移鏡を蹴破けやぶった。一撃、二撃で枠の中の鏡が粉々にくだけ散る。

 言われるままに廃材はいざいの陰に身をせたリルルの、そのさらに上にフィルフィナがおおかぶさったと同時に転移鏡が蒼白そうはく閃光せんこうと炎、そして猛烈そうれつな爆風を吹き上げ、爆発音をとどろかせた。


「ううっ!」


 一秒間、爆圧さえまじえたすさまじい爆発の咆哮ほうこうを吐き出した転移鏡が、その役割を放棄ほうきしたように沈黙ちんもくする。

 十数秒間、その身を伏せ続け――それ以上何も起きないのを確認し、フィルフィナはゆっくりと身を起こした。


「――どうやら、向こうの転移鏡の爆破には成功したようですね……」

「フィ――フィル! 背中!」

「これですか」


 背中に突き立った矢を、爆発に巻き込まれずに残った他の転移鏡に映してフィルフィナはこともなげにいった。

 背中――背負ったかたなさやに突き刺さった矢。刀を背中から外し、手頃な廃材の上にそれを置いてフィルフィナは検分けんぶんする。


「――魔法金属アルケミウムこしらえの刀でなければ、体に大穴がいていましたね……相当な手練てだれでした。こんな鎖帷子くさりかたびらを着ていたら戦えないような」

「屋敷の中で、白い髪をした男の子に会ったわ」


 フィルフィナの耳がね上がる。


「当主ですか!?」

「そう名乗っていたけれど、なんでフィルフィナがそれを……」

「――お嬢様、もうあの家に手出てだしはなりませんよ! とらのいるおりに入るようなものです!」


 めずしくフィルフィナが興奮こうふんしている。覆面ふくめんを外したその顔の全部がこわばり、目が完全にり上がっていた。


「今まで相手にしてきた、普通の人間に少し毛が生えた連中とは全く比べものになりません! お嬢様もそれを思い知ったのではないですか!」

「そ……そうだけど……」


 今まで戦ってきた相手などは、しょせんはただのならず者程度、遊びのようなものだった――あらがうすべさえなく窓の外に放り投げられた恐怖が今頃よみがえる。ハーピー娘の助けがなければ、どうなっていたか。

 ――そういえば、あのハーピー娘は何故あんなところにいたのだろう。あのラミアから色々とうそかれた、といっていたが……。


「あとできっちりしかってしぼりますから、その前にお風呂などに入って身支度みじたく調ととのえておいてください」

「ええっ!? 叱るってこれが本番じゃないの!?」

「こんなの前座ぜんざでもありません。――わたし、もう一つ用事ができましたので今から出かけてきます。戸締まりはしっかりと。寝る時はまくらの下に拳銃けんじゅうを置いておくように。では」


 フィルフィナが覆面をかぶり直す。向かった先は転移鏡ではない――外の方だ。

 どこに行くの、とリルルがたずねるよりも先にその姿は消えていた。


「……もう、何が、どうなってるの……つ、いつつつ……」


 無理な軟着陸なんちゃくりくをした時に打ち付けた体の痛みが今頃いまごろよみがえってきた――ここで待っていても仕方がない。取りあえず今はこのドレスを脱いで、頭と体を休めたい――リルルは部屋から出、屋敷に通じる転移鏡に向かった。



   ◇   ◇   ◇



 翌朝。

 屋敷の中に鳴り響く、玄関の呼びりんの音でリルルは目を覚ました。

 重々しいベルの音が布団ふとんの中のリルルの頭を叩くように響く。――客か?

 カーテン越しに窓の外を見る――まだ薄暗うすぐらい。太陽がわずかに顔を出したような早朝。こんな時間に……誰だ。


「――敵!?」


 まくらの下に置いてある拳銃けんじゅうをひっつかんでみて、襲撃しゅうげきの際に呼び鈴を鳴らす敵はいないだろうと深々と息をく。緊張きんちょうが変な具合に張りめているのがわかった。熟睡じゅくすいしていたはずの割りには、あまり眠った実感がない。


 フィルフィナは……帰ってきたのだろうか? 帰って来る前に待ちきれず布団に入ってしまったが、起こされた様子はない。

 油断だけはしないようにしよう――右手首の黒い腕輪を意識しながら、リルルは寝台しんだいから体をすべらせた。



   ◇   ◇   ◇



「こんな早朝に、突然訪問ほうもんさせていただく無礼ぶれいをどうかお許しください」


 玄関前で待っているのは一人だけ――それを確認して玄関のじょうを外して扉を開いたリルルに、その人物は深々と頭を下げて見せた。メイド姿の女性――見覚えがある。確か、ベクトラル家の……。


「あなた、コナス様付きの……」

「ヒィリーでございます。ご記憶にとどめていただきありがとうございます、――ただ、もうベクトラル家のメイドではございませんが」

「どういうこと?」

「先ほど、私たち五人ともがいとまを出された次第しだいでありまして」


 暇? 解雇かいこされたということか――解雇?


「ど……どうして、そんなことに……」

「昨夜遅く、旦那だんな様――コナス様が暗殺者にお命をねらわれました」

「っ!」


 リルルの背骨せぼねしんまでこおった。寒気さむけが肌をすべり落ちて、次の瞬間に脂汗あぶらあせき出す。


「幸い、お怪我けが一つなく、無事に切り抜けられた次第しだいでございます」

「――は、あああ……」


 リルルの緊張が一瞬で氷解ひょうかいした。扉に手を掛けていなければひざくずれ落ちるところだった。


「ハーベティ様におかれましては、もはや誰も信用できないと。私たちメイドたちの中に手引きをしたものがいるのではないか――強いおうたがいのために、私たちにも退去を命じられたのです」

「そ……そんなことが……。あ、あなたたちの身の振り方は大丈夫なの?」

「十分すぎるお心遣こころづかいを旦那様からいただきました。その点は何のご心配もなく――そして、これが最後の仕事でございます。旦那様からのお手紙を預かってまいりました」


 一枚の封書ふうしょが差し出される。


「是非、お早めにお読みいただくようにとのことですので、よろしくお願いいたします」


 お世話になりました、と再び一礼してヒィリーは去って行った。


「いったい何が……」


 玄関に錠をし、部屋に戻るやいなや手紙を開く。紙面を丁寧ていねいな字がびっしりとめていた。


『やあ、リルルちゃん。突然の手紙失礼するよ』


 くだけた出だしに思わず笑ってしまう。まるで本人が目の前で話しているようだった。


『昨夜遅く、眠っているところを暗殺者におそわれてね――いや、暗殺はされていないから表現は間違まちがってるかな? とにかく殺されそうになってね。とても大変だったよ』


 伝えているのはとんでもないことなのに、のんきな筆致ひっち愉快ゆかい雰囲気ふんいきさえただよわせていた。


『僕もあわてて拳銃を撃ったりしてね。ぞくは逃げていって被害はなかったけど、け込んできた母がもう半狂乱はんきょうらんでね。この屋敷の中に裏切り者がいるやら、誰ももう信用できないやらわめき散らして、それからもう一睡いっすいもできなかったよ』


 その様子が頭の中でいとも簡単に想像できた。とてもひどい状況だったろう。


『それで急遽きゅうきょ、領地に戻ることになったんだ。王都にいると命がないっていうんでね。リルルちゃん、君と会えてとても嬉しかったけれど、事態が落ち着くまでどうにもならなさそうだ。この婚約こんやく話もどうなるやら――』


 ベクトラル領。王都からどれくらい離れたところにあるのだろうか。今まで知ろうともしなかったことに思い当たってリルルは壁に貼ってある地図を見た。


『君がこの手紙を読んでいるころには王都を離れているはずさ。念のため移動手段は書けないんだ。手紙が途中でうばわれる可能性もあるからね。メイドたちにも悪いことをしたね。できる限り手当てあては出させてもらったけれど――リルルちゃんも周辺しゅうへんに気をつけて。事態が落ち着いたら連絡するよ』


 手紙をたたむ。文面のとおり、この婚約話も暗礁あんしょうに乗り上げたようなものだった。

 コナスの人柄ひとがらは嫌いではない――むしろしたしめると思うのだが、やはり結婚相手としては候補こうほに入れたくないリルルにすれば、複雑、という他なかった。


「どうなることやら……」

「――コナス様からお手紙ですか」


 リルルの両肩がバネ仕掛けのようにね上がった。椅子いすから飛び上がらないのが不思議なくらいだった。

 気配も感じさせず開かれた扉の隙間すきまから、フィルフィナの姿がのぞいていた。


「――おどかさないで! 帰ってたの!?」

「ええ、部屋で寝ていました」


 フィルフィナは――いつものメイド服ではない。地味な黒いワンピースに身を包んでいる。


「そ、そんなことはどうでもいいの! 昨日の夜、コナス様が――」

「王都からの退去たいきょを決断されたんですね。ねらい通りにことが進んでよかった、ということですか……」


 その言葉の意味がリルルの脳にみこむまで、少しの時間がかかった。


「――まさか、フィル!」

「その暗殺者というのはわたしです」


 こともなげにその口からとんでもない言葉が飛び出した。


「コナス様には、領地に隠れていただいた方がいいと判断しました。向こうも安全ではないでしょうが、王都よりマシです」

「コ……コナス様に危険を実感させるために、暗殺をよそおって、おどかして……」

「少しあらっぽい手段でしたか? しかし効果はあったようですね」

「な……なんてことをするの、あなたは……」


 確かにそれが即効性そっこうせいがあるのだろうが、普通の人間ならとても実行などできない手段、それにいとも容易たやすうったえるフィルフィナという人物にリルルは改めておどろき――改めてあきれた。


「わたしも、街をおおっぴらに歩くのはしばらくひかえます。――わたしの素性すじょう中途半端ちゅうとはんぱに知っている敵と相まみえました」

「フィルの、素性……?」

「わたしがエルフの里の王女であること――どこで何をしているかは把握はあくしていなかったようですが、用心は必要ですから」


 フィルフィナが窓の外を見る。東の空がもう明るい、


「まあ、もう少しお嬢様にはお休みいただいておこうと思ったんですが、よい頃合ころあいかも知れませんね」

「よい頃合いって……なんの?」

「昨日いったではないですか――きつくしかる、と」


 ひやっ、と再びリルルの背骨が凍結とうけつした。その目、口元に小さな笑いを浮かべたフィルフィナの瞳は――まったく笑っていなかった。


「――リルル、そこに座りなさい」

「ひゃい……」



   ◇   ◇   ◇



「――ない、ない、ない、ない――」


 夜をてっしてヴォルテール家の第三層、床という床、家具の隙間という隙間まで探した結果、なんの手がかりも得られなかったニコルの顔色は蒼白そうはくというどころではなかった。


「ない、ない、ない――見つからない!」

「ニコル、この屋敷にはないようだぜ」


 ニコルの探し物に、嫌な顔ひとつせずに付き合っているラシェットが心配そうな表情で訴える。ニコルに探す気があるならまだ付き合う、という風ではあったが。

 サフィーナ公爵令嬢からおくられた首飾くびかざりと、ロシュネールの名札ネームプレート


 決してなくしてはいけない、いけないがために強くくさりで固定していたそれを、一度に二つとも――一つの鎖でつながっているから当然だ――なくしてしまったニコルは、幽鬼ゆうきのような顔で屋敷の床をいずり回っていた。


「この屋敷に来た時には、確かに鎖が首からのぞいていたものな」

「ここに上がって来るまでありました。と、いうことは……」


 もう、可能性があるとしたら、一つしかない。

 ――盗まれた。


「なんで僕の首飾りなんか……!」


 サフィーナから贈られた首飾りは、確かに値打ち物に見えるのは確かだ。

 しかし。


「快傑令嬢は、そんなつまらない――いや、つまらなくはないけれど、細かい盗みなんかしないはずなんだ。今までにしたことなんかない――それが、なんで僕に限って!?」

「戦ってる間に外れたにしたら、あの部屋に転がってるはずだしな――そろそろ交替の時間だ。どうする?」

「どうするもなにも……」


 交替命令に逆らうわけにもいかない。ここに落ちている可能性も少ない――。


「高価なものなんだろ? 弁償べんしょうしなきゃいけないなら、俺が力になってやる。だからそんなに気を落とすな」

「いや……あれは、弁償とかそういうものじゃないんです。僕に贈られたものなんです。だからこそ、なくしたことをサフィーナ様に告げることなんかできない……いかなる時でも肌身離さず持っていろといわれたのに……」

「快傑令嬢から取り返さなきゃきゃいけないっていうんなら、それも協力するから、な?」

「は……はい……」


 背中を叩いてくるラシェットの気遣きづかいに支えられながら、数時間ぶりにニコルは二本の脚で立ち上がった。ひざと脚がホコリで真っ白に汚れている。


「いきなり僕にキスをしてきたり、首飾りを盗んでいったり……いったい何者なんだ、快傑令嬢リロット……!」

「ニコル、なんかいったか?」

「い――いえ! 今行きます、先輩!」


 できれば見つかるまで探していたいという衝動しょうどうを断ち切って、ニコルは前髪を払った。


「サフィーナお嬢様……すみません、ロシュ……ごめん!」



   ◇   ◇   ◇



 正午にまでおよぶ、フィルフィナの地獄のような説教から解放され、精も根もき果てたリルルが、寝台ベッドの上にぱたりと倒れた。何か甘い物が欲しい――糖分とうぶん干涸ひからびた脳に甘い物を与えたくて、非常食を出そうと右手首の黒い腕輪から適当にものを出す。


 道端みちばたで拾ったきれいな石、飴玉あめだま、イワシの缶詰かんづめ、フォークとスプーン、鎖に繋がった首飾りと名札……。


「……あれ?」

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