「襲撃の結末」

 暴風の流れに乗る速度で吹き飛んだリルルの体が、大きな窓の真ん中をたたき割る。ガラスがくだけ散る音が響き――薄桃色のドレス姿が、冷え切った夜の虚空こくうに投げ出されていた。


「うわああああ――――!?」


 十数メルトという高さに自分が放り投げられていることに、リルルの手が反射的に動く。いくらエルフの魔法の道具アイテムで固めている身としても、そんな高さから地面に叩きつけられれば――!


 ムチをなにかにからめつかせようとしても……ダメだ、何もかもが遠くて届かない!

 ここは――!


かさ!」


 右手首の腕輪から一本のぼうが飛び出し、少女の手がそれをにぎる。空を飛ばせてくれる魔法の傘を開こうとして――開かない!


「なんで!?」


 取っ手を押し込むだけで開くはずの、折りたたみの傘。だが、すさまじい風圧が傘を開ききらせない。骨が開ききらない! 体が落下に転じる!


「う、うわあ、ああああ――――!!」


 頭から真っ逆さまに落ちる恐怖。数秒もすれば自分の命が体ごと砕け散る予感――いや、確信に思考が空白になった。口からは絶叫ぜっきょうしかほとばしらない。

 落下感、墜落ついらく感――その先にある死!


「誰かぁ……誰かぁ――――!」


 足の向こうに見える月に向かって手をばす。届くわけがない。それでも、なにかに伸ばさなければ――!


「――ニンゲン!」


 ちがう風が、吹いた。その気配をぎ取ったリルルの目がまばたく――大きな人影・・によって月が隠れた。誰かがいる! ……ここに、誰か!?


「脚につかまれ!」

「あ、ああ――!?」


 どこかで聞いた声だった。知っている声だった。その正体を探る前に、手がそれをつかまえようと伸びる――届く! 誰かの脚に!


「――いっておくがな」


 が羽ばたかれる音がする。無数の羽が空気を叩き、き分ける大きな音。落下速度が目に見えて落ちた。

 小柄な体。それほど長くない腕にびっしりと生えている羽。耳を打つのは少女の声。

 ――彼女は!


「あたしは、お前の体重も抱えてじゃ飛べないぞ」

「え、じゃ、じゃあ」

「落下の勢いが弱くなるか、落ちるまでの距離きょりかせげるだけだ――なんとかしろ!」

「森へ……森へ寄せてぇぇ!」


 落下の軌道きどうが変わる。森の木々が視界の中で大きく近づく。リルルの手が黒い腕輪から飛び出して来たムチをつかみ、それを無心で振るった。伸びたムチが大木の枝に巻き付き、そのまま自らうごめいて絡みつく。


 腕に引っ張られる衝撃しょうげきが走る。二人分の体重に腕が千切ちぎられそうになる痛みが走る――が、脱臼だっきゅうしようがかまうものか!


「っ――――!!」


 勢いを完全には殺せないまま、地面に着地――いや、軟着陸なんちゃくりくした。草と土のやわらかい地面がドレス姿の少女を受け止めてくれた。視界の中で何十回と空と地面とが入れ替わり――やがて止まる。


「い、いたたた……」


 一階分の高さを落ちた直後に、今度はその数倍以上を落ちる羽目はめになるのか。全身にくまなく突き刺さった痛みに耐えながら、それでも命があるありがたさを実感してリルルは体を起こした。取りあえずは動けそうだ。


「大丈夫か、ニンゲン?」

「あ……あなたは……」

「あの時は世話になったな」


 腕のほとんどが翼――先端に小さな手がついている女面鳥身ハーピーの少女。その顔にリルルは見覚えがあった。


「あの、亜人奴隷市どれいいちで助けた……でも、どうしてここに? あのラミアさんの里に行ったんじゃなかったの?」

「あいつ、色々うそいてた」


 嘘? その疑問を追求しようと考えをめぐらせたリルルの耳に、鋭い警笛の音が重なるように突き刺さった。音の方向に目を向ける――無数のランプの光がこちらに向かってくるのが見えた。警備騎士か、この屋敷の警備兵か。


「いたぞ――! ぞくはこっちだ!」


 発見された――逃げなければ、と腰を浮かしたリルルは次に、そのランプの列をおおう爆発の光を見ていた。


「っ!?」


 青白い光がふくらみ、赤い炎がき散らされたかと思うと瞬時遅れて派手な爆発音がリルルの体を叩いた。空気が震えて肌に響く。

 爆発は二度、三度、四度と続き、横合いから加えられているらしい攻撃に、隊列が面白いほどに乱れた。


「この爆発は……!」

「あのエルフの仕業しわざか」


 ハーピー娘がつぶやく。


「――お嬢様!」


 地をうように気配が駆け寄ってくる。全身をおおい隠した暗緑色あんりょくしょく装束しょうぞくに身を包んだ小さな影が、風の速さでリルルのかたわらに寄りった。覆面ふくめん姿のその人物。わずかなき間からアメジスト色の瞳がのぞいている。


「――フィル!」

「ご無事でしたか」

「あんまりご無事でもないけれど……いたたた……」


 見慣みなれていない姿、いや、初めて見るフィルフィナの姿だ。


「この場はすみやかに撤退てったいを……あなたは?」


 リルルの隣で身をせている亜人にフィルフィナが気づく。


「――あの時のハーピーですか……」

「あの時は色々すまなかったな。説明は、次に会ったらしてやる! 逃げるぞ!」

「わたしが殿しんがりつとめます。ハーピー、あなたは飛んで逃げなさい。木々をたてにするように! 高空には出ないで!」

「わかってる。また会おうな」


 最後にニッと笑い、ハーピーはけ出すと跳躍ちょうやくして羽ばたいた。あっという間にその姿は夜の闇の中に溶け込み、消えた。


「――先に行ってください。時間を稼ぎますから」

「フィル! あなただけで大丈夫なの!?」

「お嬢様は足手まといです。転移鏡てんいかがみは向こうの方向です――さあ、急いで!」


 フィルフィナがかすのに抵抗できない。リルルは立ち上がる。


「フィル、あなたも無事に戻るのよ!」

「当たり前です。あとで思い切りしかりますから、覚悟しておいて下さい」


 転移鏡の方向を指し示し、フィルフィナはまたも爆弾を投擲とうてきする。火の粉の筋を引いて遠方に消えていった黒い球は、数秒後に派手な光と炎を巻き上げて破裂、爆発した。

 それを背中に感じながらリルルは走る。


 本格的な戦闘になれば、フィルフィナには経験と技術でかなわない。それも、得体えたいの知れない力を使う敵ともなれば――。


「私のいさみ足で、フィルを危険にさらしてしまっている……!」


 今はフィルフィナの邪魔じゃまをしないことだけが、自分にできる唯一ゆいいつのことだ。リルルは口の中に苦いものを覚えながら、木々と木々の間をうように夜の森を走った。



   ◇   ◇   ◇



「全員を殺してもいい、という条件なら楽なんですがね……」


 ありったけの爆弾を投げくしたフィルフィナは、背の高いやぶと木のみきを盾にして身をひそめていた。爆弾、といっても派手に光と炎を上げる花火のようなものだ。その証拠に爆弾のからは布であり、破裂して四散しさんする弾殻だんかくの破片で人間を傷つけるものではない。


 限られた火力を集中して、敵をおそれさせる作戦は上手くいったようだ。闇の中から投げつけられてくる爆弾の前に、身をさらす気になる人間は残っていないようだった。そんな勇気があるものは、ほとんど全員が気絶して地面に倒れている。


 右手首の黒い腕輪から折りたたみ式の弓を取り出し、短い時間でそれを展開しげんを張った。矢筒やづつを腰につけ、弓に矢をつがえてねらいをつける。


 蛮勇ばんゆうふるって飛び出して来る敵がいたら、そいつの脚を射抜いぬいてやる――あと三分、時間を稼いだら撤退するつもりで感覚をます。


「お嬢様を回り込んで追おうなどというものは……いないようですね。走るのはお嬢様の方が速いし、ここは――」

「自分もこのまま撤退できる、とか思っているの?」


 頭上でした声に、フィルフィナの神経がピアノのげんのように弾かれた。


「っ!」


 反射的に体を投げ出し、地面の冷たさを感じながら矢の狙いをつけて弦を引きしぼる。敵の姿を求め――たフィルフィナは視野の中で、月光をぎらりと弾く輝きを認めた。


「っ!」


 本能で弦を弾いた。フィルフィナが放った矢が目の前二メルトで凄まじい火花を発する。赤い光が目に飛び込んできたとほぼ同時に、フィルフィナの左腕を一本の矢が切りいていた。


「ぐっ!」


 暗緑色の装束が大きく裂かれ、その下の鎖帷子くさりかたびらあらわになる。着込みの防具がなければ腕がどうなっていたかはわからない――左腕に受けた強烈な打撃にフィルフィナが顔をゆがめた。


「やるわね、矢に矢をぶつけて軌道きどうらす――あの姿勢でそれができるとか」


 頭上、三十メルトほど先、上をあおがなければならない――大木の太い枝の上に、誰かが立っている気配がする。次の矢を警戒してフィルフィナは大木のかげに飛び込んだ。


 若い女の声だ。高めのどこか、禍々まがまがしさを感じさせる響きがある。ただの人間……いや、ただの亜人ではない。肌の裏側にひたりとくっついてくる、この嫌な感じは――。


「初めまして。西の森の里の王女様、でいいのよね?」


 深いあおまった肌が、月の白い光を浴びて闇の中から切り出された。二の腕と脚が完全に露出ろしゅつしている軽装けいそううすい生地の服が体の線を誇示こじするように張り付いていた。

 明るい金色の髪が、少女から大人になろうとしている顔をなかば隠すように長くびている。


 なによりフィルフィナの目を引くのは、自分のものとよく似ている形の、鋭く後ろに伸びる長い耳!


うわさには聞いていたけれど、こんな所でお会いできるとはねぇ!」

「……闇の森妖精ダークエルフ眷属けんぞくですか!」

「ふん――『ダーク』ね。自分は『ハイ』の側とでもいいたいの。救いようがないわね、その傲慢ごうまんさは!」


 闇の森妖精が動く。背丈ほどの長さをした銀色の弓がきりり、と引き絞られ、番えられた矢が躊躇ちゅうちょもなく放たれる。


「っ!」


 勘がもたらしてくれる危険信号に従い、フィルフィナは盾にしている大木の陰から飛び出した。


 フィルフィナがせていた高さをほぼ正確に射抜いぬいた矢は、直径一メルトの大木を貫通し切断・・・・・していた。人の首をねるように大木が断ち切られ、枝がへし折れる音をき散らしながら倒れていく。


「…………!」


 あのまま動かなければ串刺くしざしに――いや、上半身と下半身が千切ちぎれていただろう。その確信に全身の肌が粟立あわだった。

 迷いもなくフィルフィナが弓を捨てる。次の瞬間には両手が持てるだけの黒い球体を抱えていた。


 地面に叩きつけられたその球体は簡単に破裂し、濃密のうみつな煙のまくき出した。一切の光をこばむ闇が広がり、その向こうにある全ての存在をおおい隠した。


「――色々とオモチャが好きなこと!」


 その小細工こざいくを無視するように第三射が放たれた。暗闇の壁をえぐるように走ったその射線の先ですさまじい金属音がとどろき、「ぐっ!」という小さな悲鳴が発せられる。


手応てごたえは……あったはず……」


 一分も経たずに深い煙は風に払われた。視界が広がる。

 闇の森妖精は狙い定めて放った矢の命中点を探し――そこに何がないことを認めて、嬉しそうに笑った。


「――さすがね。あの状態でここから撤退てったいできるの。やるわね」


 枝から枝に移るように飛び降りる。残していった唯一ゆいいつ遺留品いりゅうひんであるフィルフィナの弓を拾い上げ、次にはひざでへし折っていた。


「まあ、次回のお楽しみということか。その時は心臓を串刺くしざしにしてあげるわ」


 背後で鳴った警笛けいてきの連なりに闇の森妖精は振り返った。見咎みとがめられてそいつらを始末しまつするのも面倒くさい――そのまま歩を進め、木々の間に身を溶かした。

 闇にまぎれるなどということは、雑作ぞうさもないことなのだから。



   ◇   ◇   ◇



「終わったのかな……」


 屋敷の第三層の窓から一連の騒ぎを見ていたニコルは、快傑令嬢とその仲間らしいものが逃げていったらしいことを認めて息をいた。


「僕は……これでよかっただろうのか……」


 迷う。もう、全ては遅い、が。


「あの少女……本当に何者なんだ……?」


 自分を押し倒し、ためらいもなく口づけをしてきたあの快傑令嬢。わけがわからない。感極かんきわまっていたようだが、何故それがキスという行為になるのか。


 初めてのキス。それがリルルでなく、正体もロクにはっきりもしないという相手だということに思考がまとまらない。


 そしてその感触が幼い頃、砂場でリルルとたわむれに交わした――回数として数えるのもおこがましい、小さなキスをなつかしさと共に思い起こさせること。


 同時に、千載一遇せんざいいちぐうの好機を自らのがしたというやみ……。

 あのまま彼女を逮捕していれば、リルルとの結婚の可能性も開けたかもしれないというのに!


「……リルル、僕は取り返しのつかないことをしてしまったかも知れない……。でも、許してくれ! 僕には、こんな生き方しかできないんだ……!」

「――ニコル!」


 窓際のニコルが背後からの呼びかけに振り向く。警備騎士の装備に身を包んだ長身の青年が部屋に飛び込んでいた。


「ラシェット先輩せんぱい……すみません、僕、快傑令嬢を逃がしてしまいました・・・・・・・・・・

「直接あいつとやり合ったのか?」

「ええ、まあ……色々・・と……」

「それで無事だったのか。それだけでも大したもんだ。あの快傑令嬢と剣をまじえたりした連中は、ほぼ例外なく叩きのめされてるっていうのに」


 黒髪の青年もニコルの横に並ぶ。どちらかというと背が低いニコルと並ぶと、完全に頭一つ違う身長差が明らかにになった。


「ま、お前が無事で良かった。さすが俺の弟分だ」

「わあああ」


 ニコルの金色の髪に遠慮えんりょなく手が突っ込まれ、柔らかい金色の髪がくしゃくしゃにされた。


「お前にはばまれて快傑令嬢は逃げ出したんだってな――あの女が目的を達せず逃げ出したのは、初めてかも知れないな。こりゃあ表彰ひょうしょうされてもおかしくないぜ」

「先輩、僕に気をつかわないで下さい。もう、あの時のことは気にしてませんから」

「あ、いや、そういわれると逆に恐縮きょうしゅくするな。本当にあの時は悪かった、許してくれ」

「だからもう、許していますってば」


 上級騎士に昇進するための好機をみすみす見逃した――その事実がニコルの胸で渦巻うずまく。祖母そぼの命の恩人おんじんであると同時に、彼女が大勢の人々を救っていることも記録で知った。祖母の因縁いんねんを抜いても、そんな彼女をつかまえていいのかどうか、迷いは大きい。


「次に好機があるのだろうか……その好機に再びめぐり会った時に、僕はどうすればいいのか……」


 そう思いながら首元に手をやり――ニコルは、異変に気づいた。


「……あれ?」


 もう馴染なじみ始めた感触が、なかった。二度三度、手の平が首をい回る。――ない。

 それが言語化されて脳に現れる前に、ラシェットの的確すぎる指摘がニコルの心を打った。


「ニコル、お前、首飾くびかざりのくさりがないぞ」

「えっ」


 首飾りの鎖が、ない。当然、それにくくりつけられていたものも、ない。

 サフィーナ公爵令嬢から授けられた月の首飾り――片時も肌から離すなといわれていた。

 そして、想い出の馬、最愛のロシュネールのたましいである名札ネームプレート


 ない。

 この世でニコルにとってなくしてはいけない大事なものが、ない。

 ――二つとも、ない!


「あああああ――――っ!」


 少年の悲鳴が森の奥に築かれた館から響き渡り、それが静寂せいじゃくの表面を引き裂いていた。

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