第06話「ニコルとリルルとリロットと」

「首飾りとベッドと短剣と」

 満月をしていると見える、金色に光る円形のプレート。針できざんだような文様もんよう――いや、文字がびっしりと外周に沿っている。これは……どこで手に入れたものだったか?


「うう……眠い……」


 色々ありすぎて気力の回復が追いついていない。あらがえない無形むけいの力に全身をつかまれ、窓ガラスを突き破って夜の空に放り出された恐怖がいまだに体の震えとなって残っている。

 ほとんど本能で口の中に飴玉あめだまを放り込み、それが舌の上で溶けきる前に、リルルは寝台しんだいの上で寝入ねいってしまっていた。



   ◇   ◇   ◇



「お嬢様、夕食のお時間ですよ」


 布団ふとんを体にかけることもできずに寝台しんだいの上で力尽ちからつきていたリルルは、フィルフィナの声によって目覚めた。

 うつらうつらとしている目を開けきれない。このまま寝ていたいという意識が頭に重かった。


「またベッドの上を散らかして……おや?」


 リルルが手ににぎっているくさりについている首飾くびかざりを、フィルフィナが見つける。


「――これは、母の首飾くびかざりではないですか!」

「ふへ?」


 一瞬、意味が理解できなかったリルルが首をかしげた。


「母の首からこれが下がっているのを見たことがあります。……いや、しかしこれは確か……そうですよ、ゴーダム公爵に譲渡じょうとされたものです」

「ゴーダム公……?」


 寝惚ねぼけているリルルの頭が回り始める。ゴーダム公……ニコルが二年間、騎士見習いとして修行し、准騎士じゅんきし叙勲じょくんを受けた領地のあるじ


「少し前、わたしの里と人間の間で不幸ないさかいがあり、それをなんとか交渉で解決した記念として、互いの大切なものを交換し合ったのです」


 エルフのいう少し前、というのは何十年前のことをすのだろう。少なくとも十年より前のはずだ。


「ゴーダム公爵家の家宝とする、という約束でしたが、どうしてこれをお嬢様が持っているのですか?」

「私……これをどこで手に入れたんだっけ?」


 記憶の整理が追い付いていない。これは……。


「変なことばかり起きますね……先ほどニコル様にお会いしてきました。家の中でたましいが抜けたようなお顔をされていましたよ」

「ニコルが……?」


 何か大切なことを忘れている……なんだっけ?


「大事なものを色々と盗まれてしまった、というのをかろうじて聞き出したんですが、ご本人も気落ちの極致きょくちのようで。昼間はなにかの理由で表彰ひょうしょうされたという話もソフィアから聞いたのですが、ご本人は全然めでたい感じではなかったですね」

「ニコル……昼間……表彰……」


 つぶやく度に記憶の断片だんぺんつながっていく。


「そういえば、ニコルと会ったんだわ……私……」

「え?」


 窓のカーテンに手をかけていたフィルフィナの手が止まる。


「会われた……? どこで?」

「ヴォルテール家の屋敷。警備騎士としてニコルがいたの」


 初耳だ、という顔をしてフィルフィナがリルルを見つめていた。


尖塔せんとうから侵入して……下の階層に下りると、一人でいたニコルと出くわして……それから……」

「それから?」

「もう、二年ぶりに見るニコルの顔だったから私、なにも考えられなくなって、ニコルに飛びついて、体当たりするみたいになっちゃって……」


 フィルフィナの顔からおだやかなものが消えて行く。暗雲あんうんがかかるかのようにかげりが差していく。


「ニコルが気絶しちゃって、その時にニコルの首にこれが掛かっていたから、なんとなく手に取っちゃって……」

「手に取っちゃって……」

「それでニコルが起きたから、はずみで黒い腕輪の中にしまっちゃって……」


 たら、とリルルのほお一線ひとすじの汗が流れ落ちる。自分が口にしていることの危険さがじわじわと心にみ入り始めていた。

 顔を上げると、顔の全部から色ががれ落ちているフィルフィナと目が合った。


「それで……私、ニコルの顔がもう目の前にあったんで、その、つい、そのくちびるにキスを……」

「――お嬢様」

「は、はい?」


 その短い呼びかけに不穏ふおん以外なにもない響きを聞き分け、リルルが聞き返す――アメジスト色の瞳が、かすかに切れ長を思わせる目の中で爛々らんらんと輝いているのを見て、ひざが自動的に正座した。


「気絶から目覚めたばかりで、抵抗できないニコル様に無理矢理キスをするなどという――その野蛮やばんかつ破廉恥ハレンチ極まりない、言語道断軍法会議即日結審問答無用絶体絶命上告絶許翌朝銃殺永久除名――な行為については、今は追求するのは取り敢えずおいておきます、が……つまり、ニコル様からその首飾りを盗んだことになるのですよね?」

「え、え――そ、そういうことになっちゃうの? なっちゃうのかな?」

「――返してらっしゃい!!」

「ひゃあああ!」



   ◇   ◇   ◇



「はあ……」


 ――深夜、ニコルの家。

 徹夜てつやの任務、快傑令嬢リロットを退しりぞけた見返りとして一日の休暇きゅうかを与えられ、家でゆっくりと過ごせても、ニコルは幸福ではなかった。


 警備の人員交替によってヴォルテール邸から退去することになり、早朝に警備騎士団において表彰を受けた――捕縛ほばくには至らなかったとはいえ、警備騎士団が初めて快傑令嬢リロットを退けた快挙かいきょだったのだ。


 本当なら捕縛できたのを、わざと見逃した――そんな秘密を同僚たちに話せるわけがない。

 ただ、家族には別だった。


「――リロットを逃がしただって?」


 当のリロットによって、瀕死ひんしのところを救われた祖母そぼ・ローレルはニコルの告白をけわしい顔で聞き――何かを怒鳴どなりかけて、そのまま口を閉じてしばらく熟考じゅっこうした。


「……まあ、お前らしいケジメの付け方だね。わかってるね――リロットを捕まえるのは、仕方がない。仕事だからね。でも、決してあの子を傷つけるんじゃないよ。リロットはお前を傷付けはしないだろうしさ」

「……わかってるよ、ばあちゃん。本当は、僕は誰も傷つけたくない。女性ならなおさらだよ」

「いい覚悟だね。その言葉、胸にきざんでおきな」


 捕まえるな、常に見逃せ――本心としてはそういいたい祖母の気持ちがわかったから、それでも妥協だきょうしてくれた言葉は重かった。

 それと、失ってしまった首飾りの行方ゆくえ――そして、うばわれた唇。


「……おかしいよ、僕……」


 強引に二度。口づけされた時から胸で気持ちがざわつき続けている。初めて受けた口づけ――幼いころのいたずらを計算にいれなければ――の感触を思い出すたびに、胸と腹の境目がきゅうと痛む。


「なんのいたずらかは知らないけれど、あんなの、ただ唇をくっつけられただけだ。それ以外に意味はないんだ。あるわけはないんだ……」


 寝台ベッドの上、布団ふとんに頭までもぐりながらそんなことを延々えんえんと頭の中でめぐらせている。首飾りと名札ネームプレートが奪われたらしいことも一大事だったが、あの時の口づけを意識する度に色々と暴走しそうになった。


「また、快傑令嬢かのじょに巡り会うかも知れない。その時に聞こう。それでわかる。彼女は悪い人じゃない。僕にはわかるんだ」


 ざわつき続ける心をおさえながら、布団の中で強く目をつぶり続ける。寝間着ねまきにも着替えず、明るいうちから布団に潜り込んでずっとこんな調子だった。


 ぐるぐると回転木馬メリーゴーランドのように回る思考も次第にうすれて、暖かさの中で眠気ねむけが押し寄せてくる。

 意識が途切とぎれかける――知覚がおよぶ最後の瞬間の間際まぎわ、ニコルのかんが反応した。


「……う……ん……?」


 大きく動くな、と本能が司令する。布団が動かないようにゆっくりと手をばした――右手はまくらの下の拳銃けんじゅう、左手は体のわきに寝かせてある短剣に。

 頭をずらすことでほんの少し、布団を上げて外の視界を得る。道路に面している大きな窓。閉められている厚手のカーテンに、人の影の形が浮かんでいた。


 家族は……母と祖母の気配はしずまっている。時刻からして、とっくに就寝しゅうしんしているはずだ。

 カーテンに影を映したぬしは、壁一枚を通したこの部屋の気配を探っているようだった。……ぞくか? この辺りも治安は悪くはないが、窃盗せっとうなどの犯罪が皆無かいむなわけではない。


 眠っていると見せかけて侵入してきたところを制圧しよう。しかし、窓は施錠せじょうされている。どうやって入ってくるつもりか――ガラス切りでガラスを切り取り、鍵を開けるのが定石セオリーなのだろうが。


 そんなことを予想していたニコルの目が、布団の中で見開かれた。

 侵入者が、侵入してきた。


「――――!?」


 思わず上げかけた声を、おさえる。ガラスに傷をつけるどころか、窓も開けずにその人影は部屋の中に入ってきたのだから!

 そして、暗がりにれきった目がその人物の姿を目撃して、さらに瞳孔どうこうを開かせた――色はよくわからないが、確かに昨夜見たドレスの形!


「おじゃま、します……」


 少女の声に頭をなぐられた錯覚さっかくを覚える。

 顔は……わからない。元々暗い上に、見た、と認識した瞬間から頭の中で印象がくずれ落ちていく。脳の中に定着させることができないのだ。

 ――快傑令嬢かのじょ


「……よく寝てるみたい」


 布団の中で動かない自分を見てそう判断したのか、快傑令嬢らしい――いや、そう断定だんていして差し支えない人影は足音を殺しながら部屋の真ん中に立ち、しきりに視線を動かして家具の配置を確認している。


 寝息の調子リズムよそおいながら、ニコルはその気配の動きを探った。ニコルが手をばせば届く、寝台ベッドのすぐ側に立って気配が止まる。彼女がふところに手を突っ込んだ――武器を出すつもりか!


「っ!」


 ニコルは一気に布団をね上げ、少女の体に叩きつけた。体の前面の全てに布団を浴びせられた少女がその中で悲鳴を上げたようだが、分厚い布団がその全部を隠していた。

 視界を失った少女の背後に回り込み、腕を背中にねじり上げながら体を寝台に押し倒す。

 わずか二秒半で少女の体が制圧され、枕に顔を押しつけられた少女はうめき声もらせない立場になっていた。


「動かないで」


 彼女の体を仰向けにさせて馬乗りになる。抜いていた短剣を少女の首筋に押し当てながら、できるだけ酷薄こくはくな声で耳元にささやいた――騒ぎを起こして家族を起こしたくはなかったから。


「大人しくするんだ。大人しくしていれば……」

「――大人しくしています」


 少女の体から、あっさりと力がけた。


「……大人しくしてるから……乱暴はしないで。抵抗しません。私、あなたのいうことをなんでも聞くから…………痛くしないで……」

「――――え」


 ニコルの首が勝手に横を向く。部屋のすみに置いてある姿見スタンドミラーに視線を移した。

 女性の首筋に短剣を突き付けながら、その腹の上に馬乗りになっているという格好かっこう

 刃物を突き付けているニコルの方が、心に氷柱ひょうちゅうを押し当てられたかのような寒気さむけおそわれた。


「――――いや! そういうことじゃないんだ!」

「ニコル!?」

「ぃっ」


 扉の向こうで母・ソフィアの声が聞こえた。ニコルが反射的に布団をかぶる――もちろん、快傑令嬢リロットであるリルルごと!


「なんかあったのかい!?」


 ノックもなしに母の姿が飛び込んできた。手に持っているランプの青白い光が部屋を照らし出した。


「か――母さん、どうしたの?」

「水を飲みに台所に立ったら、お前の声がしたから、泥棒どろぼうでも入ったのかと思って……」


 ニコルにおおかぶらされたリルルがその重さの圧迫感に小さな声を漏らすが――顔の全部に当てられているのが愛する少年の体ということに思い当たって、すんすんと鼻を鳴らしてそのにおいをぎ始めた。


 少年の背中に腕を回す。ぎゅっと抱きしめる。

 今まで感じたことのない、少年の臭い――かすかな汗の香り、どこか青臭さを思わせる肌の臭い。その臭いに幸福感を覚えながら、リルルはさらにくんくんくんと嗅ぎついていった。


「ぃぃっ」


 背中に走った肌をすべる感触、胸をくすぐる妙な感覚にニコルが声を漏らす。


「ニ、ニコル?」

「なんでもない! あ――ああ、寝言、寝言だよ! 変な夢を見ちゃって!」

「そうなのかい? ……このところのお前、色々あったから母さんも心配だよ。リルルにフラれて落ち込み、ロシュネールに死なれて……大丈夫なんだね?」

「うん、心配かけてゴメン。僕なら大丈夫だから――母さんも早く寝て! ね!」

「ああ……そうさせてもらうけれど」

「ああ、ランプはそこに置いていって! ちょっと細かい用事――そう、手紙! 手紙を書かなきゃいけないんだ! だから!」

「あ――ああ、わかったよ。あんまりこんを詰めるんじゃないよ」


 最後まで心配顔でいた母がランプを残して扉を閉め――その気配が向こうに消えて行ったのを確かめてから、ニコルは体を起こした。


「――なにをしに来たんだ、君は! 僕の家に!」

「ああぁ……」


 腕を振りほどかれ、少年の臭いが遠ざかった悲しみにリルルが声を漏らす。

 魔法のメガネのために少女の表情を見ることができないニコルも、この少女が自分に害意がいいなどかけらも持っていないことを思い知らされた。


「――本当、なんなんだ、君は……」


 手に持った短剣の存在にも馬鹿らしくなって、ニコルはそれをさやに収めた。

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