「ふたつの対決」

「――だいたい何故君は、僕の名前を知っているんだ?」


 距離きょりをとったニコルが腰のレイピアを抜いた。窓から差し込んでくる月の光にやいばが冷たく輝く。氷を思わせる色のきらめきにリルルの心が冷える。


「君と僕は、どこかで会っているのか? いったい誰なんだ、君は……」

「ニ……ニコル……」


 快傑令嬢リロットの正体がリルルであるということを、選択肢にも入れてくれないニコルの心根こころねに複雑なものを抱きながらリルル――いや、リロットになりきろうとした少女も身構える。


「いや! ――私、あなたとり合いたくなんかない!」

「僕もだ。できれば君に、女性の体には傷一つつけたくはないけれど、抵抗ていこうするというのなら仕方がない」


 じり、とニコルの足が絨毯じゅうたんの床をにじり寄る。リルルもまたレイピアを抜かざるを得ない。切っ先を向けることで牽制けんせいしなければ、ニコルの好きに間合いをめさせるだけだ。


「ううう……やりにくいなぁ……」


 今まで警備騎士相手の戦いはいくらでもあった。大怪我おおけがわせなければいい――アザや小さな切り傷、打撲くらいは勘弁かんべんしてもらおうという甘えで剣やムチを振るってきた。


 が。


 ニコルの白い横顔も月の光が浮かび上がらせる。真剣な眼差まなざしが目の前の少女をるように鋭くにらんでいた。


 それだけは確かに少年のひたむきさを思わせるい水色の瞳に見つめられて、リルルの心の裏側にぞぞっとい回るものがあった。心にきざまれている二年前の面影おもかげよりちがっている、という確信があった。少女のような優しい印象をたもちながら、厳しさに似た精悍せいかんさが増している。


 まだ少年という表現が適切でありながら、確実に大人へと近づいている――。


「ああ……やっぱりニコル、素敵すてき……」


 たがいに真剣を向け合っている状況じょうきょうで、あり得ないような気持ちにリルルの心が胸の中でね続ける。


「可愛くて、かっこよくて……この綺麗きれいな顔に傷なんかつけられない! 手加減しなくちゃ!」


 見つかってしまった以上は、この場をなんとかしのいで、早々にこの屋敷を脱出しなければ――。


「っ!」


 ニコルが動く。一気に少年はみ込んでくる――そのリルルの予想を簡単に裏切り、ニコルはいつの間に後ろ手に隠していた左手のものを、体の全部を旋回せんかいさせるようにして投げつけた。


「えっ!?」


 床の上、数セッチメルトをまるですべるようにして飛んで来たのは――くさり!?


「あうっ!」


 反応がおくれたリルルの足首に激突げきとつし、連結された長く細い鎖がリルルの足首に巻き付く。体重を移動させようとしていた勢いが殺せず、リルルの上半身が大きくぐらついた。

 ニコルが床をった。獰猛どうもうおおかみおそいかかるように!


「あくっ!」


 その突進をけようにも脚が開けないリルルの肩に、突進してきたニコルの手がかかる。そのままぶつけられた体重にあらがえず、リルルは絨毯じゅうたんの上に尻もちをつき、そのまま背中と後頭部も叩きつけさせられた。


「う、うう……?」


 毛が長く分厚い絨毯に受け身なしで頭を打ちつけ、激痛げきつう一歩手前の衝撃しょうげきに少女の意識がほんの一瞬、白く飛ぶ。それでも必死に目を開いたリルルの首筋に、ピタリと当てられるものがあった。


「動かないで」


 リルルの体をまたぐようにして立ち、冷たい瞳で見下ろしてくる――ニコルが握るレイピアの刃だった。

 その肌に細い傷さえをもつけまいとしているのか、肌に押し当てられているのは刃の腹だったが、初めて他人に加えられるその冷え切った感触に、リルルの心が完全にこおり付いた。


「僕の勝ちだ」


 刃が退けられると同時に、リルルの体が仰向あおむけからうつ伏せにころがされる。レイピアが手からいとも簡単にもぎ取られ、後ろ手に手を組まされた。


「あ――――」


 わずか数秒。自分が制圧されたという事実に、リルルの理解が追いついていなかった。

 今まで一度も遭遇そうぐうしたことのない事態だった。まさか・・・、自分がこんな一方的に負けるなんて!?


 相手がニコルだから油断ゆだんしていた、というのを割り引いても一方的過ぎる結末としか言い様がない。背中に回された手首に手錠てじょうがかかる音が、何故か神経が断ち切られる響きのように聞こえた。


「これで、君は僕のとりこだ」

「待って、これにはわけがあるの!」


 次にはメガネが外される、その恐怖がリルルの心をさら凍結とうけつさせる。メガネが外された時点で、覆面ふくめんがされるのと同じになる――ニコルに正体を知られてしまう!


「聞いて、私は!」

「僕は君を確かにつかまえた。だから――」


 再び手首で、かちり、と音がした。


「え――――?」


 絶望をもたらしていた手錠の感触が、消えた。身をよじって上を見る。手錠をひざの物入れにしまい、ニコルが体から離れていくのが見えた。

 ――自分は、解放された?


「な、な――なんで?」


 快傑令嬢リロットを逮捕たいほする、とえるようにいっていたはずのニコルが、あっさりと自分から離れたことがリルルには理解できない。頭の中がうずを巻く。


「さあ、行くんだ」

「……どうして、私を逃がすの? 私を捕まえたいんじゃなかったの?」

祖母そぼから聞いた」


 祖母、と聞いた少女の脳裏のうりに、ローレルの顔が浮かんだ。自分にとっても祖母同然の老婆ろうば。気が強く口やかましくきびしいが、心根こころねは優しい――リルルが愛する人間のひとり。


「街の井戸に投げ込まれた毒にやられ、死にかけている祖母が、君の活躍かつやくで助けられたこと。毒をいていた一味いちみを君がつぶして、祖母が助かるきっかけになったこと。だから、君は祖母の命の恩人おんじんということになる」


 ニコルの眼差しが、目の前で身を横たえているドレス姿の少女をにらみ、その奥の色が揺れていた。


「家族の命を助けられた恩にはむくいたい。だから、僕は君を一度だけ見逃みのがす――一度だけだ! これで君との間に貸し借りはない! 今度僕の目の前に現れたら、その時は逃がしはしない!」

「――私を捕まえないと、上級騎士に昇格しょうかくできないのでしょう? あなたにはそうしないといけない理由わけがあると……」

「そうだ。だからこれは僕にとっても苦渋くじゅうの決断なんだ――早く行くんだ! 僕はこの瞬間にも、この判断を後悔し始めているんだから!」

「ニコル……」


 リルルがおずおずと立ち上がり、未練みれんを残すようにニコルの方を見る――もうニコルはこちらを見ていない。さびしい背中だけがうすい光の中に浮かんでいた。


「……もしも私があなたの前に二度と現れなければ……あなたの想いは……」

「早く行け!」


 突き放すように叫ぶニコルに、リルルは背を向けた。こぶしにぎりしめ、肩を震わせているその姿をそれ以上見ていられなかった。


「――あと、これだけはすまないんだが」

「えっ?」


 リルルは振り向いた。


「仲間に連絡だけはさせてもらう」

「な――――」


 ニコルが何かを口にくわえるのが背中越しに見えた。リルルの目が開かれるのと同時に、鋭い笛の音が大音量で鳴り響いた。


「――――侵入者がいるぞ!!」

「きゃああああ!」


 笛の甲高い響きとニコルのさけびに押されるようにしてリルルは廊下ろうかに飛び出す。方向を見失ってけ出し、下りの階段を見つけてそれに向かい――下から上がってくる足音のれに心臓がちぢみ上がった。


「笛はこっちで鳴ったな!?」

「確かに階上です!」

「わあああ!」


 少女の足が回れ右をする。手近な部屋の扉を開けて飛び込み、内側から鍵をかけた。


「今、この部屋に誰かが入った気配が!」


 下から上がってきた十人ほどの警備騎士たちが扉の前に立つ。補強ほきょうもなにもない薄そうな木の扉だ。


「メイドの部屋か――外が見える窓はないはずだ! 袋のネズミだな!」


 全員が抜刀ばっとうする。突入する二人が前に立った。


「扉をぶち破ります!」

「よし――やれ!」


 それぞれに呼吸を合わせ、二人が全力で扉を蹴りつけた。数度の衝撃で粗末そまつな鍵がへし折れ、中に向かって扉が吹き飛ぶ。


「侵入者め、覚悟――――んんっ!?」


 間髪かんぱつ入れず踏み込んだ二人の警備騎士が見たのは、無人の空間だった。



   ◇   ◇   ◇



「――いたぁっ!」


 腰から床に落ちた衝撃に全身がしびれ、リルルはその顔の全部を歪めた。

 ほとんどいちばちかで床を透過とうかし、真下の階の天井から床までの高さを落ちたのだ。抜けた先に何があるかわからない上で障害物を透過するのは危険な行為だったが、けには勝ったようだった。


「こ……ここは……」


 明かりがともっていない部屋。ここも今は無人なのか。痛みが脳天から突き抜けていった衝撃に震えながらリルルは立ち上がった。


 暗いが、家具の配置はよくわかる。広い部屋、大きなテーブルに数脚の椅子いす――細工さいくがされた飾り棚キャビネットにはガラスの向こうに高級そうな皿がならび、壁には何枚もの絵画がかざられている。


 逃げ込んだ粗末なメイド部屋の真下とは信じられないような、調度ちょうどが整えられた部屋だった。大きな窓から星の光がうかがえる。その下には森――。


豪華ごうかな部屋ね……この屋敷のあるじの部屋かしら?」

「そうだ」


 背中でした声に、リルルの背筋がねた。まるで突如とつじょそこに転移してきたのではないかという気配の現れ方だった。

 おどろきの声も出せないリルルが振り返る。幽霊ゆうれいが出た、といわれれば信じていたかも知れない。


 今まで体験したことのない背後の取られ方に、戦慄せんりつが走った。


「あ、あなたは……?」

「――顔が全然わからないな。魔法の道具アイテムかなにかか……これで三度目・・・邪魔じゃま立てということか、リロットとやら」


 振り返ったリルルの視界の真ん中にいたのは、少年だった。リルルの背よりも少し低いくらい、歳でいえば十歳をいくらか超えたくらいの、十分に子供といえる風貌ふうぼうだ。だが、それ以前に目を引く強烈な印象がある。


 少年にしては似つかわしくない落ち着いた表情、なにより、その髪の色――真っ白な髪。色素しきそのかけらもない白髪しらが。色が抜けた、というよりは、元からそんなものがなかったといわれても信じられるような。


「何故そのように我が家に楯突たてつくのか、理由が知りたいな」

「我が家……?」


 ヴォルテール家ゆかりの少年か。当主の子供ということか。上質そうなのが見た目でわかる生地のチュニックが似合っている。着慣きなれている、という風格ふうかくがあった。


「あなた、このヴォルテール家の子供なの? 私はあなたのお父さんに話があるの。あなたには危害は加えないわ。だから、この家の当主とうしゅ様を――」

「お前は色々と思いちがいをしているようだな」


 少年特有の高い声。しかし、口調くちょうは違う。とても似つかわしいとはいえない落ち着いた、大人びた――大人びすぎた声。

 リルルの脳裏のうりを予感がよぎる。鉄がびたようなにおいが鼻腔びこうの奥を突く錯覚さっかく――危険の予兆よちょう


「この私がこの家の当主で――お前とは、なんら話すことなどないということだ」


 瞬間、リルルの足が、床から離れて浮いた・・・・・・・・・。それがどういうことかを理解するよりも早く体の全部が風に吹かれて舞い上がったかのように宙に浮き――そのまま、ガラスの窓に向けて、砲弾の勢いで放り投げられた。


「きゃああああああ――――!?」

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